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第四部 亜弓と呉~氷の孔雀編~
第十八話 柘榴と陽炎を売って欲しい(終)
しおりを挟む呉が居なくなってから月日が経つ――亜弓はあれから海幸にお断りの返事をすると、海幸はそれでも暖かい目で「いつまでも見守ってる」とだけ言ってくれて、諦めてくれた。
己は次期族長の地位まで上り詰めた――風花だけでなく、妖術も海幸から教わって、蒼刻一に対抗する術をもったのだ。
ただ力量が、その術に対して己と釣り合わないので使えないが、次世代に託せる。
楽しみな手紙、柘榴からの手紙を楽しみとして生きている彼に、ふと変化が訪れた――。
それは――。
――夜中三時。
寝る前に森林浴をしようとした時だった――。
「亜弓様ぁ」
「……その声、……ゴースト?」
声に気づくと幽霊座は姿を現し、わっと亜弓に抱きついて泣きつく。
ぐすぐすといつまでも泣くので、懐かしさは何処かへ置いて行かれて、どうしたのだろうという気持ちと、呉は何処へ? という気持ちで、亜弓は一杯だった。
幽霊座は一通り泣いても泣き終えないので、痺れを切らした亜弓がごつんとゴーストの頭を殴った。
「やいやい、男子たるもの、簡単に泣くんじゃない!」
「う、うう、うぁ、あ……だって、亜弓、様、久しぶりに、会えた……ッ。アクマが行っておいでって言ってくれ、た、から、蒼様の目を誤魔化して、行けたッ」
「……――ちょっと、何がどうなってるの?」
「仮ご主人様が、仮ご主人様が、死にそうなんですっ!!」
「なんだって!!」
亜弓はその後ゴーストと何を話したか、覚えていない。
だがいつの間にか雲の城へと招かれて、城の闘技場でぼろぼろで人外の妖仔達と戦ってる呉の元に連れて行かれて、彼を見た瞬間、経緯などどうでもよくなり、心配と恐怖と愛しさが募る。
「呉!!」
「……――ぅう」
「呉、呉ってば! 君、気づいてて無視してるのか!? だとしたら、相当性格悪いぞ! 僕だ、僕だよ、呉!」
「……――あ、ゆみか?」
声に漸く反応した呉が振り返り微笑んだ瞬間、人外に攻撃されて此方へ殴り飛ばされた。
亜弓の足下に転がると、呉はそれきり起きあがらず、ぜぃぜぃと息を切らしている。
「呉――呉、何だってこんなことを」
「お前の、呪いを、解くためだよ――孔雀との馬鹿な契約を破棄する為だ!!」
「仮ご主人様、こうやって、っずっと別れてから、戦い、つづけ、てい、たんだぁああ」
幽霊座が泣くとすぐに消えた。呉が本気で怒ると、蒼刻一よりも怖い気迫が出るようで、その睨み付けに耐えられなかったのだろう。
その時に起こした行動は、また別の話だ。
亜弓は胸に溜まる泣きそうな感情を必死に堪えるために、口元をぎゅっと閉める。
「――馬鹿だなッ、呉は!」
「ああ、馬鹿で上等だ! 大馬鹿な生き物に成り下がったんだ! お前なんかを求めるんじゃなかった!」
「ほら、後悔してる! なら、どうして――」
「俺でなきゃ、誰がお前を救う――? 後悔してもな、どうあっても脳裏に過ぎるのは一人なンだよ」
「……――ぼく、ぼく、ぼく……」
亜弓はしゃくりあげて泣き出す。
ひっくひっくと必死に呼吸しようと頑張るが、落ち着いた呼吸が中々出来ない。
涙は零れるし、その涙は呉に当たるし、最悪だ。
――孔雀が五月蠅い。
呉を独占するなと、孔雀が五月蠅い。
だけど。
(そんなの知ったことか! 君は僕に飼われてるんだ、黙って見ていろ!)
(覚エテロ、小僧、貴様を殺シテヤル)
孔雀の声が聞こえた気がしたが、そんなの知らない。
亜弓は呉に抱きつき、泣く。
「僕なんか、ほっとけよ!! 呉なんか、呉なんか、大馬鹿野郎だ!」
「そうその声が聞きたかった――……益々、この賭け、勝ちたくなった。何より……」
(亜弓の孔雀の術? ああ、あれはな――数年経つと消えるから安心しろ
何せ、宿主がその氷に氷漬けされて凍死するように出来てるからなァ?
力を代償に、何かを失うのは当然だと教えたくてネ。……鴉座なら、呪いを食ってくれるかもしれんが、あの呪いを食うには今からじゃ間に合わないくらい時間がかかる)
蒼刻一の言葉が脳裏に過ぎる――呉は己を奮い立たせて、膝をたてる。
がくがくとそれは震えて、長期間ずっと戦い続けてきた疲労を訴える。一度倒れると体は脆くも疲れを訴えてくる。
それを見かねた蒼刻一が現れる。
「呉、今なら条件変更してやってもいいぜぇ? っていうよりー、僕はぁ、最初からこっちのが目的だったんだけどなァ? 最初から言うと、テメェ本気にしないからなァ」
「……なんだ、条件は」
「呉、こんなのの言葉、聞かなくて良い!」
「聞かないとお前は死ぬ!」
「死んだって……」
「死んだって良いとか言うんじゃねぇぞ! この糞ガキが! いきがるんじゃねぇ! いいか、お前の命はお前が作ったんじゃねぇ! 勝手にぞんざいに価値を決めるんじゃない、馬鹿野郎が!」
呉の激高は亜弓に分かりやすく伝わり、亜弓は一瞬呉に怯えた。
あの日のような恐怖はうんざりだった、もう二度とあの子供を失いたくない、そういう気持ちから呉は激高した。
例え亜弓が己があの時の子供だと気付かなくても良い、言うつもりもない。それでも、彼には命をぞんざいに扱っては欲しくなかった。
(強気でいろって言ったのはお前じゃねぇか!)
呉の気迫が怒りに包まれているのだろう、亜弓は言葉を無くす――呉はその鋭い眼差しのまま、蒼刻一を見やる。
蒼刻一はくくっと喉奥で笑いながら、二本指を出す。
「二人、人間を連れてこい。僕にそいつらを売れ」
「誰だ」
「――なぁに、やり甲斐のある人間さ。陽炎と、柘榴だ。一人は元プラネタリウムの主人、もう一人は亜弓がよぅく知ってる。なァ?」
その名を聞いた瞬間、亜弓は全身が凍り付いた。
心臓まで凍り付いたような感覚がして、それに孔雀が笑った気配がした。
ざまぁみろ、己を裏切った代償だと、孔雀が笑った気がした。
「嫌だ」
亜弓の言葉は自然と零れ出ていた。脳なんて通らず、そのまま口に出している。
「嫌だ、柘榴兄、陽炎さんを犠牲にするなんて嫌だ!」
「――やる」
「……! 駄目だ、駄目だ呉! ……僕は身内を絶対に売らない。呪いなら、鴉座に食べて貰えばいい! ゴーストがさっき言っていた!」
「それじゃ間に合わないんだ!」
「無理なものは無理だ! 呉……僕だって、僕だって辛いんだよ。君が……君が、“嫌い”だ!!」
ガンジラニーニの言葉では、それは好きだも同然で。
呉はそれを喜ぶ暇もなく、亜弓に香毒を嗅がせて意識を失わせる。
陽炎達を攫うまで、海幸に預かって貰おうと思い。
呉は亜弓を大事そうに抱えて、その髪に顔を埋め、亜弓の冷たさにぞっとする。
この体がいつ死人になるか、それを考えただけでぞっとする――今度こそこの子供は死人になってしまう。もう、死んで欲しくはなかった。
呉は、亜弓に小さく愛してると呟くと、切なげな目から、鋭い視線に変える。
「蒼、その約束守れよ――」
「ああ。それと、テメェには見張りをつける。力にもなってくれるだろう、幽霊座と悪魔座だ。おい、悪魔座、幽霊座どこにいっちまった?」
「え、あ、本当だ、気配が消えてるね。遠くだ――カラス兄さんといる」
悪魔座の嫌そうな顔に蒼刻一は、っち、と舌打ちをするが、それに構うことなく呉は亜弓を担ぎ、悪魔座を引っ張り、城を出て行く――。
そして、郷に行けば、皆が亜弓を探していて、呉は海幸を探す。
海幸が一人で森に立っている頃に、現れ、亜弓を渡すなり帰ろうとする。
だが、海幸が引き留める。
「――元ライバルとして、一言いいかな?」
「何だ」
「……――鮎は、どうしたんだ? 死人より冷たい……何をした?」
「孔雀の寿命が来ただけだ。それとも、俺がこいつと通じ合ったのが悔しいのかもな?」
「成る程。戻ることがあったら、殴らせろよな、呉」
呉が去った後、亜弓はそれを合図にしたようなタイミングで意識を取り戻し、海幸を見るなり、泣きそうになりながらも、海幸に言葉をかける。
「――すぐに旅立ちの準備を。僕は陽炎さん達の所へ行ってくる。何も聞かないで、その間僕の代理を務めてくれ……頼む、海幸」
「――……鮎坊は昔から、言い出したら聞かないから、なぁ? いってらっしゃい。何も言わず送り出してやるから、無事に絶対に帰ってこいよ? また、黙って居なくなるような真似はしないでくれ――おにーさんからのお願い」
「……有難う、海幸」
さぁ、歯車は動き出す――。
陽炎を軸とした歯車が――仕掛けたのは蒼刻一。
動き出す歯車は、きちんと合わさって仕組みが起動するのか、それを阻止出来るかは――陽炎や亜弓次第。
手負いの獣は動き出す――孔雀を氷から救うために。
(強気で居ればね、幸せは来るんだよ、呉)
(じゃあ、おれ、ずっと強気で居るよ。どんな時も、強気でいる――亜弓。だから、亜弓も笑って。亜弓が笑ってくれたら幸せだし)
(呉はお手軽だね。いいよ、ずっと側で笑ってあげる。どんな状況でも、どんな関係でも君に笑いかけて「元気かな?」って聞いてあげるよ。もし、僕が大きくなって君のことが分からなくなっても、僕はいつだって君が幸せでいるよう笑っているね――呉)
孔雀の宿主の笑みは、穏やかに常に、月夜と共にある。
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