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第六部~梅花悲嘆~

番外編2 獅子座と陽炎

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 夢を見た。
 誰かが水を吐いて、水に苦しめられている夢。
 その誰かが、己に手を伸ばした。
 手を取ろうとしたのに、その手は黒い闇に囚われた――なのに、その人は笑みを向けた。
 どうして? どうして?
 助けようとしたのに、どうして黒い闇に笑みを向けるの?
 助けられたことは、迷惑だったの――?
 
 
 目が覚めて、体を上半身起こせば、どっと汗が出る。
 何かを思い出せそうで思い出せない気持ち悪い感覚。
 咄嗟に判る、これは――過去に恋した「あの人」関連の出来事なのだと。
 「あの人」はいつの時代の主人だったか判らない。
 覚えているのは孤独色。微笑みを浮かべることなく、敵意に満ちた目で周囲を見ていた。
 その目を見る度に、「人は怖くない」と教える第二主人を思い出す。
 第一主人は、第二主人の言葉に安心するけれど、やっぱり何処か人を怖がっていた。
 どちらも輪郭もぼやけていて――髪の毛の色すら思い出せない。
 だから、あれがいつの時代で、どの主人だか判らなくて。
 その度に苦しむ――。
 
 (どうして記憶がなくなる仕組みなんて、あるんだだ――)
 
 記憶があれば、あの声を思い出せるのに――獅子座、と呼ぶあの寂しい声を。
 

 
 朝にまず主人の柘榴に挨拶しに行こうとしたところで、獅子座は魚座とばったり出くわし、魚座はおはよう、と挨拶して去っていった。
 ――……魚座を見ると、彼女はあの時「第二主人」に愛属性ではなかっただろうか、と思い出すが、主人の姿は思い出せなかった。
 獅子座は頭をふり、柘榴の部屋に向かった。
 柘榴は起きていて、何かを勉強していた。白雪が、ミシェルについての本を沢山に持ってきたみたいで、柘榴はミシェルについて学んでいた。

「陛下、おはよう御座いますだ!」
「ん? おー、おー! 獅子舞、おはよーさんっと。早いね、あんたも、女王も。っつか、わざわざおいらの部屋に挨拶しにこなくても、朝食の時、会うじゃん」

 柘榴は口ではそう言いながらも、嫌そうな顔はしなかった。
 けらけらと笑って、しょうがない奴、と暖かな目をした。
 獅子座は柘榴の笑みに、嬉しくなって笑みを向けた。不思議だ、柘榴は何故か落ち着くし、今までのどの主人よりも、忠義が湧く。この人に作られたわけではないのに、この人に作られたような感覚がして、より一層、この人の力になりたいと思う。
 だから毎日、朝起きると、柘榴に挨拶したくなる。
 本音を言えば、柘榴の親友に一番に挨拶しにいきたいのだが、彼の部屋に行ってしまうと、見たくない光景が広がっているかもしれないので、いけない。

 ――陽炎、という男。
 ただ、物理が強いというだけの男。
 何故か星座に好かれ、本人も星座には警戒心がかなり緩むというおかしな人間だ。
 陽炎には兄が居て、白雪というのだがそちらはちょっと、獅子座は苦手だった。
 何せ読めないのだ、思考回路が。何より、味方なのに敵のような、敵なのに味方のようなという変な感覚を持ってしまう。
 複雑な感情を獅子座は嫌った。

「陛下、何してるんだべ?」
「あーっと、色々頼まれてるんだ。蓮見ちゃんの術を解いたときの方法、数字、それから花の種類の調査。鳳凰座のねーさんに頼んで、花を買ってきて貰ってるんだ」

 柘榴はそう言うと、部屋に散らばる花を指さす。花といっても、花びらをむしり取られ、少し哀れな姿になっている花。
 獅子座は首を傾げて、まだ花びらを取られてない、綺麗な状態にある花を一つ取った。
 ダリア――といったか。嗅いでみてから、良い匂いで、綺麗な花だと思った。
 柘榴は獅子座の手元に気付くと、文字列を追いながらも獅子座に話し掛けるなんて器用な真似をした。
 
「ダリアの花言葉、知ってるかい?」
「花言葉? 花に言葉なんてあるんべか?」
「あるんだよー。お花にもね、色んな意味があって、それで口に出来ない代わりに託すんだよ、花に。色によって意味が変わるんだけど、全体的に、華麗、不安定、優雅、威厳、感謝、移り気だって。鳳凰座のねーさんは詳しいね」
「……――不安定で、威厳で、移り気で、……優雅」
「どっかの誰かを思い出すよなぁ」

 柘榴が含みあるような笑い方で、獅子座に話し掛けた。
 ――まるで、己の中の靄を知っているように。
 
 ダリアの花言葉を聞いて、益々思い出そうとしてしまった、嘗ての主人を。
 誰もが欲しいと願った、悲しい主人を。
 ふと、思い出す嘗ての主人との光景――あれは、そう、闇から解きはなったばかりのころだった。

(皇子ー、皇子、好きだ!)
(あー、はいはい。判ってるから。判ってるから、頼むから花持って口説きに来るな)
(だって、とても似合うべ! ざ……陛下に選んで貰った! お金取られたけど!)
(あの野郎……! 後で取り返してやる……。ん、判った、花だけ貰っておく。だけど、いいか、次に何か俺にプレゼントなんて考えたときは――)
 
「獅子舞?」
「え?! ……あ、ああ……」

 突然気付いた現実。突然消えた白昼夢。
 獅子座は白昼夢の懐かしさに泣き、涙を零した。柘榴は気付くと、少し黙り込んでから、微笑んでくれた。

「その花、置いて」
「え、ああ、判っただ、勝手にすまんべ」
「……んで、ほら。代わりに、これあげる。ハーヴィーから取り寄せた良い短剣でね、これをかげ君にあげるといいよ」
「へ?!」
「……――行っておいで」
 
 柘榴はどうして判ったのだろう。
 あの白昼夢の後、無性に陽炎に会いたくなってしまったことが。
 柘榴は何もかも知ってるような、知った上で見守るような暖かい眼差しだった。
 獅子座は机に置かれた短剣をしげしげと見つめながら、手に取り、それを両手に抱いた。

「……不思議だ。何だか、あげなきゃいけないような、気がしてきたべ」
「――うん、そうかぁ。じゃあ行ってくるといいよ!」
「有難うだ、陛下! 陽炎さんところ、行ってくんべ!」

 獅子座はにこやかに笑うと、だだだっと去っていき、扉の向こうで、陽炎の驚く声が聞こえた。驚いたかと思えば、喜んで騒いでる声が聞こえた。柘榴はそれに苦笑して、耳に止めておいた。
 
(時折、あんたを見ると悲しくなる、獅子舞――あんたは記憶なくして、あの人の無事を確認せず、主人が変わった人。あんたはそれでも、かげ君を熱心に慕う……せめて、思いに何かしら反応を与えてから、主人を変えさせればよかったと思った)
 
 先ほどあげた短剣。それは自分が使うために置いておいたのだが、獅子座からの贈り物としては最高に違いないだろう。
 本人が言っていたのだ、昔、アドバイスしてお金を貰っていた頃に。
 
(陽炎皇子は、花のアドバイスなんかより、武器を柘榴陛下から巻き上げろって言ってきたんだが、どうすればいいんだがが?)
 
 陽炎の武器好きは、この数年でも変わってないのだな、と少し笑えた。
 思えば、あの頃から武器が大好きなのだと。
 
「――かげ君、獅子舞の記憶って、どうすればいいと思う? あそこまで思われるの見てると、辛いよ? ……なんか、ね」
 
 柘榴はぼんやりとしながら、ダリアの花を見やった。
 別の女性が育ててしまったことにより、育て主に飽きられた花――ダリア。
 飽きる、ということは陽炎にはなさそうだが、移り気は結構ありそうだな、なんて思う。
 あそこまで派手ではないにしろ、優美とかいう言葉も当てはまって。
 
「ダリア、――ライオン騎士が愛する花、か」
 
 扉の向こうでは、今度は獅子座が怒鳴った声が聞こえた。多分、鴉座がやってきたか、蟹座と出会ったかしたのだろう。
 なだめてきてやるか、なんて思って柘榴は立ち上がる。
 
 遠き日の記憶は、誰にも漏れない――だけど、心の奥だけが無声で叫んでいる。
 獅子座の「記憶を返してくれ」という声を。
 
 プラネタリウムの主人ではなくなった陽炎には、もう届かない声――。
 
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