【R18】どうせなら、君を花嫁にしたかった。

湖霧どどめ

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43.貴女といられた幸福。

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 それは、ラルネスが十歳の誕生日を迎えたその日だった。雨季の真っ只中ではあるが、その 日は奇跡的に晴れていた。
 ラルネスはその当時子どもではあったが、すでに穏やかで物腰やわらかな紳士だった。それは当主夫妻が彼を西部の家から引き取った二年前から仕込まれた処世術による。

「次はいつ会えるかな」

 ラルネスは、今まさに馬車に乗り込もうとしている少女に呟いた。彼女は、子どもにしては目を見張るような美しく整った顔をラルネスに向けた。

「来年?」

 少女の言葉に苦笑する。同じアーネハイトとして、本家に来るより前から彼女との交友はあった。本家に引き取られてからさりげなく態度の変わった大人たちとは違い、彼女は変わらずラルネスと接してくれていた。
 ……彼女の存在こそが、ラルネスにとっては宝物だった。美しく、決して自分の意に反する事はしない。

「じゃあね」

 少女が一家で馬車に乗り、敷地を出て行った。どうしようもなく寂しい気持ちに包まれたが、仕方ない。割り切る術は身につけていた。
 誕生日の宴は、もう終わった。今からまた、厳しい日々が始まる。 当主としての振る舞い、墓守としての役割、現場の仕事……学ぶ事や実践する事があまりに多く、今日は実質年に一度の休暇のようなものだった。
 ……本当ならば。分家の息子として、のんびり生業もこなして。こんな息の詰まるような事も知らずに生きていけたのに。
 当主は種無しだった。だから、一刻も早く男児を手元に用意しておく必要があったのだ。そして自分も、幼い頃の検査で種の無い体質だと分かっている。自分も同じような事を、次世代に課すのだろうか。
 ラルネスには、今日一日の自由が与えられていた。もう夕暮れ時だが、彼は敷地の裏へ向かった。
 ……種が無い事と、もうひとつ。分かっている事があった。

「もう、みんないなくなったよ」

 敷地の裏にある、ひときわ古い墓石。それにそっと語りかけると、黒い靄がふわふわと浮き上がりだした。くるくると回るようにして、動く。

『お疲れ様。今年もまあ、大人数だったわね』

 柔らかく、安心する声。声帯など靄には存在しないはずなのに。それでも声の存在は知覚出来た。ラルネスは微笑む。

「ぼく、とてもつかれたよ」
『でしょうね。でもよく頑張ったわ、いいこいいこ』

 靄は腕を伸ばすかのような感覚で、その端を伸ばしてきた。しかし、決して触れてはこない。それは、完全にラルネスを思いやっての事だった。

「貴女の居た時も、あれくらいの人いたの?」
『いいえ。私は最初、ひとりから始まったから。でも何回も結婚して、 全員が子どもを生ませてくれて。それがまさか、ここまでひとつの家としてまとまるなんてね』
「……奇跡、だね」

 ラルネスの言葉に、靄は回転を早めた。肯定の証なのだろう。

『だからこそ、大切にすべきなのよ。選んだものではなく、あつらえられたものでも。生きている時に出会えたのは、奇跡なのだから』

 それが靄……ジェルテシア・アーネハイトの口癖だった。


 エヴァイアンという国が出来たのは、気の遠くなるような昔の事だ。大陸の中で最初に領土が分かたれた時から残っている国で、そんなものはこの大陸の中で五つも存在しない程希少である。最初の国主が領土の民にそれぞれ役割を振った際、墓守に選ばれたのがたまたまジェルテシアだった。
 ジェルテシアいわく、彼女が墓守に選ばれたのは本当に偶然だったらしい。たまたま初代国主が5番目くらいに墓守という職を思いつき、右端から5番目に居た彼女が指名されたに過ぎなかったそうだ。それを、現代では「初代国主に『死を見る女』と見初められたから」と解釈しているわけだが。

『でもそれなら、エクソシストやネクロマンサーの方が相応しいわよね』

 ジェルテシアの言葉に「そうだね」としか返せない。
 生まれてすぐ、ラルネスも他の子どもと相違なく中央教会の地下聖泉の儀式に参加させられた。その年に儀式が行われた子どもは、三百を超えるか越えないか。その中で、ラルネスとあと四人が……様々な形ではあるが聖泉に反応した。エクソシストの才を、感知されたのだ。
 しかしラルネスは生まれる前から男児と発覚していたために、次期当主として本家に引き取られる事が決まっていた。地下聖泉の儀式も、あくまで風習に倣ったに過ぎなかった。それを言い訳に、エクソシストになる事はついぞ無かった。
 しかし養子であることを表には出していなかった以上、適性がない…つまり「ただの見えない方」として周囲には認識されているらしい。別に構う話でもなかった。

『でもラルネスがエクソシストになったところで、生き延びる事は出来なかったでしょうね』
「おや、なぜ」
『剣や弓で戦う貴方なんて、想像がつかないもの。エクソシストになれば死んでしまうから、当主になるように……運命が、仕向けたのよ』

 ジェルテシアは、運命論が好きだった。聞いていれば子どもながらむっとする事もあったが、同時に支えにもなっていた。「自分がこんなに息苦しい生活を強いられているのも、こうなる運命だった」と諦める事が出来ていた。

『それに、私も寂しくなくなった』

 ジェルテシアが亡霊としてこの世界に留まっている理由は、本人にも分からなかった。自力で消える事もかなわない中、孤独を何百、何千年と耐えてきたそうだ。それだけ長い間、アーネハイトに彼女を知覚する者が現れなかったということだ。
 しかし、ラルネスは……そしてジェルテシア自身も知識として知っている。どうすれば、ジェルテシアはこの世界から解放されるかを。

「なら、何よりだよ」

 しかしその手だけは、使いたくなかった。ラルネスが気を許して弱音を吐ける相手は、彼女しかいないのだ。次期当主……アーネハイトを護る者になるべき彼は、他のアーネハイトに弱いところを見せられない。それは、子どもだからこそ発達した矜恃だった。
 そもそも自由を何よりも謳歌したいラルネスからすれば、その立場すら本来は苦痛だった。しかし使命感を生まれた頃から植え付けられてきたその身は、願望との間で明らかに彼を蝕んでもいた。

『ふふ、いいこいいこ』

 まるで彼女は母のようだった。当主夫人も役割としてはラルネスの母となったものの、やはりどこかよそよそしい。そもそも彼女は夫が種無しだったとしても、周囲から散々子を望まれていた立場だ。心中複雑なのだろう。
 ジェルテシアはラルネスに触れられない。それは、変えようの無い事実だ。それがたまらなく寂しくて、苦しかった。自分たちの間を隔てる数千年という日々が、あまりにも憎かった。

『私はずっといるわ、愛おしいアーネハイトの子ども』

 それは、まるで女神による慈愛の囁き。

「ぼくは、わがままなんだ」

 当主夫妻は、表向きは優しくしてくれている。使用人達も親切だ。それでも、不安はずっと付き纏う。
 当主の多忙ぶりを見ていれば、いずれ自分もああなると考えると恐怖すら感じた。自由に野山を駆ける事も、友人と茶を楽しむ事も出来なくなる。勿論それが大人としての責務だとは分かっている。しかし、追いつかなかった。

『でも貴方は、皆が好きなんでしょう』

 そうだ、それは揺るがない。
 産んでくれた両親も、次の冬に生まれてくるであろう実の弟も、そして……あの、いとこも。他の親戚も、当主夫妻の事も。愛しているのだ、無条件に。それはもはや生まれる前から仕込まれていた楔に等しかった。

『なら、私も愛おしい。それに、貴方が愛したならきっと皆も貴方を愛してくれる。貴方が優しい子だって、皆に伝わっているわ』
「そうかな」
『ええ。だって私、ずっと見てきたもの』

 その言葉に、ラルネスはくすりと笑った。それは、安心したからこそ出た心からの笑みだった。鎧として被せた微笑みではなかった。
 ふと、背後から音がした。足音だ。はっとして振り返ると、女が立っていた。ラルネスより少し年上くらいの、黒髪の女だった。

「ああ、邪魔した?」

 口調は飄々としていながらも、その目は冷たかった。それは明らかに、獲物を見る目だった。
 ラルネスは、彼女を睨みあげた。

「どちらさまですか」

 女は一つ溜息を吐き、履いているスカートの裾を掴んだ。嫌な程見知った形のワンピースだ。教会直属の……エクソシストの制服だった。
 うざったらしそうに、女はラルネスを……そして、その向こう側を見る。その視線に、ぞっとした。

「エクソシスト。の、ギルヴィア・ジルガニッレ」
「ジルガニッレ……」

 エクソシストの中でも大御所の家だ。アーネハイトの家の者としてまず覚えさせられた三つの名前の内の一つ。
 ギルヴィアは一歩足を踏み出した。ラルネスは咄嗟に、墓石の前に乗り出す。その姿を見て、ギルヴィアは眉根を寄せた。

「……何だ、分かってるんじゃない。庇うの、その亡霊」

 流石に正体までは気付いていないらしい。ちらりと靄を見ると、ジェルテシアは『大丈夫』と囁いた。意味は、分からなかった。

「なんで、いまになって来たんですか。このひとは、ずっといたのに」
「ああ、そうなの。たまたま家への帰り道で微かーな気配したから覗いたら気付いただけ。まさかアーネハイトが亡霊匿っていたなんてね」

 言い方にいちいち刺のある女だ。苛立ちが止まらない。
 また一歩、ギルヴィアが踏み出す。

「そもそも、アーネハイトに見える子がいるなんて初耳なんだけど。……ああそっか、そりゃ隠すか。あんた跡取り候補でしょ」
「それが、なんなんですか」
「別に。何も関係ないけど、でもまあ亡霊退治が私の仕事だから」
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