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26.大人気が無いのは最初からじゃないか。
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クロイアの特訓は、昼食を終えて尚続いていた。さっき以来エリオードはジェリアに手を出す事はせず、ただ真剣にクロイアの面倒を見ているように見える。
ジェリアはと言えば、先程のエリオードからの愛撫による熱が未だ冷めないままだった。子宮の奥がじわじわと疼き、胸元には熱のあまり汗をかきだしてすらいる。二人はそんなジェリアの様子に気付くわけもなく、的に目を向けていた。
「よし、ここまで」
エリオードの言葉を聞き、クロイアは膝をついた。肩を上下に揺らしながら、息を荒げている。慌てて「クロイア」と呼びかけながら駆け寄ったら、エリオードは笑った。
「精神力を沢山使ったからな、体に出たんだろ。よくやった、クロイア」
「あ、ありがとうございます……」
息を荒げながら、クロイアは微笑む。その様子にほっとして、ジェリアも胸をなで下ろした。
もう夕方の頃合いだ。ジェリアはエリオードを見る。
「いつまでいるの、南部に」
本当に何の気無しだった。しかし、エリオードはにやりと笑む。
「今日はな、泊まりだ」
「え」
「父さん、本当は都市部のひっとう神父の方が出張で南部に来られるのをかたがわりされたそうなんです」
さすがに聞いていなかった。目を丸く見開くジェリアに、クロイアはもじもじと近付いてくる。
「それで、あの。一応、教会にお泊まりするって事でお部屋を取ってもらってて。せっかくなんでぼくもいっしょに泊まったらどうだ、ってひっとうさまが」
それはいい事だろう。今日一晩クロイアがあの小屋にいない、と考えると少し寂しいが。
クロイアはエリオードとジェリアを交互に見た。
「……せっかくなので、ジェリアさんもいっしょがいいなあ、って。父さん、だめですか?」
突然の申し出に、ジェリアだけでなくエリオードまで目を見開く。しかしエリオードはすぐに「いいよ、勿論」と笑った。しかしジェリアは慌てながら首を振る。
「だ、だめよ。せっかく親子水入らずなのにっ」
さすがにまずい。それこそエリオードの妻にバレでもしたら一大事だろう。しかしエリオードは嬉しそうに口を開いた。
「いやいや、こんな機会そうそうないし。クロイアも寂しいんだろ?」
「その……ずっとジェリアさんといてて、ちょっと思ったことがあって」
クロイアは言いにくそうだったが、口から声をしぼりだす。
「……ジェリアさんが、お母さんだったらいいのになって。父さんと三人で、暮らしたいなって。ごめんなさい、急に」
息を呑む。急に、胸の奥が熱くなりだした。
まさかそこまで思ってくれていたとは。自分も、大切なクロイアが大切な存在になっていた分嬉しい。
それを聞いていたエリオードは、しばらく固まっていた。しかし、すぐに微笑む。
「確かにな」
「エリオード」
彼の目は、暖かかった。心底、喜んでいるかのような。
「今日は三人で過ごそう。妻には絶対気付かれないようにする。いいよな、ジェリア」
……その子どものような無邪気な目にも、クロイアの頼みにもジェリアは弱かった。一瞬だけ唇を噛みしめたが、「分かったわ」と呟く。クロイアは顔をぱあっと輝かせた。
一旦ジェリアが一人でアーネハイト邸へ戻り両親へクロイアと教会へ泊まる旨を伝えた。勿論、エリオードの事は伏せてである。両親は快諾した。
アーネハイト邸を出て教会へ向かっていると、エリオードが道の塀に寄りかかっていた。ジェリアに気づき、姿勢を正す。
「大丈夫だったか」
「ええ、別に私も子どもではないし。クロイアは?」
「先に教会に戻った。ジェリアを泊める口実を話しに。あいつが駄々をこねた事にしてくれてる」
確かに、それが一番自然だろう。しかしあんなに精神的にしっかりした子どもが今更駄々をこねたところで、効果はあるのだろうか。
二人連なって歩く。もう誰も人の気配は無かったので、エリオードも堂々としているようだった。
「奥様は大丈夫だったの?」
ジェリアの言葉に、エリオードは首を傾げる。
「大丈夫だったけど、逆に何か引っかかるんだよな。妙に物わかりが良すぎるというか」
「怪しんでいるからこそ泳がせてきてる、というのはないの?」
「無いな。あいつの性格上、少しでも怪しければすぐ噛みついてくる」
そう答えるエリオードは、どこか嬉しそうだった。それが何故なのか分からず怪訝な顔をしていると、エリオードは口を開いた。
「いや、ジェリアって本当俺の妻の事気にしてるよなって」
おれの、つま。その言葉に内心ずきりとする。それが表情に出てしまったのか、エリオードは笑みを深めた。いつもの、熱っぽい瞳で。
「……妬いてくれてるんだ、ジェリア」
それを言われてしまえば、そうなるのか。
彼の妻の座に堂々といられる女。今までは絶対の壁のように感じていたが……クロイアの存在もあって、より近くに居るような感じになる。そして何より、その女の存在を嫌でも知覚させる存在がまさしく隣に居るのだ。
……急に、胸の奥がむず痒くなってきた。そんなジェリアの髪を、エリオードはそっと梳いた。
「大丈夫だ、絶対に俺はジェリアだけ。あの時から、その気持ちは本当に変わってないから」
そうだ、気持ちだけは。彼はずっとそう言っている。しかし彼は一度、ジェリアを騙しているのだ。また、信じてもいいのだろうか。
……そんな疑問を抱くも。ただ、信じたいのはジェリアの方なのだ。
「でもあの謝恩会、俺会いに行って本当によかったかもな」
教会に近付く中で、エリオードはふとそう口にした。
「謝恩会って色々な家の人間が集まるから、実質婚活会的な意味合いが強いんだ」
「そういえば、ラルネスもそう言ってたわね」
「だろ。俺があの場でジェリアを捕まえてなければ……ああだめだ、ごめん。俺からしてて何だけどやっぱやめよう」
……エリオードの嫉妬深さは、よく知っている。あのロケットの件でラルネス相手でも荒れていた程だ。そしてさっきの言葉
『そんなジェリア……殺したくなる』
恐ろしい思考だとは思う。しかし、それに内心ぞくぞくと快感として味わっている自分も居た。それを言った男がエリオードだった、というのも勿論あるのだろうが。
教会に到着した。すると大扉の前で、クロイアが待っていた。彼はふたりを見ると嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ひっとう様が、大きなベッドがある部屋にしてくださいました。三人でのびのび寝なさい、って」
それはつまり、三人で一つという事か。エリオードを見ると、彼は嬉しそうに「そうか」と返している。さすがにクロイアもいるので下手な事は彼もしてこないだろう。そう祈るしかない。
早速教会へ入る。エリオードが立ち止まった。
「俺は仕事があるから、行ってくる。夕飯までには片づけてくるよ」
そうだ、彼は都市部からの遣いとして今日は来ているのだ。ジェリアが頷くと、クロイアはジェリアを見た。
「じゃあ、父さんが帰ってくるまでいっしょにお風呂に入りましょう」
「ん?」
クロイアの言葉に、エリオードはにっこり微笑んだまま首を傾げる。クロイアもまたにこにこ笑いながら嬉しそうに口を開いた。
「南部の教会には、大きなゆぶねがあるんです。二人で入っても広いんですよ」
エリオードはジェリアを見た。その目はどこか謎の圧を発していて、少しぎょっとする。しかしすぐに、エリオードはクロイアに視線を移した。
「……クロイア。さすがにもうお前も六つだ。女性と、というか、ジェリアと、一緒に、風呂、っていうのは」
「え、ときどきいっしょにはいってますよ?」
クロイアのきょとんとした返しに、エリオードは目を見開く。ジェリアは慌てて間に入った。
「そ、その。時々よ。毎回一緒じゃないわ」
「一緒に入る必要はあるのかそれ」
顔はクロイアの手前笑顔だった。しかし声が明らかに堅い。それに気付いているのかいないのか、クロイアはしょんぼりと「だめですか」と呟いた。エリオードは大きく頷く。
「もう六つだからな。そのかわり、父さんとならいい。今日は一緒に入ろう、だから待っててくれ」
それを聞き、クロイアは嬉しそうに頷いた。その様子に、ジェリアは心底ほっとする。しかし。
「ああ、ジェリア」
「えっ」
エリオードは笑顔のまま、ジェリアを手招きした。恐る恐る近付き、彼の側へ向かう。エリオードはジェリアの耳元に手を当て、唇を寄せた。
「……あとで、楽しみにしていてくれ」
言い方は柔和だった。しかし明らかに……意図がある。しかし頷くしか出来なかった。
エリオードは「じゃあ、またあとで」と口にすると背を向けた。クロイアはにこにことそんな彼を見送った。
「たのしみです。父さんとお風呂なんて、久しぶりです」
「……そう」
「父さんとどんなお話してたんですか?」
「……内緒話よ」
そう言うしかなかった。
二人は部屋へ向かう。客室としては最奥だった。扉を開くと、まるで宿屋の一室のように広々とした部屋だった。掃除もしっかりと行き届いている。
「教会にこんな部屋があったのね」
「ぼくもはじめて使います。ほら、ベッドも一番大きいんですよ」
確かに大きなベッドだった。三人どころか五人は並べそうだ。少し安心したが、先程のエリオードの発言からして警戒はした方がよさそうだ。まさか自分の子どもにまで露骨に嫉妬するとは思っていなかった。
「お風呂のお湯、ためてきますね」
クロイアは嬉しそうに浴室へと向かった。小屋にはシャワーしかないので、湯船に入れるのが余程嬉しいらしかった。
すぐに用意出来たらしい。戻ってきて早々、クロイアは早速ベッドに寝転がった。ぼふん、と柔らかい音がした。
「……つかれちゃいました」
「そうね、頑張ったものね」
ジェリアもベッドの縁に腰掛け、クロイアの頭を撫でる。彼はふにゃりと笑った。つられて、ジェリアの顔も柔らかくなる。
「少し眠る?」
「はい……少しだけ……」
「エリオードが戻ったら起こしてあげるわ」
クロイアは小さく「はぁい」と返すと、すぐに瞼を閉じた。すぐに呼吸が寝息へと変わる。余程疲れていたのだろう。
さらさらの赤毛。エリオードの髪質に似ているが、色はまったく違う。となると、エリオードの妻からの遺伝なのだろう。その事実をまざまざと叩きつけられた心地。
……一体、どんな女なのだろう。タロニ家の娘。クロイアもあまり懐いている様子も見せず、エリオードもあの態度だ。そんなエリオードと結婚したのだから、女の方が余程の執念でこぎ着けたのだろう。
それだけの執念を持って、エリオードを愛している女。自分は、それにかなうのだろうか。
「……怖いわね」
誰よりも、自分が。妻のいる身の男を欲している、そんな自分が。
自分がその女よりも先にエリオードに出会えて。そして、愛し合えていれば。そんな想像は、エリオードと再会してから何度もしてしまっている。きりがないのに。
しかし。もし、エリオードの言うとおり……誰からも認められる未来がくるのならば。彼の妻を、堂々と名乗る事ができるようになるのならば。
クロイアの睫毛、鼻、唇。そして、すべて。じっと、見つめる。エリオードに似ているかと言えば、あまり似ていない。しかし、開かれている時のクロイアの目は、エリオードと同じだった。
……この子が、自分の息子になる。それは、とても喜ばしい事だ。しかしそれは、この子の母から……エリオードの妻から、大切なものをふたつも奪うという事だ。その覚悟を、持たなければならない。
がちゃり、と音がした。開いた扉を見ると、エリオードが居た。
ジェリアはと言えば、先程のエリオードからの愛撫による熱が未だ冷めないままだった。子宮の奥がじわじわと疼き、胸元には熱のあまり汗をかきだしてすらいる。二人はそんなジェリアの様子に気付くわけもなく、的に目を向けていた。
「よし、ここまで」
エリオードの言葉を聞き、クロイアは膝をついた。肩を上下に揺らしながら、息を荒げている。慌てて「クロイア」と呼びかけながら駆け寄ったら、エリオードは笑った。
「精神力を沢山使ったからな、体に出たんだろ。よくやった、クロイア」
「あ、ありがとうございます……」
息を荒げながら、クロイアは微笑む。その様子にほっとして、ジェリアも胸をなで下ろした。
もう夕方の頃合いだ。ジェリアはエリオードを見る。
「いつまでいるの、南部に」
本当に何の気無しだった。しかし、エリオードはにやりと笑む。
「今日はな、泊まりだ」
「え」
「父さん、本当は都市部のひっとう神父の方が出張で南部に来られるのをかたがわりされたそうなんです」
さすがに聞いていなかった。目を丸く見開くジェリアに、クロイアはもじもじと近付いてくる。
「それで、あの。一応、教会にお泊まりするって事でお部屋を取ってもらってて。せっかくなんでぼくもいっしょに泊まったらどうだ、ってひっとうさまが」
それはいい事だろう。今日一晩クロイアがあの小屋にいない、と考えると少し寂しいが。
クロイアはエリオードとジェリアを交互に見た。
「……せっかくなので、ジェリアさんもいっしょがいいなあ、って。父さん、だめですか?」
突然の申し出に、ジェリアだけでなくエリオードまで目を見開く。しかしエリオードはすぐに「いいよ、勿論」と笑った。しかしジェリアは慌てながら首を振る。
「だ、だめよ。せっかく親子水入らずなのにっ」
さすがにまずい。それこそエリオードの妻にバレでもしたら一大事だろう。しかしエリオードは嬉しそうに口を開いた。
「いやいや、こんな機会そうそうないし。クロイアも寂しいんだろ?」
「その……ずっとジェリアさんといてて、ちょっと思ったことがあって」
クロイアは言いにくそうだったが、口から声をしぼりだす。
「……ジェリアさんが、お母さんだったらいいのになって。父さんと三人で、暮らしたいなって。ごめんなさい、急に」
息を呑む。急に、胸の奥が熱くなりだした。
まさかそこまで思ってくれていたとは。自分も、大切なクロイアが大切な存在になっていた分嬉しい。
それを聞いていたエリオードは、しばらく固まっていた。しかし、すぐに微笑む。
「確かにな」
「エリオード」
彼の目は、暖かかった。心底、喜んでいるかのような。
「今日は三人で過ごそう。妻には絶対気付かれないようにする。いいよな、ジェリア」
……その子どものような無邪気な目にも、クロイアの頼みにもジェリアは弱かった。一瞬だけ唇を噛みしめたが、「分かったわ」と呟く。クロイアは顔をぱあっと輝かせた。
一旦ジェリアが一人でアーネハイト邸へ戻り両親へクロイアと教会へ泊まる旨を伝えた。勿論、エリオードの事は伏せてである。両親は快諾した。
アーネハイト邸を出て教会へ向かっていると、エリオードが道の塀に寄りかかっていた。ジェリアに気づき、姿勢を正す。
「大丈夫だったか」
「ええ、別に私も子どもではないし。クロイアは?」
「先に教会に戻った。ジェリアを泊める口実を話しに。あいつが駄々をこねた事にしてくれてる」
確かに、それが一番自然だろう。しかしあんなに精神的にしっかりした子どもが今更駄々をこねたところで、効果はあるのだろうか。
二人連なって歩く。もう誰も人の気配は無かったので、エリオードも堂々としているようだった。
「奥様は大丈夫だったの?」
ジェリアの言葉に、エリオードは首を傾げる。
「大丈夫だったけど、逆に何か引っかかるんだよな。妙に物わかりが良すぎるというか」
「怪しんでいるからこそ泳がせてきてる、というのはないの?」
「無いな。あいつの性格上、少しでも怪しければすぐ噛みついてくる」
そう答えるエリオードは、どこか嬉しそうだった。それが何故なのか分からず怪訝な顔をしていると、エリオードは口を開いた。
「いや、ジェリアって本当俺の妻の事気にしてるよなって」
おれの、つま。その言葉に内心ずきりとする。それが表情に出てしまったのか、エリオードは笑みを深めた。いつもの、熱っぽい瞳で。
「……妬いてくれてるんだ、ジェリア」
それを言われてしまえば、そうなるのか。
彼の妻の座に堂々といられる女。今までは絶対の壁のように感じていたが……クロイアの存在もあって、より近くに居るような感じになる。そして何より、その女の存在を嫌でも知覚させる存在がまさしく隣に居るのだ。
……急に、胸の奥がむず痒くなってきた。そんなジェリアの髪を、エリオードはそっと梳いた。
「大丈夫だ、絶対に俺はジェリアだけ。あの時から、その気持ちは本当に変わってないから」
そうだ、気持ちだけは。彼はずっとそう言っている。しかし彼は一度、ジェリアを騙しているのだ。また、信じてもいいのだろうか。
……そんな疑問を抱くも。ただ、信じたいのはジェリアの方なのだ。
「でもあの謝恩会、俺会いに行って本当によかったかもな」
教会に近付く中で、エリオードはふとそう口にした。
「謝恩会って色々な家の人間が集まるから、実質婚活会的な意味合いが強いんだ」
「そういえば、ラルネスもそう言ってたわね」
「だろ。俺があの場でジェリアを捕まえてなければ……ああだめだ、ごめん。俺からしてて何だけどやっぱやめよう」
……エリオードの嫉妬深さは、よく知っている。あのロケットの件でラルネス相手でも荒れていた程だ。そしてさっきの言葉
『そんなジェリア……殺したくなる』
恐ろしい思考だとは思う。しかし、それに内心ぞくぞくと快感として味わっている自分も居た。それを言った男がエリオードだった、というのも勿論あるのだろうが。
教会に到着した。すると大扉の前で、クロイアが待っていた。彼はふたりを見ると嬉しそうに駆け寄ってくる。
「ひっとう様が、大きなベッドがある部屋にしてくださいました。三人でのびのび寝なさい、って」
それはつまり、三人で一つという事か。エリオードを見ると、彼は嬉しそうに「そうか」と返している。さすがにクロイアもいるので下手な事は彼もしてこないだろう。そう祈るしかない。
早速教会へ入る。エリオードが立ち止まった。
「俺は仕事があるから、行ってくる。夕飯までには片づけてくるよ」
そうだ、彼は都市部からの遣いとして今日は来ているのだ。ジェリアが頷くと、クロイアはジェリアを見た。
「じゃあ、父さんが帰ってくるまでいっしょにお風呂に入りましょう」
「ん?」
クロイアの言葉に、エリオードはにっこり微笑んだまま首を傾げる。クロイアもまたにこにこ笑いながら嬉しそうに口を開いた。
「南部の教会には、大きなゆぶねがあるんです。二人で入っても広いんですよ」
エリオードはジェリアを見た。その目はどこか謎の圧を発していて、少しぎょっとする。しかしすぐに、エリオードはクロイアに視線を移した。
「……クロイア。さすがにもうお前も六つだ。女性と、というか、ジェリアと、一緒に、風呂、っていうのは」
「え、ときどきいっしょにはいってますよ?」
クロイアのきょとんとした返しに、エリオードは目を見開く。ジェリアは慌てて間に入った。
「そ、その。時々よ。毎回一緒じゃないわ」
「一緒に入る必要はあるのかそれ」
顔はクロイアの手前笑顔だった。しかし声が明らかに堅い。それに気付いているのかいないのか、クロイアはしょんぼりと「だめですか」と呟いた。エリオードは大きく頷く。
「もう六つだからな。そのかわり、父さんとならいい。今日は一緒に入ろう、だから待っててくれ」
それを聞き、クロイアは嬉しそうに頷いた。その様子に、ジェリアは心底ほっとする。しかし。
「ああ、ジェリア」
「えっ」
エリオードは笑顔のまま、ジェリアを手招きした。恐る恐る近付き、彼の側へ向かう。エリオードはジェリアの耳元に手を当て、唇を寄せた。
「……あとで、楽しみにしていてくれ」
言い方は柔和だった。しかし明らかに……意図がある。しかし頷くしか出来なかった。
エリオードは「じゃあ、またあとで」と口にすると背を向けた。クロイアはにこにことそんな彼を見送った。
「たのしみです。父さんとお風呂なんて、久しぶりです」
「……そう」
「父さんとどんなお話してたんですか?」
「……内緒話よ」
そう言うしかなかった。
二人は部屋へ向かう。客室としては最奥だった。扉を開くと、まるで宿屋の一室のように広々とした部屋だった。掃除もしっかりと行き届いている。
「教会にこんな部屋があったのね」
「ぼくもはじめて使います。ほら、ベッドも一番大きいんですよ」
確かに大きなベッドだった。三人どころか五人は並べそうだ。少し安心したが、先程のエリオードの発言からして警戒はした方がよさそうだ。まさか自分の子どもにまで露骨に嫉妬するとは思っていなかった。
「お風呂のお湯、ためてきますね」
クロイアは嬉しそうに浴室へと向かった。小屋にはシャワーしかないので、湯船に入れるのが余程嬉しいらしかった。
すぐに用意出来たらしい。戻ってきて早々、クロイアは早速ベッドに寝転がった。ぼふん、と柔らかい音がした。
「……つかれちゃいました」
「そうね、頑張ったものね」
ジェリアもベッドの縁に腰掛け、クロイアの頭を撫でる。彼はふにゃりと笑った。つられて、ジェリアの顔も柔らかくなる。
「少し眠る?」
「はい……少しだけ……」
「エリオードが戻ったら起こしてあげるわ」
クロイアは小さく「はぁい」と返すと、すぐに瞼を閉じた。すぐに呼吸が寝息へと変わる。余程疲れていたのだろう。
さらさらの赤毛。エリオードの髪質に似ているが、色はまったく違う。となると、エリオードの妻からの遺伝なのだろう。その事実をまざまざと叩きつけられた心地。
……一体、どんな女なのだろう。タロニ家の娘。クロイアもあまり懐いている様子も見せず、エリオードもあの態度だ。そんなエリオードと結婚したのだから、女の方が余程の執念でこぎ着けたのだろう。
それだけの執念を持って、エリオードを愛している女。自分は、それにかなうのだろうか。
「……怖いわね」
誰よりも、自分が。妻のいる身の男を欲している、そんな自分が。
自分がその女よりも先にエリオードに出会えて。そして、愛し合えていれば。そんな想像は、エリオードと再会してから何度もしてしまっている。きりがないのに。
しかし。もし、エリオードの言うとおり……誰からも認められる未来がくるのならば。彼の妻を、堂々と名乗る事ができるようになるのならば。
クロイアの睫毛、鼻、唇。そして、すべて。じっと、見つめる。エリオードに似ているかと言えば、あまり似ていない。しかし、開かれている時のクロイアの目は、エリオードと同じだった。
……この子が、自分の息子になる。それは、とても喜ばしい事だ。しかしそれは、この子の母から……エリオードの妻から、大切なものをふたつも奪うという事だ。その覚悟を、持たなければならない。
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