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第二部――第六章 警鐘の鐘を鳴らせ
第四十五話 恐い兄の計略
しおりを挟む蟹座は額を抑えて、何をする、と大声で怒鳴りつけた。
陽炎は陽炎で真っ赤になって額を抑えながら、お前こそと怒鳴り返した。
「お前こそ、いきなり何でそうなるんだよ!!」
「あの鴉に似たガキが、お前に口づけた! 理由はそれだけで十分だろう」
「だからって……!」
「ほーう、それともお前は身売りもしたオレには何も報償はくれんというか?」
蟹座はそこで漸く元来の底意地の悪さを見せつけたので、陽炎はぐぅと唸り頭を抱える。
確かに肉体面でも精神面でも鷲座よりも一番苦労したかもしれないだろう、蟹座は。
蟹座のような悪人役が居なければ、決して偽プラネタリウムだって信じて貰えなかっただろうし。
陽炎は意を決して、蟹座の顔を両手で力強く挟み、勢いよく己の口に寄せて、歯をぶつけるなり痛みで口を離そうと手を離し掛けたが、蟹座が己の顎を掴み離さなかった。
蟹座はただ唇に何回か触れているだけのキスだったが、時間がやけに長くて流石に酸欠しかけて口を薄く開いた所で、漸く陽炎は解放された。
陽炎は酸欠と、恥ずかしさから真っ赤になるが、何故か蟹座も真っ赤になっていて。
原因は己だというのに陽炎から視線を外して真っ赤に俯いていて、その姿が何となく意外で、陽炎は噴き出してしまった。
「お前、意外と純情だったりすんの? うわぁ、きっつー!」
「五月蠅い。そんなことを言うのはこの口か」
先ほどの誓いを忘れながら、蟹座は陽炎の頬を怒りに任せて抓って引っ張るが、瞬時に表情を変えて、邪笑を浮かべる。
月夜と闇に、よく映える男だと陽炎は感心しつつも、気づいたかと呟いた。
「黒玉の不運を得られぬ民衆が、八つ当たりに此処を燃やしに来たか。助けはあるのか?」
「うん、あるというより、行かなきゃいけない。蟹座、――お前の事、考える中に入れておく」
「――――……ああ。じゃあこの女はこのまま放っておいて、行こうか。陽炎の手で殺される姿は見たかったんだがな。まぁよかろう。魔女は火あぶりと決まっている。地獄をたんと味わうが良い」
蟹座は世にも残忍な表情を教祖へ向けてから、陽炎を肩に担ぎ、陽炎の指示する方角へ逃げる。
時が一瞬でも遅かったら、自分たちに気づかれて燃やされる対象となっていただろう。
陽炎は何処に助けの馬車があるかを指示して、暗闇の先に高級そうな馬車を見つけ、それを指さす。
その馬車には陽炎の国の国章がついていた。陽炎が着いたのに気づいたか、馬車の扉は開きその中に居た人物は、早くと手招きし、蟹座共々なだれ込むのを見届けるとドアを閉めるよう言いつけて、それから出発を命じる。馬は鳴き、馬車は独自のリズムで進み出す。結構な速度で。
中には鴉座と黒雪が居て、蟹座は黒雪を見るなり、警戒心を思いっきり見せて、陽炎を渡すものかと己の腕に抱き続けていた。
鴉座はこめかみに青筋をたてながらも、蟹座と陽炎の雰囲気が違うのに気づき、嗚呼この男も許されたのかとため息をつきたくなった。
だがそんな状況ではない。
「これから何処へ行く? 街を出て行くのは……嗚呼八つ当たりの所為か」
蟹座の質問に黒雪は笑みも威圧感も絶やさない。この狭い空間でこの威圧感は辛いが、威圧感ならば蟹座も負けては居ない。蟹座は威圧感を威圧感で返し、据わった眼で睨み付ける。
「これから、陽炎君は母国に帰るの。初めまして、蟹の妖仔。オレは陽炎君の義兄」
「――果物は何処だ?」
「嗚呼、あの褐色の仔はね、知ってたかな、三人とも。ハンター業を一番最初に営んだ奴がね、個人的に莫大な賞金をかけているんだよ、普通のハンターじゃ判らない程こっそりとね――その人に居るのがばれちゃって……」
「やっぱり、柘榴を殺すのが狙いだったか! お前が売ったんだろ!」
その言葉に陽炎の声が馬車内に響き、黒雪は少し耳に響いたといいたげな仕草をして、苦笑を浮かべる。
言葉を否定しない黒雪に――陽炎は睨み付けるが、相手はただ穏やかに穏やかに笑いかける。
その笑みは、言葉にし易いほど人形臭くて、異質だった。
「殺すのが狙いだったわけじゃない。君とプラネタリウムの関係性を研究したいだけ。それにはあの子は邪魔なんだよ。君をこの土地に長く居続けさせ、君はきっと心も奪われているはずだ。あの子自身も気づいてないけれど、多分君たちは相思相愛」
その言葉に反応したのは三人全員で、それぞれ軽蔑、驚愕、畏怖を感じていた。
「それにあの子をそいつに渡したら、こっちの国に有利なことをしてくれると約束してくれてね。いわば、外交手段? 実に貴重な貢ぎ物だよ、彼は」
「ざ、柘榴とはそういう関係じゃねぇし、あいつは大事なんだ! 物みたいに言うな!」
「実際オレには君と妖術関連以外は物だ。――君たちは無自覚で、だからこそ関係が安定していた。そこに一石、投じたらどうなるんだろうなぁ。オレは興味深い。だけど、もっと興味深くて、あの褐色の仔よりも思いを遂げさせたい奴がいるんだ。あの褐色の仔はその場限りの判断力はあるね。だからこそ意外と物事はあっさりと進んで楽だったよ。彼はとてもいいナイトの駒だったよ」
黒雪はくすくすと笑いながら、鴉座が見た「教科書」と呼ばれる物を取り出して見せつけた。柘榴の行動や意見のお陰で、それが手に入ったと言いたげに。
それは水晶で出来た、だけど傷というかまるでプラネタリウムのように穴が刻まれていて、綺麗な宝だった。
だが陽炎はそんなものを綺麗と思う心などなくて、ただ黒雪に対する憎しみしか生まれない。
黒雪は、己の手を汚すことなく、己の思い通りに事を進めたのだ。
汚したとしたら、柘榴への二重になった彼にとってはささやかな呪いぐらいで。
まるで人の心を読むように先を読んで、先を操り。先を思いのままに進めさせて。
そして己は味方として現れ、最後も味方として公ではいられる。陽炎をこうやって匿う形となるし、黒雪にもしも何かしたのならば隠し子というだけの自分は彼の国に連れて行かれれば何が待っているかは判らない。
最初から最後まで、彼のシナリオ通りだったのだ。
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