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第六部~梅花悲嘆~
第二十話 どうせ果てるのだから諦めてる
しおりを挟む――夏の、己のように恋いこがれて歌い続ける蝉の声が聞こえる。
蝉、か――。
蝉は短命ではない。蝉は、地中で長年幼虫として生きてきたのだから。それでも何処か儚い命のように見えて、親近感を覚えるのは、悪いことだろうか。
咽せて、菫は手のひらに、最近刻み込まれたようにすぐに現れる赤い露を見て、顔を顰める。
「何故そんな顔をしてるんダネ」
「伊織(いおり)――」
ぱっと顔をあげれば、そこには妖仔ではない、この世の生き物でないような神秘的な空気を纏った者が、そこに。
それは長い長い髪を持つ、蒼銀の髪の毛で、服は和装の男だった――。
幾重もの羽織や単衣を着ていて、羽衣を羽織り、その服装は東国ミシェル以外では見かけないからか、神秘的な者だった――。
長い不思議な布の塊のような袖を口元に持ってきて、その男は近づいてくる――。
この男が己に接触し出してきたのは、つい最近ではない――能力の所為で体調が悪くなり、寿命も減るのだと判った辺り。寿命も数年だろうか、と感じ始めた頃だった。
赤蜘蛛の元で世話付の、世間体ではちゃんと養子縁組した息子となって数年の頃だった。
己は受け継いだ賊の頭をやめて更正したばかりで、何を正義とし、何を悪とするかを赤蜘蛛の元で学んでいる頃だった。
そんな頃に、この男はやってきて、ミシェルの話をしだした――。
東洋は神秘的だが、その中で尤も不可解でエキゾチックな国とされているミシェル。
ミシェルという国の、戦力となるために己は生まれてきたと言うのだ。こんな短命の命を、ミシェルにかけろと言ってくるのだ。
「……何や、オマエか」
だから、菫は伊織には冷たかった。
精々能力と引き替えの短い人生だ、好きにやらせて貰いたい。
でもそれは決定事項とされているので、行かなかったら赤蜘蛛が酷い目に遭うと脅されてるので行かざるを得ない。
菫の反応に伊織は決して動じない――まるで、そんな些末なことどうでもいいかのように。
伊織には何処か感情が欠落してるような印象を受ける部分が多々あった。欠落というより、箱入り息子のように世間を知らないな、と思うことが。
伊織は、サンドイッチを見たときなんか五月蠅くて、それを与えたら一日中眺めて、次の日食べて胃を壊していた。
止めなかった自分も自分だが、こいつもこいつだと菫は思う。
「相変わらず冷たいんダネ。予は寂しいヨ――泣いちゃッテモ知らない?」
「知らんわ、おんどれのことなんか。何で気にせなあかんねや。ミシェルにはちゃんと行く、言うたはずやけど」
「ウン、知ってる。さっきの人間が、行く前に会いたいッテ言っていた人間ナノ?」
「……せや。べっぴんやろ!? あああ~小さかった頃を思い出すわぁ。あの頃は、ほんに粗野やったけど、見かけだけは何処かの令息みたいやから、皆して可愛がったわー」
ほぅ、と息をついて、菫は昔を思いだし、記憶の中の陽炎にうっとりとするが、瞬間、咽せて、また血反吐を吐く。
それを見て、伊織はふむ、と唸り、指先に光りを集めて、花の――梅の香りをさせて、袖に隠れた手を、そっと菫の額に触れさせる。
すると、菫の体は楽になり、菫は無意識に安堵の息をついた。
それから、体が温かくなると、はっとして、伊織を睨み付け、今度は血が出ない咳をしながら、指さす。
「余計なことすんなや。どうせ果てる命やさかいに」
「――手厳しいね。諦め癖はやめタ方がイイヨ。ああ、でも陽炎は諦めなかっタネ! ドウシテ?」
「……この苦節何十年の片思い、諦められるかっちゅー話や」
それでも諦めかけてはいたのに、思い出さなかったら諦めていただろうに、そもそも気付いたのは最近だったのに、と何処か伊織は可笑しくて、思わず、ぷっと噴き出してしまった。
それを見て、菫は冷たい目をして、伊織を見やる。
「それで、何の用や?」
「――バイオレットが諦めなかった記念ニネ、片思い手伝おうト思って」
「……いらんお世話や。帰れ」
「此処に出したる~は~」
「帰れって言うてるんがわからへんのか?!」
「謎の玉手箱~。これを使えば、一番好きな人を大嫌いになる透明の煙が入っているンダヨ――妖術じゃないカラ、妖術に敏感な彼らは気付かない、何が起こるかナンテ。その後の展開は、君次第ダネ」
「……一番好きな人を、嫌いになる?」
菫は、怒り眉を更につり上がらせたが、怒ってるわけではなさそうだ。
目を細め、黒い漆塗りの玉手箱を見やる――玉手箱とは、また東洋的なものできたな、と思いながら、なんか使い方間違えてないか、と思いながら。
でも――今のままでは、鴉座に勝てない気がする。
人は皆、海幸のように正常心で居られるわけがない、それを手に出来るチャンスがあって。
何より菫は根は盗賊の性分だ、手に入れることが出来るチャンスがあって、それを見過ごすわけがない。
だから、菫は受け取って――誘惑に負けて、陽炎にそれを贈ることにしたのだ。
(牡丹――……正気にさせたる)
「夜は君が願えば相手を求めるヨウニなるから、気をつけてネ」
「これやから男っていややわー力ずくで手にしようとするから」
「……でも拒まないんダネ?」
伊織がそう首を傾げると、菫はにやっと笑い、片眉をつり上げ、少し粗野に見える笑みを見せる。
「僕も男やからな。チャンスがあったら、掴む。……嗚呼、牡丹……愛しい牡丹」
――それを見過ごすことができないのが、夜空を照らす月。陽炎を照らすことはできなくても、陽炎を突き落とすことはできる。
だから、字環は会話を盗み聞きすると、口端をつり上げた。
「そんなに欲しいなら、夢を見せてあげるよ――だけど、その代償は大きいからね。術を使って手に入れるなんて、僕だけがしていいんだ」
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