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第一章
咎人
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痛みは来なかった。
代わりに、獣の甲高い断末魔が耳を劈き、葵が目を開けると、鷹の長い首に矢が刺さっていた。
続けて二本、三本と矢が襲い、獣は巨体を捩った。
「今のうちに!」
紗華に腕を引かれ、もつれる足でなんとかバランスを取り直すと、地団駄をふむ獣の足を避け、小屋へ一直線に走った。
小屋に駆け込むと、紗華は隅に立て掛けてあった鍬を手に取り、戸につっかえをした。
そのまま二人で戸にもたれながら息を整える。
足の裏を傷つけたのか、ジンジンと傷んだ。
(そういえば、裸足で出てきちゃった……)
見つかる前にと、急いでいたから気が付かなかった。
二つ目の門までは床も綺麗だったから違和感がなかったが、これ以上村の中を裸足で駆けずり回るのは無理だ。
(それにあんなのに追いかけられたら──)
大きさも規格外だが、あの凶暴性は異常だ。
この国はあんなのがいつも襲ってくるのだろうか。
既にもう三度死にかけている。葵は身震いした。
(冗談じゃない!! こんなところ早く出たいのに──!!)
けれど、どうやって帰ったらいいのだろう。
ここが日本ではないとわかったのがついさっきだし、外へ出られたとしても路頭に迷うことになる。
葵の脱走計画は全て崩壊してしまったのだ。
(まあ、計画という程でもなかったけど……)
どっちにしても、帰る方法がわからなければどこへ行けばいいのかさえわからない。
考え込んでいると、紗華が葵に向き直った。
「ここから出ることは出来ませんよ」
「どうして!?」
「森は妖獣の餌場のようなもの。村を隔てる壁は高くてとても越えられない。それに門は特別な時以外は絶対に開きません」
「特別な時……?」
「巫女が下界の穢れを祓う為に、多くの兵を従えて下山します。その時だけ」
なるほど、と葵は希望を抱いた。ならばそれに紛れて脱出すればいい。
葵はずいっと前のめりになって訊ねた。
「それ、いつ!?」
だが紗華は目を伏せ、首を振った。
「年に四度。けれどここ十年、水波盛は巫女に恵まれていませんから……」
「なら、私がその巫女として下山すれば、後は隙をついて────」
いいえ、と紗華はやんわり否定した。
「嫁入りの儀式が先でしょう」
「嫁入り? なにそれ?」
「水神様に水巫女を捧げる儀式です。巫女を嫁がせることにより、水を浄化し、災蝕を防ぐのです」
「……ごめん、よくわんない」
なぜ嫁ぐことが天災を止めることに繋がるのか、水波盛の常識は理屈になっていない。
それでも紗華は、馬鹿にするような素振りは一切なく、懇切丁寧に説明をした。
「巫女はその命と引き換えに、人々の穢れを祓い、災蝕をも止めるのです」
「ま、待って待って‼︎ なにそれ!?」
思わず紗華に掴みかかった。
「命と引き換えって──!! 私、死ぬの!?」
愕然とする葵を見て、紗華は目を見張った。
「まさか……ご存知なかったのですか?」
「知らないよ!! いきなりこんな所に放り込まれたのに、そんなこと知るわけないじゃない!!」
紗華は不思議そうに首を傾げた。
「葵様はお社で育ったのではないのですか?」
「まさか!! 水波盛なんて全然聞いた事ないし、あんなバケモノだって見た事もないもの!!」
「では何故この国に?」
「わ、わかんない。でも井戸に落ちたところまでは覚えてる。それから気を失って、目が覚めたら本殿に居て……そしたら急に、水巫女だの災蝕を止めろだの言われて、本当わけわかんなくて……」
「井戸? そんなところからどうやって……」
葵は紗華の両肩をがしっと掴むと、食い入るように見つめた。
「とにかく私は、ずっと遠くの国から事故で流されてきたの!!」
紗華は難しい顔をして聞いていたが、すぐに葵に笑顔を向けた。
「わかりました。信じます」
「ほ、本当!? そんなすんなり?」
紗華は、はい、と頷く。
「通常、水巫女達は赤子のうちに社へ流れ着き、物心が着いた頃より巫女としての教育が成されます。でなくとも、下界の民ですら知っている基本的なことをご存知ない──。であれば、異国から来たと考えてもおかしくはないかと……」
なんて話のわかる人なんだろう、と感心していると、紗華は恥ずかしそうに頬を染めた。
「……というのは建前で、正直に申し上げますと、難しいことはよくわからないのです。けれど、葵様がそう仰るなら、きっとそうなのでしょう」
じーん、と熱いものが胸に込み上げる。
こんなありえない話を手放しで信じてくれたのだ。
「──ありがとう!! 紗華さん!!」
嬉しさのあまり、思わず紗華に抱きついた。
紗華は動揺していたが、遠慮がちに背中を優しく叩いてくれた。
弱った心に優しさが沁みて、涙が出た。
「葵様? 大丈夫ですか?」
急いで紗華から離れた。
血で濁った川に落ちたせいで赤黒く染った着物に目を落とす。
血生臭い匂いで、妖獣が喰い散らかした死体の光景を思い出し、また気分が悪くなった。
こんなひどい状態でくっ付いたら、紗華の着物にも汚れや匂いを移してしまう。
「抱きついたりしてごめんなさい、汚れてるのに……」
「決してそんなことは! その、私のほうこそ……」
紗華は恥ずかしそうに着物の裾を引っ張った。
今の今まで気が付かなかったが、紗華もまた裸足だった。葵と違って足裏が無傷なのは、ずっとその状態で過ごしてきたのだろう。それに同じ年代の少女達よりもかなり痩せていて、彼女の生活が相当困窮しているのが分かる。
(本殿の人達はあんなに裕福なのに……)
身分でこんなにも格差があるなんて、水波盛はいい国とは言えない。
葵はいたたまれない気持ちで目を伏せた。
「巫女のお役目を逃れたいですか?」
紗華が俯いたまま、ぽつりと言った。
葵の気持ちは決まっている。
「そんなの、死にたくないに決まってるじゃない!!」
「どうしても?」
「当たり前でしょう!!」
「それは……他者を犠牲にしてでもですか?」
「犠牲って、そんな大袈裟な──」
紗華の目は真剣だった。
葵も負けじと見つめ返し、強く言い放った。
「そうよ!!」
紗華は目を伏せ、「……わかりました」と呟いた。
「もしかして逃げ道があるの?」
紗華は首を振った。
「ただ、儀式を逃れる方法がない訳ではありません」
「ほ、本当!?」
「ええ。視憶の能力を捨てれば良いのです」
「────視憶なくせるの!?」
願ってもない話に、葵の心に希望の光が差した。
人柱を逃れられるうえに、長年葵を苦しめてきた枷を外せるのなら、まさに一石二鳥ではないか。
「ええ。……でも、視憶を捨てるということは、水巫女の資格を捨てることにもなります」
「こんなものいらない!! お願い、教えて!!」
手を合わせて懇願する葵に、紗華は眉尻を下げた。
それから覚悟を決めたように葵を見た。
「葵様、これはあくまで最後の手段だということを。肝に銘じてくださいませ」
「う、うん……」
葵の喉がゴクリと鳴る。
紗華は、そっと耳打ちをした。
その方法を聞いた途端、葵の顔は茹でダコのように真っ赤になった。
「それで、水巫女ではなくなります」
「む、無理だよ!! 無理無理!!」
考えただけで顔が熱くなる。
紗華は神妙な面持ちで声を落とした。
「けれど、これは賭けです。下手をすれば、死罪になるやもしれません……」
「──死罪!?」
葵が声を張り上げたので、紗華は慌てて「しー!」と、口の前で人差し指を立てた。
バクバクと鳴る胸に手を当てながら、ごめん、と謝ると、声を抑えて話を進める。
「でも死罪って……! あんまりじゃない!?」
紗華は真剣な眼差しで言い聞かせた。
「いいえ、決して。ですから────」
紗華は再び耳打ちをした。
その内容の酷さに、葵は思わずどん引きした。
とても紗華の発想とは思えない。
「そんな、そんなことしたら……」
動揺している葵に、紗華は念を押す。
その緊迫した声色で、葵は自分の置かれた状況が、考えていた以上に深刻であることを思い知った。
「決して良い方法ではありません。運良く生き延びたとしても、死ぬより辛い運命を強いられるかもしれません。……他人を踏台にするということは、そういう事です」
葵は静かに頷た。
覚悟を決めたわけではない。けれど、いつかは選ばなければならないだろう。
「それでも、どうしても親に会いたいのなら、まずは生き延びること。生きてさえいれば、いつか────」
小屋の戸板が乱暴な音をたてた。外に何かがいる。
葵と紗華は後退りし、警戒しながら鍬でつっかえをした戸を見守る。
(妖獣か、兵か────)
葵の頭の中に白い影がさした。
とてつもなく嫌な予感がする。
「あの、失礼を承知でお訊ねしますが……お付きのおくり子様は……?」
紗華は不安気な表情している。
いくら言動が大人びていても、怖いのは彼女も同じなのだろう。
「おくり子? リンっていうやつのこと?」
紗華の顔がみるみるうちに青ざめていく。
関わりたくないという気持ちはよく分かる。貧困層を放置しているような王族、嫌われて当然だ。
もう一度派手な音がして、戸板が破られた。
立っていたのは予想通りの人物だが、全身が赤黒く濁っていて、真っ白な部分は残されていない。村中駆けずり回ったのか、ひどく息切れもしている。
リンは葵を見るなり、青筋を浮かべてズカズカ近づいてきた。
息切れは怒りのせいかもしれない。
「────い、嫌!!」
恐ろしくなって後退すると、紗華が葵の前に割って入った。
紗華のまさかの行動に、葵は目を見張った。
庇ってくれたのだ。
「──ご、ご無礼を承知で、も、申し上げます……」
紗華の肩が、声が、ひどく震えている。
無理もない、お上にたてつくということがどういうことか、想像するまでもない。
リンが明らかに不快そうな表情をした。
「頭が高い」
たった一言、リンが言い放った。
紗華はすぐに跪こうと屈んだ瞬間、その横面を平手でぶった。痛々しい音が、小屋の外にまで響く勢いで鳴った。
紗華は踏ん張る事も許されず、横へ倒れた。
「咎人が口を挟むな」
葵は手が震えているのに気がついた。既に恐怖はなかった。新たに湧き出た感情が恐怖をのみ込んで、別のものへと変えてしまった。
憎悪だ。怒りで体が震えるのは初めてだった。
「何すんのよ!!」
怒り任せにリンの体を殴りつけるが、華奢な見た目に反して硬い身体はビクともしない。
「罪人が口をきくなど、斬り捨てても文句は言えまい」
(……罪人? 誰が?)
葵は倒れたままの紗華を見た。
紗華が罪人? こんなに優しい人が? 身を呈して助かる方法を教えてくれて、たった今も庇ってくれたのに?
「そんなはずない!! どうせあんた達が理不尽に罪を擦り付けたんだ!!」
リンを睨んで、強く否定した。
「貧民街に住む奴は皆、何らかの罪を侵している。その女も例外ではない」
「仮にそうだとしても、どうせ些細な──」
「そいつは人を殺した」
その言葉に葵は少しだけ動揺した。
それを見抜いてか、リンが追い討ちをかけるように付け加える。
「それも、一人や二人ではない」
信じたわけではない。信じるはずもないが、葵は確認するように紗華を見た。
赤く腫れ上がった頬を抑え、涙をこぼしている。
紗華が首を横に振れば、強く抗議してやろうと思っていた。
しかし、紗華は唇を噛み、葵から目を逸らした。
(そんな……そんなはずない!!)
葵は頭の中で必死に紗華を擁護するが、胸の内では疑心暗鬼になっていた。
「……きっと、事情があったんだ。──そうだ、事故かなにかで……」
「もう過ぎたこと。今更掘り返すこともなかろう」
リンはピシャリと切り捨てると、葵の腕を引く。
咄嗟に両脚を踏ん張って抵抗した。
「嫌!! 戻らない!! 絶対に戻らな────っ!!」
急に息が出来なくなった。
溝落ちに激痛が走り、殴られたのだと知ったが、考える間もなくそのまま意識を手放した。
代わりに、獣の甲高い断末魔が耳を劈き、葵が目を開けると、鷹の長い首に矢が刺さっていた。
続けて二本、三本と矢が襲い、獣は巨体を捩った。
「今のうちに!」
紗華に腕を引かれ、もつれる足でなんとかバランスを取り直すと、地団駄をふむ獣の足を避け、小屋へ一直線に走った。
小屋に駆け込むと、紗華は隅に立て掛けてあった鍬を手に取り、戸につっかえをした。
そのまま二人で戸にもたれながら息を整える。
足の裏を傷つけたのか、ジンジンと傷んだ。
(そういえば、裸足で出てきちゃった……)
見つかる前にと、急いでいたから気が付かなかった。
二つ目の門までは床も綺麗だったから違和感がなかったが、これ以上村の中を裸足で駆けずり回るのは無理だ。
(それにあんなのに追いかけられたら──)
大きさも規格外だが、あの凶暴性は異常だ。
この国はあんなのがいつも襲ってくるのだろうか。
既にもう三度死にかけている。葵は身震いした。
(冗談じゃない!! こんなところ早く出たいのに──!!)
けれど、どうやって帰ったらいいのだろう。
ここが日本ではないとわかったのがついさっきだし、外へ出られたとしても路頭に迷うことになる。
葵の脱走計画は全て崩壊してしまったのだ。
(まあ、計画という程でもなかったけど……)
どっちにしても、帰る方法がわからなければどこへ行けばいいのかさえわからない。
考え込んでいると、紗華が葵に向き直った。
「ここから出ることは出来ませんよ」
「どうして!?」
「森は妖獣の餌場のようなもの。村を隔てる壁は高くてとても越えられない。それに門は特別な時以外は絶対に開きません」
「特別な時……?」
「巫女が下界の穢れを祓う為に、多くの兵を従えて下山します。その時だけ」
なるほど、と葵は希望を抱いた。ならばそれに紛れて脱出すればいい。
葵はずいっと前のめりになって訊ねた。
「それ、いつ!?」
だが紗華は目を伏せ、首を振った。
「年に四度。けれどここ十年、水波盛は巫女に恵まれていませんから……」
「なら、私がその巫女として下山すれば、後は隙をついて────」
いいえ、と紗華はやんわり否定した。
「嫁入りの儀式が先でしょう」
「嫁入り? なにそれ?」
「水神様に水巫女を捧げる儀式です。巫女を嫁がせることにより、水を浄化し、災蝕を防ぐのです」
「……ごめん、よくわんない」
なぜ嫁ぐことが天災を止めることに繋がるのか、水波盛の常識は理屈になっていない。
それでも紗華は、馬鹿にするような素振りは一切なく、懇切丁寧に説明をした。
「巫女はその命と引き換えに、人々の穢れを祓い、災蝕をも止めるのです」
「ま、待って待って‼︎ なにそれ!?」
思わず紗華に掴みかかった。
「命と引き換えって──!! 私、死ぬの!?」
愕然とする葵を見て、紗華は目を見張った。
「まさか……ご存知なかったのですか?」
「知らないよ!! いきなりこんな所に放り込まれたのに、そんなこと知るわけないじゃない!!」
紗華は不思議そうに首を傾げた。
「葵様はお社で育ったのではないのですか?」
「まさか!! 水波盛なんて全然聞いた事ないし、あんなバケモノだって見た事もないもの!!」
「では何故この国に?」
「わ、わかんない。でも井戸に落ちたところまでは覚えてる。それから気を失って、目が覚めたら本殿に居て……そしたら急に、水巫女だの災蝕を止めろだの言われて、本当わけわかんなくて……」
「井戸? そんなところからどうやって……」
葵は紗華の両肩をがしっと掴むと、食い入るように見つめた。
「とにかく私は、ずっと遠くの国から事故で流されてきたの!!」
紗華は難しい顔をして聞いていたが、すぐに葵に笑顔を向けた。
「わかりました。信じます」
「ほ、本当!? そんなすんなり?」
紗華は、はい、と頷く。
「通常、水巫女達は赤子のうちに社へ流れ着き、物心が着いた頃より巫女としての教育が成されます。でなくとも、下界の民ですら知っている基本的なことをご存知ない──。であれば、異国から来たと考えてもおかしくはないかと……」
なんて話のわかる人なんだろう、と感心していると、紗華は恥ずかしそうに頬を染めた。
「……というのは建前で、正直に申し上げますと、難しいことはよくわからないのです。けれど、葵様がそう仰るなら、きっとそうなのでしょう」
じーん、と熱いものが胸に込み上げる。
こんなありえない話を手放しで信じてくれたのだ。
「──ありがとう!! 紗華さん!!」
嬉しさのあまり、思わず紗華に抱きついた。
紗華は動揺していたが、遠慮がちに背中を優しく叩いてくれた。
弱った心に優しさが沁みて、涙が出た。
「葵様? 大丈夫ですか?」
急いで紗華から離れた。
血で濁った川に落ちたせいで赤黒く染った着物に目を落とす。
血生臭い匂いで、妖獣が喰い散らかした死体の光景を思い出し、また気分が悪くなった。
こんなひどい状態でくっ付いたら、紗華の着物にも汚れや匂いを移してしまう。
「抱きついたりしてごめんなさい、汚れてるのに……」
「決してそんなことは! その、私のほうこそ……」
紗華は恥ずかしそうに着物の裾を引っ張った。
今の今まで気が付かなかったが、紗華もまた裸足だった。葵と違って足裏が無傷なのは、ずっとその状態で過ごしてきたのだろう。それに同じ年代の少女達よりもかなり痩せていて、彼女の生活が相当困窮しているのが分かる。
(本殿の人達はあんなに裕福なのに……)
身分でこんなにも格差があるなんて、水波盛はいい国とは言えない。
葵はいたたまれない気持ちで目を伏せた。
「巫女のお役目を逃れたいですか?」
紗華が俯いたまま、ぽつりと言った。
葵の気持ちは決まっている。
「そんなの、死にたくないに決まってるじゃない!!」
「どうしても?」
「当たり前でしょう!!」
「それは……他者を犠牲にしてでもですか?」
「犠牲って、そんな大袈裟な──」
紗華の目は真剣だった。
葵も負けじと見つめ返し、強く言い放った。
「そうよ!!」
紗華は目を伏せ、「……わかりました」と呟いた。
「もしかして逃げ道があるの?」
紗華は首を振った。
「ただ、儀式を逃れる方法がない訳ではありません」
「ほ、本当!?」
「ええ。視憶の能力を捨てれば良いのです」
「────視憶なくせるの!?」
願ってもない話に、葵の心に希望の光が差した。
人柱を逃れられるうえに、長年葵を苦しめてきた枷を外せるのなら、まさに一石二鳥ではないか。
「ええ。……でも、視憶を捨てるということは、水巫女の資格を捨てることにもなります」
「こんなものいらない!! お願い、教えて!!」
手を合わせて懇願する葵に、紗華は眉尻を下げた。
それから覚悟を決めたように葵を見た。
「葵様、これはあくまで最後の手段だということを。肝に銘じてくださいませ」
「う、うん……」
葵の喉がゴクリと鳴る。
紗華は、そっと耳打ちをした。
その方法を聞いた途端、葵の顔は茹でダコのように真っ赤になった。
「それで、水巫女ではなくなります」
「む、無理だよ!! 無理無理!!」
考えただけで顔が熱くなる。
紗華は神妙な面持ちで声を落とした。
「けれど、これは賭けです。下手をすれば、死罪になるやもしれません……」
「──死罪!?」
葵が声を張り上げたので、紗華は慌てて「しー!」と、口の前で人差し指を立てた。
バクバクと鳴る胸に手を当てながら、ごめん、と謝ると、声を抑えて話を進める。
「でも死罪って……! あんまりじゃない!?」
紗華は真剣な眼差しで言い聞かせた。
「いいえ、決して。ですから────」
紗華は再び耳打ちをした。
その内容の酷さに、葵は思わずどん引きした。
とても紗華の発想とは思えない。
「そんな、そんなことしたら……」
動揺している葵に、紗華は念を押す。
その緊迫した声色で、葵は自分の置かれた状況が、考えていた以上に深刻であることを思い知った。
「決して良い方法ではありません。運良く生き延びたとしても、死ぬより辛い運命を強いられるかもしれません。……他人を踏台にするということは、そういう事です」
葵は静かに頷た。
覚悟を決めたわけではない。けれど、いつかは選ばなければならないだろう。
「それでも、どうしても親に会いたいのなら、まずは生き延びること。生きてさえいれば、いつか────」
小屋の戸板が乱暴な音をたてた。外に何かがいる。
葵と紗華は後退りし、警戒しながら鍬でつっかえをした戸を見守る。
(妖獣か、兵か────)
葵の頭の中に白い影がさした。
とてつもなく嫌な予感がする。
「あの、失礼を承知でお訊ねしますが……お付きのおくり子様は……?」
紗華は不安気な表情している。
いくら言動が大人びていても、怖いのは彼女も同じなのだろう。
「おくり子? リンっていうやつのこと?」
紗華の顔がみるみるうちに青ざめていく。
関わりたくないという気持ちはよく分かる。貧困層を放置しているような王族、嫌われて当然だ。
もう一度派手な音がして、戸板が破られた。
立っていたのは予想通りの人物だが、全身が赤黒く濁っていて、真っ白な部分は残されていない。村中駆けずり回ったのか、ひどく息切れもしている。
リンは葵を見るなり、青筋を浮かべてズカズカ近づいてきた。
息切れは怒りのせいかもしれない。
「────い、嫌!!」
恐ろしくなって後退すると、紗華が葵の前に割って入った。
紗華のまさかの行動に、葵は目を見張った。
庇ってくれたのだ。
「──ご、ご無礼を承知で、も、申し上げます……」
紗華の肩が、声が、ひどく震えている。
無理もない、お上にたてつくということがどういうことか、想像するまでもない。
リンが明らかに不快そうな表情をした。
「頭が高い」
たった一言、リンが言い放った。
紗華はすぐに跪こうと屈んだ瞬間、その横面を平手でぶった。痛々しい音が、小屋の外にまで響く勢いで鳴った。
紗華は踏ん張る事も許されず、横へ倒れた。
「咎人が口を挟むな」
葵は手が震えているのに気がついた。既に恐怖はなかった。新たに湧き出た感情が恐怖をのみ込んで、別のものへと変えてしまった。
憎悪だ。怒りで体が震えるのは初めてだった。
「何すんのよ!!」
怒り任せにリンの体を殴りつけるが、華奢な見た目に反して硬い身体はビクともしない。
「罪人が口をきくなど、斬り捨てても文句は言えまい」
(……罪人? 誰が?)
葵は倒れたままの紗華を見た。
紗華が罪人? こんなに優しい人が? 身を呈して助かる方法を教えてくれて、たった今も庇ってくれたのに?
「そんなはずない!! どうせあんた達が理不尽に罪を擦り付けたんだ!!」
リンを睨んで、強く否定した。
「貧民街に住む奴は皆、何らかの罪を侵している。その女も例外ではない」
「仮にそうだとしても、どうせ些細な──」
「そいつは人を殺した」
その言葉に葵は少しだけ動揺した。
それを見抜いてか、リンが追い討ちをかけるように付け加える。
「それも、一人や二人ではない」
信じたわけではない。信じるはずもないが、葵は確認するように紗華を見た。
赤く腫れ上がった頬を抑え、涙をこぼしている。
紗華が首を横に振れば、強く抗議してやろうと思っていた。
しかし、紗華は唇を噛み、葵から目を逸らした。
(そんな……そんなはずない!!)
葵は頭の中で必死に紗華を擁護するが、胸の内では疑心暗鬼になっていた。
「……きっと、事情があったんだ。──そうだ、事故かなにかで……」
「もう過ぎたこと。今更掘り返すこともなかろう」
リンはピシャリと切り捨てると、葵の腕を引く。
咄嗟に両脚を踏ん張って抵抗した。
「嫌!! 戻らない!! 絶対に戻らな────っ!!」
急に息が出来なくなった。
溝落ちに激痛が走り、殴られたのだと知ったが、考える間もなくそのまま意識を手放した。
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今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
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執筆終了済みです。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
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スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
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小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
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