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第10話 ◇
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土曜午前の医院は子連れの来院が多く、忙しく、また賑やかでありました。もういくつ寝れば十二月で、院内もそこかしこクリスマスらしく飾り付けが施され、微笑ましいやら、苦々しいやら、胸を衝かれるやら。
一方、点滴ルームは平常運転であり、明るい静寂に満ち、昨日の疲れを引きずった大人二人がどんより横たわっておりました。
戸比氏の疲労は言うまでもなく、わたくしもまたぐったりとパイプベッドに身を沈めていたのです。
昨日は帰宅後、病人でありながら家事に勤しんでいたところ、二度とかかってこないと高を括っていた番号から着信がありました。
なんで謝罪してこないんだ──元恋人からの電話は、要約すれば、そんな内容でした。
関係は打ち切りになったと思い込んでおりましたから、驚きました。そして今は余裕がなく貴方が望むような付き合いはできないと申し上げれば、他に男ができたのかと責め立てられました。なぜそのような思考となるのか、まったく不可解なことに。
今までの情報伝達不足を反省し、言葉を尽くして説明しましたが、相手は復縁しなければ信じないと主張し、もう意味わかんない。わたくしは途方に暮れたのでございます。
同時に、叔母から伝え聞いた〝母の心配〟も頭をかすめ、復縁したなら、ひとまず母を安心させられるのではと浅慮いたしました。つまりは、打算が働いたのです。
ゆえに交渉は長引き、相手は〝また連絡する〟という最悪に面倒なカードを切り、まとまらないまま中断となったのでした。
一方の戸比氏はユーイチロー氏と連絡をとろうと、方々に当たったけれど繋がらなかったとのことでした。赤く充血した目、無精ひげ、こけた頬・・・・・・普段とさして違いがあるわけではありませんが、そこそこ憔悴した顔は心中を物語っているようでした。
そうして二人同時に、湿った溜息を吐いたのは、無理からぬことでしょう。
診察の結果、わたくしの通院は本日で最後となり、あとは処方された薬を飲み切っておしまいです。この甘く気怠く長かった病院通いも終わり、月曜からは復職いたします。
なるほど、身体は恢復しました。ですが、問題は膨れ上がり、仕事は山積み、気鬱はマリアナ海溝のごとく深し。
この一週間で、点滴ルームの窓から覗く景色は少し変わりました。ジョウビタキが突いていた向かい家の柿はすっかり食べ尽くされ、あとには真っ赤を通り越して枯れた茶となった葉が数えるほどにぶら下がるのみ。
なんとも、ものがなしく、わびしく、やるせなく・・・・・・
──いっそ、死んじまいたいな。
数日前、隣りに横たわる人が漏らした言葉は、そっくりそのまま、今のわたくしの心の穴に当て嵌まりました。けれど病身の母を残して死ねるはずなく、なれど嘘偽りのない本音で。
あの日は〝死にたいわりにご覧になるのですね、ふともも〟と返し、不機嫌の生け贄になっていただいたわけですが、今ではその意がなんとはなしに理解できていました。いえ、理解というよりも、染み込んできたというか。
止まない雨はなくとも、二度と降らない雨もなく、緩んだ地盤に家を建てる気にはなれない。臆病者のいいわけでしょうか。
蜜のようにとろりとした秋の陽射しをからめられて身動きできず、またする気もなく、空往く鳥の編隊を見送りながら、死んでしまいたいですねと呟けば、息子を残して死ねるはずない隣人もまた、ああ、死んじまいたいなと漏らしました。
そしてこの奇妙な共感におかしみを感じ、二人してふふと密やかに笑ったのでした。
ある種の救いであり、ごまかしでした。一週間後には覚えてもいない、でも、今夜、独りで食事する時に思い出し笑いができるような、明朝、冷気の中で着替えるのをぬくめてくれるような。
なんとはなしに気安い心地で会話を始めました。〝秋くくり〟のゲームを再開するように。
「別れた殿方から浮気を疑われました。もう、別れたと思った後で」
「そりゃ、難儀だな。でも、息子に愛人を疑われるよりかはありがちだ」
「より厄介なのはこっちです、元彼のストーカー化はあれど、息子のはないでしょう」
「確かに逆に縁が切れたら困るな」
「戸比さんは本当にずっとひとりきりだったのですか、全然、まじで?」
「いたなら、死んじまいたいなんて思わないだろう。多分」
「では、まったく罵られ損ですね」
「その上、車までボコられた。しかも両側」
わたくしも戸比氏も男女関係においては潔白のようでした。
生来、もてない身の上であるのに、空腹のまま食べてもない料理の支払いを請求されているようなこの理不尽さよ──
その時、ふっと妙案が浮かびました。逆転の発想というか、奇策というか、裏技というか。食べてないから理不尽を感じる。だったら。
戸比氏の通院は、わたくしと同じく今日までとのこと。
この医院の通院圏内に住むそこそこのご近所ではありましょうが、今後はそうそう会うこともないでしょう。
「お仕事は月曜からですか」
「そうだな。日曜は出社する必要ないだろう」
「では、明日、少しお付き合い願えませんか」
どこへ、と問う察しの悪い戸比氏に端的に申し上げました。
「ホテルへ。いっそ、セックスしませんか」
土曜午前の医院は子連れの来院が多く、忙しく、また賑やかでありました。もういくつ寝れば十二月で、院内もそこかしこクリスマスらしく飾り付けが施され、微笑ましいやら、苦々しいやら、胸を衝かれるやら。
一方、点滴ルームは平常運転であり、明るい静寂に満ち、昨日の疲れを引きずった大人二人がどんより横たわっておりました。
戸比氏の疲労は言うまでもなく、わたくしもまたぐったりとパイプベッドに身を沈めていたのです。
昨日は帰宅後、病人でありながら家事に勤しんでいたところ、二度とかかってこないと高を括っていた番号から着信がありました。
なんで謝罪してこないんだ──元恋人からの電話は、要約すれば、そんな内容でした。
関係は打ち切りになったと思い込んでおりましたから、驚きました。そして今は余裕がなく貴方が望むような付き合いはできないと申し上げれば、他に男ができたのかと責め立てられました。なぜそのような思考となるのか、まったく不可解なことに。
今までの情報伝達不足を反省し、言葉を尽くして説明しましたが、相手は復縁しなければ信じないと主張し、もう意味わかんない。わたくしは途方に暮れたのでございます。
同時に、叔母から伝え聞いた〝母の心配〟も頭をかすめ、復縁したなら、ひとまず母を安心させられるのではと浅慮いたしました。つまりは、打算が働いたのです。
ゆえに交渉は長引き、相手は〝また連絡する〟という最悪に面倒なカードを切り、まとまらないまま中断となったのでした。
一方の戸比氏はユーイチロー氏と連絡をとろうと、方々に当たったけれど繋がらなかったとのことでした。赤く充血した目、無精ひげ、こけた頬・・・・・・普段とさして違いがあるわけではありませんが、そこそこ憔悴した顔は心中を物語っているようでした。
そうして二人同時に、湿った溜息を吐いたのは、無理からぬことでしょう。
診察の結果、わたくしの通院は本日で最後となり、あとは処方された薬を飲み切っておしまいです。この甘く気怠く長かった病院通いも終わり、月曜からは復職いたします。
なるほど、身体は恢復しました。ですが、問題は膨れ上がり、仕事は山積み、気鬱はマリアナ海溝のごとく深し。
この一週間で、点滴ルームの窓から覗く景色は少し変わりました。ジョウビタキが突いていた向かい家の柿はすっかり食べ尽くされ、あとには真っ赤を通り越して枯れた茶となった葉が数えるほどにぶら下がるのみ。
なんとも、ものがなしく、わびしく、やるせなく・・・・・・
──いっそ、死んじまいたいな。
数日前、隣りに横たわる人が漏らした言葉は、そっくりそのまま、今のわたくしの心の穴に当て嵌まりました。けれど病身の母を残して死ねるはずなく、なれど嘘偽りのない本音で。
あの日は〝死にたいわりにご覧になるのですね、ふともも〟と返し、不機嫌の生け贄になっていただいたわけですが、今ではその意がなんとはなしに理解できていました。いえ、理解というよりも、染み込んできたというか。
止まない雨はなくとも、二度と降らない雨もなく、緩んだ地盤に家を建てる気にはなれない。臆病者のいいわけでしょうか。
蜜のようにとろりとした秋の陽射しをからめられて身動きできず、またする気もなく、空往く鳥の編隊を見送りながら、死んでしまいたいですねと呟けば、息子を残して死ねるはずない隣人もまた、ああ、死んじまいたいなと漏らしました。
そしてこの奇妙な共感におかしみを感じ、二人してふふと密やかに笑ったのでした。
ある種の救いであり、ごまかしでした。一週間後には覚えてもいない、でも、今夜、独りで食事する時に思い出し笑いができるような、明朝、冷気の中で着替えるのをぬくめてくれるような。
なんとはなしに気安い心地で会話を始めました。〝秋くくり〟のゲームを再開するように。
「別れた殿方から浮気を疑われました。もう、別れたと思った後で」
「そりゃ、難儀だな。でも、息子に愛人を疑われるよりかはありがちだ」
「より厄介なのはこっちです、元彼のストーカー化はあれど、息子のはないでしょう」
「確かに逆に縁が切れたら困るな」
「戸比さんは本当にずっとひとりきりだったのですか、全然、まじで?」
「いたなら、死んじまいたいなんて思わないだろう。多分」
「では、まったく罵られ損ですね」
「その上、車までボコられた。しかも両側」
わたくしも戸比氏も男女関係においては潔白のようでした。
生来、もてない身の上であるのに、空腹のまま食べてもない料理の支払いを請求されているようなこの理不尽さよ──
その時、ふっと妙案が浮かびました。逆転の発想というか、奇策というか、裏技というか。食べてないから理不尽を感じる。だったら。
戸比氏の通院は、わたくしと同じく今日までとのこと。
この医院の通院圏内に住むそこそこのご近所ではありましょうが、今後はそうそう会うこともないでしょう。
「お仕事は月曜からですか」
「そうだな。日曜は出社する必要ないだろう」
「では、明日、少しお付き合い願えませんか」
どこへ、と問う察しの悪い戸比氏に端的に申し上げました。
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