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第七部 鬼夢花
第三十九話 可愛い存在
しおりを挟む気絶していたのは、僅か五分――だが、目を覚めると、確実に体が軽くなっていて、口の中に広がってる鉄臭さが、これ以上こみ上げてくることはない。
大量の梅の花が、己の上に覆い重なるように、乗っかっていた。――瞬時に理解した、伊織は己に力を与え、延命どころか、通常の寿命にし、力尽き消えたのだと。
菫は、花を抱えて、――泣き出す。一気に流れ出した涙は、止まることを知らない。
何故、己を救うのだ。ただの翡翠の血を引くだけの存在だろう、彼にとっては。それなのに、何故命を賭せるのだ?
「伊織、……あかんって言うたやろ! 力なんて使うな、言うたやないの! 何でこないなこと、するんやああああ!!」
“そんなことしてる時間はあるの?”
「だ、誰!?」
急に声が脳に響いた――これは妖術でよくある形の声を届ける方法だが、それに菫は慣れてなかったからか、まるで天の声のように感じた。何処かで聞いたことのある声なのに。
第一、己は妖術を跳ね返す筈なのに、どうしてこの声は耳に届くのだ? もしかして己の超能力の力は弱まったのか?
“時間がない――早く、翡翠の所へ行け。その花を抱えて、行け”
「……判っとる、判っとるわ!」
菫は、ぐいっと目を擦り、涙を拭うと、花を両腕に沢山抱えて、そのまま駆けていく。健康体であるということはこんなにも身軽だったかと思うほど、動きやすくて。こんな感覚を与えてくれたのは嬉しいが、こんな終わり方はないだろう、と菫は悔しかった。
だから、悔しさをぶつけたくて、超能力を使い、翡翠の元に一瞬で辿り着いた――。
翡翠は、庭で酒を飲んでいて、己に気付いても振り返らない。咲き誇る梅を見て、遠い目をしている。
「――遺言でも残しにきたか」
「ちゃう。死んだのは、伊織やった! 伊織が僕に力を注ぎ込んだ!」
「――何、だと?! 伊織が?!」
翡翠は、例え神でもぎょっとする程、恐ろしい表情で振り返り、菫の手にある花に気付く。
――深夜に梅の花。咲き誇る理由は、これか。
微かに香る、神霊の気配の名残に、翡翠は顔を歪める――伊織は、嫌いじゃなかった。嫌いじゃなかったが、面倒くさい相手だった。いちいち構わないと五月蠅いし、自分たち親子の関係に五月蠅かった。それでも、居なくなるとこんなに寂しい思いをするなんて。
「満足か」
「――……ふ」
「息子はこんなんやし、伊織は死んだ、満足か?!」
菫は、翡翠にぶつけるように、花の全てを投げつけた。夜に舞う、花弁たちははらはらと落ちていく――そう、庭の梅の花弁と同じくして。むせかえる梅の匂い、それは強いが、何処かもの悲しい。色も明るい色なのに、悲しい色に見えて。無理に明るい色をしているように見えて。
翡翠は花の豪雨を浴び、顔を俯かせ、唇を噛む。
「仕方ない――人を守るには、仕方ない」
「オニであることをあかすのは、怖いか! せやから、オニと話し合うこともせぇへんかったんか!? 近づいてくるオニが怖くて、あんなの作ったんか!? せやったら、教えたる、オニはもう此処に近づいて、オマエを王にする気はない、僕が王になった!」
「――……遠い未来、対立するやもだぞ」
「そうはさせへん。僕は、友好を求めて、人間にも仲良うさせて、そんな気なくさせたるわ!」
「――……そう、か」
杯の酒の上に、大量に浮いてる梅の花は、とても良い香りがして――これまでに嗅いだことのないくらい、優しい香りがして。
翡翠は、その酒を見て、死んでまで自分を楽しませようとするのか、と自嘲したくなった。
だが、彼はきっとこんなことを望んでいるんじゃない。
己に訴えかけて居るんだ――和解しろ、オニと、菫と、と。
そう簡単に出来たら、どんなに良いことか。翡翠は、目を細めて、菫を見やり、そこから視線をどかせようとした。
――だが、その瞬間。
「逃げるの?」
――菫の後ろから、幽霊座が現れた。
とても似合う、水色に花柄の着物を着て、長いのか、裾を床に少しつけながら、此方へ歩いてくる。何故ここに、と翡翠は思ったが、この時間に来るよう言ったのは、己だった。
幽霊座は、じっと見つめ、小さな声を出す。
「チャンスは、二度、まわってこない、よ……今、チャンスがきて、るんだよ……――尊者達の、凍り付いていた時が動き出す、んだ、よ」
「――可憐」
「菫様? 菫様も、……こわが、らないで。こわが、って、大きな声で、怒ら、ないで――とても、翡翠様は、悲しんで、いる、ん、だ……」
「――……誰や、あんた」
菫は突然現れた幽霊座の存在に驚くことなく、何故見知らぬ者にそんなことを言われなければならないと、少し腹が立った。
だが幽霊座はおどおどとすることはなく、まっすぐに二人を見つめ、伊織のような神秘的な空気を纏い、口を開く。
「……親なし子。だから、親が居る、尊者が羨ましい。だって、一緒に、お話ししたり、お茶したり、遊べる、じゃないぃい……良いこと、だよ?」
幽霊座の無邪気さに、菫は苛つき、睨み付けた――だが、幽霊座は狼狽えるも、引かない。
優しくしてくれた人には優しくしたいし、何より、悲しみがこれ以上満ちるのは嫌だ。
ただでさえ、遠いどこかから生き物の死の香りがするのだ。それが増えるのは嫌だ。彼らを止めることで何かが変わるのなら、何だってする。
「――何が、嫌なの? 彼の、どこが、嫌なの?」
「――沢山、沢山、あるわ、嫌なとこなんてな!」
「じゃあ吐きだして、なお、させれば、いいじゃな、い。親子だから、でき、るよ」
「――……可憐、もう良い。口を挟むな」
翡翠は目を背け、静かに命令するように幽霊座に言いつけた。だが幽霊座は微笑んで、言葉を続ける。
「それに……一緒に、行楽もでき、る」
「可憐! もう良い!」
翡翠が怒鳴りつけて言葉を続けようとすると、幽霊座は、首をいやいやとふった。彼らの関係が見ていられないのだ――何故、同じ血を引くのに、分かり合えない? 何故、親が生きていて、自分も生きているのに、互いを煙たがる? 幽霊座には、判らない。だから、泣きながら、訴える。
「何で、互いを、嫌いあう、の? どうして? 生まれたときは、喜ばなかった、の?」
「……――可憐」
「ぼくぅは、もう判らない――判らないんだ、誰が父親で誰が母親なのか。それでも、ぼくぅは、望まれて妖仔になったんだって、信じたい……菫様だって、望まれて、生まれた子だって信じたい、んじゃない、の!?」
そこに生まれたのは、「何故」という言葉。
何故嫌う、何故いがみあう、何故反発してしまう、何故相反する――理由が見つからない。
二人は互いに生まれた違和感に何も言うことが出来なくて、菫はそれを誤魔化すように、翡翠に「万華鏡、壊しに行く!」と告げて、行ってしまった。
残された翡翠は、赤い漆塗りの杯を見やり、幽霊座から顔を背ける――。
幽霊座は歩み寄り、翡翠の側に座る。
「――子供が、好き、なら、自分の子供は、もっと愛、せる」
「……それがな、簡単にそういかんのだ、可憐」
「どう、して?」
「……どうして、だろうな。気付けば、そうなっていた……多分、あれを生んで、家内は死んだから、だろう……それならまだしも、寿命が定まっていた、あれには。だから、嫌うしか、なかった……」
「――翡翠様」
「可憐よ、教えてくれ、予はどうしていつもこうなる? オニには最後の戦を終えたとき、もう世間に出るなと命じたのに、城にきてしまう――菫を、本当は……大事にした方がいいと判っているのに……焦りが生まれる。どう、して……」
「完璧であろうとするから、だと、思ううう……」
幽霊座は翡翠の頭をそっと撫で、引っかかった角の部分に、痛っと呟き、手を引っ込めようとしたが、翡翠はその手を優しく掴み、己の頭に置いた。
頭に置いてから、己の頬へ移動させ、幽霊座を抱き寄せ、幽霊座の胸に己の頭を押し当てる。
「完璧であろう、とは?」
「――……翡翠様、は、無理して、欠けた部分なんてないってしようと、するから……」
「それが王だ。仕方なかろう」
「うん、だから、菫様には、見せていい、じゃない、かな……完璧、じゃない、とこ」
「……――今からでも、間に合うと思うか?」
「――ウン」
幽霊座は胸元に翡翠の頭があることに驚き、躊躇うが、こくりと頷く――すると、翡翠は有難う、と呟き、立ち上がり、去っていく。
「予の代わりに、最後の伊織の花を愛でていてくれ給う」
「――うん、頑張って」
この妖仔は、本当に、何処から何処まで可愛い存在だ――翡翠は初めて、朗らかに笑いかけ、その場から去りゆく。
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