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第六話 転機

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「ん……」

 小さな呻き声を漏らし、結羽はまぶたを上げる。
 薄暗い天井が視界に入る。

 意識が徐々に覚醒し、結羽は身体を起こそうとする。
 だが、全身に倦怠感と痛みが襲い、思うように起き上がれなかった。

「――起きたか?」

 隣から聞き覚えのある声が耳に入り、結羽は顔を横に向ける。
 そこには、スマホを弄る綾樹がいた。
 綾樹はスマホから顔を上げ、横になっている結羽に身体を向ける。

「十五分くらい失神してたぞ。まぁ……初めてであんなに激しくされたら気を失うのも仕方ないな」

 綾樹の言葉に、結羽は気を失う前の記憶が呼び覚ます。

「……っ」

『あれ』がきっかけになった動画のことを思い出し、結羽はそれを消すように伝えようと、動かない身体を無理矢理起こす。

「おい、無理に身体を動かすな。身体は綺麗にしといたから、ゆっくり休んでろ」

 綾樹にそう言われ、自分の身体を見ると、乱されていた制服がきちんと整えられていることに結羽は気づく。
 そこで、結羽の身体がぐらりと傾く。

「おっと……」

 倒れる結羽の身体を綾樹は咄嗟に支える。
 結羽はそのまま綾樹の腕の中でもたれる形になり、重い瞼が閉じようとする。

「疲れて眠いだろ? 最終下校時間になったら起こしてやるから」

「…………」

 倦怠感と痛みの原因である綾樹に身体の気遣いをされ、複雑な感情を抱く結羽。
 動画の件を言いたいのに、それを考える余裕もなく、結羽は再び目を閉じるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 けたたましいアラーム音がスマホから鳴り響き、結羽の目が薄らと開く。
 視界には見知った自分の部屋が映る。

 結羽はぼんやりとした意識で枕元にあるスマホを手に取ると、鳴り続けているアラームを止める。
 画面を見ると、朝の七時と表示され、時刻の上には今日が休日だと示していた。

「…………」

 横になっていた身体が仰向けになり、結羽は呆然と天井を見つめる。
 『あの』出来事から半日が経っていた。

 結羽はあの後の記憶が所々に穴が空いていて曖昧だった。
 覚えているのは、いつも通り通学と帰路で使用している電車に乗り、車内の揺れを感じながら窓の外を眺める。

 自宅に着くと、母親が「遅かったね……」と声を掛けられた。
 母親はいつもの連絡がなかったことを心配し、結羽は「テスト勉強に集中してて忘れてた……」と誤魔化して自分の部屋に向かった。

 そして、ベッドに倒れ込み、疲れがどっと押し寄せて、結羽は制服を着たまま眠りに落ちたのだった。

(学校から出る前……何してたんだっけ……?)

 そのことだけが思い出せずにいた。

「……!」

 結羽は部屋着に着替えようと身体を起こした時、腰と下腹部に鈍痛が走る。
 その瞬間、結羽は昨日の空き教室で、綾樹に抱かれた時の感触が鮮明に蘇る。

 肌を舐める舌と触れた手つき、腰を打ちつける刺激、重ねられた唇。
 それらの感触が身体に染み込んでいて、結羽は青ざめた顔で自分の身体を抱き締める。

「……っ」

 全身が汗とこびりついた感触がベタついて、結羽は気持ち悪さで不快に眉を寄せる。
 よく考えると、昨日お風呂に入っていないことを結羽は気づいた。
 結羽は痛みで億劫おっくうな身体を無理矢理起こし、浴室へ走った。


 ◇ ◇ ◇


 浴室に足を運んだ結羽は、シャワーで念入りに身体を洗う。
 綾樹に触られた箇所をガシガシと擦る。

「……!」

 視線を上げると、鏡に映る自分と目が合う。
 そして、結羽は気づいた。

 鎖骨の下や胸元、お腹に赤い斑点が散っていることに……。
 気を失っている間に、綾樹に付けられたのだろうと結羽は思った。

「……うっ……くぅ」

 結羽はシャワーを出したまま、顔を膝にうずめる。
 昨日の初めてである行為を大嫌いな同級生に奪われたショックと悔しさで結羽は涙を流す。

(悔しい……悔しい……)

 こんな時に、相談に乗ってくれる友人が結羽にはいない。
 両親や先生も浮かんだが、同級生に脅されて犯されたなんて言えるわけなかった。

 知られたくなかった。
 同時に、昨日の行為を誰かに言ったりしないだろうかと不安が広がるのだった。


 ◇ ◇ ◇


 お風呂から上がり、身体を拭いた結羽は赤い斑点が付いた肌を隠そうと急いで部屋着を着る。
 赤い斑点が視界から消え、ホッと息を吐いた結羽は髪を乾かしてから部屋に戻った。

(今日が土曜日でよかった……)

 今日と明日は学校に行かなくて済む。

 ――学校には、アイツがいる……。

 すると、枕元で置きっぱなしにしていたスマホから通知音が鳴る。

「お母さんかな……?」

 一昨日に遠縁の親戚から身内に不幸があったと連絡を受けた両親は葬儀に出席するため、結羽が起きる数時間前から家を空けていた。
 葬儀の近況報告か娘を心配する連絡か。
 そんなことを考えながら、結羽はスマホを手に取る。

「……‼︎」

 画面が点いた途端、結羽の背筋に悪寒が走る。
 映し出された画面には、LINEの通知が表示されていた。
 しかし、差出人は母親ではなく、『綾樹』と表示されていたのだ。

「……っ!」

 その瞬間、結羽の記憶が唐突に呼び起こした。

(……そうだ)

 結羽は空き教室で再び目を覚ました後、綾樹から半ば強引にLINEのIDを交換されたのだ。

「……っ」

 結羽は震える手で綾樹の個人LINEを開いた。

『月曜日の八時、昨日の空き教室に来て』

 と、命令に等しい文章が書かれていた。
 それを見て、結羽はその場で膝を抱えて顔をうずめた。

「何なのよ……」

 これも綾樹の嫌がらせの一環なのか。
 または、ていのいい玩具として扱っているのか。

 綾樹が何を考えているのかわからず、結羽はただ怖くて仕方なかった。
 あの日を境に、結羽の当たり前に過ごしていた日常が大きく一変した。
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