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第二部――第五章 新星座
第三十九話 蟹座のストレスの限界点
しおりを挟む「死にガニ……昨夜の、気づいたか?」
「知らん、オレにはどうでもいい。事態は変わらん」
蟹座は教祖が朝のシャワーを浴びてる内に己はさっさと身支度を済ませて、通路でタバコを吸っていると、獅子座が話し掛けてきたので、タバコを口から離して、獅子座には視線を向けない。
その様子が彼から見たら苛つきを増長させたのか、それとも彼の体から漂う主の敵の香水が気にくわなかったのか、両方なのか、蟹座を思いっきり力任せに首を締め付ける勢いで、片手で掴む。
呼吸をする管はそれによって圧迫されているというのに、蟹座はただ己を見下すように見やり、タバコを地面に落として、火を消すという冷静な行動をした。
「テメェはっ!! どうして、今の事態を苦痛に思わないだ?!」
「苦、痛に思った所で、どうな……ッる……?」
「……ッテメェがさっきまであの女を抱いてる間、皇子は十二宮を作ってしまうような痛み虫を沢山受けたんだぞ?!」
「……まえ、に、話す必要はない。オレが、何を考えて、……どう動こ、うが、勝手だ」
そう言う割りには蟹座は抵抗しない。
まるで、甘んじてその苦痛を味わうように、その獅子座が首を絞める行為が――己への罰であり、陽炎に行為を見られた苦しみの実体化として感じられるように。
抵抗も否定もしないのは、こうして身内争いも覚悟していたからだ。
事情を知っている鷲座ですらも殴ってきたのだから、自分へと怒る者が居ない方が不自然だというものだ。
大犬座に、今ならば下衆と罵られても当然か、とぼんやり思ってくる頃には、酸欠状態になっていて、誰かが獅子座を止める声が聞こえた。
「獅子座どのっ、獅子座どの、落ち着け!」
「離すだ、片眼鏡! こいつは、こいつは平気で、きっと主でも殺せる奴なんだ!」
「――……っふ」
蟹座は咽せながらも、非常に笑いたい気分だった。
獅子座は過去のことを覚えてないのに、彼の言った言葉は当たってる。確かに遠い昔、主人を殺したこともあった。
そしてそれが原因で、本人は忘れていても獅子座が己を憎むことも。
とりあえず蟹座は笑いたい気持ちを抑えて、呼吸を取り入れることを大事とした。
獅子座は、小柄ながらも鷲座が押さえつけてくれているようだ。
「獅子座どの、言葉が過ぎる!」
「片眼鏡、テメェだってこいつが状況をこっちにきたら楽しんでいたの見ただろ?!」
鷲座はこんな通路で下手にそれでいい、それが作戦だとは言えず、とりあえず獅子座を宥めさせるために蟹座への罵りに共感しておく。こういう場は否定すればするほど、むきになるのだ、獅子座の性格からして。
元から蟹座に対して獅子座は良好的な性格ではなかったのだから、下手に蟹座の肩を持つと彼が暴走してしまう。
「当然だ、蟹座は人が苦しむ様が好きなのだから! 今に始まった事じゃない! 関わっただけ時間の無駄だ!」
「こんな奴が従者じゃ、皇子が可哀想だ! 皇子はッ、聞いたぞ! 今、此処に集う者の間では悪魔扱いの上に、妖術使いに気に入られてるッ。それでも、昔酷いことをした水瓶座の身を案じて、此処に来たって! テメェとあいつの声も聞かされたって! 何で許されるんだ、何であんなことをしたテメェらが許されるんだ! 何であんなことをしたテメェの裏切りも許すんだ!」
「……――獅子座どの、いずれ……鉄槌が下される。いずれ、それ相応の報いが陽炎どのからこられよう」
それは少しの本音だった。
例え強制的にとはいえ、あんな情事を陽炎に聞かされるのは、己だって腹立たしい。
そして蟹座が陽炎の気配に気づかないわけはないのだ。それなのに、彼は声を押さえつけさせる所か、後で胡蝶が高笑いするほど聞かせていて、その情事後に陽炎に会ったと聞いた。
(――例え、立場を求められているとしても、もっとやり方があるだろうに。その時だけ声を小さくさせるとか。……もう少し上手くやれ)
鷲座は蟹座をぎろっと睨んでから、獅子座の耳を引っ張り、ずるずると文句を連ねる彼を引っ張り連れて行こうとし、足下のタバコに気づいた。
「どっちが吸い出したか判りませんがね、タバコは初めて見た。屋敷では吸いませんように。嗚呼、それとも――その頃にはそれを吸うストレスは終わってるかもな」
鷲座は星座がタバコを吸うときはストレスを抑える為だと知ってるからこそ、ちらりと蟹座と獅子座を見てから、歩みを続け、去っていく。
蟹座はその様子をにやにやとして見ていた……顔だけは。
心境も笑える筈だというのに、何処かひっかかる言葉があった。
それは簡単で、漢字で二文字。
陽炎、という二文字。ひらがなにすると四文字。
あのやけに上品な服装が似合う癖に、中身は何処か大雑把で、警戒心が高かった癖にいつの間にか八方美人となっていた、人間。
(――……陽炎)
蟹座は目を閉じて、今思い描く光景を実行したらどんなに楽しいか、考えてみる。
考えるだけでは満たされないのが己の性だというのは知っているが、今は不味いと言い聞かせる。
だがしかし、偶然、陽炎に会ったとき、隣に鴉座が居て――そして己の情事を聞いていたことを知って――。
(……いっそ全部破壊しつくしてやろうか。全てが億劫になってきた。憎まれ役は楽しいけれどな……偶にはオレとて、お前の隣でお前を守りたいと思うときがあるんだ、陽炎。嗚呼、お前にあの女を殺させるのはどうだろう? お前もさぞ憎いだろう? あの女は生きたまま、逃げられぬよう手足を折って、他の幹部達が殺される様を見せていこうか)
僅かに煮えてくる怒り。
それがただの己の嗜好だと思っている蟹座は、そこで気づく。
一滴、目から涙が零れたことに。
――涙? と、疑うのも無理はない。己からも他人からも見ても、きっとあり得ない光景だし、夢と思いたくなるだろう。
だが涙は事実、零れた。
蟹座は、目の縁に触れ、涙を掬い、じっと見つめる。その涙で連想するものが陽炎の殴られた泣き顔な辺りは、ドメスティックバイオレンスがまだ少し残っている証拠だが、思うものは何かが違っていた。
(――全て潰したら、お前は笑うだろうか、喜ぶだろうか、安らぐか? 今、猛烈にお前の腕の中で……)
「眠りたい……――眠りたい、眠りたい。……――何故、そもそもオレが果物に条件提示されてその通りにせねばならん? ……全員殺して、この街から消えればいい」
役者も、舞台も、台本も揃いつつある。
間に合うだろうか、陽炎の劇は。蟹座が、惨劇にしてしまう、その前に。
蟹座がその手の指が、鋏へと変わる前に。
脚本を描いたのは、だけど、誰――?
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