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第六部~梅花悲嘆~
第二十四話 さあ怒って、泣いて?
しおりを挟む話していると、時間はすっかり夕方で、陽炎は何処か己の体が熱いのを感じてくる。
(気のせい……だよな?)
「陽炎、んじゃ酒場の方に案内してや、そっちで飲もうで」
「お、おう」
陽炎は酒が飲んでないのに、既に少し火照ってきてるのに疑問を感じながら、店で勘定を済ませ、出て行く。
そして馴染みの酒場に行って飲んで、時間が夜も更け始めた頃だった――。
気付けば、菫が手を撫でていた。
何故だかそれが心地よく、陽炎は酔ってる所為もあってか、体が完全に火照ってるのに気付いた。
(――なん、で……どっか変だ、俺……)
「陽炎、僕が泊まってる宿に来ぃへん?」
「……ん」
「そこで、飲みなおさへん? ここ、人の念が強すぎるねん」
「……そこで何する気だよ……」
何かあったとして、思い当たるならば、あの箱か、この酒かどちらかだ。
でもどちらであったとしても、もう何かされたことには変わりないのだから、陽炎は熱っぽく潤んだ瞳で、菫を睨み付ける。その瞳が益々菫を欲情させるというのに。
菫は口元に思わず弧を描いて、瞳をきらりと怪しく光らせた。
「え?」
「何か、盛っただろ? ……何か、変なんだよ……」
「どう、変なん?」
菫がにこーっと微笑み、手を撫でていた手を、頬に移動させて、首から唇まで、そっと撫でる。
唇までくると、唇を軽く押して、耳元で何か囁いた。
(やりたいんやろ? なら、僕の宿、来ぃよ。外泊で怒られる年とちゃうやろ?――)
陽炎は、耳からの甘い吐息をフとおまけされて、身を震わせる――芯がぼぉっとする状態でそんなことされては、背筋が粟立ってしまう。
陽炎は、どきん、として、菫の耳元に囁く。
(はなから、これが狙いだったか。――この色情魔! テメェ、許さねぇ……!)
(ちゃうで、オマエだからそんな必死になるんや。なぁ、オマエも僕相手なら悪い気せぇへんやろ?)
(……――うるせぇ、黙れ……お陰で、熱いんだよ…!)
心の何処かで何かが引っかかったが、黒い羽、そう強いて言うなら黒い羽が引っかかったような感覚がした。
黒い羽が心の中に落ちて、水面をざわりと揺らした気がしたが、それをなかったことにしてしまう陽炎。
だって、こんな状態では何も考えられない――ただ、熱をどうにかしたいことしか考えられない。
ぞくぞくとしっぱなしで、陽炎は頭の芯がぼうっとしたまま、体だけが反応する。
(牡丹――僕、めっちゃ牡丹が欲しい。あかんか?)
だから、耳を甘噛まれるように低い声で、そんなことを言われると、もうどうでもよくなる。
ぼうっとした頭でしたことは、最悪な選択。
菫は陽炎を連れて、宿に向かわんと、引っ張り出す。金は多めに支払って。
陽炎はぽわーっとしていて、そっちの気があるものが見れば、誘ってるとしか思えないような色気に満ちた目をしていた。
時折睨み付けてくる目の色は扇情的で、時折漏れる吐息は欲情色で。
陽炎の苛つきも、誰の目にもただ情欲を誤魔化してるだけにしか見えなかった。
――だから、そっちの気がある者は、興味を持つのだ。
「よぅ、兄ちゃん、ちょっとおれたちについてこねぇか?」
「――何だよ、……?」
陽炎が手を下すよりも早く、菫が手を下そうと動いていた。
こんな時に邪魔な連中だ、と薄く思いながら。
陽炎から手を離さず、戦っていると、陽炎と引き裂かれた。
男は陽炎を抱えて、何処かへ向かう。菫は、危ないと思い、慌てて超能力を使い出す。
だが、大量の血反吐がこみ上げてきて、あまりの吐き気に使うことが出来ず、むちゃくちゃな太刀筋ながらも、相手をしている男を切り終えると、「陽炎!」と慌てて陽炎を探す。
途端、馬の足音が聞こえたので、菫は慌てて近くにあった自転車を奪い、乗って追いかける。
「ぜぇっ、ぜぇっ、ま、待ちぃや!」
「ははははは、こいつぁ高く売れそうだからなぁ! コネのある貴族んとこにでも売って、美味しい思いをしてやらぁ! その前に頂くのも悪くないがな」
「誰が、そんな目に遭うかッ!」
陽炎は声を荒げて、己を抱えて馬を操る賊を殴り倒し、落馬させる。
陽炎は手綱ではなく、馬の首を持って、ぐらぐらとする頭で必死に縋っていた。
菫は、馬を止めようと、超能力を使おうとするが、一気に頭痛がする。割れそうなくらい頭が痛い。
「ぶつかる! あかん!」
菫はそれでも、構うものか、と超能力を使った――だが、それは微妙に失敗し、陽炎は馬ごと壁に衝突し、落馬した。
陽炎の頭から、じわっと、どろりと溢れる血の色は、己が吐く血よりも鮮やかで。
菫は慌てて、回復する為に超能力を使おうとするが、体に激痛が走り、もう動けなかった。
これは無理矢理に彼を手に入れようとした罰なのか。そして陽炎は鴉座を裏切ろうとした罰なのか。
どちらにせよ、世の中には腹の立つ神様がいると菫は思いながらも、必死に陽炎に己の力をかける。
陽炎の体は温かく曙色に染まり、丁度その時に伊織が現れた――。
「っち、コノ気配は妖術……誰かが、邪魔してきたンダ。大丈夫、君たちを死なせない――バイオレット、君は大事な鍵なんだかラ」
「げほっ……い、伊織……ぜぇっ、ぜぇっ」
「無理して呼吸しようとシナイデ。一度、全部喉にある血を吐きナサイ。治療は任せて――」
「あかん、オマエ……オマエかて、ッぜっ……はぁ……オマエかて、存在の限りは力次第やないか!」
月明かりに照らされて、伊織は神聖な笑みを浮かべる。まるで、聖人君子のような慈愛の笑みを。
そうして、菫の額に、布の塊みたいな己の指先をあてて、回復させる。
陽炎の方も、まだ完璧に治せていないから、伊織は陽炎の方にも力を与える。
(――いっそ、彼らのことを忘れてシマエばいい。だから、これは君の怪我が治る代償ダヨ、陽炎)
回復の暖かみとは違う、一瞬の冷気に菫はびくりとし、身を起こすと、陽炎に歩み寄り、陽炎を抱き寄せながら、伊織を見上げる。
伊織は、先ほどの笑みが天使だとすれば、今度は悪魔のような笑みを浮かべた。その笑みに何かしたのだと悟る菫。
「何を、した!? 陽炎に何をしたんや!?」
「記憶を、消したヨ。君が知ってる牡丹という人物に、戻したダケだ」
その言葉に菫は、文句を言おうとしたのだが――。
陽炎の呟かれた「スミレ」という言葉を耳にすると――邪な心が、彼を支配してしまう。
菫は、陽炎を抱えて、――己の宿へと向かう。
字環はそんな様子を眺めて、また一人でくすくすと笑った。
事態はとても楽しい方向に動いている。陽炎を取られるのは嫌だが、まさか心が全てあんな当て馬にとられるわけではなかろう。今は、少し、貸し出ししてるだけなのだ。
鴉座という気にくわない星座へ、嫌がらせをしているだけなのだ。
この事故は己の演出、この結果は占いで出た物、全て狙い通りだ。
「ふふ、夢を見る人は馬鹿だ――愚かな希望に縋り付く。そんな希望、朝露の一滴ですらあり得ないというのに」
字環は夜空に浮かび、くるりと回る。
これからが愉快だ――鴉座と陽炎の関係が巧く壊れるといい。己の楽しみと、願いを込めて、連れ去られて小さくなった陽炎を見やる。
「さぁ、鴉座クン、盛大に怒りなさい。陽炎さん、泣きなさい――それが、僕の楽しみだ」
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