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第四章 呪いの体育館
第十七話 全校朝礼
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「ふああぁ……」
沙希は呑気に欠伸をしながら校門を潜る。
期末テストが近いせいか、沙希は夜遅くに勉強していた。
そのせいか眠気がいつもより増している。
六月の梅雨時期に入り、天候は微妙な曇り空が続いて、沙希は朝からテンションが上がらない。
下駄箱に着くと、沙希は自分の学生番号が書いてある靴箱を開ける。
上履きの爪先をとんとんと踏みながら、履いていたローファーを二段式下駄箱の下部分にしまう。
「あれ?」
自分の教室に繋がる階段へ向かっていると、沙希のクラスメイトと他学年の生徒が混じって階段を埋まるようにして降りてきたのだ。
沙希は邪魔にならないよう突き当たりで生徒たちが下り終えるまで待っていると、生徒たちに混じっている隆に声を掛けられた。
「沙希、何やってんの? 今日全校朝礼だぞ」
「あ! だから皆体育館に向かっているんだ!」
「後五分で始まるぞ。急げ!」
「わかった!」
隆に急かされ、沙希は慌てて反対側にある階段を使って教室に向かうのだった。
✿ ✿ ✿
体育館には、部活動の表彰式のため全学年生徒が集まっていた。
校長の長い話が終わると、表彰される各部活で代表に選ばれた生徒は、壇上の階段でスタンバイしている。
バスケ部、サッカー部、吹奏楽部、野球部といった順でそれぞれステージを上がって行く。
代表で選ばれた生徒は背筋を伸ばし、校長に凛々しく一礼をしてから賞状を受け取る。
そして、サッカー部の順番がやって来ると、代表として壇上に上がって来た生徒に、沙希は一瞬驚いた顔をする。
(あ……)
代表として壇上に上がって来たのは、喜世が以前付き合っていた謙哉だったからだ。
謙哉を見ると、沙希は昨夜出会った喜世のことを思い出す。
サッカー部に賞が取れたことは、沙希はおめでたいと思っている。
だが、喜世の状態を知らずにのうのうと梨美の隣を歩く謙哉には、どうしても良い印象が持てなかった。
(ん……?)
校長と向かい合わせに立つ謙哉の背後に、沙希は黒い霧のようなものが見えた。
何だろう……と、沙希は目を凝らしてみるが、そこには何もなく、ピシッと姿勢を正す謙哉の背中があった。
「サッカー部代表――」
校長が名前を呼ぶ直前、沙希の視界から謙哉の姿が消えた。
消えたかと思いきや、今度はガシャン! と何かが割れる衝撃音が聞こえた。
「きゃあ――!!」
その衝撃音に、生徒たちは一斉に騒ぎ出した。
一体何が起こったのか、沙希の位置からでは見えない。
そして、次に聞こえたのは「早く救急車ッ!!」と教員の怒声に近い声が体育館に響いた。
(な、何なの……)
突然起こった事態で右往左往している生徒たちの叫喚に混乱していると、先ほど聞こえた教員の声に、誰かが怪我をしたのだと沙希は理解した。
混乱の中、遠くから救急車のサイレンが聞こえた。
すぐに二人の救急隊員が体育館に入って来ると、一人の教員が誘導するように、生徒たちを掻き分けて壇上に近づいた。
少し経つと、二人の救急隊員が担架に怪我人を乗せて、沙希がいる列を通り過ぎていく。
「……!!」
担架に横たわっている人物に、沙希は言葉を失った。
担架には、苦痛に顔を歪めた謙哉の姿があった。
指先が痙攣するかのように震え、両足を見ると、制服と肌が血で真っ赤に染めていた。
生徒たちが謙哉に視線を見やる中、沙希は騒動が起こった壇上に目を向ける。
壇上を見ると、そこは大きな血だまりができており、天井から落ちてきたと思われる大きなスポットライトが壊れた状態で破片を散らばせていた。
その落ちてきたスポットライトが、謙哉の両足に落下したのだと沙希は現状を把握した。
しばらくすると、部活の表彰式どころではなく、中止になってしまった。
後から聞いた話だと、謙哉の両足は複雑骨折でそのまま入院することになった。
あの足では、完治するまでサッカーはできないだろう。
✿ ✿ ✿
木曜日の昼休み。
沙希は紫雨と共に屋上で昼食を取っている。
「今日の朝礼驚きましたね……」
「いきなりだったからね……俺も一瞬何が起こったのかわからなかったよ」
部活の表彰式が中止になっても、生徒たちは全校朝礼の〝スポットライト落下事件〟について持ち切りだった。
あの事故で怪我人が出たせいか、学校全体に大きな打撃を与えた。
「早く退院できるといいですよね……」
沙希が同意を求めると、紫雨は口にした惣菜パンを嚥下してから「そうだね」と返した。
「あ、そうだ」
紫雨の顔がハッと閃くと、傍にある小さい手提げ鞄から何かを取り出した。
「西山さんが読みたがっていた〝鬼●の刃〟の最新刊が発売されてたんだ」
「え‼︎」
沙希は目を爛々とさせ、紫雨が手にしている漫画を凝視する。
テスト勉強で忙しく、いつの間に発売されていたことに、紫雨が言うまで知らなかったのだ。
「西山さんがよかったら貸そうかなって、思って」
「いいんですか?」
「うん。俺はもう読み終わったから、返すのはいつでもいいから」
紫雨が承諾すると、沙希に漫画を手渡した。
「ありがとうございます!」
漫画を受け取った沙希は嬉しそうに破顔した。
「先生に見つからないようにね」
紫雨は悪戯な笑みを浮かべると、沙希も釣られて笑った。
そこで昼休み終了の予鈴のチャイムが鳴った。
「あ、そろそろ昼休みが終わりだな」
チャイムの音を聴きながら紫雨が言う。
「ホントですね」
時間に気づいた沙希は、ああ、もっと話したかったのに思い、名残惜しかった。
でも、来週の木曜日にはまた屋上で紫雨に会える。
その時は、漫画の感想を語り合いたいと思った。
一つの楽しみができたことで、期末テストの憂鬱な気分が吹き飛び、沙希は俄然やる気が出たのだった。
✿ ✿ ✿
終業のチャイムが校内に鳴り響く。
馴染みのある挨拶が終わると、帰り支度をした生徒たちは家路か、教室に残って友人同士で会話をするなどで、それぞれ放課後を過ごし始めた。
その中で、沙希は鞄を肩に掛け、教室を後にした。
(莉央は早々と保健室に行っちゃったな……)
いつもなら一緒に帰るはずだが、莉央は保健室で休んでいる喜世のお見舞いに行っていた。
沙希は一階の廊下を歩きながら、自分もお見舞いに保健室へ寄ろうかと考えた。
しかし、いきなり押しかけるのも悪い気がして、保健室の方向へ歩いていた足を昇降口へと向けた。
✿ ✿ ✿
外へ出ると、いつの間にか雨が降っていた。
乾いていた地面は黒く濡れ、周りは降雨の音で溢れている。
(傘持ってきてよかった……)
沙希は手にしていた傘を差し、校門を出た。
いつも通りの家路を辿っていくと、見慣れた公園が見えた。
「え?」
何気なく公園に目をやると、沙希は思わずと言った声を上げた。
なぜなら、屋根付きのベンチに紫雨が座っていたからだ。
同じく紫雨もフェンスの向こうにいる沙希に気づいたようで「あ……」と声を上げた。
気になった沙希はフェンスを通り抜け、ベンチのいる紫雨に近づいて行く。
「西山さん、今帰り?」
「はい。先輩もですか?」
「うん……。帰る途中雨が降ってきてさ……止むまで雨宿りしてるんだ」
言葉と様子からして、紫雨は傘を持っていないのだと沙希は察した。
よく見ると、髪と制服が濡れていることに気づいた沙希は、鞄からハンカチを取り出し、紫雨に差し出す。
「先輩、ハンカチ使ってください。鞄に入れてて、濡れてませんから」
「俺はそんなに濡れていないから平気だよ」
「でも……」
と、その時。
軽く濡れた紫雨の姿と屋根の向こうで降り続けている雨が何かとだぶる。
「――!」
まただ。
一瞬沙希の中で小さな引っ掛かりを覚えたが、すぐに雨の音で打ち消されてしまった。
「俺のことは気にしなくていいから。にわか雨だし、すぐに止むよ」
「…………」
紫雨にそう言われ、お人好しな沙希は心配になった。
でも、先ほどより雨が弱くなっており、数分したら止む気がした。
「それじゃあ、また学校で……」
沙希は何もできず、申し訳なさそうな感情を含んで言った。
「うん。またね」
と、紫雨が手を振って返す。
沙希も釣られるまま手を振って返す。
そして、踵を返し、公園の出入り口に向かった。
「?」
気になって振り返った沙希は、紫雨の背後を通り越した先に紫陽花が咲いているのを見つけた。
無数の青紫の花弁に雨が打たれて、雨粒がツーッと葉に伝って落ちる。
六月の梅雨時期にぴったりな紫陽花の美しさに見入っていると、屋根の向こうで降り続いている雨を憂いな目で眺める紫雨の横顔が視界に入る。
(綺麗だな……)
沙希は素直にそう思った。
透き通るような肌に、雨風に揺れる髪。
濡れた肌に雨粒が伝っていて、まるで雨粒を纏う紫陽花に似ているように感じた。
「……?」
沙希は妙な蟠りを残したまま公園を後にしたのだった。
✿ ✿ ✿
沙希が立ち去ってから数分経つと、地面に降り注いでいた雨の音が止み、空を覆っていた灰色の雲が晴れる。
紫雨はベンチから立ち上がり、公園を出た。
特に目的もなく歩いていると、人気のない細い路地裏に踏み込んだ。
建物の陰のせいか薄暗く、周囲を不気味に際立たせていた。
「はい……順調に進んでます」
紫雨はスマホを耳に当て、誰かと話している様子だった。
敬語で話していることは、フランクで話せる相手ではないのだろう。
先ほどまでの穏やかに満ちた声とはかけ離れ、夜の静寂に包まれたような声音へと変わっていた。
「わかりました。それじゃあ……」
失礼しました、と通話を切ると、紫雨は丁度高層ビルの工事現場裏に出た。
「あがっ……!」
突然、人の苦悶な声が聞こえた。
その声に紫雨は驚いてスマホから視線を上げた。
視界の先に柄の悪い二人の男たちが、取り囲んでいる男に向かって、一方的に暴力を繰り返していた。
「わ! こいつすげぇ金持ってるぞ!」
「ラッキーだな!」
二人の男は倒れている男を無視し、彼が所持している鞄から財布を抜き取った。
(すごいタイミング……)
と、紫雨はこんな状況に出くわしているのに驚きもせず、淡々とした態度だった。
「あ?」
ようやく紫雨の存在に気づいたのか、夢中で金を数えている二人の男がこちらを向いた。
「ヤベェ……」
「おい、行こうぜ」
紫雨に現場を目撃され、手に持っているスマホで警察を呼んだと思い込んだのか、二人の男は横たわる彼を置いて、その場から一目散に逃げ出した。
(スマホって便利……色んな意味で)
紫雨は呑気にそう思いながら、土で服が薄黒く汚れた彼に歩み寄り、向かい合う形で屈んだ。
彼は気を失っているようだった。
紫雨は慌てて声を掛けるわけでもなく、無表情に見下ろしていた。
「理性が必死に押さえてるけど……君があの二人に対する殺意が滲み出てるね」
思いも寄らない言葉を彼に呟くと、紫雨の五本爪が鋭く変異した。
そのまま紫雨は拳を握り締めると鉤爪が掌に突き刺さり、指先から赤黒い血が伝うと彼の頬に滴り落ちる。
すると、彼の全身から黒い霧が放たれ、逃げた男二人の道のりの方へ向かった。
黒い霧が紫雨の視界から消え、数秒も立たないうちに、すぐ近くから耳を劈くような衝撃音と人の叫喚が響き渡ったのだ。
「全治六ヶ月ってとこかな……」
紫雨は痛がる様子もなく、自分の血で濡れた手を見て、ふと呟いた。
「潮時かな……」
自らつけた手の平の傷は、瞬く間に塞がっていた。
✿ ✿ ✿
「ただいまー」
アパートに到着すると、室内は電気が点いてなく静かだった。
「風夜ー、いないの?」
リビングに向かうと、四足獣姿でカーペットの上で丸くなっている風夜がいた。
寝ていると気づいた沙希は台所に向かい、風夜に作り置きした昼食を食べたか確認しようと冷蔵庫を開けた。
「あ、食べたんだね」
流し台を見ると、綺麗に洗浄した食器が丁寧に水切りバスケットの上に干されていた。
「お、〝鬼●の刃〟の最新刊じゃん」
振り返ると、起きた風夜が人型に戻り、ソファの上で寝転がって、紫雨から借りた漫画を読んでいる。
「前巻は気になるところで終わったんだよな」
「あー、私が最初に読もうと思ってたのに……」
「いいだろ、減るもんじゃねぇし」
「それ、人から借りた物だから汚さないでよ……」
沙希はリビングに入り、何か面白い番組はやっていないかテレビを点ける。
リモコンでチャンネルを切り替えてみるが、特に沙希が見たいものはやっていなかった。
「面白い番組やってないな……」
沙希は最初の映し出された夕方のニュース番組に切り替える。
そこで、臨時ニュースが速報された。
〈速報です。都内で建設中のビルから鉄骨が落下し、下にいた男性二人が下敷きになりました。彼らは救助された後、病院に搬送されましたが意識不明の重体です――〉
女性のアナウンスが事件の内容を淡々と読み上げていた。
「あー……夕飯に使える材料ないなぁ……」
沙希は夢中で夕飯の支度をしているため、地元で大事故が起きたことに気づかず、ニュースは次の内容が流されたのであった。
沙希は呑気に欠伸をしながら校門を潜る。
期末テストが近いせいか、沙希は夜遅くに勉強していた。
そのせいか眠気がいつもより増している。
六月の梅雨時期に入り、天候は微妙な曇り空が続いて、沙希は朝からテンションが上がらない。
下駄箱に着くと、沙希は自分の学生番号が書いてある靴箱を開ける。
上履きの爪先をとんとんと踏みながら、履いていたローファーを二段式下駄箱の下部分にしまう。
「あれ?」
自分の教室に繋がる階段へ向かっていると、沙希のクラスメイトと他学年の生徒が混じって階段を埋まるようにして降りてきたのだ。
沙希は邪魔にならないよう突き当たりで生徒たちが下り終えるまで待っていると、生徒たちに混じっている隆に声を掛けられた。
「沙希、何やってんの? 今日全校朝礼だぞ」
「あ! だから皆体育館に向かっているんだ!」
「後五分で始まるぞ。急げ!」
「わかった!」
隆に急かされ、沙希は慌てて反対側にある階段を使って教室に向かうのだった。
✿ ✿ ✿
体育館には、部活動の表彰式のため全学年生徒が集まっていた。
校長の長い話が終わると、表彰される各部活で代表に選ばれた生徒は、壇上の階段でスタンバイしている。
バスケ部、サッカー部、吹奏楽部、野球部といった順でそれぞれステージを上がって行く。
代表で選ばれた生徒は背筋を伸ばし、校長に凛々しく一礼をしてから賞状を受け取る。
そして、サッカー部の順番がやって来ると、代表として壇上に上がって来た生徒に、沙希は一瞬驚いた顔をする。
(あ……)
代表として壇上に上がって来たのは、喜世が以前付き合っていた謙哉だったからだ。
謙哉を見ると、沙希は昨夜出会った喜世のことを思い出す。
サッカー部に賞が取れたことは、沙希はおめでたいと思っている。
だが、喜世の状態を知らずにのうのうと梨美の隣を歩く謙哉には、どうしても良い印象が持てなかった。
(ん……?)
校長と向かい合わせに立つ謙哉の背後に、沙希は黒い霧のようなものが見えた。
何だろう……と、沙希は目を凝らしてみるが、そこには何もなく、ピシッと姿勢を正す謙哉の背中があった。
「サッカー部代表――」
校長が名前を呼ぶ直前、沙希の視界から謙哉の姿が消えた。
消えたかと思いきや、今度はガシャン! と何かが割れる衝撃音が聞こえた。
「きゃあ――!!」
その衝撃音に、生徒たちは一斉に騒ぎ出した。
一体何が起こったのか、沙希の位置からでは見えない。
そして、次に聞こえたのは「早く救急車ッ!!」と教員の怒声に近い声が体育館に響いた。
(な、何なの……)
突然起こった事態で右往左往している生徒たちの叫喚に混乱していると、先ほど聞こえた教員の声に、誰かが怪我をしたのだと沙希は理解した。
混乱の中、遠くから救急車のサイレンが聞こえた。
すぐに二人の救急隊員が体育館に入って来ると、一人の教員が誘導するように、生徒たちを掻き分けて壇上に近づいた。
少し経つと、二人の救急隊員が担架に怪我人を乗せて、沙希がいる列を通り過ぎていく。
「……!!」
担架に横たわっている人物に、沙希は言葉を失った。
担架には、苦痛に顔を歪めた謙哉の姿があった。
指先が痙攣するかのように震え、両足を見ると、制服と肌が血で真っ赤に染めていた。
生徒たちが謙哉に視線を見やる中、沙希は騒動が起こった壇上に目を向ける。
壇上を見ると、そこは大きな血だまりができており、天井から落ちてきたと思われる大きなスポットライトが壊れた状態で破片を散らばせていた。
その落ちてきたスポットライトが、謙哉の両足に落下したのだと沙希は現状を把握した。
しばらくすると、部活の表彰式どころではなく、中止になってしまった。
後から聞いた話だと、謙哉の両足は複雑骨折でそのまま入院することになった。
あの足では、完治するまでサッカーはできないだろう。
✿ ✿ ✿
木曜日の昼休み。
沙希は紫雨と共に屋上で昼食を取っている。
「今日の朝礼驚きましたね……」
「いきなりだったからね……俺も一瞬何が起こったのかわからなかったよ」
部活の表彰式が中止になっても、生徒たちは全校朝礼の〝スポットライト落下事件〟について持ち切りだった。
あの事故で怪我人が出たせいか、学校全体に大きな打撃を与えた。
「早く退院できるといいですよね……」
沙希が同意を求めると、紫雨は口にした惣菜パンを嚥下してから「そうだね」と返した。
「あ、そうだ」
紫雨の顔がハッと閃くと、傍にある小さい手提げ鞄から何かを取り出した。
「西山さんが読みたがっていた〝鬼●の刃〟の最新刊が発売されてたんだ」
「え‼︎」
沙希は目を爛々とさせ、紫雨が手にしている漫画を凝視する。
テスト勉強で忙しく、いつの間に発売されていたことに、紫雨が言うまで知らなかったのだ。
「西山さんがよかったら貸そうかなって、思って」
「いいんですか?」
「うん。俺はもう読み終わったから、返すのはいつでもいいから」
紫雨が承諾すると、沙希に漫画を手渡した。
「ありがとうございます!」
漫画を受け取った沙希は嬉しそうに破顔した。
「先生に見つからないようにね」
紫雨は悪戯な笑みを浮かべると、沙希も釣られて笑った。
そこで昼休み終了の予鈴のチャイムが鳴った。
「あ、そろそろ昼休みが終わりだな」
チャイムの音を聴きながら紫雨が言う。
「ホントですね」
時間に気づいた沙希は、ああ、もっと話したかったのに思い、名残惜しかった。
でも、来週の木曜日にはまた屋上で紫雨に会える。
その時は、漫画の感想を語り合いたいと思った。
一つの楽しみができたことで、期末テストの憂鬱な気分が吹き飛び、沙希は俄然やる気が出たのだった。
✿ ✿ ✿
終業のチャイムが校内に鳴り響く。
馴染みのある挨拶が終わると、帰り支度をした生徒たちは家路か、教室に残って友人同士で会話をするなどで、それぞれ放課後を過ごし始めた。
その中で、沙希は鞄を肩に掛け、教室を後にした。
(莉央は早々と保健室に行っちゃったな……)
いつもなら一緒に帰るはずだが、莉央は保健室で休んでいる喜世のお見舞いに行っていた。
沙希は一階の廊下を歩きながら、自分もお見舞いに保健室へ寄ろうかと考えた。
しかし、いきなり押しかけるのも悪い気がして、保健室の方向へ歩いていた足を昇降口へと向けた。
✿ ✿ ✿
外へ出ると、いつの間にか雨が降っていた。
乾いていた地面は黒く濡れ、周りは降雨の音で溢れている。
(傘持ってきてよかった……)
沙希は手にしていた傘を差し、校門を出た。
いつも通りの家路を辿っていくと、見慣れた公園が見えた。
「え?」
何気なく公園に目をやると、沙希は思わずと言った声を上げた。
なぜなら、屋根付きのベンチに紫雨が座っていたからだ。
同じく紫雨もフェンスの向こうにいる沙希に気づいたようで「あ……」と声を上げた。
気になった沙希はフェンスを通り抜け、ベンチのいる紫雨に近づいて行く。
「西山さん、今帰り?」
「はい。先輩もですか?」
「うん……。帰る途中雨が降ってきてさ……止むまで雨宿りしてるんだ」
言葉と様子からして、紫雨は傘を持っていないのだと沙希は察した。
よく見ると、髪と制服が濡れていることに気づいた沙希は、鞄からハンカチを取り出し、紫雨に差し出す。
「先輩、ハンカチ使ってください。鞄に入れてて、濡れてませんから」
「俺はそんなに濡れていないから平気だよ」
「でも……」
と、その時。
軽く濡れた紫雨の姿と屋根の向こうで降り続けている雨が何かとだぶる。
「――!」
まただ。
一瞬沙希の中で小さな引っ掛かりを覚えたが、すぐに雨の音で打ち消されてしまった。
「俺のことは気にしなくていいから。にわか雨だし、すぐに止むよ」
「…………」
紫雨にそう言われ、お人好しな沙希は心配になった。
でも、先ほどより雨が弱くなっており、数分したら止む気がした。
「それじゃあ、また学校で……」
沙希は何もできず、申し訳なさそうな感情を含んで言った。
「うん。またね」
と、紫雨が手を振って返す。
沙希も釣られるまま手を振って返す。
そして、踵を返し、公園の出入り口に向かった。
「?」
気になって振り返った沙希は、紫雨の背後を通り越した先に紫陽花が咲いているのを見つけた。
無数の青紫の花弁に雨が打たれて、雨粒がツーッと葉に伝って落ちる。
六月の梅雨時期にぴったりな紫陽花の美しさに見入っていると、屋根の向こうで降り続いている雨を憂いな目で眺める紫雨の横顔が視界に入る。
(綺麗だな……)
沙希は素直にそう思った。
透き通るような肌に、雨風に揺れる髪。
濡れた肌に雨粒が伝っていて、まるで雨粒を纏う紫陽花に似ているように感じた。
「……?」
沙希は妙な蟠りを残したまま公園を後にしたのだった。
✿ ✿ ✿
沙希が立ち去ってから数分経つと、地面に降り注いでいた雨の音が止み、空を覆っていた灰色の雲が晴れる。
紫雨はベンチから立ち上がり、公園を出た。
特に目的もなく歩いていると、人気のない細い路地裏に踏み込んだ。
建物の陰のせいか薄暗く、周囲を不気味に際立たせていた。
「はい……順調に進んでます」
紫雨はスマホを耳に当て、誰かと話している様子だった。
敬語で話していることは、フランクで話せる相手ではないのだろう。
先ほどまでの穏やかに満ちた声とはかけ離れ、夜の静寂に包まれたような声音へと変わっていた。
「わかりました。それじゃあ……」
失礼しました、と通話を切ると、紫雨は丁度高層ビルの工事現場裏に出た。
「あがっ……!」
突然、人の苦悶な声が聞こえた。
その声に紫雨は驚いてスマホから視線を上げた。
視界の先に柄の悪い二人の男たちが、取り囲んでいる男に向かって、一方的に暴力を繰り返していた。
「わ! こいつすげぇ金持ってるぞ!」
「ラッキーだな!」
二人の男は倒れている男を無視し、彼が所持している鞄から財布を抜き取った。
(すごいタイミング……)
と、紫雨はこんな状況に出くわしているのに驚きもせず、淡々とした態度だった。
「あ?」
ようやく紫雨の存在に気づいたのか、夢中で金を数えている二人の男がこちらを向いた。
「ヤベェ……」
「おい、行こうぜ」
紫雨に現場を目撃され、手に持っているスマホで警察を呼んだと思い込んだのか、二人の男は横たわる彼を置いて、その場から一目散に逃げ出した。
(スマホって便利……色んな意味で)
紫雨は呑気にそう思いながら、土で服が薄黒く汚れた彼に歩み寄り、向かい合う形で屈んだ。
彼は気を失っているようだった。
紫雨は慌てて声を掛けるわけでもなく、無表情に見下ろしていた。
「理性が必死に押さえてるけど……君があの二人に対する殺意が滲み出てるね」
思いも寄らない言葉を彼に呟くと、紫雨の五本爪が鋭く変異した。
そのまま紫雨は拳を握り締めると鉤爪が掌に突き刺さり、指先から赤黒い血が伝うと彼の頬に滴り落ちる。
すると、彼の全身から黒い霧が放たれ、逃げた男二人の道のりの方へ向かった。
黒い霧が紫雨の視界から消え、数秒も立たないうちに、すぐ近くから耳を劈くような衝撃音と人の叫喚が響き渡ったのだ。
「全治六ヶ月ってとこかな……」
紫雨は痛がる様子もなく、自分の血で濡れた手を見て、ふと呟いた。
「潮時かな……」
自らつけた手の平の傷は、瞬く間に塞がっていた。
✿ ✿ ✿
「ただいまー」
アパートに到着すると、室内は電気が点いてなく静かだった。
「風夜ー、いないの?」
リビングに向かうと、四足獣姿でカーペットの上で丸くなっている風夜がいた。
寝ていると気づいた沙希は台所に向かい、風夜に作り置きした昼食を食べたか確認しようと冷蔵庫を開けた。
「あ、食べたんだね」
流し台を見ると、綺麗に洗浄した食器が丁寧に水切りバスケットの上に干されていた。
「お、〝鬼●の刃〟の最新刊じゃん」
振り返ると、起きた風夜が人型に戻り、ソファの上で寝転がって、紫雨から借りた漫画を読んでいる。
「前巻は気になるところで終わったんだよな」
「あー、私が最初に読もうと思ってたのに……」
「いいだろ、減るもんじゃねぇし」
「それ、人から借りた物だから汚さないでよ……」
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リモコンでチャンネルを切り替えてみるが、特に沙希が見たいものはやっていなかった。
「面白い番組やってないな……」
沙希は最初の映し出された夕方のニュース番組に切り替える。
そこで、臨時ニュースが速報された。
〈速報です。都内で建設中のビルから鉄骨が落下し、下にいた男性二人が下敷きになりました。彼らは救助された後、病院に搬送されましたが意識不明の重体です――〉
女性のアナウンスが事件の内容を淡々と読み上げていた。
「あー……夕飯に使える材料ないなぁ……」
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クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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