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第四章 呪いの体育館
第十四話 旧校舎
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終業のチャイムが鳴ると、生徒たちは席を立ち上がる。
「起立。礼」
さようならー! と周囲の生徒たちは一斉に頭を下げる。
毎度の号令の挨拶を終えると、職員会議がある河野は出席簿を持ち、早足で教室を出た。
一日の授業が終わると、教室は解放感で賑やかな声が広がる。
生徒たちは早々に帰り支度を終えると、それぞれ部活や家路、遊びなどの目的を持って教室を出て行った。
(早く旧校舎に行って、用事を済ませよう……)
沙希は鞄を手に取ると、憂鬱な気分で教室を出る。
「あれ、沙希。どこに行くの?」
「莉央」
廊下を歩くと、ロール状に畳んだ空手着を肩に掛けた莉央の姿があった。
昇降口の反対方向に行っている沙希を見て不思議に思ったのか、莉央はそれで呼び止めたらしい。
「よ! こんなところで女子トークか?」
そこへ、隆の陽気な声が響いた。
「何だ何だ~? 恋バナか?」
「違うよ。沙希がどこに行くのかって話していたところ」
「ふーん。で、沙希はどこに行くつもりなんだ?」
隆も会話に加わり、沙希に問い掛ける。
「ハルちゃんに用事を頼まれて、これから旧校舎に行くところ」
「旧校舎に⁉︎」
「というか、よく引き受けたね……」
〝旧校舎〟という単語に、隆と莉央は驚いて目を見開く。
(まあ……半ば強制的に頼まれたんだよね)
二人が驚くのは至極当然だ。
あのオカルト的に噂になっている旧校舎に行く者は早々にいないのだから。
「沙希、一人で大丈夫? あの旧校舎……心霊だけじゃなくて、ガラの悪い生徒の溜まり場になってるって噂があるし……」
「大丈夫だって、旧校舎にある物を取って来るだけなんだからさ」
「なら、いいんだけど……」
「って……莉央、もう部活に行った方がいいんじゃない?」
沙希は莉央の肩に掛けている空手着に指差す。
「あ、ホントだ! じゃあ、あたし行くね!」
踵を返す直前に莉央は二人に手を振ると、沙希が向かう反対の廊下を駆け走る。
走って行く莉央の背中を見送ると、隆はすぐ沙希に視線を戻して口を開く。
「沙希。旧校舎がどんな感じだったか教えてくれよ。あ、できれば写メとか……」
「じゃあ、隆も一緒に来る? 生で見られるよ」
沙希がそう提案するが。
「行きたいけど、俺今日、歯医者だからな……」
「あ、そう言えば、今日だったね」
「そうそう。じゃあ明日、旧校舎の感想聞かせてくれよ」
「うん。バイバイ」
「またな」
お互いに手を振って別れ、左右別の廊下を歩くのだった。
✿ ✿ ✿
旧校舎に到着する。
昼間とは違い、敷地に日が差し込んでおらず、周囲の木の影に覆いつくされていた。
旧校舎は立入禁止とされていると思っていたが、鍵は掛かってなく、すんなり入れた。
電灯がついていないため、校舎の中は薄暗かった。
時より板張りの廊下がギシ……と軋み、沙希は鳥肌が立つ。
(怖いな……)
旧校舎は沙希以外誰もいなく、静寂で余計に不気味さが増す。
進んだ先に階段を見つけ、沙希は二階へ上る。
足の重みに階段の一段一段の軋みに身を縮こませていると、目の前に〝理科準備室〟と書かれたプレートがぶら下がっているのが見えた。
「ここか……」
木製の扉に鍵を差し込んで回す。
カチャと開く音が聞こえると、沙希は取っ手に手を掛ける。
立て付けが悪くなっているのかガタガタと騒がしい音をさせながら開いた。
「うわ……」
中に入ると、長年使われていないせいか機材に埃が被っており、壁には蜘蛛の巣が張っていた。
床には、積み上げていたであろうプリントや資料などが倒れて散らばっていた。
「これと……あとはこれだね」
沙希はメモに書かれている物に目を通しながら、棚に並んでいる試験管とビーカー、アルコールランプを白いプラスチックのかごに入れていく。
途中、瓶の中でホルマリン漬けにされている爬虫類や両生類などの標本と目が合ったが、沙希は不快そうに目を逸らした。
「よし、これで全部……」
頼まれていた物が揃い、沙希は理科準備室を後にする。
割れ物が入っているため、慎重にかごを持ち運ぶ。
何事もなく用事が済み、沙希は拍子抜けした気分で一階を下りる。
通って来た廊下に戻ると、昇降口が見えた。
靴箱付近で段差になっているところで足を踏み下ろす。
そこで、丁度死角になっていた廊下の窓から西日が差し込み、沙希は眩しそうに目を細める。
「ん?」
西日の差し込む廊下に視線を向けると、奥の方から両開きの木製の扉が全開になっているのが見えた。
開いた先には、屋根付き板張りの渡り廊下の光景があった。
「…………」
沙希は昇降口の方角ではなく、渡り廊下の方に足を向けていた。
先ほどまで抱いていた恐怖心などなく、いつの間にか鉄扉の前に辿り着いた。
「ここって、もしかして……体育館?」
鉄扉の窓からぼんやりと見える光景に、沙希は納得する。
早く旧校舎を出て、用事を済ませて帰ろうと思ったはずが、沙希は荷物の持っていない反対の手で冷たい鉄扉に触れる。
そして、ギィ……と重たい音を立てながら開けた。
沙希の体は、体育館へ吸い寄せられるように入って行く。
✿ ✿ ✿
中に入ると、だだっ広い体育館の周辺が視界に入る。
左右の窓から差し込む西日が体育館を夕日色に染めている。
てっきり床の所々に穴が開いていて、埃まみれの舞台を想像していたが、さほど散らかってはいなかった。
「?」
右に視線を向けると、壁に僅かに開いている両開きの扉があった。
体育館だから、競技に使う物がある倉庫だと想像つく。
(何だろう……この感じ)
周りを見れば、昔使われていた体育館だと感じられる。
しかし、沙希の視界の先に倉庫と思われる両開きの扉から歪なようなものを感じた。
「…………」
黒い隙間から漂って来るその異様な雰囲気に、早くここから出ろ、と沙希の第六感が叫んでいる。
だが、意思とは正反対に沙希の足は一歩一歩、倉庫に近づいて行く。
好奇心とは違う感情。
まるで、何かに誘い込まれる不思議な感覚を覚えながら、倉庫の扉に辿り着く。
まだ開けてもいないのにひんやりとした空気が沙希の肌を伝う。
嫌な想像が頭の中を駆け巡り、身震いしてしまう。
沙希は幽霊や怪奇現象など信じてるわけではないが、何せ自分が立っている場所が怪談で噂になっている敷地の中にいるのだから。
(大丈夫……もし何か出たら逃げればいいんだし……)
ここまで来て引き返すのは、どうも後味が悪い。
沙希は恐怖を押し殺し、引き戸の縁に手を添える。
心の準備がまだできていないため、開ける勇気が出るのに少し時間が掛かった。
誰もいない体育館の中、沙希の心臓の音がうるさい。
そして、ようやく決心がついた沙希は、引き戸に添えていた手に力を込める。
「っ……!」
バンッと勢いよく引き戸を開けると同時に、沙希は目を閉じる。
「……?」
数秒経つと、倉庫から何も気配を感じないとわかり、沙希はうっすらと瞼を上げる。
視界に映ったのは、競技に使うボールや卓球台などが棚に並んでいた。
「何も……いないよね」
沙希は倉庫に身を乗り出し、中を見回す。
(よかった……何もいない。でも、さっきの一体何だったんだろう……)
疑問を残したまま、沙希は倉庫を出ようと振り返ろうとした時だった。
トンッ
「っ……!」
突然、後ろから肩を叩かれ、沙希は吃驚してびくっ身体が跳ねる。
両手で抱えていたかごの中に入っている実験道具が振動でカチャンと軽く音を立てる。
「あ、ごめん。驚かせたかな?」
「え?」
柔らかい声にゆっくり振り向く。
背後にいたのが人間だとわかると、沙希はホッと息を吐く。
(あれ、この人……)
そこに立っていたのは、沙希が体育の時間に出会った男子生徒だった。
沙希は彼の上履きに目が行く。
彼の上履きの色は緑。
沙希の学校は、一年生は赤、二年生は緑、三年生は青と分けられている。
上履きの色からして、彼は二年生ということで間違いない。
(というか……この人。いつからいたのかな?)
倉庫から出入口までそんなに離れていない。
誰かが入って来ても、鉄扉の開く音で気づくはずだ。
「ごめんね。俺、君に何度も声掛けたんだけど、聞こえてないみたいだからさ……。あはは、返って驚かせたみたいだな」
申し訳なさそうに説明する彼は、自分の頭を撫でる。
(あー、なるほど)
その説明を聞いて、沙希は納得する。
「そう言えば、少し前に会った、よね?」
彼は沙希と旧校舎裏で出会っていたことに気づく。
「あ、はい。どうも……」
沙希はそれだけ発した。
他学年だとはいえ、沙希より一つ上の先輩。
彼の大人っぽい雰囲気に緊張を覚えてしまう。
「やっぱり! よかった……もし、違ってたらどうしようって思ってたからさ」
彼は安堵の表情を浮かべる。
その笑顔に沙希の緊張はいつの間にか解け、思わず頬が緩んでしまう。
✿ ✿ ✿
「へぇー、先輩は、今月転校して来たんですか」
気づけば、沙希は名前の知らない先輩と打ち解け合っていた。
初めて会う先輩なのに、沙希は彼と隣同士で壁に寄り掛かって座り、自然と会話をしていた。
「そう言えば、気になっていたんですけど……何で旧校舎なんかに?」
「……転校して来たばかりで、まだ教室には慣れなくてさ。ここだと、人もあんまり来ないから落ち着くんだ」
「ああ、わかります。実は、私も転校経験があるんです。新しい教室は、知らない子たちばっかりで、心細くて落ち着きませんでしたよ」
話を聞くと、彼は転校して来た初日、慣れない教室の空間に居心地悪さを感じ、時よりこの場所で授業をサボっているのだと話した。
それを聞いて、沙希はどうして授業中に彼が旧校舎裏にいたのか得心した。
「でも、この旧校舎、結構怖い噂があるのを知っていますか?」
「知ってるよ。幽霊が出るんでしょ」
「はい。友達から聞いたんですけど、この旧校舎の近くに墓場があるんですよ……。墓場が近くにある建物って、いかにも幽霊が出るって感じじゃないですか。先輩は、怖くないんですか?」
「んー、俺はそういうの、あんまり信じてないからな。それに、墓場なら亡くなった人が成仏されているってことだから、俺からしたらただの噂だと思うんだ」
「あ、言われてみれば確かに……」
彼の言葉に、妙に納得してしまう沙希。
「…………」
沙希はそっと彼の横顔を見た。
改めて見ると、彼はまるで陶器の人形みたいに綺麗な顔立ちをしていた。
透き通るような青白い肌、制服を着ていてもわかるスラッとした細身の体型。
(初めて会った時にも思ったけど、本当に綺麗な人だな……。こういう人が校内を歩いていたら、周りの女子は放ってはおかないだろうな……)
〝綺麗〟なんて言葉は、男性には似合わない表現だが、その美貌に沙希はうっとり見惚れてしまう。
そこで、俯いていた彼はハッと閃いた顔で上げた。
「そう言えば、まだ名前言ってなかったね。俺は、霧生紫雨。君は?」
唐突に自己紹介され、沙希は慌てた様子で口を訊く。
「霧生先輩、ですね。私は西山です。西山沙希です」
軽く会釈する沙希。
「……西山さん、だね」
「……?」
一瞬、紫雨が驚いた顔をしていたように見えた。
見間違いなのか、あるいは気のせいか。
沙希は自分の自己紹介で何かまずかったのかと考え、発言を思い返すがどこもおかしなところはない。
「霧生先輩?」
しかし、その疑念はすぐに薄れ、沙希は紫雨に声を掛けた。
「あ……」
ぼんやりしていた紫雨の瞳に光が宿る。
「大丈夫ですか? もしかして、具合悪いんじゃ……」
「あ、ううん、大丈夫! ちょっと、ボーッとしちゃって」
「そうですか……」
それを聞いて、沙希は安堵する。
すると、少し離れたところからチャイムが微かに聞こえた。
おそらく新校舎から最終下校を知らせるチャイムだろう。
「起立。礼」
さようならー! と周囲の生徒たちは一斉に頭を下げる。
毎度の号令の挨拶を終えると、職員会議がある河野は出席簿を持ち、早足で教室を出た。
一日の授業が終わると、教室は解放感で賑やかな声が広がる。
生徒たちは早々に帰り支度を終えると、それぞれ部活や家路、遊びなどの目的を持って教室を出て行った。
(早く旧校舎に行って、用事を済ませよう……)
沙希は鞄を手に取ると、憂鬱な気分で教室を出る。
「あれ、沙希。どこに行くの?」
「莉央」
廊下を歩くと、ロール状に畳んだ空手着を肩に掛けた莉央の姿があった。
昇降口の反対方向に行っている沙希を見て不思議に思ったのか、莉央はそれで呼び止めたらしい。
「よ! こんなところで女子トークか?」
そこへ、隆の陽気な声が響いた。
「何だ何だ~? 恋バナか?」
「違うよ。沙希がどこに行くのかって話していたところ」
「ふーん。で、沙希はどこに行くつもりなんだ?」
隆も会話に加わり、沙希に問い掛ける。
「ハルちゃんに用事を頼まれて、これから旧校舎に行くところ」
「旧校舎に⁉︎」
「というか、よく引き受けたね……」
〝旧校舎〟という単語に、隆と莉央は驚いて目を見開く。
(まあ……半ば強制的に頼まれたんだよね)
二人が驚くのは至極当然だ。
あのオカルト的に噂になっている旧校舎に行く者は早々にいないのだから。
「沙希、一人で大丈夫? あの旧校舎……心霊だけじゃなくて、ガラの悪い生徒の溜まり場になってるって噂があるし……」
「大丈夫だって、旧校舎にある物を取って来るだけなんだからさ」
「なら、いいんだけど……」
「って……莉央、もう部活に行った方がいいんじゃない?」
沙希は莉央の肩に掛けている空手着に指差す。
「あ、ホントだ! じゃあ、あたし行くね!」
踵を返す直前に莉央は二人に手を振ると、沙希が向かう反対の廊下を駆け走る。
走って行く莉央の背中を見送ると、隆はすぐ沙希に視線を戻して口を開く。
「沙希。旧校舎がどんな感じだったか教えてくれよ。あ、できれば写メとか……」
「じゃあ、隆も一緒に来る? 生で見られるよ」
沙希がそう提案するが。
「行きたいけど、俺今日、歯医者だからな……」
「あ、そう言えば、今日だったね」
「そうそう。じゃあ明日、旧校舎の感想聞かせてくれよ」
「うん。バイバイ」
「またな」
お互いに手を振って別れ、左右別の廊下を歩くのだった。
✿ ✿ ✿
旧校舎に到着する。
昼間とは違い、敷地に日が差し込んでおらず、周囲の木の影に覆いつくされていた。
旧校舎は立入禁止とされていると思っていたが、鍵は掛かってなく、すんなり入れた。
電灯がついていないため、校舎の中は薄暗かった。
時より板張りの廊下がギシ……と軋み、沙希は鳥肌が立つ。
(怖いな……)
旧校舎は沙希以外誰もいなく、静寂で余計に不気味さが増す。
進んだ先に階段を見つけ、沙希は二階へ上る。
足の重みに階段の一段一段の軋みに身を縮こませていると、目の前に〝理科準備室〟と書かれたプレートがぶら下がっているのが見えた。
「ここか……」
木製の扉に鍵を差し込んで回す。
カチャと開く音が聞こえると、沙希は取っ手に手を掛ける。
立て付けが悪くなっているのかガタガタと騒がしい音をさせながら開いた。
「うわ……」
中に入ると、長年使われていないせいか機材に埃が被っており、壁には蜘蛛の巣が張っていた。
床には、積み上げていたであろうプリントや資料などが倒れて散らばっていた。
「これと……あとはこれだね」
沙希はメモに書かれている物に目を通しながら、棚に並んでいる試験管とビーカー、アルコールランプを白いプラスチックのかごに入れていく。
途中、瓶の中でホルマリン漬けにされている爬虫類や両生類などの標本と目が合ったが、沙希は不快そうに目を逸らした。
「よし、これで全部……」
頼まれていた物が揃い、沙希は理科準備室を後にする。
割れ物が入っているため、慎重にかごを持ち運ぶ。
何事もなく用事が済み、沙希は拍子抜けした気分で一階を下りる。
通って来た廊下に戻ると、昇降口が見えた。
靴箱付近で段差になっているところで足を踏み下ろす。
そこで、丁度死角になっていた廊下の窓から西日が差し込み、沙希は眩しそうに目を細める。
「ん?」
西日の差し込む廊下に視線を向けると、奥の方から両開きの木製の扉が全開になっているのが見えた。
開いた先には、屋根付き板張りの渡り廊下の光景があった。
「…………」
沙希は昇降口の方角ではなく、渡り廊下の方に足を向けていた。
先ほどまで抱いていた恐怖心などなく、いつの間にか鉄扉の前に辿り着いた。
「ここって、もしかして……体育館?」
鉄扉の窓からぼんやりと見える光景に、沙希は納得する。
早く旧校舎を出て、用事を済ませて帰ろうと思ったはずが、沙希は荷物の持っていない反対の手で冷たい鉄扉に触れる。
そして、ギィ……と重たい音を立てながら開けた。
沙希の体は、体育館へ吸い寄せられるように入って行く。
✿ ✿ ✿
中に入ると、だだっ広い体育館の周辺が視界に入る。
左右の窓から差し込む西日が体育館を夕日色に染めている。
てっきり床の所々に穴が開いていて、埃まみれの舞台を想像していたが、さほど散らかってはいなかった。
「?」
右に視線を向けると、壁に僅かに開いている両開きの扉があった。
体育館だから、競技に使う物がある倉庫だと想像つく。
(何だろう……この感じ)
周りを見れば、昔使われていた体育館だと感じられる。
しかし、沙希の視界の先に倉庫と思われる両開きの扉から歪なようなものを感じた。
「…………」
黒い隙間から漂って来るその異様な雰囲気に、早くここから出ろ、と沙希の第六感が叫んでいる。
だが、意思とは正反対に沙希の足は一歩一歩、倉庫に近づいて行く。
好奇心とは違う感情。
まるで、何かに誘い込まれる不思議な感覚を覚えながら、倉庫の扉に辿り着く。
まだ開けてもいないのにひんやりとした空気が沙希の肌を伝う。
嫌な想像が頭の中を駆け巡り、身震いしてしまう。
沙希は幽霊や怪奇現象など信じてるわけではないが、何せ自分が立っている場所が怪談で噂になっている敷地の中にいるのだから。
(大丈夫……もし何か出たら逃げればいいんだし……)
ここまで来て引き返すのは、どうも後味が悪い。
沙希は恐怖を押し殺し、引き戸の縁に手を添える。
心の準備がまだできていないため、開ける勇気が出るのに少し時間が掛かった。
誰もいない体育館の中、沙希の心臓の音がうるさい。
そして、ようやく決心がついた沙希は、引き戸に添えていた手に力を込める。
「っ……!」
バンッと勢いよく引き戸を開けると同時に、沙希は目を閉じる。
「……?」
数秒経つと、倉庫から何も気配を感じないとわかり、沙希はうっすらと瞼を上げる。
視界に映ったのは、競技に使うボールや卓球台などが棚に並んでいた。
「何も……いないよね」
沙希は倉庫に身を乗り出し、中を見回す。
(よかった……何もいない。でも、さっきの一体何だったんだろう……)
疑問を残したまま、沙希は倉庫を出ようと振り返ろうとした時だった。
トンッ
「っ……!」
突然、後ろから肩を叩かれ、沙希は吃驚してびくっ身体が跳ねる。
両手で抱えていたかごの中に入っている実験道具が振動でカチャンと軽く音を立てる。
「あ、ごめん。驚かせたかな?」
「え?」
柔らかい声にゆっくり振り向く。
背後にいたのが人間だとわかると、沙希はホッと息を吐く。
(あれ、この人……)
そこに立っていたのは、沙希が体育の時間に出会った男子生徒だった。
沙希は彼の上履きに目が行く。
彼の上履きの色は緑。
沙希の学校は、一年生は赤、二年生は緑、三年生は青と分けられている。
上履きの色からして、彼は二年生ということで間違いない。
(というか……この人。いつからいたのかな?)
倉庫から出入口までそんなに離れていない。
誰かが入って来ても、鉄扉の開く音で気づくはずだ。
「ごめんね。俺、君に何度も声掛けたんだけど、聞こえてないみたいだからさ……。あはは、返って驚かせたみたいだな」
申し訳なさそうに説明する彼は、自分の頭を撫でる。
(あー、なるほど)
その説明を聞いて、沙希は納得する。
「そう言えば、少し前に会った、よね?」
彼は沙希と旧校舎裏で出会っていたことに気づく。
「あ、はい。どうも……」
沙希はそれだけ発した。
他学年だとはいえ、沙希より一つ上の先輩。
彼の大人っぽい雰囲気に緊張を覚えてしまう。
「やっぱり! よかった……もし、違ってたらどうしようって思ってたからさ」
彼は安堵の表情を浮かべる。
その笑顔に沙希の緊張はいつの間にか解け、思わず頬が緩んでしまう。
✿ ✿ ✿
「へぇー、先輩は、今月転校して来たんですか」
気づけば、沙希は名前の知らない先輩と打ち解け合っていた。
初めて会う先輩なのに、沙希は彼と隣同士で壁に寄り掛かって座り、自然と会話をしていた。
「そう言えば、気になっていたんですけど……何で旧校舎なんかに?」
「……転校して来たばかりで、まだ教室には慣れなくてさ。ここだと、人もあんまり来ないから落ち着くんだ」
「ああ、わかります。実は、私も転校経験があるんです。新しい教室は、知らない子たちばっかりで、心細くて落ち着きませんでしたよ」
話を聞くと、彼は転校して来た初日、慣れない教室の空間に居心地悪さを感じ、時よりこの場所で授業をサボっているのだと話した。
それを聞いて、沙希はどうして授業中に彼が旧校舎裏にいたのか得心した。
「でも、この旧校舎、結構怖い噂があるのを知っていますか?」
「知ってるよ。幽霊が出るんでしょ」
「はい。友達から聞いたんですけど、この旧校舎の近くに墓場があるんですよ……。墓場が近くにある建物って、いかにも幽霊が出るって感じじゃないですか。先輩は、怖くないんですか?」
「んー、俺はそういうの、あんまり信じてないからな。それに、墓場なら亡くなった人が成仏されているってことだから、俺からしたらただの噂だと思うんだ」
「あ、言われてみれば確かに……」
彼の言葉に、妙に納得してしまう沙希。
「…………」
沙希はそっと彼の横顔を見た。
改めて見ると、彼はまるで陶器の人形みたいに綺麗な顔立ちをしていた。
透き通るような青白い肌、制服を着ていてもわかるスラッとした細身の体型。
(初めて会った時にも思ったけど、本当に綺麗な人だな……。こういう人が校内を歩いていたら、周りの女子は放ってはおかないだろうな……)
〝綺麗〟なんて言葉は、男性には似合わない表現だが、その美貌に沙希はうっとり見惚れてしまう。
そこで、俯いていた彼はハッと閃いた顔で上げた。
「そう言えば、まだ名前言ってなかったね。俺は、霧生紫雨。君は?」
唐突に自己紹介され、沙希は慌てた様子で口を訊く。
「霧生先輩、ですね。私は西山です。西山沙希です」
軽く会釈する沙希。
「……西山さん、だね」
「……?」
一瞬、紫雨が驚いた顔をしていたように見えた。
見間違いなのか、あるいは気のせいか。
沙希は自分の自己紹介で何かまずかったのかと考え、発言を思い返すがどこもおかしなところはない。
「霧生先輩?」
しかし、その疑念はすぐに薄れ、沙希は紫雨に声を掛けた。
「あ……」
ぼんやりしていた紫雨の瞳に光が宿る。
「大丈夫ですか? もしかして、具合悪いんじゃ……」
「あ、ううん、大丈夫! ちょっと、ボーッとしちゃって」
「そうですか……」
それを聞いて、沙希は安堵する。
すると、少し離れたところからチャイムが微かに聞こえた。
おそらく新校舎から最終下校を知らせるチャイムだろう。
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しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
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突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
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命日の夏に、私たちは出会った。
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名は、桜下。
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斉天大聖の命日である斉天祭で、彼らは巡り会う。
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彼らの運命が交差し、明けない夜空に一縷の光を灯す。
※毎月16日更新中(現在本編投稿休止中、2025年6月より2章開始予定)
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