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4。あんたは魚にすら、私は死体にすらなれない。
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あれから私は毎月ミシェルの爪を整えていた。日に日におかしくなっていくあいつを見ていられなくて、けれど視界には入れておかないと不安で、私は広い家を用意した。あいつは本当に金どころか元彼の事以外なにも頓着は無かったようで、ああだこうだと言いくるめればあっさり荷物を新居へと移した。そこでまた、あいつは私を一切見ていないんだって痛感する。私自身何故こんなに必死になっているのかが分からなかった。ただ、元彼のせいでおかしくなっていくミシェルは見ていられなかった。
あれからは、ネイルアートには花を入れないようにしている。それでもふとした瞬間に元彼を思い出すらしくて度々あいつは泣いた。だから元彼に貰ったというバッグは刻んだし、元彼と選んだっていう枕は残さず羽を抜いてやった。きっと元彼との情報が詰まっている携帯のデータはさすがに細かく処理出来なかったから、一気に風呂場で水没させた。
「何やってんだろ、私」
何でこんなに、ミシェルの脳内元彼駆除に精を出しているのか。あいつの目に、私じゃなくて知りもしない男が映っているのが何でここまで気に食わないのか。ああもうわけが分からない。
「さなえちゃんさあ、今日延長出来ないの?」
常連のサラリーマンが、少し浮かれ気味に私にのしかかってくる。それは一種の脅しに等しい。さりげなく剥き出しの棒を擦り付けてくるのを手で受け止めながら、脳内で必死に計算する。
ミシェルは結局興信所も辞めた、というよりクビになった。理由は明白だ。うちの店との違いは、きっと興信所の方があらゆる意味で「ちゃんとしていた」だけ。というかうちの店の顧客管理が杜撰だっただけに過ぎないのだろう。だから端的に言えば……金は、必要だ。
「店に連絡してくる」
そう言えば、客は嬉しそうに退いた。棒から垂れている白混じりの汁に少しぞっとしながら、店に電話する。同時にミシェルへも「延長入った」とだけメッセージを送った。携帯を置いて、改めて客に向き直る。そして機嫌取りのために、私はコンドームの袋を開けた。
あいつはいつも、家にいる時は鍵を開けている。精神不安定で飲む常飲剤のせいで眠りこける事もままあるし不用心だから止めろと言っても、どうも忘れがちだった。そして今日もそうだった。
また今日も、雨だ。梅雨が近付こうとしている。あいつと出会ってもう一年になろうというのか。
「ただいま」
一人暮らしを辞めてから、これを自然に口に出来るようになるまで少しかかった。ミシェルは気付けば小さく「うん」と返してくれるから、私も逆の時はそれに倣った。とても、楽だった。こどもの頃母に事細かに学校での成績を毎日報告させられていた時のことを忘れさせてくれた。
返事は無い。ただ、おかしい。電気はついているから、それがよく分かった。嫌な予感がした。慌てて靴を脱ぎ、玄関から駆け上がる。どう見ても濡れた土足のせいでついている足跡を追うと、風呂場に辿り着いた。
「ミシェル!」
ああ、そうだ。昨日ネイルを変えてやった時。久しぶりにデザインをリクエストされたんだ。「夏といえばこれなんでしょ」って、ヒレをイメージさせるマーメイドネイル。初めてやった割には、綺麗に出来たんだ。
「ミシェル、ミシェル!」
綺麗なラメを仕入れた。乳白色の、傾けると様々な色に光るラメ。完成したネイルを見て、こいつは久し振りに笑った。その大きな目を細めなんてせずに、……また私じゃなくて、ネイルを見ていた。もう私、気付いていたのに。それが、嫉妬だったんだって。
「っ、ミシェル……っ!」
結局あんたは、最後まで私を見なかったね。
まともな、本当の意味では。
「田中桃江さんは、僕の事を騙していたんです。僕は彼女が風俗で働いている理由を聞きました。僕だけに教えてくれていたんです。それってほら、特別な事じゃないですか。僕だけって、確かに彼女は言ったんですよ。だから協力したんです、探している男の名前を探したんですよ、顧客帳簿で……。僕は彼女に、『もう数年は来ていない』って、偽のデータを見せました」
「実際は?」
「定期的に来ていました。他の子なんですけど、指名をするようになっていたんです。でもそれを知ったら、ムキになって店に残るとか言いそうだったから。そしたら辞めたから、やっと堅気同士でうまくいくって思ったら……あいつ、僕の事を利用してただけで……金が無かったから、そんな高いのじゃないけど指輪まで買ったんですよ。でも、それも売られたらしくて……」
「それで腹癒せに殺したの?」
「……ずっと、この半年くらい探してたんですよ。急にいなくなったから。そしたら、店の嬢と同居していました。しかも……」
大山は結局自首して、例の元彼は私の客だった。そしてミシェルはいなくなった。
そもそもミシェルはあの日風呂に浸かりながら薬を飲んで眠っていたらしい。そこに大山が侵入し、ミシェルを刺し殺した。結局ミシェルの目にさいごに映ったのはあいつでは無かったようで、それだけが救いだった気もする。
……いや。誰も何も、救われてなんていない。
「桃江」
何度も呼ぼうとした。でも何故か、呼べなかった。だって、あいつが。あいつが、私を見てくれなかったから。だから私も呼べなかった。
最後に国に連れていかれるあいつに、キスするなんてことも。出来るわけ無かった。
「結局……あんたの中に、私って……いたの?」
呪いを解くことも、何も出来ず。私はただ、溢す事しか出来ない。
あれからは、ネイルアートには花を入れないようにしている。それでもふとした瞬間に元彼を思い出すらしくて度々あいつは泣いた。だから元彼に貰ったというバッグは刻んだし、元彼と選んだっていう枕は残さず羽を抜いてやった。きっと元彼との情報が詰まっている携帯のデータはさすがに細かく処理出来なかったから、一気に風呂場で水没させた。
「何やってんだろ、私」
何でこんなに、ミシェルの脳内元彼駆除に精を出しているのか。あいつの目に、私じゃなくて知りもしない男が映っているのが何でここまで気に食わないのか。ああもうわけが分からない。
「さなえちゃんさあ、今日延長出来ないの?」
常連のサラリーマンが、少し浮かれ気味に私にのしかかってくる。それは一種の脅しに等しい。さりげなく剥き出しの棒を擦り付けてくるのを手で受け止めながら、脳内で必死に計算する。
ミシェルは結局興信所も辞めた、というよりクビになった。理由は明白だ。うちの店との違いは、きっと興信所の方があらゆる意味で「ちゃんとしていた」だけ。というかうちの店の顧客管理が杜撰だっただけに過ぎないのだろう。だから端的に言えば……金は、必要だ。
「店に連絡してくる」
そう言えば、客は嬉しそうに退いた。棒から垂れている白混じりの汁に少しぞっとしながら、店に電話する。同時にミシェルへも「延長入った」とだけメッセージを送った。携帯を置いて、改めて客に向き直る。そして機嫌取りのために、私はコンドームの袋を開けた。
あいつはいつも、家にいる時は鍵を開けている。精神不安定で飲む常飲剤のせいで眠りこける事もままあるし不用心だから止めろと言っても、どうも忘れがちだった。そして今日もそうだった。
また今日も、雨だ。梅雨が近付こうとしている。あいつと出会ってもう一年になろうというのか。
「ただいま」
一人暮らしを辞めてから、これを自然に口に出来るようになるまで少しかかった。ミシェルは気付けば小さく「うん」と返してくれるから、私も逆の時はそれに倣った。とても、楽だった。こどもの頃母に事細かに学校での成績を毎日報告させられていた時のことを忘れさせてくれた。
返事は無い。ただ、おかしい。電気はついているから、それがよく分かった。嫌な予感がした。慌てて靴を脱ぎ、玄関から駆け上がる。どう見ても濡れた土足のせいでついている足跡を追うと、風呂場に辿り着いた。
「ミシェル!」
ああ、そうだ。昨日ネイルを変えてやった時。久しぶりにデザインをリクエストされたんだ。「夏といえばこれなんでしょ」って、ヒレをイメージさせるマーメイドネイル。初めてやった割には、綺麗に出来たんだ。
「ミシェル、ミシェル!」
綺麗なラメを仕入れた。乳白色の、傾けると様々な色に光るラメ。完成したネイルを見て、こいつは久し振りに笑った。その大きな目を細めなんてせずに、……また私じゃなくて、ネイルを見ていた。もう私、気付いていたのに。それが、嫉妬だったんだって。
「っ、ミシェル……っ!」
結局あんたは、最後まで私を見なかったね。
まともな、本当の意味では。
「田中桃江さんは、僕の事を騙していたんです。僕は彼女が風俗で働いている理由を聞きました。僕だけに教えてくれていたんです。それってほら、特別な事じゃないですか。僕だけって、確かに彼女は言ったんですよ。だから協力したんです、探している男の名前を探したんですよ、顧客帳簿で……。僕は彼女に、『もう数年は来ていない』って、偽のデータを見せました」
「実際は?」
「定期的に来ていました。他の子なんですけど、指名をするようになっていたんです。でもそれを知ったら、ムキになって店に残るとか言いそうだったから。そしたら辞めたから、やっと堅気同士でうまくいくって思ったら……あいつ、僕の事を利用してただけで……金が無かったから、そんな高いのじゃないけど指輪まで買ったんですよ。でも、それも売られたらしくて……」
「それで腹癒せに殺したの?」
「……ずっと、この半年くらい探してたんですよ。急にいなくなったから。そしたら、店の嬢と同居していました。しかも……」
大山は結局自首して、例の元彼は私の客だった。そしてミシェルはいなくなった。
そもそもミシェルはあの日風呂に浸かりながら薬を飲んで眠っていたらしい。そこに大山が侵入し、ミシェルを刺し殺した。結局ミシェルの目にさいごに映ったのはあいつでは無かったようで、それだけが救いだった気もする。
……いや。誰も何も、救われてなんていない。
「桃江」
何度も呼ぼうとした。でも何故か、呼べなかった。だって、あいつが。あいつが、私を見てくれなかったから。だから私も呼べなかった。
最後に国に連れていかれるあいつに、キスするなんてことも。出来るわけ無かった。
「結局……あんたの中に、私って……いたの?」
呪いを解くことも、何も出来ず。私はただ、溢す事しか出来ない。
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