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第三部 第一章――再会
第十二話 生意気な子供の恩返し
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「……お前、体調悪いのか?」
「気分が悪いだけです。何処かの馬鹿皇子と居るから……ッ。この国は、とんだ悪鬼を産んだもんですよ」
「産まれちまったんだからしょうがないだろ。ほら、さっさと歩けよ。部屋まで行ったら、お前はお役ご免で気分悪いその悪鬼と一緒に居なくて済むんだから」
「……――そうですね。流石小手先だけで生きてきた黒玉の持ち主。面倒なことの片付け方をすぐに思いつきますね」
「そりゃどうも――……って、え?」
陽炎は歩きかけて、ふと立ち止まってしまったが、相手はさっさかと歩いてるので、気のせいかとそのまま彼女に続き歩き、己の部屋に辿り着く。
(――プラネタリウムを悪い印象で言ったような、気のせいかな。城の中でそういう風に言う奴って赤蜘蛛以外居なかったから……意外だし、嫌だな。嫌いな奴が同じ価値観って)
陽炎がため息をつく頃には、扉は開き、もうスリーパーは離れていて、己の職場に戻ろうとしていた。わざと聞こえるけれど敵意の籠もった声で、ありがと! と告げて、開いた扉の中に入って、中の様子に愕然とする。
鴉座は鳥かごに押しやられ、蟹座の声がクローゼットの中から聞こえる。
あれは、悲鳴に近い。鴉座も下手に今、鴉姿を人型に戻せば檻で骨が折れて体中を壊す結果となるのが眼に見えているから、カァカァと五月蠅く鳴くだけ。
「誰がこんなこと……」
「ちーっす」
そう呻いて、片手で頭痛を感じる場所を抑えると、下の方から声が聞こえた。
視線を下に向ければ、黒と銀色の丸い目が此方を見ていて、思わず吃驚して声をぎゃあああと、出しかけたが、そこは元ハンター。平常心平常心、とすぐに口から飛び出た心臓を取り戻して口の中に入れて、元の場所に戻す。
「えっと、お前は……」
「お前? 僕をお前、と?」
「あの? えっと?」
尋ねると少年は自分を指さして、先ほどの奴隷です、と教えてくれた。
「刻印(くいん)っす、お前と一切呼ぶんじゃねぇ。お前って呼んで良いのは、一人だけっすから」
「まぁ確かに俺は――刻印を買ったわけじゃないから主じゃないしね」
「いいえ、主といえども、心の中では呼んだ瞬間、脳みその中ではとても愉快なことをしてるっすよ。危機を助け、融通の効くであろう方だからこそ、テメェは許してるんっすよ」
――……陽炎は、何となく何処か見かけと違って偉そうなこの子供に、どうしてあんなに細かい虐められ方をされていたか判ってしまったような気がしたが、なかったことにした。
奴隷生活に入ったばかりなのだろう、きっと。それならば頷ける。
「勝手に遠い目しねぇでくださいっす。オレはそれで、貴方を何て呼べばいいんっすか?」
「――名前で呼んでくれるの?」
「それくらいの礼節はしてやってもいいっすよ」
偉そうでぞんざいなお子様。多分、この態度が蟹座を切れさせたのだろう。そしてお子様は何をどうしてどうやって、この従者達をこんな目に……。
名前を教えた後尋ねると、子供は黒と銀の目を瞬かせてから、とても可愛らしい顔であっさりと答えてくれた。
「誰が従者として順位が上かを知らしめただけっすよ。一時とはいえ、カゲロウがオレの主みたいなもんになったわけっすから? 妖仔が奴隷とはいえ人間より上というのはあり得てはいけねぇんです」
「……そういう思考回路ならすぐに追い出す。俺は刻印の思うとおり融通は効く。それは、そこまで主とか従者とか深く考えて接したくはないからだ」
「――そういう考えなら仕方ないっすね、そろそろ勘弁してやってもいいです」
刻印は年下の兄弟を甘やかすためのような目でぞんざいなため息をついてから、鳥かごから鴉の足をつかんで引っ張り出して離し、鴉座が人型に戻って文句を言ってるのも聞かず今度は蟹座をクローゼットから助け出す。
クローゼットの中には――陽炎は見たくなかったが、メルヘンで乙女趣味でピンク色の世界が広がっていて――つまり、ふりふりの女性服ばかりだった。
通常ならばただ服が邪魔なだけでそれで悲鳴を蟹座はあげない筈なのだろうけれど、蟹座は陽炎を見つけると陽炎にふらふらと抱きついて、「あれを……あれを危うく……!」と彼が必死に己の危機を伝えてきたことで、着させられる候補だったのだろうと、非常に恐ろしい拷問法を思い知った。
「ちょっと、この子供に何で甘いんですか、陽炎様ッ!」
「頼む。陽炎、追い出してくれ。頼む、陽炎。あれはきつい。あれは、本当しんどい」
蟹座が嫌味なく素直に相手に畏怖する姿なんて、鳳凰に迫られた時くらいしか思いつかなくて。女子供に手をあげられない、というキャラではない蟹座なのに。寧ろ平然と殴るし蹴るだろうキャラなのに。
どれだけ怖いのだろう、と子供に戦慄きながらも、頬をかいて、苦笑を浮かべる。
「刻印、あの服、後で捨ててくれよ……?」
「ダメっすよ。着せたい相手が出来たらどうするんですか」
「どんな女だよ? 着せたいような相手って? やっぱりこう、可愛い感じの……」
「プライバシー侵害で、慰謝料請求してほしいんっすか? 嗚呼、奴隷には慰謝料なんて権限なかったか。とにかく、そんな勿体ないことできねぇので、売っ払います。誰も買い取らなかったら、置き場所はこのままで」
「オレが買い取る! だから頼むから、それを……何処かへやれええええ!!!」
「命令口調をテメェにされる筋合いぁこちとらねぇんだァ? このくそ妖仔が」
顔つきは全然同じなのに、口調が陽炎と蟹座に対して違うのは多分、子供なりにその礼節とやらをわきまえてるつもりなのだろう。
……とんでもないことをしてしまった気がする陽炎は、蟹座の頭を撫でてから、その服は己の母親にいつか産まれる妹にでも着せてやってくれと、買い取らせようと思った。
「この子供、返してきましょう。何なら私が返してきます」
「いや、いいよ。どのみち、奴隷だ。――見て思うことは、変わらないから。どんな奴でもなぁ」
「は、奴隷? 奴隷として売られてきたのか、刻印――ふむ、成る程」
「は? 何、何を納得してるんだよ、お前」
「いや、何でもない。気にするな」
蟹座はやけにしげしげと懐かしげに子供を眺めていると、子供はとても不敵な笑みで片手にマジックを持つ。
「何か余計なことぉ、言ったら判ってンだろーなァ? このマジックが……テメェにどんな絵を描くのか楽しみだと思わねェ?」
「思わん。思わんし、黙ってるから勘弁してくれ」
「――……僕に敬語はつかわねぇの? 嗚呼――成る程、そういやカゲロウの教育は主従関係無しだもんなァ? ッは、やってらんね。おーい、カゲロウ」
「へ、あ、はい?!」
思わず陽炎は文句を言ってる鴉座を宥めながらも、気づかぬうちに敬語で反応し振り返ってしまい、子供の機嫌を良くしていた。
子供は、手にあるマジックを手の内で回して、器用に五本の指にまとわりつかせながら、紙を要求する。
手を差し出されて紙と言われて、何をするためだろうかとか考えるのは、何だか恐ろしいのでやめておいて、とりあえず「脅しには使うなよ」と言い、紙を渡すと子供は可愛らしく首を傾げて、年相応のきょとんとした顔を見せる。
「脅すときは証拠なんて残さないものだと思うンすけど……これは脅しになるのかな、カゲロウを捕らえる側からには」
「――刻印、捕らえるって……?」
誰も今まで、そんなことを言ったことがなかった。
好意的な人は「この国を気に入ってくれたのですね」と。敵対視してる者は「スノーブラック様を殺すつもりか?」や、「王位を狙っても無駄だぞ」と。
つまり、自分の意志でこの国にいると思われているのが常なので、そんな言葉を言う人間なんて見たことがないので、陽炎は思わず子供を凝視する。
よく見ると、不思議な雰囲気を纏っていた、子供は。
純粋と言うよりも可愛いのに、何処か妖美な瞳を細める。
子供は肩を竦めて、陽炎の顔を小さな指で指し示す。鏡を見ろと。
「誰がこんな不満顔でいつまでも城に居るンすか。王位はもう揺るぎないし、殺しなんてあの次期国王には妖術も毒殺も体術も効かない。どんな暗殺者でも殺せない。この国にいてカゲロウが得することはないけど、この国は得することあるみたいっすねぇ? 此処まで手放さないなんて……」
子供は紙を握りしめて枚数を確認すると、部屋を出て行こうとする。夜には戻ってくるから、と子供はにこりと微笑んでいる。
「逃げるための地図、作ってやる」
子供の言葉に唖然としている間に、子供は立ち去っていて、陽炎は顔を顰めた。
それから、星座二人に、子供へ疑わしげな視線を隠さずに、問いかけてみる。眼鏡の奥の目を鈍く光らせながら――。
「あれは、信じて良い者?」
「誰が信じられますか。奴隷にとって都合の良い主人が出来たら、通常は立場が悪くなるのを嫌うはず。逃げたら、あの子供の立場は元の生活に戻りますよ?」
「……――オレは、あいつに関しては余計なことを言えないな。信じていいものだか、信じられないものだか、人間にとってそれはどうだか……――オレは判らない」
陽炎は蟹座の煮え切らない発言に、いつもと違って何処か頼りなさが眼に見えた気がしたので、妖しいと視線だけで訴えてみる。
その視線に気づいた鴉座も、つられて蟹座を見やり、己と同じくどうしてそんな眼になったか理由をつきとめたのか、じぃっと見たまま黙る。
蟹座は視線をそらし……プラネタリウムに逃げるようにこの場から消えた。
「あれじゃあ刻印が何者だか知ってます、って言ってるようなもんだよなぁー」
「ですね。プラネタリウムで見たことあるかもしれないですね、私。何処かあの子供から懐かしい匂いがするんです」
「――……ふーん、あれはじゃあ子供の姿は、仮の姿?」
「……――どうでしょうね。見覚え、というのは無いんです。だけど、何か……仕組みが、懐かしい匂いを漂わせるんです、あの子供から」
鴉座は掴めぬ気持ちを言い表そうと必死になるが、上手く言い表せず、すみません、と口にして額を抑えて謝罪する。
陽炎は気にするな、と口にした後、鴉座をじぃーっと見やってみる。
主人の視線に気づいたが、最初は己に何か言葉を求めてるからかと思えば違うようで、鴉座は首を傾げて、どうされました、と問いかけてみる。
「前から思ってたけど、お前、狡い」
「……――ど、どうして?」
「お前は俺を抱えられるのに、何で俺はお前を抱えられないんだろうなーって。馬車から飛び降りた時を思い出しただけ」
「……いやぁ、私を抱える我が愛しの君は、ちょっと力強すぎて、私が困ります」
「何でお前が困るの」
陽炎は己の腕の筋肉を見て、「丁度人並みよりは上の筋肉持ってると思うのに」と心の中で悲しくも男の呟きを漏らしながら、鴉座を睨むと、鴉座は肩を竦めて、陽炎の手をとって、その手を両手で包む。
「私を抱えられると言うことは、この手が私より大きくて、片手では包めないと言うこと。……貴方を出来ることならこの手で守りたい、そして頼られたい身としては、この手が私より大きくなるのは困ります。掴めない貴方が、益々掴めなくなります」
「お前はまた恥ずかしいことを平気で言うのな」
「恥ずかしいくらいでないと、鈍い貴方は逃げますからねー」
「……生意気を叩くな」
口では悪態をつくが、陽炎はげらげらと笑い、鴉座の頭を思いっきり叩く。
その顔は白銀陽が来たからか幾分も、三年前のように穏やかで鴉座は、目を細めた。
「生意気は、きっと愛しの君を思う故に止めどなく」
「思わなくて良い」
「プラネタリウムの仕組み、関係なく思う気持ちでも――?」
「……尚更。だってなぁ、こんな中途半端な状態、申し訳ねぇや」
それは今の恋愛未満友情以上の思いを、白銀陽に抱いているからだろう。
好きな人がいるから諦めて、と言い切れるほど強い恋心ではないけれど、何処か気になりいつも心にいる存在。それが、白銀陽――なのだと、思う。
(実際、いつも側に――居てくれた)
――だけど、それは鴉座も。
それはきっと、朝を好むか、夜を好むか、それぐらいの違いくらいで、己を空気と称した鷲座はあながち間違いではないなぁと、陽炎は苦笑する。
「申し訳ないと思うのなら、その気持ちに整理をつけてから、改めて見直してください?」
いっぺんに気持ちの整理をつけろ、とは言わない。
それをした方が陽炎は、また逃げる確率が高くなるからだ。
困ったことにこの主人には、空にも草原にも海にも逃げる手足があるので、それを捕らえることは、昔無理だと知った。
それならば、一つずつ気持ちに整理をつけさせてから、己への気持ちと向き合いさせた方が良いような気がしたのだ。
「さて、それじゃ――今日は、暇つぶしがてらに本を借りて、読んでみましょうか。読み聞かせても良いですよ。私は、貴方専用の語り部にもなれますから」
「……――何だか、元気が見えてきたな」
「――え?」
「お前は、黒雪が城にいるときは……いつも何処か警戒していた。だから、久しぶりに、そうやってはしゃいでる姿、見て安心した」
「――はしゃいで、いますか、私?」
「うん、かなり」
にかっと笑って、主人はからかおうとするが、鴉座は己でも気づかないはしゃぎようを、主人が密かに悟り気づいていたという、己に気を留めてもらっていたことに気を取られ、その笑みを見逃した。
それ故に、鴉座は苦笑を浮かべて、陽炎へ願いを乞う。
「もう一度、笑ってください。貴方もはしゃいでます」
「気分が悪いだけです。何処かの馬鹿皇子と居るから……ッ。この国は、とんだ悪鬼を産んだもんですよ」
「産まれちまったんだからしょうがないだろ。ほら、さっさと歩けよ。部屋まで行ったら、お前はお役ご免で気分悪いその悪鬼と一緒に居なくて済むんだから」
「……――そうですね。流石小手先だけで生きてきた黒玉の持ち主。面倒なことの片付け方をすぐに思いつきますね」
「そりゃどうも――……って、え?」
陽炎は歩きかけて、ふと立ち止まってしまったが、相手はさっさかと歩いてるので、気のせいかとそのまま彼女に続き歩き、己の部屋に辿り着く。
(――プラネタリウムを悪い印象で言ったような、気のせいかな。城の中でそういう風に言う奴って赤蜘蛛以外居なかったから……意外だし、嫌だな。嫌いな奴が同じ価値観って)
陽炎がため息をつく頃には、扉は開き、もうスリーパーは離れていて、己の職場に戻ろうとしていた。わざと聞こえるけれど敵意の籠もった声で、ありがと! と告げて、開いた扉の中に入って、中の様子に愕然とする。
鴉座は鳥かごに押しやられ、蟹座の声がクローゼットの中から聞こえる。
あれは、悲鳴に近い。鴉座も下手に今、鴉姿を人型に戻せば檻で骨が折れて体中を壊す結果となるのが眼に見えているから、カァカァと五月蠅く鳴くだけ。
「誰がこんなこと……」
「ちーっす」
そう呻いて、片手で頭痛を感じる場所を抑えると、下の方から声が聞こえた。
視線を下に向ければ、黒と銀色の丸い目が此方を見ていて、思わず吃驚して声をぎゃあああと、出しかけたが、そこは元ハンター。平常心平常心、とすぐに口から飛び出た心臓を取り戻して口の中に入れて、元の場所に戻す。
「えっと、お前は……」
「お前? 僕をお前、と?」
「あの? えっと?」
尋ねると少年は自分を指さして、先ほどの奴隷です、と教えてくれた。
「刻印(くいん)っす、お前と一切呼ぶんじゃねぇ。お前って呼んで良いのは、一人だけっすから」
「まぁ確かに俺は――刻印を買ったわけじゃないから主じゃないしね」
「いいえ、主といえども、心の中では呼んだ瞬間、脳みその中ではとても愉快なことをしてるっすよ。危機を助け、融通の効くであろう方だからこそ、テメェは許してるんっすよ」
――……陽炎は、何となく何処か見かけと違って偉そうなこの子供に、どうしてあんなに細かい虐められ方をされていたか判ってしまったような気がしたが、なかったことにした。
奴隷生活に入ったばかりなのだろう、きっと。それならば頷ける。
「勝手に遠い目しねぇでくださいっす。オレはそれで、貴方を何て呼べばいいんっすか?」
「――名前で呼んでくれるの?」
「それくらいの礼節はしてやってもいいっすよ」
偉そうでぞんざいなお子様。多分、この態度が蟹座を切れさせたのだろう。そしてお子様は何をどうしてどうやって、この従者達をこんな目に……。
名前を教えた後尋ねると、子供は黒と銀の目を瞬かせてから、とても可愛らしい顔であっさりと答えてくれた。
「誰が従者として順位が上かを知らしめただけっすよ。一時とはいえ、カゲロウがオレの主みたいなもんになったわけっすから? 妖仔が奴隷とはいえ人間より上というのはあり得てはいけねぇんです」
「……そういう思考回路ならすぐに追い出す。俺は刻印の思うとおり融通は効く。それは、そこまで主とか従者とか深く考えて接したくはないからだ」
「――そういう考えなら仕方ないっすね、そろそろ勘弁してやってもいいです」
刻印は年下の兄弟を甘やかすためのような目でぞんざいなため息をついてから、鳥かごから鴉の足をつかんで引っ張り出して離し、鴉座が人型に戻って文句を言ってるのも聞かず今度は蟹座をクローゼットから助け出す。
クローゼットの中には――陽炎は見たくなかったが、メルヘンで乙女趣味でピンク色の世界が広がっていて――つまり、ふりふりの女性服ばかりだった。
通常ならばただ服が邪魔なだけでそれで悲鳴を蟹座はあげない筈なのだろうけれど、蟹座は陽炎を見つけると陽炎にふらふらと抱きついて、「あれを……あれを危うく……!」と彼が必死に己の危機を伝えてきたことで、着させられる候補だったのだろうと、非常に恐ろしい拷問法を思い知った。
「ちょっと、この子供に何で甘いんですか、陽炎様ッ!」
「頼む。陽炎、追い出してくれ。頼む、陽炎。あれはきつい。あれは、本当しんどい」
蟹座が嫌味なく素直に相手に畏怖する姿なんて、鳳凰に迫られた時くらいしか思いつかなくて。女子供に手をあげられない、というキャラではない蟹座なのに。寧ろ平然と殴るし蹴るだろうキャラなのに。
どれだけ怖いのだろう、と子供に戦慄きながらも、頬をかいて、苦笑を浮かべる。
「刻印、あの服、後で捨ててくれよ……?」
「ダメっすよ。着せたい相手が出来たらどうするんですか」
「どんな女だよ? 着せたいような相手って? やっぱりこう、可愛い感じの……」
「プライバシー侵害で、慰謝料請求してほしいんっすか? 嗚呼、奴隷には慰謝料なんて権限なかったか。とにかく、そんな勿体ないことできねぇので、売っ払います。誰も買い取らなかったら、置き場所はこのままで」
「オレが買い取る! だから頼むから、それを……何処かへやれええええ!!!」
「命令口調をテメェにされる筋合いぁこちとらねぇんだァ? このくそ妖仔が」
顔つきは全然同じなのに、口調が陽炎と蟹座に対して違うのは多分、子供なりにその礼節とやらをわきまえてるつもりなのだろう。
……とんでもないことをしてしまった気がする陽炎は、蟹座の頭を撫でてから、その服は己の母親にいつか産まれる妹にでも着せてやってくれと、買い取らせようと思った。
「この子供、返してきましょう。何なら私が返してきます」
「いや、いいよ。どのみち、奴隷だ。――見て思うことは、変わらないから。どんな奴でもなぁ」
「は、奴隷? 奴隷として売られてきたのか、刻印――ふむ、成る程」
「は? 何、何を納得してるんだよ、お前」
「いや、何でもない。気にするな」
蟹座はやけにしげしげと懐かしげに子供を眺めていると、子供はとても不敵な笑みで片手にマジックを持つ。
「何か余計なことぉ、言ったら判ってンだろーなァ? このマジックが……テメェにどんな絵を描くのか楽しみだと思わねェ?」
「思わん。思わんし、黙ってるから勘弁してくれ」
「――……僕に敬語はつかわねぇの? 嗚呼――成る程、そういやカゲロウの教育は主従関係無しだもんなァ? ッは、やってらんね。おーい、カゲロウ」
「へ、あ、はい?!」
思わず陽炎は文句を言ってる鴉座を宥めながらも、気づかぬうちに敬語で反応し振り返ってしまい、子供の機嫌を良くしていた。
子供は、手にあるマジックを手の内で回して、器用に五本の指にまとわりつかせながら、紙を要求する。
手を差し出されて紙と言われて、何をするためだろうかとか考えるのは、何だか恐ろしいのでやめておいて、とりあえず「脅しには使うなよ」と言い、紙を渡すと子供は可愛らしく首を傾げて、年相応のきょとんとした顔を見せる。
「脅すときは証拠なんて残さないものだと思うンすけど……これは脅しになるのかな、カゲロウを捕らえる側からには」
「――刻印、捕らえるって……?」
誰も今まで、そんなことを言ったことがなかった。
好意的な人は「この国を気に入ってくれたのですね」と。敵対視してる者は「スノーブラック様を殺すつもりか?」や、「王位を狙っても無駄だぞ」と。
つまり、自分の意志でこの国にいると思われているのが常なので、そんな言葉を言う人間なんて見たことがないので、陽炎は思わず子供を凝視する。
よく見ると、不思議な雰囲気を纏っていた、子供は。
純粋と言うよりも可愛いのに、何処か妖美な瞳を細める。
子供は肩を竦めて、陽炎の顔を小さな指で指し示す。鏡を見ろと。
「誰がこんな不満顔でいつまでも城に居るンすか。王位はもう揺るぎないし、殺しなんてあの次期国王には妖術も毒殺も体術も効かない。どんな暗殺者でも殺せない。この国にいてカゲロウが得することはないけど、この国は得することあるみたいっすねぇ? 此処まで手放さないなんて……」
子供は紙を握りしめて枚数を確認すると、部屋を出て行こうとする。夜には戻ってくるから、と子供はにこりと微笑んでいる。
「逃げるための地図、作ってやる」
子供の言葉に唖然としている間に、子供は立ち去っていて、陽炎は顔を顰めた。
それから、星座二人に、子供へ疑わしげな視線を隠さずに、問いかけてみる。眼鏡の奥の目を鈍く光らせながら――。
「あれは、信じて良い者?」
「誰が信じられますか。奴隷にとって都合の良い主人が出来たら、通常は立場が悪くなるのを嫌うはず。逃げたら、あの子供の立場は元の生活に戻りますよ?」
「……――オレは、あいつに関しては余計なことを言えないな。信じていいものだか、信じられないものだか、人間にとってそれはどうだか……――オレは判らない」
陽炎は蟹座の煮え切らない発言に、いつもと違って何処か頼りなさが眼に見えた気がしたので、妖しいと視線だけで訴えてみる。
その視線に気づいた鴉座も、つられて蟹座を見やり、己と同じくどうしてそんな眼になったか理由をつきとめたのか、じぃっと見たまま黙る。
蟹座は視線をそらし……プラネタリウムに逃げるようにこの場から消えた。
「あれじゃあ刻印が何者だか知ってます、って言ってるようなもんだよなぁー」
「ですね。プラネタリウムで見たことあるかもしれないですね、私。何処かあの子供から懐かしい匂いがするんです」
「――……ふーん、あれはじゃあ子供の姿は、仮の姿?」
「……――どうでしょうね。見覚え、というのは無いんです。だけど、何か……仕組みが、懐かしい匂いを漂わせるんです、あの子供から」
鴉座は掴めぬ気持ちを言い表そうと必死になるが、上手く言い表せず、すみません、と口にして額を抑えて謝罪する。
陽炎は気にするな、と口にした後、鴉座をじぃーっと見やってみる。
主人の視線に気づいたが、最初は己に何か言葉を求めてるからかと思えば違うようで、鴉座は首を傾げて、どうされました、と問いかけてみる。
「前から思ってたけど、お前、狡い」
「……――ど、どうして?」
「お前は俺を抱えられるのに、何で俺はお前を抱えられないんだろうなーって。馬車から飛び降りた時を思い出しただけ」
「……いやぁ、私を抱える我が愛しの君は、ちょっと力強すぎて、私が困ります」
「何でお前が困るの」
陽炎は己の腕の筋肉を見て、「丁度人並みよりは上の筋肉持ってると思うのに」と心の中で悲しくも男の呟きを漏らしながら、鴉座を睨むと、鴉座は肩を竦めて、陽炎の手をとって、その手を両手で包む。
「私を抱えられると言うことは、この手が私より大きくて、片手では包めないと言うこと。……貴方を出来ることならこの手で守りたい、そして頼られたい身としては、この手が私より大きくなるのは困ります。掴めない貴方が、益々掴めなくなります」
「お前はまた恥ずかしいことを平気で言うのな」
「恥ずかしいくらいでないと、鈍い貴方は逃げますからねー」
「……生意気を叩くな」
口では悪態をつくが、陽炎はげらげらと笑い、鴉座の頭を思いっきり叩く。
その顔は白銀陽が来たからか幾分も、三年前のように穏やかで鴉座は、目を細めた。
「生意気は、きっと愛しの君を思う故に止めどなく」
「思わなくて良い」
「プラネタリウムの仕組み、関係なく思う気持ちでも――?」
「……尚更。だってなぁ、こんな中途半端な状態、申し訳ねぇや」
それは今の恋愛未満友情以上の思いを、白銀陽に抱いているからだろう。
好きな人がいるから諦めて、と言い切れるほど強い恋心ではないけれど、何処か気になりいつも心にいる存在。それが、白銀陽――なのだと、思う。
(実際、いつも側に――居てくれた)
――だけど、それは鴉座も。
それはきっと、朝を好むか、夜を好むか、それぐらいの違いくらいで、己を空気と称した鷲座はあながち間違いではないなぁと、陽炎は苦笑する。
「申し訳ないと思うのなら、その気持ちに整理をつけてから、改めて見直してください?」
いっぺんに気持ちの整理をつけろ、とは言わない。
それをした方が陽炎は、また逃げる確率が高くなるからだ。
困ったことにこの主人には、空にも草原にも海にも逃げる手足があるので、それを捕らえることは、昔無理だと知った。
それならば、一つずつ気持ちに整理をつけさせてから、己への気持ちと向き合いさせた方が良いような気がしたのだ。
「さて、それじゃ――今日は、暇つぶしがてらに本を借りて、読んでみましょうか。読み聞かせても良いですよ。私は、貴方専用の語り部にもなれますから」
「……――何だか、元気が見えてきたな」
「――え?」
「お前は、黒雪が城にいるときは……いつも何処か警戒していた。だから、久しぶりに、そうやってはしゃいでる姿、見て安心した」
「――はしゃいで、いますか、私?」
「うん、かなり」
にかっと笑って、主人はからかおうとするが、鴉座は己でも気づかないはしゃぎようを、主人が密かに悟り気づいていたという、己に気を留めてもらっていたことに気を取られ、その笑みを見逃した。
それ故に、鴉座は苦笑を浮かべて、陽炎へ願いを乞う。
「もう一度、笑ってください。貴方もはしゃいでます」
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きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。

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