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第二部――第三章 大事な人を守る聖戦
第二十六話 聞かないふりをしてね。
しおりを挟む「――蟹座が、三日で何とかしろと言ってました」
「……三日? 何で?」
此処まで怒気の含んだ声を聞くのは初めての鴉座は、陽炎の肩をつかみ、立ち止まらせる。
そして、此方を振り向いたときに、己の腕の中に閉じこめて、背中をあやすように撫でる。
「何でも一人で抱え込んではいけません」
「……鴉座、か、鴉座……皆、皆あそこ、やばい……」
がくがくと震えるのは過去の鴉座へのトラウマから。それと、怒りで涙を堪えているからだと、鴉座は気づき、トラウマよりも涙の方を気にして、陽炎へより抱きつく腕に力を込める。
今、陽炎は誰かを必要としている筈で。思い上がりでもいい、もう一度その誰かが、信頼できる一番の誰かが自分であって欲しい。
そういうエゴも混ざりながら、鴉座は陽炎に見えぬよう彼の顔を己の肩口に埋めさせて、己は憎しみを必死に表情から押し隠す。
(道具を、道具として扱うなとは言わないが――、蟹座がこの人を虐めるこの状況で焦っているようなことを、他の星座がされている。……人間とは、何たる傲慢を持っているのだろう。道具を乱暴に扱うとは。壊れる可能性を考えないのか? 否、この人が大事に扱いすぎていて、私たちは本来の姿を忘れているだけか――?)
それはそれで悲しかったが、悲しみも憎しみも鴉座は声にだけは出さず、必死に陽炎の頭を抱きしめながら撫でる。
「さぁ、深呼吸をして。過呼吸になるようならば、また袋を持っていますから安心して過呼吸になって。苦しい思いは全部はき出してください。私たちの幸せ、私たちの悲しみ、それは全て貴方の感情。貴方が喜べば私たちは心から嬉しい、だけど貴方が悲しめば――」
「……一番苦しいのは、お前らだろ。俺が主人だからって感情を殺して、主人を守る。俺が主人じゃなかったら……――プラネタリウムに俺は、星座に俺は不幸を持ってきたんだ……! 俺と繋がりがなかったら、俺の記憶がなかったら――無理なんてすることはなかったんだ」
こんな状況でも、自分たちを思いやる主人に、鴉座は同じ人間だとは思えなかった。
同じ人間でもこうも違うのか。
陽炎が呟いていた言葉を思い出す。同じ星は居ない。そう、同じような、似たような星は幾らでもあり、人だってそうなのだろう。
それでも、主人は特別な人間にどうしても見えてしまい、星を輝かせて自分たちをより美しく見せてしまうような夜空の闇色に見える。
事実、主人の目は夜空色だ。
鴉座は、少し惚けてからくすりと笑い、主人に優しく名前を呼びかける。
その声に、昔ながらの安堵できる不思議な感覚を思い出し、陽炎は涙がぼろぼろとこぼれた。
人は涙を美しいという。だが嗚咽を漏らしながら、声を押し殺し、鼻水をたらしながら泣くこの姿を、人は美しいとは決して言わないだろう。泣く顔というのはそういうものだ。
美しかったら、それは泣き顔ではない。
それでも――それでも、愛しさは募る。美しいとは思わない代わりに、愛しさが沸き上がるだろう。
「陽炎様、不幸を貴方がもたらしたですって? ――確かに貴方が居なかったら、私や水瓶、蟹座は狂った愛属性などにならなかったでしょう。でもね、でもね、陽炎様、私は貴方が一番最初の主で、心から良かったと思います。これからどんな主人が現れても、どんな扱いをされても、心の片隅で良いから貴方を思っていたい。そう願えるような人間を見るのは初めてです。今まで、私はプラネタリウムの中から人間を見てきた、と言ったでしょう? その中で、貴方は誰よりも悲しい人で、誰よりも――弱く愚かで、単純で、そのくせ警戒心が高い愛しい人です」
「鴉座……――お前、卑怯だ。お前は、そうやって俺を甘やかすから……俺は、……」
陽炎はそこで、はっとした。
(――今、俺は何を言おうとした?)
陽炎は慌てて鴉座を振りほどき、涙と鼻水を擦ろうとするが、それよりも先に鴉座がハンカチを取り出していて、顔を拭いてくれた。
その先の言葉を以前の彼だったら、聞き出そうとしていた筈なのに、鴉座はそこには触れなかった。
有難かった、その心遣いは。
今は、例えどんな思いが心に渦巻いていても、言葉にはしたくない。
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