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第六部~梅花悲嘆~
番外編5 柘榴と蒼刻一
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例えばテメェの中の正義心が、僕を許したのだとしたら、許さない。
正義心なんかじゃなくて、もっと人間的な心で、僕を見ろ。
人間らしくない感情を持つんじゃねぇ――でないと不幸になる――。
人間らしく怒りたいときは怒ればいい――でないと損じゃねぇ?――。
人間らしく悲しいときは大声で泣けば良いんだ――そう糸遊にふられた時みたいに――。
なのに、何がテメェを人間的感情を欠落させている?
説歌いだから?
あの子の血を引いているから、テメェの中のあの子が僕を許せというのか?
頼むから、もう人間以上にならないでくれ――僕のホーリーゴースト。
テメェは、不幸になってはいけないんだ。
昔はテメェが苦しむ姿が何よりも楽しかったのに、どうしてこんなことを願う?
いっそ巡る時が人外になるのなら、心も人外になればよかったのに――。
*
柘榴は苦笑して街中を駆け抜けていた。
賞金首時代、恨みを買っていたハンター達が己を見つけてしまったのだ。
もう賞金なんてかけられてないのに、追ってしまうのは過去のプライドのため。
柘榴は昔だったら捕まって、何かしら反撃していたのだが、どうにも一般市民に戻ってしまった以上、攻撃はできない。
うっかり殺してしまえば、犯罪者になり、また賞金首になってしまうからだ。
折角誤解が解けて、果物の名を告げなくて良い時代がきたのに、逆戻りなんてまっぴらだった。
柘榴は、街中を駆け抜けて、通りすがりの果物屋に銅貨四枚置いて、林檎を一つ掴んだ。
走りながら、服で擦ってヨゴレを落として口にすれば、甘みが口の中に広がる。
砂糖を使った変な色つきのお菓子などは嫌いだが、自然の甘みは大好物だ。
「フルーティー! 待てッ、待ちやがれー!」
「ごっめーん、待てないんだー! おいら、もう賞金首じゃないから、このまま自警団に行こうと思ってるよー!」
「っげ! おい、おめぇら、その前にあいつ捕まえるぞ!」
柘榴は、溜息をついた。煽ってしまった。煽るつもりはなかったのだが、如何せんこの口がいけない。
どうにかして煽るような言葉を忘れないとなぁ、と思っていると、道の先には高い壁。
(あー、これじゃあ、余計に煽るかもなぁ)
妖術で高く飛び上がることができるのだが、それをすれば今度会ったとき、また追いかけられるだろう。
その時陽炎がいたら、大変だ。最近の陽炎は、ミシェルに行くには船がいると聞き、苛々しだして、賞金首狩りを始めたほど、凶暴だ。
己を狙ってるだなんて言えば、上品に微笑み、円形剣を向け、そして優雅に鉄扇で殺戮の舞を踊るだろう。
(……んー、それはそれで見てみたいけど。どうしたもんかねぇ)
林檎をしゃり、と食べていると、追いついてきた彼らが、不敵に笑って剣を向けた。
柘榴は、頭を掻きながら、少しぼこられて帰るか、なんて覚悟を決めた。
だが、その時――。
妖術の気配がしたかと思えば、ハンター達が意識を失っていた。
これは眠りの術か、なんて考えれば、空中に浮かぶ影に気付き、柘榴は途端に不機嫌になった。
「蒼刻一……」
「馬鹿か、テメェは。こんなゴミ、殺しちまえばいいのに」
蒼刻一はそう言い放つと、地面に降り立ち、ハンターのうちの一人の腹部を無情にも蹴った。ハンターは呻き、魘されている。
柘榴は、待て待て、と声をかけて呆れたように止めに入った。
自分が受けた痛みでもないのに、柘榴は溜息をついて、悲しげにハンターを見やった。
そんな視線を向けることが不思議で、蒼刻一は唾をハンターの顔に吐きつけた。
「この偽善者」
「だからどうした? お前に迷惑はかけてないでしょーが。お前が勝手に来たんでしょ?」
柘榴は林檎をまた、しゃり、と音を鳴らして食べた。
蒼刻一は、このふてぶてしい態度が憎らしく思い、髪の毛を鷲掴みにし、己の眼前にもってきた。食べかけの林檎が落ちた。
「ホーリーゴースト、勝手に美しい民の肌に傷をつけるな。テメェも一応、あの民なんだよ。あの麗しい奇跡のような……」
「あー、気持ち悪ぃ。ガンジラニーニであったことを後悔したことは、お前が保護者面するとこだよ」
眼前で髪の毛を鷲掴みにされてるのに、柘榴のふてぶてしさは変わらなかった。
――あの時、許すとは言ったが、態度は変える気はないらしいようだ。
「――ホーリーゴースト、僕は……」
「あー、はいはい。お説教なら勘弁。今朝、白雪に蓮見ちゃんのことでされて、うんざりなのヨ」
離せよ、と付け足して、柘榴は睨み付けてきた。
この視線で、当然なのだ。だから、許すと言ったことが未だに不思議で仕方ない。
許す? 呪いをかけた張本人を? 呪いの所為で、今までいわれもない迫害を散々受けて、その度に悔しがってきたじゃないか。
あの時の思いは嘘だとでも言うのか、それともなかったことにするのか。
ああ、聖人君子お得意の、憎むのは罪だけ――にするのか?
蒼刻一は心の中で葛藤し、柘榴に対し、掴んでいた手を緩めた。柘榴は当然緩まれれば、そこから抜け出す。
「僕を恨め」
「許すっつったでしょ。っはは、嫌になってきたか。やったね」
柘榴はげらげらと笑った――無邪気に笑った。
いつだって、どんな奴にも笑顔を向ける、聖者。
蒼刻一は溜息をついた。
「そうだな、嫌かもな」
蒼刻一は言うと、柘榴の耳元に顔を近づけて、半笑いで囁いた。
「だって、憎むと愛するは紙一重だろ?」
「はぁあ?!」
柘榴はやや顔を蒼刻一に向けて、思いっきり嫌そうな顔をした。
そんな言葉を向けられることが意外だったようで、柘榴はぽかんとしていた。
ぽかんとしている間抜け面は見えぬが、嫌がる声に、蒼刻一は楽しいのか、柘榴が嫌がる言葉をどんどんし向ける。
「愛と憎しみは、表裏一体。もしかしたら、テメェは僕を愛していたかもしれない。そう考えると、少し惜しいなァ?」
「……ばっかじゃねぇの?! あり得ない! ぜーってぇ、ありえねぇ!」
「悲しいことを言う、ホーリーゴーストは! つれないなぁ? この僕が、口説いてやってるんだぜ?」
「さ、寒気がするようなことを言うなーーっ!!」
柘榴は我慢できなかったのか、蒼刻一を己から遠ざけようと、突き飛ばそうとした。
蒼刻一はくすくすと笑い、柘榴の側から離れず、どういう反応をするのか楽しみで、つい耳を甘噛みしてしまった。
「ひぎゃあああ?!!!」
「色気のねぇ声だなァ。色気が出るように、育てればよかったなァ? ああ?」
「ばばばばばかなこと言うなぁあ! っつか、耳ッ……」
「耳が嫌なら、何処がイイとこなのか、教えろよ? なぁ? 言ってみろよ、柘榴。掘ってやろうか? 案外、ネコ、向いてンじゃねーの?」
蒼刻一が冗談なのか本気なのか判らない言葉を発したところで、柘榴は渾身の力で、蒼刻一の腹を殴った。
蒼刻一は身をかがめて、柘榴から離れた。
柘榴は、ふーっふーっと毛を逆立ててる猫のように、警戒心を露わにしていた。
「気持ち悪いことするなぁあ!」
「――ってぇ……いってぇなぁ、この糞が! これくらいのじゃれ合いに、本気にすんなよ」
「じゃれるなっ。お前は、おいらにじゃれるなっ! 許すとは言ったけど、それで友達だなんて言ってないからな?」
「友達だったらこーいうことすんのか? 何だ、テメェ糸遊にそういうことしてんのか?」
蒼刻一がげらげら笑うと、柘榴が真っ赤になって否定してきた。
「馬鹿ッ! してねぇよ! 雲に帰れ、帰れ」
柘榴の必死に否定するところが面白くて、蒼刻一はげらげらと笑い続けた。
やがて笑いが収まり、急に真顔になり、じっと柘榴を見つめた。
柘榴は、無視して、帰ろう、と思ったところで、足を止めさせられる。たった一言で。
「同胞に嫌われて、生きていけるのか?」
「……――ん」
「聖霊は、皆、テメェを許さないことにしたらしいじゃねぇか。亜弓が族長になるが、あいつはもう呪いが解けてるから、テメェに関しての意見は許されねェだろーなァ?」
「あはは、別にいいよ。おいらは一方的に、見守るもん」
また、だ。
また、この男は笑う。
蒼刻一は、この笑みの裏を、読み取ろうとした。
この笑みは、悲しみの裏返し。悲しいときほど、この男はよく笑うような気がして。
柘榴という人間は、自分のエゴを出さない。重要な時に限って。
聖人君子――そういう類の人間であろうとするのだ。
(人間で聖人君子? あり得ねぇ。そんなこと出来る奴ァ、すんげぇイカれてるんだ――どうして、笑えるんだ。どうして、自分を犠牲にできンだよ)
蒼刻一が俯いて黙っていると、柘榴は振り返って、溜息をついた。
「何でお前が傷ついているんだよ」
「――傷ついてなんかいねぇよ。もっと、もっとこう、何か言うことあんだろーが?! 僕に向かって、何か言うことあんだろ!? お前の所為だ、とか、お前がいなけりゃとかさぁ?!」
「お前を責めれば、お前が救われるのか? なら、おいらは言わないよ。おいらは、別にお前に向かって言うことはない。あるとしたら――そうだな、……ひねくれ者、くらいかな」
「何でテメェの罵倒は、そうみみっちいもんばっかなんだ! ばっかじゃねぇの?! そんなんだから……ッ」
そんな柘榴だから、救われる人が、郷にはたくさんいて。
救われてきた彼らだったのに、あっさりと亜弓と海幸以外、柘榴を見捨てて。
今の時代はまだ、亜弓と海幸が判ってくれているからいいけれど、柘榴は不老不死になろうと決めている。
ならば、遠い未来、彼のことは一体誰が理解してあげられるというのだろう?
誰が彼の悲しみを受け止められる?
「糸遊を、殺してェ」
ぼそり、と蒼刻一は呟いた。
柘榴を頼り続けた、柘榴がこうなった一つの原因。糸遊という存在。
あの男が全て柘榴をこんな風にした。こんな柘榴は、嬉しいけれど、いつか抱えきれない思いに苦しむことになるだろう。
蒼刻一が呟くと、柘榴の目の色がすぅっと変わり、嫌悪感とぶつかった。
嫌悪感が見えたことに蒼刻一は喜び、にやにやとした。
「糸遊がそんなに大事か? っはは、なら糸遊を殺せば、許すと言えなくなるよなァ?」
「……――蒼刻一。いい加減にしろ。からかいのネタにかげ君を出すな」
「……もう恋愛感情じゃないんだろ? なら、テメェのその糸遊への態度は何なんだよ?」
蒼刻一は少し己でも口に出せば苛つく言葉を、吐いていた。
糸遊が引っかかるのは、そういうことか、と自分自身で納得しながら柘榴の反応を待つ。
柘榴は、目を伏せて、苦しそうに苦笑してみせた。
「……さぁね。判るのは、おいらは多分、かげ君の為なら何でも捨てることができるんだろーなぁってこと」
「自分がいつのまにか、糸遊に刺されていたとしてもか」
「――刺されていたなら、傷は治せばいいかんね。……何、睨んでるの?」
「……むかつく。すっげぇむかつく。その感情、キモいわ。何だ、それ。変なの!」
蒼刻一は何故だか、そこまで思われる糸遊に苛々とした。
あれは、もう鴉座のものなのに、何故そこまで惹かれるのだろう? ただの間抜けで、ちょっと上品なだけの馬鹿じゃないか。面白いと思えるようなところは、何一つない人間だ。
それなのに、柘榴は、糸遊をとても大事にする。まるで揺りかごの幼子のように。
柘榴はふぅ、と溜息をついて、長い髪の毛を掻き上げた。
「キモいよ、実際おいらも。だけど、そういう友情もありでいいんじゃない?」
――本当に友情?
蒼刻一は、目を細め、疑いを向ける。柘榴は、誰かが幸せになるなら、自分の気持ちを知らぬ間も殺し続ける奴だ。
だからこそ、友人だと言い張る糸遊が憎らしくて。
「――そういう友情は、苦しむぞ」
字環への自分がそうだった。過保護なまでの友情だか、愛情であり、そしてそれを救うことができなかった。
救うことができなかったことの辛さは知っている。
――もしも、そんな思いに出会ったら、柘榴はどうするのか。と、ふと蒼刻一は不安に思った。
「――どうせ、苦しむのがおいらだけなら、気楽に生きることができるさ。他の人は苦しまない証だからね」
柘榴はそういって立ち去った――。
蒼刻一は、柘榴の背を見つめ、頭を無造作に掻いた。
何故、気付かない。何故、判ってくれない。
何故、お前に苦しんで欲しくないと願う者が沢山いると、気付かないんだ。
「肝心なところで、鈍い奴」
――例えばもし、その聖人君子の眼が、一般人になることができたなら。
いつかは、自分と、柘榴自身の思いに気付くことはできるのだろうか。
どこまでも、一方通行な、互いの思いに。
どこまでも、矢印が別方向を向いた――不器用な思いに。
聖人君子という存在が、改めて蒼刻一は嫌いになった。
自分の赤く滴る心の傷に、気付かないから。人の心の傷ばかり修復しようとするから――。
(聖人君子じゃない。僕が欲しいのは、聖人君子じゃない、テメェだ。だが、テメェは聖人君子じゃなくなったら、テメェじゃなくなるんだろうなァ? こんな思い、どうしろってんだ、ばぁか。――……苦しむな。頼むから、苦しむな。だって、お前のことは――……)
「特別なんだよ、僕のホーリーゴースト」
過保護すぎた熱は、どこを彷徨う?
正義心なんかじゃなくて、もっと人間的な心で、僕を見ろ。
人間らしくない感情を持つんじゃねぇ――でないと不幸になる――。
人間らしく怒りたいときは怒ればいい――でないと損じゃねぇ?――。
人間らしく悲しいときは大声で泣けば良いんだ――そう糸遊にふられた時みたいに――。
なのに、何がテメェを人間的感情を欠落させている?
説歌いだから?
あの子の血を引いているから、テメェの中のあの子が僕を許せというのか?
頼むから、もう人間以上にならないでくれ――僕のホーリーゴースト。
テメェは、不幸になってはいけないんだ。
昔はテメェが苦しむ姿が何よりも楽しかったのに、どうしてこんなことを願う?
いっそ巡る時が人外になるのなら、心も人外になればよかったのに――。
*
柘榴は苦笑して街中を駆け抜けていた。
賞金首時代、恨みを買っていたハンター達が己を見つけてしまったのだ。
もう賞金なんてかけられてないのに、追ってしまうのは過去のプライドのため。
柘榴は昔だったら捕まって、何かしら反撃していたのだが、どうにも一般市民に戻ってしまった以上、攻撃はできない。
うっかり殺してしまえば、犯罪者になり、また賞金首になってしまうからだ。
折角誤解が解けて、果物の名を告げなくて良い時代がきたのに、逆戻りなんてまっぴらだった。
柘榴は、街中を駆け抜けて、通りすがりの果物屋に銅貨四枚置いて、林檎を一つ掴んだ。
走りながら、服で擦ってヨゴレを落として口にすれば、甘みが口の中に広がる。
砂糖を使った変な色つきのお菓子などは嫌いだが、自然の甘みは大好物だ。
「フルーティー! 待てッ、待ちやがれー!」
「ごっめーん、待てないんだー! おいら、もう賞金首じゃないから、このまま自警団に行こうと思ってるよー!」
「っげ! おい、おめぇら、その前にあいつ捕まえるぞ!」
柘榴は、溜息をついた。煽ってしまった。煽るつもりはなかったのだが、如何せんこの口がいけない。
どうにかして煽るような言葉を忘れないとなぁ、と思っていると、道の先には高い壁。
(あー、これじゃあ、余計に煽るかもなぁ)
妖術で高く飛び上がることができるのだが、それをすれば今度会ったとき、また追いかけられるだろう。
その時陽炎がいたら、大変だ。最近の陽炎は、ミシェルに行くには船がいると聞き、苛々しだして、賞金首狩りを始めたほど、凶暴だ。
己を狙ってるだなんて言えば、上品に微笑み、円形剣を向け、そして優雅に鉄扇で殺戮の舞を踊るだろう。
(……んー、それはそれで見てみたいけど。どうしたもんかねぇ)
林檎をしゃり、と食べていると、追いついてきた彼らが、不敵に笑って剣を向けた。
柘榴は、頭を掻きながら、少しぼこられて帰るか、なんて覚悟を決めた。
だが、その時――。
妖術の気配がしたかと思えば、ハンター達が意識を失っていた。
これは眠りの術か、なんて考えれば、空中に浮かぶ影に気付き、柘榴は途端に不機嫌になった。
「蒼刻一……」
「馬鹿か、テメェは。こんなゴミ、殺しちまえばいいのに」
蒼刻一はそう言い放つと、地面に降り立ち、ハンターのうちの一人の腹部を無情にも蹴った。ハンターは呻き、魘されている。
柘榴は、待て待て、と声をかけて呆れたように止めに入った。
自分が受けた痛みでもないのに、柘榴は溜息をついて、悲しげにハンターを見やった。
そんな視線を向けることが不思議で、蒼刻一は唾をハンターの顔に吐きつけた。
「この偽善者」
「だからどうした? お前に迷惑はかけてないでしょーが。お前が勝手に来たんでしょ?」
柘榴は林檎をまた、しゃり、と音を鳴らして食べた。
蒼刻一は、このふてぶてしい態度が憎らしく思い、髪の毛を鷲掴みにし、己の眼前にもってきた。食べかけの林檎が落ちた。
「ホーリーゴースト、勝手に美しい民の肌に傷をつけるな。テメェも一応、あの民なんだよ。あの麗しい奇跡のような……」
「あー、気持ち悪ぃ。ガンジラニーニであったことを後悔したことは、お前が保護者面するとこだよ」
眼前で髪の毛を鷲掴みにされてるのに、柘榴のふてぶてしさは変わらなかった。
――あの時、許すとは言ったが、態度は変える気はないらしいようだ。
「――ホーリーゴースト、僕は……」
「あー、はいはい。お説教なら勘弁。今朝、白雪に蓮見ちゃんのことでされて、うんざりなのヨ」
離せよ、と付け足して、柘榴は睨み付けてきた。
この視線で、当然なのだ。だから、許すと言ったことが未だに不思議で仕方ない。
許す? 呪いをかけた張本人を? 呪いの所為で、今までいわれもない迫害を散々受けて、その度に悔しがってきたじゃないか。
あの時の思いは嘘だとでも言うのか、それともなかったことにするのか。
ああ、聖人君子お得意の、憎むのは罪だけ――にするのか?
蒼刻一は心の中で葛藤し、柘榴に対し、掴んでいた手を緩めた。柘榴は当然緩まれれば、そこから抜け出す。
「僕を恨め」
「許すっつったでしょ。っはは、嫌になってきたか。やったね」
柘榴はげらげらと笑った――無邪気に笑った。
いつだって、どんな奴にも笑顔を向ける、聖者。
蒼刻一は溜息をついた。
「そうだな、嫌かもな」
蒼刻一は言うと、柘榴の耳元に顔を近づけて、半笑いで囁いた。
「だって、憎むと愛するは紙一重だろ?」
「はぁあ?!」
柘榴はやや顔を蒼刻一に向けて、思いっきり嫌そうな顔をした。
そんな言葉を向けられることが意外だったようで、柘榴はぽかんとしていた。
ぽかんとしている間抜け面は見えぬが、嫌がる声に、蒼刻一は楽しいのか、柘榴が嫌がる言葉をどんどんし向ける。
「愛と憎しみは、表裏一体。もしかしたら、テメェは僕を愛していたかもしれない。そう考えると、少し惜しいなァ?」
「……ばっかじゃねぇの?! あり得ない! ぜーってぇ、ありえねぇ!」
「悲しいことを言う、ホーリーゴーストは! つれないなぁ? この僕が、口説いてやってるんだぜ?」
「さ、寒気がするようなことを言うなーーっ!!」
柘榴は我慢できなかったのか、蒼刻一を己から遠ざけようと、突き飛ばそうとした。
蒼刻一はくすくすと笑い、柘榴の側から離れず、どういう反応をするのか楽しみで、つい耳を甘噛みしてしまった。
「ひぎゃあああ?!!!」
「色気のねぇ声だなァ。色気が出るように、育てればよかったなァ? ああ?」
「ばばばばばかなこと言うなぁあ! っつか、耳ッ……」
「耳が嫌なら、何処がイイとこなのか、教えろよ? なぁ? 言ってみろよ、柘榴。掘ってやろうか? 案外、ネコ、向いてンじゃねーの?」
蒼刻一が冗談なのか本気なのか判らない言葉を発したところで、柘榴は渾身の力で、蒼刻一の腹を殴った。
蒼刻一は身をかがめて、柘榴から離れた。
柘榴は、ふーっふーっと毛を逆立ててる猫のように、警戒心を露わにしていた。
「気持ち悪いことするなぁあ!」
「――ってぇ……いってぇなぁ、この糞が! これくらいのじゃれ合いに、本気にすんなよ」
「じゃれるなっ。お前は、おいらにじゃれるなっ! 許すとは言ったけど、それで友達だなんて言ってないからな?」
「友達だったらこーいうことすんのか? 何だ、テメェ糸遊にそういうことしてんのか?」
蒼刻一がげらげら笑うと、柘榴が真っ赤になって否定してきた。
「馬鹿ッ! してねぇよ! 雲に帰れ、帰れ」
柘榴の必死に否定するところが面白くて、蒼刻一はげらげらと笑い続けた。
やがて笑いが収まり、急に真顔になり、じっと柘榴を見つめた。
柘榴は、無視して、帰ろう、と思ったところで、足を止めさせられる。たった一言で。
「同胞に嫌われて、生きていけるのか?」
「……――ん」
「聖霊は、皆、テメェを許さないことにしたらしいじゃねぇか。亜弓が族長になるが、あいつはもう呪いが解けてるから、テメェに関しての意見は許されねェだろーなァ?」
「あはは、別にいいよ。おいらは一方的に、見守るもん」
また、だ。
また、この男は笑う。
蒼刻一は、この笑みの裏を、読み取ろうとした。
この笑みは、悲しみの裏返し。悲しいときほど、この男はよく笑うような気がして。
柘榴という人間は、自分のエゴを出さない。重要な時に限って。
聖人君子――そういう類の人間であろうとするのだ。
(人間で聖人君子? あり得ねぇ。そんなこと出来る奴ァ、すんげぇイカれてるんだ――どうして、笑えるんだ。どうして、自分を犠牲にできンだよ)
蒼刻一が俯いて黙っていると、柘榴は振り返って、溜息をついた。
「何でお前が傷ついているんだよ」
「――傷ついてなんかいねぇよ。もっと、もっとこう、何か言うことあんだろーが?! 僕に向かって、何か言うことあんだろ!? お前の所為だ、とか、お前がいなけりゃとかさぁ?!」
「お前を責めれば、お前が救われるのか? なら、おいらは言わないよ。おいらは、別にお前に向かって言うことはない。あるとしたら――そうだな、……ひねくれ者、くらいかな」
「何でテメェの罵倒は、そうみみっちいもんばっかなんだ! ばっかじゃねぇの?! そんなんだから……ッ」
そんな柘榴だから、救われる人が、郷にはたくさんいて。
救われてきた彼らだったのに、あっさりと亜弓と海幸以外、柘榴を見捨てて。
今の時代はまだ、亜弓と海幸が判ってくれているからいいけれど、柘榴は不老不死になろうと決めている。
ならば、遠い未来、彼のことは一体誰が理解してあげられるというのだろう?
誰が彼の悲しみを受け止められる?
「糸遊を、殺してェ」
ぼそり、と蒼刻一は呟いた。
柘榴を頼り続けた、柘榴がこうなった一つの原因。糸遊という存在。
あの男が全て柘榴をこんな風にした。こんな柘榴は、嬉しいけれど、いつか抱えきれない思いに苦しむことになるだろう。
蒼刻一が呟くと、柘榴の目の色がすぅっと変わり、嫌悪感とぶつかった。
嫌悪感が見えたことに蒼刻一は喜び、にやにやとした。
「糸遊がそんなに大事か? っはは、なら糸遊を殺せば、許すと言えなくなるよなァ?」
「……――蒼刻一。いい加減にしろ。からかいのネタにかげ君を出すな」
「……もう恋愛感情じゃないんだろ? なら、テメェのその糸遊への態度は何なんだよ?」
蒼刻一は少し己でも口に出せば苛つく言葉を、吐いていた。
糸遊が引っかかるのは、そういうことか、と自分自身で納得しながら柘榴の反応を待つ。
柘榴は、目を伏せて、苦しそうに苦笑してみせた。
「……さぁね。判るのは、おいらは多分、かげ君の為なら何でも捨てることができるんだろーなぁってこと」
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「――刺されていたなら、傷は治せばいいかんね。……何、睨んでるの?」
「……むかつく。すっげぇむかつく。その感情、キモいわ。何だ、それ。変なの!」
蒼刻一は何故だか、そこまで思われる糸遊に苛々とした。
あれは、もう鴉座のものなのに、何故そこまで惹かれるのだろう? ただの間抜けで、ちょっと上品なだけの馬鹿じゃないか。面白いと思えるようなところは、何一つない人間だ。
それなのに、柘榴は、糸遊をとても大事にする。まるで揺りかごの幼子のように。
柘榴はふぅ、と溜息をついて、長い髪の毛を掻き上げた。
「キモいよ、実際おいらも。だけど、そういう友情もありでいいんじゃない?」
――本当に友情?
蒼刻一は、目を細め、疑いを向ける。柘榴は、誰かが幸せになるなら、自分の気持ちを知らぬ間も殺し続ける奴だ。
だからこそ、友人だと言い張る糸遊が憎らしくて。
「――そういう友情は、苦しむぞ」
字環への自分がそうだった。過保護なまでの友情だか、愛情であり、そしてそれを救うことができなかった。
救うことができなかったことの辛さは知っている。
――もしも、そんな思いに出会ったら、柘榴はどうするのか。と、ふと蒼刻一は不安に思った。
「――どうせ、苦しむのがおいらだけなら、気楽に生きることができるさ。他の人は苦しまない証だからね」
柘榴はそういって立ち去った――。
蒼刻一は、柘榴の背を見つめ、頭を無造作に掻いた。
何故、気付かない。何故、判ってくれない。
何故、お前に苦しんで欲しくないと願う者が沢山いると、気付かないんだ。
「肝心なところで、鈍い奴」
――例えばもし、その聖人君子の眼が、一般人になることができたなら。
いつかは、自分と、柘榴自身の思いに気付くことはできるのだろうか。
どこまでも、一方通行な、互いの思いに。
どこまでも、矢印が別方向を向いた――不器用な思いに。
聖人君子という存在が、改めて蒼刻一は嫌いになった。
自分の赤く滴る心の傷に、気付かないから。人の心の傷ばかり修復しようとするから――。
(聖人君子じゃない。僕が欲しいのは、聖人君子じゃない、テメェだ。だが、テメェは聖人君子じゃなくなったら、テメェじゃなくなるんだろうなァ? こんな思い、どうしろってんだ、ばぁか。――……苦しむな。頼むから、苦しむな。だって、お前のことは――……)
「特別なんだよ、僕のホーリーゴースト」
過保護すぎた熱は、どこを彷徨う?
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5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。

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