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第十六話 相談
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「ハァ……」
昼休みの屋上で結羽の重々しい溜め息が漏れる。
あの修羅場から数日が経ち、結羽は鬱々な状態が続いていた。
膝の上に乗せている母親が作ったお弁当を食べる気分ではなかったが、折角朝早く作ってくれた思いがあり、結羽は味のしないおかずを口にする。
やがて完食し、気分転換に音楽でも聞こうと、結羽は制服のポケットから取り出したワイヤレスイヤホンを耳につける。
「…………」
お気に入りの明るい音楽が耳に流れるが、結羽は途中で停止ボタンを押す。
何をしても結羽は億劫に感じていた。
この感覚は、結羽には覚えがあった。
「そんなわけない……」
胸中に渦巻く黒い靄を無理やり蓋をし、結羽はお弁当が入った手提げ袋を手に屋上を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
終業のチャイムがなり、生徒たちは一斉に立ち上がる。
そして、毎度の号令をしてから放課後を迎える。
「…………」
結羽は帰り支度をしていると、何気なく綾樹の席をチラリと見る。
綾樹は男友達に囲まれながら、最初に話し出した男子生徒の話題で盛り上がり始めた。
結羽は鞄を肩に掛けて立ち上がり、その光景を横目で呆然と見ながら教室を出た。
階段を下り、程無くして昇降口に到着する。
「天野さん!」
外靴に履き替えようとした時、結羽は誰かに呼ばれる。
振り返れば、そこには花梨がいた。
「森西さん?」
「天野さん、今帰り?」
「そうだけど……」
「時間あるかな? よかったら、一緒にこの前話したパンケーキ食べに行かない?」
「…………」
突然の誘いに結羽は迷ったが、このまま家に帰って部屋に一人でいると、胸中に渦巻く黒い靄で不安が募る一方だった。
一人でいるのは慣れているはずが、この時の結羽は誰かと一緒にいないと寂しい心細さを感じた。
「じゃあ、行こうかな……」
◇ ◇ ◇
最寄駅から徒歩十分歩くと、オシャレな喫茶店に到着する。
扉を開けると、カランと軽やかな鈴の音と共に店内から甘い香りが漂ってくる。
「いらっしゃいませ! 二名様ですか?」
結羽と花梨は店員に促され、空いている席に着く。
「ここパンケーキがメインでね、可愛いだけじゃなくて種類も豊富なんだよ!」
花梨はそう言って、結羽にメニュー表を渡す。
メニュー表を受け取った結羽はパンケーキの写真に視線を落とす。
写真を見ると、色とりどりの可愛らしいパンケーキが並んでいた。
どのパンケーキもホイップやチョコレート、フルーツなどの飾りが施されていて結羽は迷ってしまう。
先ほどまで憂鬱だった気分が、店内の楽しげな雰囲気で結羽の心を和ませていく。
「森西さんは何頼む?」
「花梨」
「え?」
「花梨でいいよ。苗字呼びって堅苦しいからさ」
「そうなんだ……じゃあ、花梨ちゃん?」
「なあに、結羽ちゃん?」
「!」
花梨に下の名前で呼ばれ、結羽は驚いて目を見開く。
結羽のその表情を見て、花梨はハッとした顔になる。
「あ、ごめんね! 何か馴れ馴れしかったね!」
「う、ううん! そうじゃないの! 下の名前で呼ばれるの久々だからびっくりしちゃって……」
申し訳なさそうな顔をする花梨に、結羽はあわあわと弁明する。
「それならよかった! じゃあ、メニュー選ぼ!」
それを聞いて、安堵した花梨はメニュー表に視線を落とした。
「あたしはキャラメルパンケーキにしようかな。結羽ちゃんは何頼む?」
「私はいちごのパンケーキにしようかな」
「じゃあ、決まりだね!」
花梨は店員を呼ぶと、それぞれ決めたパンケーキを注文した。
◇ ◇ ◇
「お待たせしました。こちらキャラメルパンケーキといちごのパンケーキでございます」
しばらくすると、店員が結羽と花梨が要望したパンケーキをテーブルに置く。
「ありがとうございます!」
花梨は待ってましたと言わんばかりに鞄からスマホを取り出す。
「ん~! やっぱ可愛い!」
花梨はスマホをカメラモードにすると、自分の目の前に置かれたパンケーキの写真を撮る。
同じように結羽も可愛らしくデコレーションされたパンケーキを写真に収めたく、鞄からスマホを取り出す。
「後でSNSにあげようっと! ねぇ、結羽ちゃんはSNSとかやってる?」
「やってないよ。特に投稿したいものとかないし、どちらかというと干渉派かな」
「そっか、結羽ちゃんは本当に自分の世界を持ってるよね!」
花梨は少し驚いたように言った。
「あたし、そういうのちょっと憧れるな。周りに流されず、自分のペースで生きてるってすごくかっこいいよ!」
花梨の言葉に、結羽は少し照れたように目を逸らした。
「べ、別にかっこよくも何でもないよ。ただ、好きなことをしているだけだし……」
「自主性があっていいじゃん! あたしみたいに、いつも皆の情報に振り回されているのもどうかと思うし」
花梨は笑いながら、フォークで切り分けたパンケーキを口に運ぶ。
「……!」
目を輝かせながら褒める花梨に、結羽は驚いた。
――え、天野さんSNSやってないの?
――やってみなよ! 結構楽しいから!
結羽の脳裏に興味もないのにSNSを薦めてくるクラスメイトの言葉を思い出す。
それが苦痛で、結羽は曖昧な返事でかわしながらやって退けてきた。
でも、花梨のように結羽の性格を尊重して、共感してくれる人は初めてだった。
「ここのパンケーキ店、結羽ちゃんと一緒に行きたかったんだよね! それと……結羽ちゃんと話がしたいと思ってね」
途中で花梨の声音が真剣を帯びる。
「……話?」
「結羽ちゃん、単刀直入に聞くね。何があったの?」
「!」
「最近の結羽ちゃん元気ないし……何かこう、上の空みたいな感じだからさ」
「…………」
心配されている。
それに気づいた結羽は、花梨の優しさが身に沁みる。
「あたしでよかったら話聞くよ。でも、結羽ちゃんが嫌なら無理にとは言わないよ」
「…………」
花梨にそう言われて、結羽は戸惑った。
でも、結羽は心のどこかで誰かに話したく、聞いて欲しいのだと自分でもわかっていた。
「話……聞いてくれる?」
「……! うん! もちろん!」
結羽のその言葉を待っていたかのように、花梨は強く頷いた。
「あのさ……」
花梨を信頼し、結羽は胸の内を打ち明ける決心がついた。
「嫌いだった異性を好きになることってあるのかな……?」
結羽の問いに、花梨はしばらく考え込む。
花梨の表情からは真剣さが伝わってくる。
「うーん、そうだね。たまに『逆転現象』って呼ばれることもあるし、嫌いだったからこそ、強い感情が生まれる場合もあると思う」
花梨はふと顔を上げ、結羽と視線を合わせる。
「結羽ちゃんの好きな人って誰?」
「それは……」
結羽は戸惑ったが、花梨の質問を受け入れて答える。
「八代……なんだ」
結羽の口から意外な名前が出て、花梨は驚いて目を見開いた。
花梨の表情を見て、結羽は顔を紅潮させる。
「あはは! お、おかしいよね! いつもからかってくるあいつを好きになるなんて……――」
「結羽ちゃん」
笑って誤魔化そうとする結羽に、花梨は真剣な声音で遮る。
「気持ちが変わるのって普通のことだよ。結羽ちゃんが八代を好きになったのは、あいつの良いところを見つけたからじゃない?」
「…………」
花梨の言うことは本当だった。
結羽は綾樹の良い内面を見て、好きになったのだ。
「最初……八代のことは大嫌いだったの。でも、あるきっかけで会う機会が増えて、一緒にいるうちに八代の良いところが見えて、そして気づいたら……」
そこで、結羽は言葉を詰まらせた。
でも、花梨の優しい目が励ましているように感じて、もう少し言葉を続けた。
「でも……八代は私をただのからかいの対象としてしか見ていないと思う。だから、八代に想いを打ち明けないでこのまま……」
結羽の心は揺れ動いていた。
綾樹の笑顔や彼の見せるちょっとした気遣いが、周りの喧騒の中で特別な光を放っているのを感じていた。
だけど、そんな気持ちを抱えたままで居続けるのは、どう考えても辛いという思いもあった。
「結羽ちゃん、自分に嘘を吐かないで。本当は八代が結羽ちゃんのことどう思っているのか知りたいんじゃないの?」
「それは……」
「気持ちを知るのは確かに怖いと思う。まずは少しずつ勇気を出してみよう。そしたら、結羽ちゃんの本当の答えが見つかるよ」
そう言う花梨の目は、まるで結羽に勇気を与えているようだった。
結羽は花梨の一つ一つの言葉に心が温かくなるのを感じた。
「花梨ちゃん、ありがとう……私、頑張ってみる」
「うん、応援してるよ」
◇ ◇ ◇
「遅くなったな……」
放課後の教室で綾樹はグループのメンバーと盛り上がっていたら、いつの間にか午後十七時を回っていた。
「八代」
昇降口で外靴に履き替えたところを誰かに呼び止められ、綾樹は振り返る。
振り返ると、そこには冬真がいた。
「篠崎。お前まだ残ってたのかよ」
「テスト勉強。もうすぐ中間テストだからな」
「ふーん。で、俺に何か用?」
「時間あるなら、少し面貸せよ」
「んだよ、今時カツアゲ?」
茶化して笑う綾樹を無視して、冬真は外靴に履き替える。
「ここじゃなんだし、表出て話そうよ」
冬真はそう言って、昇降口を出る。
綾樹もそれに続いてついて行くのだった。
◇ ◇ ◇
冬真に連れて来られたのは体育館裏だった。
空は夕日で明るいはずなのに、この場所だけが体育館の影に覆われていて陰鬱な雰囲気に包まれていた。
「で、話したいことって何だよ?」
問い掛ける綾樹に、冬真は彼と向かい合うように振り返る。
「単刀直入に聞くぞ。お前、天野さんに何した?」
冬真の問いに、綾樹は「は!」と笑った。
「お前も森西と同じこと言ってんのかよ。だったら、森西に聞いただろ? 天野と俺は仲直りしたんだよ」
「仲直りした割には、最近の天野さん元気ないけどな。もし傷つけるようなことしてたら許さないからな」
「別に俺が何しようが勝手だろ。てか、何ムキになってんだよ……もしかして、天野のこと好きなのか?」
綾樹の問いに、冬真は冷静な口調で返す。
「だったらどうする?」
「!」
冬真の思わぬ返答に、綾樹は目を見開く。
「天野さんって、可愛いよな。話も合うし、もしかしたら脈アリかもしれない」
そこで呆然としていた綾樹はハッと我に返る。
「お前……自分が何言ってるのかわかっているのか? 俺、知ってんだぞ。篠崎、森西と付き合ってるんだろ?」
「何だ、知ってたのか。だったら話が早いな」
綾樹の言葉に冬真は冷静を崩さず、話を続ける。
「最近、花梨とすれ違いが起きてるんだよな。正直、長続きしない気がする」
冬真はハァ……と溜め息を吐く。
「俺は二股とかしたくないから、花梨とはちゃんと別れて、天野さんに告白しようと思っている」
「本気なのか……?」
「本気だよ。だから付き合うようになったら、もう二度と天野さんにちょっかいかけんなってことだよ」
そう言って冬真は話を終わらせ、踵を返す。
「……!」
「うおっ⁉︎」
綾樹は冬真の肩を掴んで振り向かせ、胸倉を掴んだ。
胸倉を掴む綾樹の目は、冬真を睨みつけていた。
冬真は怒りを露わにする綾樹の顔をただ見つめていた。
「何だよ? 別に俺が何しようが勝手だろ」
冬真は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに冷静になり、先ほど綾樹が発したセリフを返す。
「…………」
黙り込む綾樹に、冬真は呆れるように息を吐く。
「俺を止める勇気があるなら、その気持ちを天野さんに伝えたらどうなんだ?」
「……! お前……!」
「気づかないわけないだろ。お前、どこまで不器用なんだよ」
「……っ」
冬真の胸倉を掴む綾樹の手の力が緩む。
「俺は……お前みたいになれねぇよ……」
「別に誰かの真似をする必要はない。八代には八代の良さがある。それに……誰だって好きな人に自分の気持ちを伝えるのは怖いものだ。俺だってそうだった……」
虚脱状態になっている綾樹の手を冬真はやんわりと払い除ける。
「素直にありのままの気持ちを伝えればいい」
冬真は綾樹の肩をポンと叩いてから踵を返す。
そこで、「あー、そうそう」と冬真は何かを思い出したかのように振り返る。
「俺、花梨一筋だから。そこは安心しろよ」
冬真はそう言って、体育館裏から去った。
「…………」
残された綾樹は、おもむろに制服のポケットからスマホを取り出す。
そして、画面に結羽の個人LINEを開く。
(やっぱ、このままじゃ駄目だよな……)
綾樹の心に決意が芽生えた。
昼休みの屋上で結羽の重々しい溜め息が漏れる。
あの修羅場から数日が経ち、結羽は鬱々な状態が続いていた。
膝の上に乗せている母親が作ったお弁当を食べる気分ではなかったが、折角朝早く作ってくれた思いがあり、結羽は味のしないおかずを口にする。
やがて完食し、気分転換に音楽でも聞こうと、結羽は制服のポケットから取り出したワイヤレスイヤホンを耳につける。
「…………」
お気に入りの明るい音楽が耳に流れるが、結羽は途中で停止ボタンを押す。
何をしても結羽は億劫に感じていた。
この感覚は、結羽には覚えがあった。
「そんなわけない……」
胸中に渦巻く黒い靄を無理やり蓋をし、結羽はお弁当が入った手提げ袋を手に屋上を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
終業のチャイムがなり、生徒たちは一斉に立ち上がる。
そして、毎度の号令をしてから放課後を迎える。
「…………」
結羽は帰り支度をしていると、何気なく綾樹の席をチラリと見る。
綾樹は男友達に囲まれながら、最初に話し出した男子生徒の話題で盛り上がり始めた。
結羽は鞄を肩に掛けて立ち上がり、その光景を横目で呆然と見ながら教室を出た。
階段を下り、程無くして昇降口に到着する。
「天野さん!」
外靴に履き替えようとした時、結羽は誰かに呼ばれる。
振り返れば、そこには花梨がいた。
「森西さん?」
「天野さん、今帰り?」
「そうだけど……」
「時間あるかな? よかったら、一緒にこの前話したパンケーキ食べに行かない?」
「…………」
突然の誘いに結羽は迷ったが、このまま家に帰って部屋に一人でいると、胸中に渦巻く黒い靄で不安が募る一方だった。
一人でいるのは慣れているはずが、この時の結羽は誰かと一緒にいないと寂しい心細さを感じた。
「じゃあ、行こうかな……」
◇ ◇ ◇
最寄駅から徒歩十分歩くと、オシャレな喫茶店に到着する。
扉を開けると、カランと軽やかな鈴の音と共に店内から甘い香りが漂ってくる。
「いらっしゃいませ! 二名様ですか?」
結羽と花梨は店員に促され、空いている席に着く。
「ここパンケーキがメインでね、可愛いだけじゃなくて種類も豊富なんだよ!」
花梨はそう言って、結羽にメニュー表を渡す。
メニュー表を受け取った結羽はパンケーキの写真に視線を落とす。
写真を見ると、色とりどりの可愛らしいパンケーキが並んでいた。
どのパンケーキもホイップやチョコレート、フルーツなどの飾りが施されていて結羽は迷ってしまう。
先ほどまで憂鬱だった気分が、店内の楽しげな雰囲気で結羽の心を和ませていく。
「森西さんは何頼む?」
「花梨」
「え?」
「花梨でいいよ。苗字呼びって堅苦しいからさ」
「そうなんだ……じゃあ、花梨ちゃん?」
「なあに、結羽ちゃん?」
「!」
花梨に下の名前で呼ばれ、結羽は驚いて目を見開く。
結羽のその表情を見て、花梨はハッとした顔になる。
「あ、ごめんね! 何か馴れ馴れしかったね!」
「う、ううん! そうじゃないの! 下の名前で呼ばれるの久々だからびっくりしちゃって……」
申し訳なさそうな顔をする花梨に、結羽はあわあわと弁明する。
「それならよかった! じゃあ、メニュー選ぼ!」
それを聞いて、安堵した花梨はメニュー表に視線を落とした。
「あたしはキャラメルパンケーキにしようかな。結羽ちゃんは何頼む?」
「私はいちごのパンケーキにしようかな」
「じゃあ、決まりだね!」
花梨は店員を呼ぶと、それぞれ決めたパンケーキを注文した。
◇ ◇ ◇
「お待たせしました。こちらキャラメルパンケーキといちごのパンケーキでございます」
しばらくすると、店員が結羽と花梨が要望したパンケーキをテーブルに置く。
「ありがとうございます!」
花梨は待ってましたと言わんばかりに鞄からスマホを取り出す。
「ん~! やっぱ可愛い!」
花梨はスマホをカメラモードにすると、自分の目の前に置かれたパンケーキの写真を撮る。
同じように結羽も可愛らしくデコレーションされたパンケーキを写真に収めたく、鞄からスマホを取り出す。
「後でSNSにあげようっと! ねぇ、結羽ちゃんはSNSとかやってる?」
「やってないよ。特に投稿したいものとかないし、どちらかというと干渉派かな」
「そっか、結羽ちゃんは本当に自分の世界を持ってるよね!」
花梨は少し驚いたように言った。
「あたし、そういうのちょっと憧れるな。周りに流されず、自分のペースで生きてるってすごくかっこいいよ!」
花梨の言葉に、結羽は少し照れたように目を逸らした。
「べ、別にかっこよくも何でもないよ。ただ、好きなことをしているだけだし……」
「自主性があっていいじゃん! あたしみたいに、いつも皆の情報に振り回されているのもどうかと思うし」
花梨は笑いながら、フォークで切り分けたパンケーキを口に運ぶ。
「……!」
目を輝かせながら褒める花梨に、結羽は驚いた。
――え、天野さんSNSやってないの?
――やってみなよ! 結構楽しいから!
結羽の脳裏に興味もないのにSNSを薦めてくるクラスメイトの言葉を思い出す。
それが苦痛で、結羽は曖昧な返事でかわしながらやって退けてきた。
でも、花梨のように結羽の性格を尊重して、共感してくれる人は初めてだった。
「ここのパンケーキ店、結羽ちゃんと一緒に行きたかったんだよね! それと……結羽ちゃんと話がしたいと思ってね」
途中で花梨の声音が真剣を帯びる。
「……話?」
「結羽ちゃん、単刀直入に聞くね。何があったの?」
「!」
「最近の結羽ちゃん元気ないし……何かこう、上の空みたいな感じだからさ」
「…………」
心配されている。
それに気づいた結羽は、花梨の優しさが身に沁みる。
「あたしでよかったら話聞くよ。でも、結羽ちゃんが嫌なら無理にとは言わないよ」
「…………」
花梨にそう言われて、結羽は戸惑った。
でも、結羽は心のどこかで誰かに話したく、聞いて欲しいのだと自分でもわかっていた。
「話……聞いてくれる?」
「……! うん! もちろん!」
結羽のその言葉を待っていたかのように、花梨は強く頷いた。
「あのさ……」
花梨を信頼し、結羽は胸の内を打ち明ける決心がついた。
「嫌いだった異性を好きになることってあるのかな……?」
結羽の問いに、花梨はしばらく考え込む。
花梨の表情からは真剣さが伝わってくる。
「うーん、そうだね。たまに『逆転現象』って呼ばれることもあるし、嫌いだったからこそ、強い感情が生まれる場合もあると思う」
花梨はふと顔を上げ、結羽と視線を合わせる。
「結羽ちゃんの好きな人って誰?」
「それは……」
結羽は戸惑ったが、花梨の質問を受け入れて答える。
「八代……なんだ」
結羽の口から意外な名前が出て、花梨は驚いて目を見開いた。
花梨の表情を見て、結羽は顔を紅潮させる。
「あはは! お、おかしいよね! いつもからかってくるあいつを好きになるなんて……――」
「結羽ちゃん」
笑って誤魔化そうとする結羽に、花梨は真剣な声音で遮る。
「気持ちが変わるのって普通のことだよ。結羽ちゃんが八代を好きになったのは、あいつの良いところを見つけたからじゃない?」
「…………」
花梨の言うことは本当だった。
結羽は綾樹の良い内面を見て、好きになったのだ。
「最初……八代のことは大嫌いだったの。でも、あるきっかけで会う機会が増えて、一緒にいるうちに八代の良いところが見えて、そして気づいたら……」
そこで、結羽は言葉を詰まらせた。
でも、花梨の優しい目が励ましているように感じて、もう少し言葉を続けた。
「でも……八代は私をただのからかいの対象としてしか見ていないと思う。だから、八代に想いを打ち明けないでこのまま……」
結羽の心は揺れ動いていた。
綾樹の笑顔や彼の見せるちょっとした気遣いが、周りの喧騒の中で特別な光を放っているのを感じていた。
だけど、そんな気持ちを抱えたままで居続けるのは、どう考えても辛いという思いもあった。
「結羽ちゃん、自分に嘘を吐かないで。本当は八代が結羽ちゃんのことどう思っているのか知りたいんじゃないの?」
「それは……」
「気持ちを知るのは確かに怖いと思う。まずは少しずつ勇気を出してみよう。そしたら、結羽ちゃんの本当の答えが見つかるよ」
そう言う花梨の目は、まるで結羽に勇気を与えているようだった。
結羽は花梨の一つ一つの言葉に心が温かくなるのを感じた。
「花梨ちゃん、ありがとう……私、頑張ってみる」
「うん、応援してるよ」
◇ ◇ ◇
「遅くなったな……」
放課後の教室で綾樹はグループのメンバーと盛り上がっていたら、いつの間にか午後十七時を回っていた。
「八代」
昇降口で外靴に履き替えたところを誰かに呼び止められ、綾樹は振り返る。
振り返ると、そこには冬真がいた。
「篠崎。お前まだ残ってたのかよ」
「テスト勉強。もうすぐ中間テストだからな」
「ふーん。で、俺に何か用?」
「時間あるなら、少し面貸せよ」
「んだよ、今時カツアゲ?」
茶化して笑う綾樹を無視して、冬真は外靴に履き替える。
「ここじゃなんだし、表出て話そうよ」
冬真はそう言って、昇降口を出る。
綾樹もそれに続いてついて行くのだった。
◇ ◇ ◇
冬真に連れて来られたのは体育館裏だった。
空は夕日で明るいはずなのに、この場所だけが体育館の影に覆われていて陰鬱な雰囲気に包まれていた。
「で、話したいことって何だよ?」
問い掛ける綾樹に、冬真は彼と向かい合うように振り返る。
「単刀直入に聞くぞ。お前、天野さんに何した?」
冬真の問いに、綾樹は「は!」と笑った。
「お前も森西と同じこと言ってんのかよ。だったら、森西に聞いただろ? 天野と俺は仲直りしたんだよ」
「仲直りした割には、最近の天野さん元気ないけどな。もし傷つけるようなことしてたら許さないからな」
「別に俺が何しようが勝手だろ。てか、何ムキになってんだよ……もしかして、天野のこと好きなのか?」
綾樹の問いに、冬真は冷静な口調で返す。
「だったらどうする?」
「!」
冬真の思わぬ返答に、綾樹は目を見開く。
「天野さんって、可愛いよな。話も合うし、もしかしたら脈アリかもしれない」
そこで呆然としていた綾樹はハッと我に返る。
「お前……自分が何言ってるのかわかっているのか? 俺、知ってんだぞ。篠崎、森西と付き合ってるんだろ?」
「何だ、知ってたのか。だったら話が早いな」
綾樹の言葉に冬真は冷静を崩さず、話を続ける。
「最近、花梨とすれ違いが起きてるんだよな。正直、長続きしない気がする」
冬真はハァ……と溜め息を吐く。
「俺は二股とかしたくないから、花梨とはちゃんと別れて、天野さんに告白しようと思っている」
「本気なのか……?」
「本気だよ。だから付き合うようになったら、もう二度と天野さんにちょっかいかけんなってことだよ」
そう言って冬真は話を終わらせ、踵を返す。
「……!」
「うおっ⁉︎」
綾樹は冬真の肩を掴んで振り向かせ、胸倉を掴んだ。
胸倉を掴む綾樹の目は、冬真を睨みつけていた。
冬真は怒りを露わにする綾樹の顔をただ見つめていた。
「何だよ? 別に俺が何しようが勝手だろ」
冬真は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに冷静になり、先ほど綾樹が発したセリフを返す。
「…………」
黙り込む綾樹に、冬真は呆れるように息を吐く。
「俺を止める勇気があるなら、その気持ちを天野さんに伝えたらどうなんだ?」
「……! お前……!」
「気づかないわけないだろ。お前、どこまで不器用なんだよ」
「……っ」
冬真の胸倉を掴む綾樹の手の力が緩む。
「俺は……お前みたいになれねぇよ……」
「別に誰かの真似をする必要はない。八代には八代の良さがある。それに……誰だって好きな人に自分の気持ちを伝えるのは怖いものだ。俺だってそうだった……」
虚脱状態になっている綾樹の手を冬真はやんわりと払い除ける。
「素直にありのままの気持ちを伝えればいい」
冬真は綾樹の肩をポンと叩いてから踵を返す。
そこで、「あー、そうそう」と冬真は何かを思い出したかのように振り返る。
「俺、花梨一筋だから。そこは安心しろよ」
冬真はそう言って、体育館裏から去った。
「…………」
残された綾樹は、おもむろに制服のポケットからスマホを取り出す。
そして、画面に結羽の個人LINEを開く。
(やっぱ、このままじゃ駄目だよな……)
綾樹の心に決意が芽生えた。
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