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刹那編

第十九話 対照的

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 木々を抜けると、川岸の傍で紫雨はガラの悪い男に腕を掴まれ、必死に振り払おうとしていた。
 でも、その男は人とは異なる姿をしており、背後には黒い光沢のある細長い足が八本生えていた。
 特徴からして、土蜘蛛という妖怪だ。

「い、嫌だ……! 離せ……!」

「どこへ逃げる気だ⁉︎ テメェ俺らに何したのかわかってんのかぁ‼︎」

「……っ」

 男の言葉に紫雨の抵抗が止まってしまう。
 紫雨は男から視線を逸らし、俯いたまま口を一文字に結んでいる。

「おい」

 離れたところから様子を伺っていた刹那が悠長にこちらへ近づいて来る。

「テ、テメェは……!」

 男は刹那の存在に気づいた途端、急に顔を青ざめた。
 その反応に刹那は疑問を抱いたが、それはすぐに解けた。

「へぇ……まだ生きてたのか」

 どうやら刹那は男と面識があったようだ。

「やっぱ、足二、三本斬り落とすだけじゃくたばんねぇか」

 そこで、刹那の中でまた疑問が生まれる。
 後ろを向いていて気づかなかったが、男の顔の右半分が痛々しく赤くただれていたのだ。

「テメェに関わっている暇はねぇ‼︎ 俺はこいつに用があるんだよッ‼︎」

「痛ッ……!」

 男は無理矢理に紫雨の腕を引っ張る。

「こいつのせいで……俺らのことをぎつけた陰陽師に仲間が殺られたんだッ! あれから俺も逃げるのに必死で……――」

 男が最後まで言い掛けた時、突然現れた見えない衝撃で体が吹き飛んだ。

「ぐはっ‼︎」

 男は背後にあった樹木へ背中を打ちつける。

「うるせぇよ。テメェに何があったとか知ったこっちゃねぇよ」

 低く落ちた声に男は痛みで閉じた目を開けると、片足を上げた刹那の姿があった。
 先ほど体に襲った見えない衝撃は、刹那の強烈な蹴りによるものだったのだ。

「ていうか、オレはこいつを探しに来たんだ」

 そう言って、刹那は戸惑う紫雨の肩に手を置く。

「テメェ……また横取りする気かッ⁉︎」

 激昂げっこうする男の言葉に、刹那は「は?」と言う。

「こいつはオレんとこの眷属なんだよ。また手足斬り落とされたくないなら、とっとと消えな」

「ふざけんなッ! そいつは元々俺らのだッ!」

 男は痛みでうずく体に鞭打って立ち上がる。

「んだよ、殺る気か?」

「当たり前だッ! テメェらまとめてぶっ殺してやるッ!」

 逆上した男に対し、刹那は変わらず余裕の笑みを浮かべる。

「面倒だけど相手してやるよ。おい、紫雨。お前は離れてろ」

「は、はい……」

 刹那に言われ、躊躇いながら距離を離す紫雨。

「ぜってぇ殺す……」

「言ってろ」

 殺意を込めた目で睨みつける男に、刹那はハッと笑う。

「おらよッ!」

 先陣を切ったのは男の方だった。
 両手から透明な糸束が急速に伸び、刹那に襲い掛かる。

 刹那は矢継ぎ早に伸びてくる糸束を軽々と身をひるがえしてかわしていく。
 襲って来る糸束は一見軟らかそうに見えるが、まるで鉄のように固く、刹那がかわした箇所の地面をえぐっていた。

「おっそ」

 刹那の呟いた罵言ばげんあおられた男は、こめかみに青筋が浮かぶ。

「チッ……これならどうだ!」

 男は五指で人形を操るような動かし方をし、一直線上に動いていた糸束が分裂して刹那を囲んだ。
 四方八方から伸びてくる糸束が逃げ道を塞ぎ、刹那はその場から動けずにいた。
 そして、刹那は周りを囲っていた糸束に包み込まれる。

「ひゃははっ! ずたずたに刻んでやるよ!」

 刹那を捕らえることに成功した男は歓喜の笑みを浮かべ、止めに入ろうと広げた両腕を交差させる。
 すると、繭状まゆじょうに囲った糸束が勢いよく収縮する。

「刹那さんッ!」

 遠くで静観していた紫雨は、刹那を助けようと駆け出そうとする。
 その瞬間、刹那を閉じ込めた繭玉がパァンと音を立てて弾け飛び、辺りに砂埃すなぼこりが巻き起こった。

「あー、流石に鎌なしじゃ調子こきすぎたな……」

 砂埃が風で吹き立つと、呑気な声と共に大鎌を肩に掛けている刹那が姿を現した。

「くそっ……!」

 男は再度両手から糸束を出現させようとする。
 だか、目の前にいたはずの刹那が一瞬にして消えていた。
 男は焦燥しょうそうして周囲を探ると、唐突に刹那が目と鼻の先まで現れた。

「っ‼︎」

 男は妖術を発動させる余地はなく、見えない速さでわきを通り過ぎる刹那を見ることしかできなかった。
 同時に、男の体の所々から鋭い痛みと共に赤い血が吹き出す。

「うっ……! ……っ⁉︎」

 男は傷口を押さえ、反射的に振り返ると、背を向けた刹那がいた。
 一瞬、大鎌に斬られたのかと思ったが、刹那の手にはいつの間にか大鎌はなく、代わりに折り畳みナイフが握られていた。

「は……浅ぇんだよ。そんな人間が使う玩具おもちゃのナイフで……――」

 男がこれなら勝てる、と思った時、心臓を鷲掴わしづかみされたような激痛が襲った。
 次に激しい痙攣けいれんが起きたかと思えば、口からゴボッと血がほとばしる。
 体中に血管が浮かび、肌が青紫の斑点はんてんが浮かび上がる。

「あ……ああ……あぁぁあ……!」

 男は苦しげに首を押さえ、ひざが崩れ落ちる。
 そして、体が地面に倒れ、そのまま凍りついたように動かなくなってしまった。

「ちょっとやり過ぎたか」

 刹那は心にも思ってないことを言いながら、死体となった男に歩み寄る。

「せ、刹那さん……大丈夫ですか?」

 戦闘が終わったのだと感じた紫雨は、震える足で刹那の元へ歩む。

「あぁん? 大丈夫に決まってんだろ。こんな雑魚相手」

 刹那は爪先で白目いた男の死体を蹴る。

「し、死んでるんですか……?」

「ああ、オレの毒でな。そのうち腐って崩れるだろ」

 刹那は何事もなかったかのように、少し離れた木の根元に置いてあるビニール袋の方へ向かう。
 そして、それを手に紫雨のところへ戻って来ると、「ん」とぶっきらぼうに彼の前に掲げる。

「えっと……これは……」

「お前の飯に決まってんだろ」

 刹那は再度掲げると、紫雨は「ありがとうございます……」と言って、袋を受け取ろうとする。

 ――ドクン

「……っ‼︎」

 袋から漂ってきた匂いに紫雨の心臓に大きく脈を打った。
 袋の中身の正体を理解した時、紫雨は顔を青ざめ、体が後退する。

「あ……ああ……あぁ……」

 その匂いが鼻から脳へ刺激し、紫雨は過呼吸気味に荒い息を上げる。

「おい、急にどうした? って……ちゃんと息しろ!」

 紫雨の異変に、刹那は彼を落ち着かせようと手を伸ばす。

「ひっ……!」

 しかし、紫雨はまるで誰かに触れられるのを恐れているかのように、刹那の手を振り払った。
 その拍子に、刹那が手にしていた袋が地面に叩きつけられ、中身があらわになる。

 それは、生々しい脂肪に赤黒く塗れた肉片。
 元は人間の形であっただろう肉塊に見えた。

 手であろう指先が紫雨の方へ転がっていく。
 それが紫雨の恐怖を絶頂に達し、彼の中で何かが弾けた。

「あ……ああ……ああぁああぁッ――‼︎」

 ゴゥッ!!

 紫雨が叫喚きょうかんを上げた瞬間、肉塊に闇色の炎が上がった。

「熱ッ……!」

 炎が肌をかすめ、刹那は反射的に体が後退する。
 突然のことで思考が追いつかず、目の前で小さく燃え盛る炎を見ることしかできなかった。
 やがて、発火した肉塊は灰も残らず炎と共に燃え尽きてしまった。

「ち、違っ……俺、そんなつもりじゃ……」

 我に返った紫雨は、目の前の出来事に狼狽ろうばいしていた。
 何か言いたげに口を戦慄わななかせていたが、それに反して体が勝手に走り出していた。

「あ、おい!」

 背を向け、いきなり走り出した紫雨の腕を掴もうと刹那は手を伸ばすが、届かず空を切った。

「何なんだよ……一体」

 刹那は発火した足元を呆然と見下ろすのだった。


  ✿ ✿ ✿


「あいつ……どこに行ったんだ?」

 林道を抜けた刹那は紫雨を追って、住宅街を探し回っていた。
 気配を覚えているため、それを頼りに進んで行くと、広い児童公園に辿り着いた。

「ん?」

 公園の出入り口の前に布が落ちていて、刹那は近づいて拾い上げる。
 それは、刹那が紫雨にあげたカーディガンだった。

 視線を上げれば、目の前にドーム型の遊具がある。
 刹那は出入り口の柵を通り抜け、公園の中に入る。

 見渡せば、平日の昼間だからなのか子供の姿はなかった。
 ドームに近づき空洞を覗いてみると、刹那の思った通り、紫雨がいた。
 紫雨は膝を抱えて、顔をうずめていた。

「やっと見つけた」

 刹那の声に、紫雨はビクッと顔を上げた。

「せ、刹那さん……」

 声の主が刹那だとわかると、紫雨はホッと息を吐いた。

「……その『さん』付けはいい」

 刹那は言いながら、空洞の中に入り、紫雨の隣に座る。

「……えっと、じゃあ、刹那様?」

「そこまで偉くねぇよ。刹那でいい。後、敬語もやめろ」

「わかり……わかった。せ、刹那……」

 紫雨は躊躇いながら、刹那を呼び捨てで呼んでみた。

「その……さっきはごめん。火傷やけどとか大丈夫だった?」

「別に何ともねぇよ。これくらい」

 それより……と刹那は問い掛ける。

「さっきの土蜘蛛男、お前の知り合いか?」

「知り合いっていうより……前の飼い主ってところかな」

「ふーん。見た感じ、手酷く扱われていたそうだな」

 うん……と紫雨は頷く。

「土蜘蛛男の顔……焼け爛れてたけど、あれお前がやったの?」

「…………」

 問い掛ける刹那に、紫雨は黙り込んでしまった。
 刹那はその反応を肯定と受け取った。

「というか、そんなすげぇ術があるなら、燃やせばよかったんじゃ――」

 刹那が言い掛けた時、紫雨はぶんぶんと首を横に振った。

「それは絶対にしたくない! 例え俺を追い詰めた相手だとしても……俺は、誰かを傷つけるようなことはしたくない!」

 紫雨はハァハァと肩を上下させ、大きく息を吐いた。

「おかしいって思われるかもしれないけど……こんな体でも、俺は人として生きたいんだ」

 勇気を振り絞って発した告白に、紫雨は体中に熱が帯び、心臓がバクバクと早まる。
 もしかしたら馬鹿にされるかもしれない、軽蔑けいべつされるかもしれない。
 そんな想像が過り、紫雨は恐怖で膝を抱えていた腕に力を込めた。

「お前の好きにしたらいいんじゃねぇの」

 返ってきた意外な返答に紫雨は目を丸くする。

「別にお前がどう生きようがオレには関係ねぇし、お前の望むまま生きればいいんじゃねぇか」

 相変わらずのぶっきらぼうな言葉だった。

「俺の望むままに……」

 でも、紫雨は素直に嬉しかった。
 刹那の話し方は荒々しいが、その言葉には嘘偽りがなく、紫雨は不思議と心地良かったのだ。
 感慨に浸っていると、刹那が懐から何かを取り出し、「ほらよ」と紫雨の前に突き出した。

「えっと……何?」

「見てわかんねぇのか。飴だよ。あ・め」

「くれるの……?」

「腹の足しにはなんねぇけど、何も食わねぇよりマシだろ」

「ありがとう……」

 紫雨はそっと刹那から飴を受け取った。
 包み紙を広げ、赤くつやめく飴を口の中に放り込むと、果物の甘さが口いっぱいに広がる。

「甘い……」

「そりゃ飴だからな」

 紫雨の素朴な感想に、刹那は思わずツッコむのだった。
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