浮帽子

坂水

文字の大きさ
上 下
6 / 12

第6話

しおりを挟む

 秋が深まると、洗濯して繕っておいた紺色のスモックにアイロンをかけ、マフラーや手袋などの防寒具も購入した。まだ早いだろうと思いつつも、休日に買物に出掛けるともう冬物が並べられており、子供用のそれを見るとついつい手にとってしまう。
 仙道先生から亡くなった女の子の話を聞き、また運動会のバツの悪い思いがあって以来、私は際限なくゆうのための物品を買い求めていた。もちろん、あまり大きなおもちゃや隠せない量は園に持ち込めないから自重しているのだが、街で見かけるたびに買ってしまう。気付けば、倉庫の奥にひそかに設けたゆう専用の収納スペースは満杯になっており、いくらかを周期的に自宅に持ち帰ることになるのだった。
 ゆうはそんな私に嬉しがっているようでも、戸惑っているようでもあった。並べられたたくさんのおもちゃを前に、むしろ途方に暮れているようで、私はますます憐憫と愛おしさを膨れ上がらせた。
 そして、ゆうのおかげというべきか、運動会以来、保育士の先生たちと私の距離は、ほんの少しではあるが縮まったようだった。子どもに積極的にふれはしないが行事に熱心に取り組んだことで、園の一員として認められたのかもしれない。認められれば大っぴらに園内を闊歩でき、ゆう専用スペースを確保するのも難しくなく、堂々としていれば案外不審に思われないようでもあった。
 冬が到来し、クリスマス会が催された日、一日だけは電飾が点けっぱなしにしてあるクリスマスツリーの下で、ゆうとプレゼント交換をした。ゆうは折り紙と絵を組み合わせた作品を、私は温かそうな茶色のコートとぬいぐるみを。
 金や銀に塗られた松ぼっくり。年季の入ったサンタクロースの人形。赤、青、緑、桃と安っぽい色の電飾に彩られた組立式のツリーは、私が子ども時代に見たそれと大して変わりなく、ちゃちな代物だ。なんとはなしに、遙か昔に通いつめていた駄菓子屋さんの軒先を思い起こさせる色合いでもある。それでも照明を落とした玄関フロアで静かに明滅するツリーはそれなりに神聖に感じられるから不思議だった。それは繋いだ手の先に、小さくも温かな存在がいるからなのかもしれない。カラフルな光に滲む黄色い帽子を見下ろしながら思う。
 世間一般で言う幸せとは、このぬくもりを指すのかもしれない、と遅まきながら――本当に遅まきながら、私はぼんやりと気付き初めていたのだった。

 年の瀬近くなり、働く保護者から子どもを預かる保育園も年末年始は休みに入る。ゆうをひとりぼっちにするのは心苦しかったが、本人の聞き分けは良かった。休みに入ると話してもこっくりと帽子の下で頷くのみ。もっとも、ゆうは園生活においては、私よりも長く、先輩である。分かり切ったことなのだろう。そう理解していても、しばらく会えないと言っているのに、あまり寂しがってくれない恋人みたいで、複雑な心持ちがした。
 けれど、聞き分けの良さは、彼女自身の処世術なのかもしれない。仙道先生の話が頭を過ぎり、休み中、何度か園に足を運ぼうと決め、ゆうにもそう伝えた。鉄柵の門扉ごしの逢瀬になってしまうが、まったく会えないよりはましだ。

 しかし、結局、私は休み中に一度も園を訪れなかった。折り悪くインフルエンザに罹ってしまったのだ。その上、気管支炎を併発してしまい、とても外出できなかった。
 熱に浮かされた中、私はたびたび夢を見た。内容はあまり覚えていないが、いつもどこかをゆっくりと歩いていた気がする。公園だったり、ショッピングセンターだったり、駅までの道のりだったり。手を繋ぎ隣を歩く子の髪が揺れて、飛翔するツバメのようなシルエットをかたどる。ああ、帽子を被っていないんだ。だから、こちらを見上げる彼女の表情もよくわかる。私と彼女は視線が合うたび、微笑み合うのだ。
 
 彼女。そう、彼女だ。とても大事なこの子の名前が、夢の中で、私はどうしても思い出せなかった。歩きながら、微笑みながら、おしゃべりしながら、頭の片隅で考えるのだけれど、わからない。彼女といるのは嬉しく、楽しく、あたたかい。だのに、どうしてか、うすら寒さが残る――

 目が覚めた時、隣に誰もいないことを不思議に思った。隣で丸まって眠っているはずの小さな塊がいない。一体、どこに行ってしまったのだろう、一人でトイレに行けただろうか。先に目覚めて、テレビでも観ているのか。そうそう、日曜のこの時間は女の子アニメがやってるから。それともこっそりお菓子箱を覗いているかな。子どもの頃の自分が、早起きしたお休みの日、二段ベッドの上の兄とこっそりキャラメルを舐めていたように……
 ちょっとの間考え、ようよう夢を見ていたのだと思い当たる。それから夢で見たあの子の顔を思い出そうとするのだけれど、はかなく溶けた砂糖菓子のように再現することはかなわない。ただただ、甘い印象だけが舌先に残るばかりだった。

 年明けの開園初日、まだ空気がきぃんと冷たい中、誰も来ていない事務室に飛び込んだ。朝の日射しに白い吐息が立ち昇る部屋に、ゆうの姿は見当たらず、しばらく待っても現れなかった。早くしないと他の職員が来てしまう。焦れる私にけれど彼女はやって来ない。八時前、事務室の窓が外から遠慮がちに叩かれて、ガラス窓越しにほの光る黄色い帽子を見つけた。けれどその頃には、園児の戸外受け入れが始まり、ゆうは他の子にまぎれて園庭へ遊びに行ってしまった。
 息急き切って出勤した身としては、ゆうの普段と変わらぬ様子に安堵しつつも、ほんの少し落胆してしまった。クリスマスにプレゼントした茶色いコートを着ていなかったことも、私を少し落胆させる。
 今時の子には地味な色合いだったかもしれない。欲しいものをきちんとヒアリングするべきだったのかも。そもそも、子どもにとってクリスマスプレゼントとはサンタクロースが靴下の中に入れておくべき贈り物であって、プレゼント交換なんて野暮だった……溜まってしまった事務仕事を慌しく処理しながらつらつらと物思いに耽っていた。

 的外れな心配は、結局のところ、心の奥底にあった罪悪感を上書きする心理作用にほかならない。ほんの数か月の後、私は自身の迂闊さを呪うことになる。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鈴ノ宮恋愛奇譚

麻竹
ホラー
霊感少年と平凡な少女との涙と感動のホラーラブコメディー・・・・かも。 第一章【きっかけ】 容姿端麗、冷静沈着、学校内では人気NO.1の鈴宮 兇。彼がひょんな場所で出会ったのはクラスメートの那々瀬 北斗だった。しかし北斗は・・・・。 -------------------------------------------------------------------------------- 恋愛要素多め、ホラー要素ありますが、作者がチキンなため大して怖くないです(汗) 他サイト様にも投稿されています。 毎週金曜、丑三つ時に更新予定。

怪異相談所の店主は今日も語る

くろぬか
ホラー
怪異相談所 ”語り部 結”。 人に言えない“怪異”のお悩み解決します、まずはご相談を。相談コース3000円~。除霊、その他オプションは状況によりお値段が変動いたします。 なんて、やけにポップな看板を掲げたおかしなお店。 普通の人なら入らない、入らない筈なのだが。 何故か今日もお客様は訪れる。 まるで導かれるかの様にして。 ※※※ この物語はフィクションです。 実際に語られている”怖い話”なども登場致します。 その中には所謂”聞いたら出る”系のお話もございますが、そういうお話はかなり省略し内容までは描かない様にしております。 とはいえさわり程度は書いてありますので、自己責任でお読みいただければと思います。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

不動の焔

桜坂詠恋
ホラー
山中で発見された、内臓を食い破られた三体の遺体。 それが全ての始まりだった。 「警視庁刑事局捜査課特殊事件対策室」主任、高瀬が捜査に乗り出す中、東京の街にも伝説の鬼が現れ、その爪が、高瀬を執拗に追っていた女新聞記者・水野遠子へも向けられる。 しかし、それらは世界の破滅への序章に過ぎなかった。 今ある世界を打ち壊し、正義の名の下、新世界を作り上げようとする謎の男。 過去に過ちを犯し、死をもってそれを償う事も叶わず、赦しを請いながら生き続ける、闇の魂を持つ刑事・高瀬。 高瀬に命を救われ、彼を救いたいと願う光の魂を持つ高校生、大神千里。 千里は、男の企みを阻止する事が出来るのか。高瀬を、現世を救うことが出来るのか。   本当の敵は誰の心にもあり、そして、誰にも見えない ──手を伸ばせ。今度はオレが、その手を掴むから。

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2024/12/22:『くらいひ』の章を追加。2024/12/29の朝4時頃より公開開始予定。 2024/12/21:『ゆぶね』の章を追加。2024/12/28の朝8時頃より公開開始予定。 2024/12/20:『ゆきだるま』の章を追加。2024/12/27の朝4時頃より公開開始予定。 2024/12/19:『いぬ』の章を追加。2024/12/26の朝4時頃より公開開始予定。 2024/12/18:『つうち』の章を追加。2024/12/25の朝4時頃より公開開始予定。 2024/12/17:『のぞくがいこつ』の章を追加。2024/12/24の朝4時頃より公開開始予定。 2024/12/16:『じゅうさん』の章を追加。2024/12/23の朝4時頃より公開開始予定。

呪配

真霜ナオ
ホラー
ある晩。いつものように夕食のデリバリーを利用した比嘉慧斗は、初めての誤配を経験する。 デリバリー専用アプリは、続けてある通知を送り付けてきた。 『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』 その日から不可解な出来事に見舞われ始める慧斗は、高野來という美しい青年と衝撃的な出会い方をする。 不思議な力を持った來と共に死の呪いを解く方法を探す慧斗だが、周囲では連続怪死事件も起こっていて……? 「第7回ホラー・ミステリー小説大賞」オカルト賞を受賞しました!

何かを喪失するAI話

月歌(ツキウタ)
ホラー
何かを喪失するAI話。AIが作ったので、喪失の意図は分かりませんw ☆月歌ってどんな人?こんな人↓↓☆ 『嫌われ悪役令息は王子のベッドで前世を思い出す』が、アルファポリスの第9回BL小説大賞にて奨励賞を受賞(#^.^#) その後、幸運な事に書籍化の話が進み、2023年3月13日に無事に刊行される運びとなりました。49歳で商業BL作家としてデビューさせていただく機会を得ました。 ☆表紙絵、挿絵は全てAIイラスです

霊感不動産・グッドバイの無特記物件怪奇レポート

竹原 穂
ホラー
◾️あらすじ 不動産会社「グッドバイ」の新人社員である朝前夕斗(あさまえ ゆうと)は、壊滅的な営業不振のために勤めだして半年も経たないうちに辺境の遺志留(いしどめ)支店に飛ばされてしまう。 所長・里見大数(さとみ ひろかず)と二人きりの遺志留支店は、特に事件事故が起きたわけではないのに何故か借り手のつかないワケあり物件(通称:『無特記物件』)ばかり取り扱う特殊霊能支社だった! 原因を調査するのが主な業務だと聞かされるが、所長の霊感はほとんどない上に朝前は取り憑かれるだけしか能がないポンコツっぷり。 凸凹コンビならぬ凹凹コンビが挑む、あなたのお部屋で起こるかもしれないホラー! 事件なき怪奇現象の謎を暴け!! 【第三回ホラー・ミステリー大賞】で特別賞をいただきました! ありがとうございました。 ■登場人物 朝前夕斗(あさまえ ゆうと) 不動産会社「グッドバイ」の新人社員。 壊滅的な営業成績不振のために里見のいる遺志留支店に飛ばされた。 無自覚にいろんなものを引きつけてしまうが、なにもできないぽんこつ霊感体質。 里見大数(さとみ ひろかず) グッドバイ遺志留支社の所長。 霊能力があるが、力はかなり弱い。 煙草とお酒とAV鑑賞が好き。 番場怜子(ばんば れいこ) 大手不動産会社水和不動産の社員。 優れた霊感を持つ。 里見とは幼馴染。

処理中です...