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第四章 呪いの体育館

第十八話 謎の霧

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 買い物に行こうとマンションを出ると、外は夜の暗さに包まれていた。

「風夜、コンビニ弁当になってごめん……」

「別に食えれば何でもいいし」

 沙希と風夜は、コンビニで夕飯に食べる弁当を買いに行っているところだった。
 冷蔵庫のほとんどが夕飯に作れる材料がなく、コンビニ弁当で夕飯を取ることになったのだ。

「そう言えば、風夜って、人間の姿にもなれるんだね」

「こういうのを覚えねぇと、下界の町中を歩けないからな」

「そうだね……流石さすがに人狼姿で歩いていたら騒ぎになるからね」


  ✿ ✿ ✿


 夕飯のコンビニ弁当をレジで会計を済ませた後、二人はコンビニを出た。

「あ……飲みモン買うのを忘れた」

 風夜はレジ袋を開くと、飲み物の買い忘れに気づいた。

「買ってきなよ。私、ここで待ってるから」

「悪いな」

 そう言って、風夜は再びコンビニへ入る。
 買う物が一つなら、そう時間は掛からない。
 沙希は風夜が来るまでスマホをいじることにした。

「あれ~、西山さぁん~?」

 前方から聞き覚えのある甘ったるい声が聞こえた。
 顔を上げると、しっかりメイクにフリフリな服を着た梨美がいた。

(げっ……)

 梨美を見ると、沙希は思わず辟易へきえきする。
 沙希は梨美と一度だけ会話したことがある。

 いや、正確に言えば、梨美の方から一方的に話しかけてきたのだ。
 会話と言っても、梨美のひとがりな自慢話を延々と聞かされただけだった。

 そして、沙希は会話ができることなく相槌あいづちを打つことしかできなかったのだ。
 それ以来、沙希は梨美を苦手の対象になってしまった。

 しかし、今回は喜世のこともあり、沙希は梨美に嫌悪感けんおかんを抱いていた。
 梨美はコツコツとハイヒールを鳴らしながら、沙希に近づく。

「もしかして、夕飯はコンビニ弁当~? あ、そっか! 西山さん、一人暮らしだっけ? 大変ねぇ~」

(……コンビニ弁当で悪かったね)

 キャピキャピと語尾を伸ばしながら喋り出す梨美に、沙希のこめかみに青筋が浮かぶ。

「と、ところで、井沢さんはオシャレして高山先輩のお見舞い?」

「リミね~、これから他校の男子と外食行くの~ ステーキ食べたいってお願いしたら奢ってくれるって言うの!」

「え? ……高山先輩はいいの?」

 そう疑問を投げ掛けると、梨美は目線を上に泳がせる。
 そして、今まで聞いたことのない低い声で発した。

「あ~、ほら、謙哉って今療養中でしばらく一緒に出掛けられないじゃない。だから、謙哉には治療を優先してほしいから」

(はぁぁぁぁ――⁉︎)

 梨美の弁明にもならない言葉に、沙希は呆れて何も言えなかった。
 友人の彼氏を奪った上、あげくに療養中の謙哉に見舞いも行かずに放って、自分は別の男と仲を築いている。

(ヤバい……。今なら莉央の気持ちわかるかも……)

 はらわたかえるとはこのことだと思った。
 不用意に近づけは、殴打おうだ衝動に駆られてしまう。
 沙希は冷静を保つため、軽く深呼吸をし、梨美から少し距離を離す。

「見て! この人マー君って言うの。かっこいいでしょ!」

 沙希は何とかこの場を去ろうと企てているところ、梨美は甘えるように頬を擦り寄せる自分と他校の男子生徒の写真を突き出してきた。

「あー……そうなんだ」

 これ以上付き合っていられないと、沙希はない返事をする。

「さっきね道を歩いていたらしつこいナンパに声掛けられちゃってね~ 『君、可愛いね』って言われ過ぎてもうウンザリ!」

 梨美は沙希の顔をジッと見ると、まるで勝ち誇ったかのように言葉を続ける。

「西山さんもメイクをすればそのイモっぽい顔が少しでもマシになるよぉ~! あ、これは嫌味じゃないからねぇ~、あたしなりのアドバイスだからぁ~」

(あ、マズイ……。スイッチ入っちゃってる)

 沙希の態度が気に食わなかったのか、梨美は見下すように自慢話をし始めた。
 この状況を経験済みの沙希は、この先は梨美の話が終わるまで数分掛かると察した。
 逃げる手立てが見つからなく項垂うなだれていると、背後からコンビニ出入り口のドアが開いた。

「沙希。悪ぃ、レジ混んでた」

 振り返ると、レジ袋を手にした風夜が戻って来た。

(風夜! た、助かった……)

 風夜が来てくれたお陰で梨美から逃げる口実ができ、沙希は風夜の腕を引っ張って歩こうとする。

「じゃあ、これから夕飯だし、もう帰るから!」

「ちょ、おい。沙希?」

 なるべく梨美と視線を合わせないように、沙希は戸惑う風夜の腕を引きながら進んでいく。
 すると、梨美はターゲットロックオンするような勢いで沙希を押し退け、風夜との距離を詰め寄って来た。

「ねぇ、アナタって、西山さんの友達~? 名前何て言うの~?」

 再び甘ったるい声に戻った梨美は、沙希と風夜の関係性と問い掛ける。

(な、何……! この豹変ひょうへんぶり……! 男の前だと態度変わり過ぎでしょ!)

 先ほどとは違う梨美の態度に、沙希は思わず目を丸くする。

「風夜だけど……てか、お前誰?」

「あたし、西山さんの大親友のリミっていうの~ 西山さんとは超仲良しなの~」

 噓八百うそはっぴゃくの言葉を並べる梨美に、当然沙希は呆れ返る。

(はぁぁぁ――!? いつから、アンタと私が大親友になったのよ!!)

 梨美は背後で憤怒ふんぬの表情を浮かべる沙希に目を向けず、風夜を口説くどき始める。

「ねぇ~、それより風夜クンって、西山さんの友達~? どういう関係~?」

 梨美の問いに風夜は即答で返す。

「友達っていう範疇はんちゅうには属してねぇけど……沙希のマンションに一緒に住んでて、関係でいうなら、沙希は俺の主――ぐほっ!」

 〝主人しゅじん〟と言い掛ける風夜を沙希は慌てて、彼の背中を叩いて制する。

「ちょっと、風夜!! 誤解を招く言い方しないで!!」

「は? 本当のことだろ……」

 遅れてきた痛みを抑えるように、風夜は背中をさする。

「もしかして、西山さんと同棲している彼氏さん~⁉︎」

 風夜の言い方が語弊ごへいを招き、梨美に別の意味で伝わってしまう。

「へぇ~……」

 梨美は略奪魂に火がついたのか、風夜の体に密着するようにグイグイ迫る。

「ねぇ~、風夜クンって、モデルやってるの~? 超スタイル良い!」

「やってねぇけど……」

「え~! 風夜クン、イケメンなのに勿体もったいない~!」

 梨美は腰をくねらせながらアプローチするが、一方の風夜は怪訝けげんに眉を寄せている。

(ちょっと、この人……初対面の風夜にボディタッチしすぎない……。デート相手の男はいいのか?)

 疑問を浮かべる沙希にお構いなしで、梨美は風夜にスマホを突きつける。

「ねぇ、風夜クン~ これも何かの縁だし、LINE交換しようよ~!」

 すると、風夜は顔をしかめ、距離を詰めて来る梨美から一歩離れる。

「う……寄るな」

「風夜クンってば、もしかして照れてるの~?」

 そう言いながら梨美は更に密着しそうな勢いで近づくと、風夜は沙希の背後へ逃げ込んだ。

「お前……臭ぇよ。こっち来んなよ」

「な……!!」

 予想しなかった風夜の冷めた発言に梨美は驚いた顔をする。

「な、何よ! 失礼しちゃうわね!」

 梨美は顔を真っ赤にさせ、沙希と風夜から離れて行く。
 まるで嵐が過ぎ去ったかのようだ。

「風夜、大丈夫?」

「おぇ……大丈夫じゃねぇよ。あのケバ女すげぇ香水キツい……本当にあいつ、沙希のダチなのか?」

「いや、天敵だから!」

「だよな……。大親友って言う割には、嘘くさかったし……」

 風夜は鼻に伝って来る香水の強い刺激に酔うと、顔はみるみる青くなっていく。

「気持ち悪ぃ……狼の鼻はこういう時に限って鋭敏えいびんだから、すげぇ不便……」

「チビ狼の姿になって、肩に乗っていいよ。荷物貸して」

 沙希の申し出に、風夜は持っていた荷物を手渡す。
 そして、ポンと派手な音と共に煙で身を包むと、瞬時に子狼の姿になって沙希の肩に飛び乗る。

「風夜。明日、風夜の好きな物たくさん作るね!」

 沙希は爽快した顔で「ありがとな!」と言って親指を立てる。

「お、おう……」

 どうして沙希に感謝されているのか理解できていない風夜だが、これ以上は言及しなかった。

「?」

 帰路を辿ろうとした時、沙希の視界の端に何かが引っ掛かる。
 右方を向くと、数メートル先に梨美の姿があった。

「え……」

 信号待ちしている梨美の背後に、黒い霧がぼんやりと浮かんでいた。
 梨美の付近を行き交わる人々は、黒い霧に気づいていないのか通り過ぎて行く。

「ねぇ、風夜……。あそこに黒い霧見えているの……私だけかな?」

 しかし、黒い霧の存在は沙希だけではなく、風夜も気づいていた。

「いや、俺も見える。周囲の奴らは気づいていないんじゃねぇ、見えていないんだ。あの黒い霧何かヤベェ感じがする……」

「……!?」

 風夜と同じように、沙希も嫌な予感がし、気づけば信号待ちしている梨美の方へ駆け走っていた。
 何故なぜならあの黒い霧は、謙哉の背後に漂っていた黒い霧と同じモノだったからだ。

 その時、沙希は黒い霧が見えたのは気のせいなんかじゃないと悟った。
 後少しで梨美の元へ辿り着く。

 だか、そこで信号が青に変わり、沙希との距離を離してしまう。
 梨美が歩を進めるに連れて、黒い霧はだんだん濃くなっていく。

 やがて、黒い霧で背中が見えなくなったと思いきや――。

 ガッシャ――ン!!

 耳がつんざきそうな衝撃音と共に、黒い霧がパッと視界から消えた。

「……え」

 一瞬の出来事に、沙希は一体何が起こったのか理解するのに時間が掛かった。
 目の前には、突然横転した車が付近のある電信柱に突っ込み、煙を出しながら派手にくぼんでいた。
 そして、道路の中央には、血濡れた梨美が横たわっていた。

「きゃあ――!!」

「お、おい! 子供が車にねられたぞ!」

「早く救急車を!」

 静かだった通り道が一斉にして騒然となった。
 気づけば、周囲に野次馬ができており、その中で一般人がスマホを使って、目の前の現場をカメラで撮っていた。
 カメラのシャッター音がうるさいほど聞こえ、あちこちに白いフラッシュが放たれる。

 一方、沙希は野次馬から離れたところで呆然と立ち尽くしている。
 突然目の前で起こった衝撃の光景に頭の中が真っ白になり、次第に何も考えられなくなる。

(あ……ああ……)

 沙希の心臓の鼓動が耳に聞こえるくらい大きく脈を打ち、肺が今にも破裂しそうなくらい呼吸が乱れる。
 震える背中を誰かにポンポンと叩かれ、沙希はハッと我に返る。
 風夜の手だ――。

「沙希」

 風夜はいつの間にか沙希の肩から飛び降りて、人型に戻っていた。

「風夜……」

 沙希はようやく絞り出すような声を出せた。

「まずは落ち着け。ゆっくり呼吸を整えろ」

 沙希は一つ頷くと、風夜の言われた通りにゆっくり深呼吸をする。

「大丈夫だ。絶対に大丈夫だ」

 幼い子供をあやすような口調で、風夜は沙希の背中を優しく擦る。
 その心地良い低い声音と手から伝わって来る体温に不思議と安心感を覚える。
 やがて速まっていた心臓の鼓動は緩やかになり、ショックで失っていた五感が徐々に戻って来る。

「ふ、風夜……何なのこれ……。それに、あの黒い霧は……!」

 落ち着けよ、と風夜はさえぎる。
 そして、また子狼に戻って、沙希の肩に飛び乗る。

「とにかく、今はここを離れろ。考えるのは後だ。目の前のことは、他の人間たちに任せておけばいい」

「う、うん……」

 沙希はきびすを返し、元来た道を戻ろうとする。
 踵を返す直前、事故現場化した道路には、パトカーと救急車が来ていた。

 そして、あの黒い霧はどこにもなかった――。
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