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第四部 四章――斯くして彼は大変傷付いた
番外編 鴉座と陽炎
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奴隷だったなんて知らなかった――。
囚人だったなんて知らなかった――。
盗人だったなんて知らなかった――。
どれもこの時代を生き抜くには、捨て子には仕方がないことなのかもしれないけれど、まさかこの見かけだけは上品な男がそれを経験しているとは思わなかった。
鴉座は己の横で眠る男を見て、ため息をつく。
天気が良いので、庭の大きな桜の木の下で読書をしようという話になったのだが、陽炎は読んでいく内に飽きたのか、ごろんと横になり、寝息を立ててしまった。
己はそれを放って読書の世界に浸っていたが、本の内容に奴隷というものが出てきて、ふと思い出した。
「陽炎、奴隷時代は辛かったですか?」
陽炎は朗らかな顔で、寝息を立てている。
見えない。
苦労して育った風には見えない。そのまま何処ぞの金持ちがそのまま甘やかして育てたように見える。
何せこの男は子供のような甘いことばかりを言うし、人を憎みきることをしない。
普通ならば、そのような経験をしてしまえば誰かを、誰かでなくても運命を憎むと思う。
だけど、この男は時の流れに身を任せ、抗うとなればプラネタリウムのことだけで。
世間知らずの大人だ――。
「……陽炎、心の痛み虫の形はどんなのですか?」
心に痛み虫が出来るなんて、相当酷いことが彼に積み重なったのだと思う。
白雪が言っていた。心の痛み虫は、今までの経験が積み重なってそれを心の奥底に抱えたままの状態のとき、出来るのだと。
だから、柘榴や通常の人は出来ない。大抵は、奥底にあっても晴らせるし、人は普通忘れる。
でも陽炎はどの思い出も捨てようとしないのだ――その中には、彼なりの大事な物が詰まっているから。
その出来事があったから、己と出会えたと思っているから――。
「……馬鹿な人」
鴉座は陽炎の額にそっと手を伸ばし、髪の毛をさらりと額から横に流させる。
手触りの良い髪も、透き通るような白い肌も、奴隷だったものだとは思えない。
「――つれない人」
鴉座は呟き、本を閉じて、陽炎の額からつつっとなぞり、頬まで辿り着く。
陽炎はくすぐったそうに身じろぎ、少し苦しそうな顔をした。
「心に何か抱えているのなら、私に言ってくださいよ」
「……――むにゃ」
「私だけ、貴方を知らないなんて――狡いじゃないですか、我が君」
陽炎は眠っている。
健やかな寝顔、この下には幾つ苦しみが隠されているのか。百も痛み虫を集めるほど、痛みに耐えた男。その苦しさを和らげてやりたい。悲しい顔をされる前に、安らぎを与えたい。
「陽炎、私は頼りないですか?」
「……――うう」
「頼りなくても、――ずっと貴方を離しません。私の檻から、出しませんよ」
「……それじゃあ、昔と同じだろ」
「おや、起きてらっしゃった?」
陽炎の返事があると、鴉座は大して驚いた様子もなく、にこりと微笑み、顎を掴み、此方へと向ける。
陽炎は目を伏せて、気まずそうな顔をしていた。
「俺、最初の頃のお前は嫌だ」
「――……何故? 昔の私ならば、貴方を誰よりも理解していたんじゃなくて?」
「……――うん。だけどな、人と接するのを嫌っていたから……お前も俺も」
「……私は、昔も今も、“私”ですよ」
「……うん。それを俺もいい加減覚えないとな。お前に申し訳ないや」
陽炎はくすくすと笑い、上体を起きあがらせる。
それから鴉座の顔を見やり、前半の鴉座の言葉は聞いてなかったのか、小首を傾げる。
「何を寝てる俺に言っていたの?」
「――奴隷時代は辛かったですか?」
「あー、まぁな。毛布一枚で奪い合い、貶しあい、罠にはめたりとかね、あったよ」
「……――そんな中でよく暮らせましたね」
「あはは、幸い、肉奴隷になるまえにプラネタリウム拾って逃げられたけれどな」
「っへ!? 肉奴隷!?」
思いも寄らぬ言葉に鴉座は目を見開き、それから見ても居ない陽炎の主人を思い浮かべて、その顔に想像の世界で目つぶしをした。
陽炎はくすくすと笑いながら鴉座の頭をぐしゃっと撫でて、その頭をべしっと叩く。
叩かれた鴉座は苦笑を浮かべて、陽炎を抱き寄せて、その頭に顔を埋める。
「貴方が無事で何より」
「だな。俺もそう思う」
「――陽炎、これから先、何を犠牲にしても、……貴方自身を騙しても、貴方と貴方の幸せを守ります」
「……っぷ、何だよそれ。俺を騙す? ――お前は腹黒いからなぁ、どうなるか怖いけど、しっかり俺だって守るよ」
「……陽炎……好きですよ」
鴉座からの言葉にくすぐったそうに陽炎は苦笑を浮かべ、鴉座の頬にキスをする。
「さむぅ!! 何であんなのに耐えられるの、かげ君! さむぅ!!」
偶然見かけて、思わず立ち聞きした柘榴が鴉座のくさい台詞の数々に鳥肌をたてていたそうな。
囚人だったなんて知らなかった――。
盗人だったなんて知らなかった――。
どれもこの時代を生き抜くには、捨て子には仕方がないことなのかもしれないけれど、まさかこの見かけだけは上品な男がそれを経験しているとは思わなかった。
鴉座は己の横で眠る男を見て、ため息をつく。
天気が良いので、庭の大きな桜の木の下で読書をしようという話になったのだが、陽炎は読んでいく内に飽きたのか、ごろんと横になり、寝息を立ててしまった。
己はそれを放って読書の世界に浸っていたが、本の内容に奴隷というものが出てきて、ふと思い出した。
「陽炎、奴隷時代は辛かったですか?」
陽炎は朗らかな顔で、寝息を立てている。
見えない。
苦労して育った風には見えない。そのまま何処ぞの金持ちがそのまま甘やかして育てたように見える。
何せこの男は子供のような甘いことばかりを言うし、人を憎みきることをしない。
普通ならば、そのような経験をしてしまえば誰かを、誰かでなくても運命を憎むと思う。
だけど、この男は時の流れに身を任せ、抗うとなればプラネタリウムのことだけで。
世間知らずの大人だ――。
「……陽炎、心の痛み虫の形はどんなのですか?」
心に痛み虫が出来るなんて、相当酷いことが彼に積み重なったのだと思う。
白雪が言っていた。心の痛み虫は、今までの経験が積み重なってそれを心の奥底に抱えたままの状態のとき、出来るのだと。
だから、柘榴や通常の人は出来ない。大抵は、奥底にあっても晴らせるし、人は普通忘れる。
でも陽炎はどの思い出も捨てようとしないのだ――その中には、彼なりの大事な物が詰まっているから。
その出来事があったから、己と出会えたと思っているから――。
「……馬鹿な人」
鴉座は陽炎の額にそっと手を伸ばし、髪の毛をさらりと額から横に流させる。
手触りの良い髪も、透き通るような白い肌も、奴隷だったものだとは思えない。
「――つれない人」
鴉座は呟き、本を閉じて、陽炎の額からつつっとなぞり、頬まで辿り着く。
陽炎はくすぐったそうに身じろぎ、少し苦しそうな顔をした。
「心に何か抱えているのなら、私に言ってくださいよ」
「……――むにゃ」
「私だけ、貴方を知らないなんて――狡いじゃないですか、我が君」
陽炎は眠っている。
健やかな寝顔、この下には幾つ苦しみが隠されているのか。百も痛み虫を集めるほど、痛みに耐えた男。その苦しさを和らげてやりたい。悲しい顔をされる前に、安らぎを与えたい。
「陽炎、私は頼りないですか?」
「……――うう」
「頼りなくても、――ずっと貴方を離しません。私の檻から、出しませんよ」
「……それじゃあ、昔と同じだろ」
「おや、起きてらっしゃった?」
陽炎の返事があると、鴉座は大して驚いた様子もなく、にこりと微笑み、顎を掴み、此方へと向ける。
陽炎は目を伏せて、気まずそうな顔をしていた。
「俺、最初の頃のお前は嫌だ」
「――……何故? 昔の私ならば、貴方を誰よりも理解していたんじゃなくて?」
「……――うん。だけどな、人と接するのを嫌っていたから……お前も俺も」
「……私は、昔も今も、“私”ですよ」
「……うん。それを俺もいい加減覚えないとな。お前に申し訳ないや」
陽炎はくすくすと笑い、上体を起きあがらせる。
それから鴉座の顔を見やり、前半の鴉座の言葉は聞いてなかったのか、小首を傾げる。
「何を寝てる俺に言っていたの?」
「――奴隷時代は辛かったですか?」
「あー、まぁな。毛布一枚で奪い合い、貶しあい、罠にはめたりとかね、あったよ」
「……――そんな中でよく暮らせましたね」
「あはは、幸い、肉奴隷になるまえにプラネタリウム拾って逃げられたけれどな」
「っへ!? 肉奴隷!?」
思いも寄らぬ言葉に鴉座は目を見開き、それから見ても居ない陽炎の主人を思い浮かべて、その顔に想像の世界で目つぶしをした。
陽炎はくすくすと笑いながら鴉座の頭をぐしゃっと撫でて、その頭をべしっと叩く。
叩かれた鴉座は苦笑を浮かべて、陽炎を抱き寄せて、その頭に顔を埋める。
「貴方が無事で何より」
「だな。俺もそう思う」
「――陽炎、これから先、何を犠牲にしても、……貴方自身を騙しても、貴方と貴方の幸せを守ります」
「……っぷ、何だよそれ。俺を騙す? ――お前は腹黒いからなぁ、どうなるか怖いけど、しっかり俺だって守るよ」
「……陽炎……好きですよ」
鴉座からの言葉にくすぐったそうに陽炎は苦笑を浮かべ、鴉座の頬にキスをする。
「さむぅ!! 何であんなのに耐えられるの、かげ君! さむぅ!!」
偶然見かけて、思わず立ち聞きした柘榴が鴉座のくさい台詞の数々に鳥肌をたてていたそうな。
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