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第六章 苦悩の先にあるもの

第三十三話 成長

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 南雲宅を拠点にしてから数日が経つ。
 訓練を続けて、沙希にある変化が起きた。

「いい調子だよ。西山さん」

 あれから沙希は、祐介との手合わせで剣術の手腕が向上していた。
 祐介からはまだ一本取れていないが、竹刀が肌に触れる寸前のところまで攻撃が届くようになっていた。

「南雲さんが色々とアドバイスをしていただいたおかげです」

 沙希はゆっくり竹刀を下ろしてから、祐介に一礼をする。
 ここで休憩時間になり、沙希は壁に寄り掛かって座る。
 陽向から貰ったミネラルウォーターのキャップを開け、暑さで渇いた喉に流す。

「ふぅ……」

 水を飲んで軽く息を吐き、額から流れてくる汗を手の甲で拭う。

「わ! ……?」

 沙希の頭の上に白いタオルが降って来た。
 タオルを被ったまま顔を上げると、物を投げる構えをした風夜の姿があった。

「お疲れ」

「風夜。ありがとう」

 沙希は受け取ったタオルで額から頬に伝う汗を拭く。

「南雲さんとの手合わせどうだったかな?」

「前よりも攻撃の体勢が良くなってきている」

「そっか」

 沙希はタオルを肌に押しつけていると、不意に口角が上がる。

「? 何か良いことでもあったのか?」

「え?」

「最近何かに吹っ切れたように清々しいよな」

 風夜にそう言われ、沙希は先の方で水分補給をしている祐介に目がいく。

「手合わせする時、南雲さんの姿に思い知ったんだ。南雲さんも強くなるために必死で、私との手合わせを真剣に挑んでくれているんだって」

 そこで、タオルを手に戻って来た陽向が祐介の元に駆け寄る。
 陽向はタオルを祐介に手渡すとそのまま雑談し始める。
 その光景を微笑ましそうに眺めながら沙希は続ける。

「私は自分が弱いから勝てないんだって思い込んでて……それは真剣に挑んでいないんだって気づいて恥ずかしくなったんだ。だから、私も南雲さんには負けてられないって思ったの」

「自分の答えが見つかったってことだな」

「そうなるね。私、ちょっと洗面所に行ってくるね」

 沙希はタオルを首に掛けて立ち上がり、一階に繋がる階段へ向かう。
 背を向ける沙希を風夜は視線で見送る。

「俺も行くか」

 これから風夜は南雲宅から徒歩五分くらい離れた先にある森で陽向と手合わせする予定がある。
 沙希に続いて地上に続く階段を上がろうとした時、洗面所まで駆け走る沙希の姿が目に映る。
 軽やかな足取りと風を切るように黒髪のポニーテールが揺れる。

 ザザッ……

「――!?」

 背を向けて駆け走る沙希の姿が誰かとダブる。
 軽い目眩めまいを覚え、風夜は頭に片手を添える。

(気持ち悪ぃ……)

 不可解に感じながら顔を上げると、沙希の姿はもうなかった。


  ✿ ✿ ✿


 緑がかった葉から差し込む木漏こもれ日が風に揺れる。
 張り詰めた空気の中、お互いの顔を見返す風夜と陽向の間に葉を乗せた風が通り過ぎる。
 それを合図に二人は空気が擦れる音と共に姿が消えた。

「フッ!」

「ハッ!」

 風夜と陽向は電光石火のこどくの速さでお互いの武器が激突し合い、森中に甲高い金属音を響き渡らせる。
 陽向はすぐに間合いを取ると、風を切り裂くような勢いで数本の苦無くないを投げた。
 風夜は手甲鉤てっこうかぎで自身に向かってくる苦無を弾いた。

「!」

 苦無の全てが地に転がると、先ほどまでの地点にいた陽向の姿はなかった。
 不意に風夜の頭上に影が覆い被さり、驚いて上を見上げると、飛翔ひしょうする陽向がいた。
 両手には朱色しゅいろの雷を帯びた苦無を手にしており、鋭い刃先にまとった雷が威圧な光を放った。

「もらった!」

 これだけ距離を詰めれば反撃は間に合わず、防御をする余地もない。
 陽向は勝ち誇った顔で苦無を放とうとする。

「ふっ……」

 すると、風夜はこれを待っていたかのようにニヤリと笑みを浮かべて両腕を広げる。

「そう来ると……思った!」

 風夜はバッと両腕を振り、取り付けていた手甲鉤を陽向に投げ放った。

「うわっ!」

 思いもよらぬ攻撃に、陽向は反射的に苦無で防ぐ。
 だが、風夜の凄まじい投擲力とうてきりょくに体勢を崩し、陽向の体が地面へと落下する。

「うおっ⁉︎」

 そこで陽向の視界が反転し、目の前に澄んだ青空が見えた。
 間合いを詰めた風夜は体勢を崩した陽向の右腕を掴み、勢いよく背負い投げをかましたのだ。

「俺の勝ちだな」

 陽向を見下ろしながら、勝利を口にする風夜。

「あー! もう少しだったのになぁー!」

 陽向が地面に仰向あおむけたまま悔しそうにわめくと、風夜はひょいっと彼の体を軽々と起こしたのだった。


  ✿ ✿ ✿


 かれこれ二時間くらい続けた二人は木陰に腰掛け、疲弊ひへいした体を休めていた。

「相変わらずフウちゃんは強いな」

 ペットボトルの水を飲みながら、陽向が言った。

「それを言うなら、お前こそ腕上がったじゃないか」

「あ、褒めてくれた!」

「調子に乗んな」

 風夜はペットボトルを傾け、冷たい水で渇いた喉をうるおす。

「どうした?」

 風夜は飲み口から離し、隣を見ると、さっきまで活気だった陽向が悄然しょうぜんとした顔でうつむいていた。

「……未だに実感が湧かないんだ。過去の死闘が再び起きるとか……あの事件で犠牲になった人たちが数え切れないほど出た。もう二度と見たくない惨劇さんげきをまた見ることになるんじゃないかって……」

「お前でも不安になるんだな」

「当たり前だよ。こんな状況だからこそ不安になるんだ……ポジティブでいきたいのに、こういう時ってうまくいかないな……」

 風夜は涼しい顔をしているが、陽向が真剣に抱えている気持ちが強く伝わっていた。

「別に不安になってもいいんじゃね。それって自然なことだろ」

「え……?」

「というか、始まってもないことを考えても仕方ねぇだろ。そうならないために、俺たちはこうやって修練してるんじゃねぇか」

「そう、だね……」

 苦笑する陽向に、風夜は更に言葉を紡ぐ。

「俺は今までの成果を敗北前提で終わらす気はねぇから。それに、陽向一人だけ戦うわけじゃねぇだろ」

「……!」

 その言葉が陽向の胸に強く打たれる。
 風夜は相変わらずの読めない表情をしているが、陽向の思考とは逆に必ず勝つつもりでいるのだろう。

「フウちゃん……」

「何だよ」

「ありがとう。何か元気出た」

 言い方はぶっきらぼうだが、それが風夜にとっての慰め方なのだろう。
 現に陽向は漠然ばくぜんとした不安が薄らいでいったのだから。

「……。休憩終わったら、修練再開するからな」

 話を逸らすように風夜が言った。


  ✿ ✿ ✿


 十分な修練を終えると、風夜と陽向は体を動かした汗を流し、南雲宅に戻って来た。

「あ~、服が汗でびしょびしょだ……」

 汗で肌に張り付いた衣類を陽向は鬱陶うっとうしそうに襟元えりもとをパタパタさせる。

「もう水がねぇ……汲みにいくか」

 水を口に含もうとした時、ペットボトルが空になったと気づく風夜。

「あ、フウちゃん。おれの分の水お願い!」

 風夜は空になったペットボトルを陽向から受け取る。

「! フウちゃん……それ」

「?」

 振り返った風夜にペットボトルを渡した時、陽向は気づいた。
 風夜の胸元。
 鎖骨の下辺りに小さな青紫のあざがあった。

「ああ……これか。気づいたらできてたんだ。今日は結構体動かしたからな。その時、どっかぶつけてできたかもな」

「痛そうだね……」

「そのうち治る」

 風夜は二つのペットボトルを手に持って、台所に向かった。

「…………」

 陽向は風夜の肌にできていた痣のことが頭から離れられなかった。

(ぶつけた……ね)
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