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第六部~梅花悲嘆~
第四十二話 どうして壊れてくれないの(第六部終)
しおりを挟む陽炎はもやもやとしていた――自分が働いた不貞行為、それは決して許されぬものなのに、鴉座は許すとも許さないとも言わなかった。
ただ別れるとは言わなかったが、それでも生き地獄状態のこの心境がもどかしくて、ついに夜、陽炎は鴉座に思い切って、言ってみた。
「やっぱり、よくないよ、俺がしたことって」
「――そうですね」
「怒ってるんだろう?」
「――怒ってますよ? 例え、何か術がかけられていたとしても、あの日逃げて抵抗する素振りは欲しかった。だのに、貴方はそんな素振りは見せなかったと酒場では聞きました」
「……――ああ、抵抗、しなかった。あの時は、早く熱を消化したかった…んだ…」
陽炎は言いづらそうに、顔をしかめて、伏せる。
だが鴉座はちらりと見やるだけで、顔を窓の外に、また向ける。こんな態度をとっているが冷たくしてるわけでも、拗ねてるわけでもないのが判る。
ただ、どう対応すればいいのか、どういった罰を与えればいいのか判らないだけなのだ。互いに。
「……――俺、本当にごめん」
「――……そんな声を出さないでください」
鴉座は窓の近くに寄せていた体を、陽炎に向き直らせて、陽炎に指の動作で招く。
指の動作が何処かエロかったが、気にしないことにして、陽炎は鴉座の側に近寄ってイイかどうか迷う。
己にはまだ、彼の側に居て良い資格はあるのだろうか? 己はまだ彼に愛されていいのだろうか。
陽炎は口を真一文字に、表情を困らせていると、鴉座が待つのが疲れたのか、自ら陽炎のところに歩む。
陽炎の腕を掴むと陽炎が今にも泣きそうな顔で、あ、と呻く、その声に鴉座は口端をつり上げる。
「貴方のイイ声を聞かせた、彼に?」
「……――全部、聞かれた」
「貴方のイイ所も触られた?」
「――ああ、ああ、そうだよ! 全部ッ、触られたッ!」
「……――陽炎、私に恋慕させたのは、お前だ。そのお前がどうして、他の者に体を開く?」
――陽炎のことを、お前呼ばわりするなんて、陽炎に警戒していた頃以来で、鴉座は己でも抑えきれない怒りだったのかと自覚し、自嘲気味に笑った。
陽炎は掴まれた腕をそのままに、顔を背け、目を伏せる。
目を伏せる彼に、鴉座は「私を見てろ」と命じ、陽炎は逆らえず、鴉座の瞳をおそるおそる見つめる。
鴉座の目は、蒼炎のように、冷たく見えそうなのに物凄い熱を持っていて、それが陽炎に伝わり、ごめんなさい、と再び謝った。
「――……陽炎、もしも次、があったら、その時は抵抗する素振りくらいはお見せあそばせ? まぁ――そんな術をかける隙、与えませんけれど」
「鴉座……」
「おいで、陽炎。貴方の心を塗り替えて、さしあげる。私と同じ色に染まって」
陽炎がうん、も何も言わないうちに、鴉座は陽炎を抱いた。
彼を痛めつけるように、でも壊さないように抱き、彼を泣かせた。
優しいキスをすると、彼は安心して、もっとと強請る。優しいキスなどいつもならば、突っぱねてかえすのに、今は優しいキスが一番欲しいもののようだった。
優しいキスは許された証のような気がして、陽炎は、それをされれば鴉座を傷つけた出来事が許された感覚になり、泣きそうになる。
いつもならば痛いこの行為も、今はそんなこと気にならない――ただ、彼に罰を与えて貰いたかった。
決して彼から離れられない鎖が欲しかった。
夜、白雪から指輪を奪った指輪を月明かりに照らす。行為が終わった後に、陽炎が隣で熟睡しているのを確認し、鴉座は指輪を嵌めてテレパシーを使う。
(――菫?)
(……何や、けったいな声は。一番に聞くのは陽炎の声やと思ったんになぁ。何や、許したんか、陽炎を)
(……――許すわけ、ないでしょう?)
鴉座は不敵に微笑み、指輪を摘みながら、その指輪越しに呪いが込められるような思いで、睨み付ける。
それはそれはとても穏やかな凶器。眠っている陽炎でも、気付かぬ凶器を瞳に込めている。どんな生き物でも、今なら陽炎を奪うと一言でも言えばのど笛を斯き切られそうな、それでもそんな素振りを一切見せない、穏やかな口元。
(……じゃあ、どうしたんや? 陽炎をいじめてしもうたか?)
(……――許すフリをしました。だってそうすれば、彼は罪悪感で益々私から離れられないでしょう? プラス面もマイナス面も、私で埋め尽くされるでしょう?)
(黒いわ。陽炎馬鹿やな、お互い。むかつくわ、今、オマエ殴ることできひんのが)
(残念でしたね。でも近々、其方へ私たちも行きます。その時、お話ししましょうか。あんなに効果的な挑戦状は初めてでしたもの――腸が煮えくりかえりました)
(――……ええやろ。判った、ミシェルに来たら、すぐに言ってぇな? 迎えを出させるさかいに……)
(貴方、向こうでそんな特権があるんですか?)
(……はは、僕は、な。鴉、僕はミシェルの――核の一つなんや。こっち来て、判ったわ。僕は、陽炎の物になることができへん。僕は陽炎の物になりたかったのに。僕の命、果てるまでミシェルのものや……。僕は、何処までもミシェルのものなんや。つま先から髪の一本まで。……せやから、あんまり、ミシェルには来て欲しゅうなかったんやけど、しゃーない)
「……仕方ないことなんて、何一つないですよ」
鴉座はそう言ってテレパシーをやめる。
――あの時、陽炎が、人の物になったとき、不安が過ぎった。
この人は、本当はやっぱり人間相手のほうが良いんだ、なんて思ったりもした。だけど……やはり、手放せない。
こんな、己を国の物だと、物扱い断言出来るような男に、それも何処までも苛つくこの人間くさい声に。
人間になど、渡してたまるものか――この人は、自分の側に居て欲しい人なんだ、この人の心はずっと己の側に寄り添うのだ。
人間に、菫になど奪われてたまるか――鴉座は、暗闇の中、薄く微笑んだ。
夜と、花がぶつかる――紫によく似た色の、花が。
夜は、力の限り、花を暗闇で覆い隠そうと誓う――決して、愛しい人の目に留まらぬように。愛しい人が、再びその花に心奪われないように。
「――男の嫉妬は、醜いですよね……それでも、せずにはいられない。愛されやすい貴方だもの」
鴉座はそう言うと、指輪をゴミ箱に捨てた。
それを翌日白雪に拾われ、研究対象とされるのだが――。
夜の闇は、色濃く――。
心の芯まで、包み込む。
例え、他の色に包み込まれようとも。
そんな占い結果。
水晶に映る、闇夜と菫の花。字環はそれを見つめ、目を細め苛つく。
「どうして――壊れないんだ。どうして、貴方達の関係は壊れないんだ。僕が願うものは全て叶わない世の仕組みなのか? それがこの世界の理だというのか、水晶よ」
字環は、空中でしゃがみこみ、頭を抱えた――。
まるで、現実から逃れたいように。それはまるで、以前の陽炎のようだった。
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