【R18】どうせなら、君を花嫁にしたかった。

湖霧どどめ

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19.蔦は幾らでも伸びるのだから、根から焼かないと。

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 エリオードは都市部に戻ると、すぐさま教会に向かった。無理矢理休暇を取ったせいで仕事が大量に降りかかってきているのはもうすでに推測出来ている。
 そもそも今回の休暇は半日としてもらっており、その事自体フォニカには伝えていない。彼女は、いつものように早朝に出勤したと思っている。
 教会に馬車を停め、どうも中が賑やかな事に気付く。中に入ると、すぐに理由が分かった。ひとりの女の周りに、下女達がたかっている。エリオードに気付くと、彼女達はそそくさと業務に戻っていった。さぼっていると思われるとでも思われたのだろうか。

「あれ、エリオード!」
「よう」

 ラチカ・エヴァイアン・ロドハルト。彼女はいつもと変わらない笑顔で、駆け寄ってきた。会うのは謝恩会以来だ。

「今日休みって聞いてたけど。あ、そっか半休か」
「ああ。ラチカこそどうしたんだよ、わざわざ里帰りか」

 ラチカはエヴァイアン国主の妹ではあるが、そもそも彼女はエクソシストであり、同僚にはそんな腫れ物扱いされるのを嫌がっていた。同じ歳であるエリオードからすれば、気安く接する事の出来る同僚の内の一人だ。それも、フォニカの知らない領域だからというのもある。
 ラチカは困ったように笑った。

「ロドハルトの結界石の在庫切れちゃって、ここのを分けてもらいにきたの。丁度時期でしょう、地下聖泉に漬け込みが終わるの」
「そうだな。何だ、今日帰るのか」
「ううん。実家に一泊だけするつもり」

 エリオードはラチカの持っている紙の束を見た。のぞき込むと、それはエリオードがこなすはずの仕事に使う資料だった。

「あれ、もしかして」
「暇だったから。でも全然進んでないよ」
「いや、悪い。俺もすぐ取りかかるから」

 手を差し出すと、ラチカは持っていた資料をそのままエリオードに持たせた。するとそこに、一人の青年が歩み寄ってくる。眼鏡をかけた彼はエリオードに気付くと恭しくお辞儀をした。

「お久しぶりです、ジルガニッレ様」
「ああ、シャイネか。謝恩会ぶりだな」

 ラチカの従順な使用人であるシャイネは、表情を変えずに「ですね」と返してきた。愛想が悪いわけではないが、感情がどうも読み取りにくい。ラチカいわく「ああ見えて結構分かりやすいよ」との事だが。

「悪いな、主人に仕事押しつけちまって」
「いえ。お嬢様が暇を持て余していたところモシェロイ神父が『実家に戻ったんだから実家の仕事』と割り振ってらっしゃっただけなので」
「シャイネもずっと裏の掃除させられてたもんね」

 確かに彼の手には掃除用具が握られていた。彼はいつもラチカが教会で仕事をする際なにかしら手伝いをしていたので、勝手はよく分かっているのだろう。
 シャイネは「では、屋根裏へ行ってきます」とだけ残して二人に背を向けた。

「本当よく働くなあいつ」
「せっかく戻ったんだから休んでていいって言ったんだけどね、動いてなきゃ鈍るって。とりあえず行こう」

 ラチカの言葉に頷く。この様子だと、エリオードの分以外の仕事まで手伝う気なのかもしれない。せっかく実家に帰ったのだからゆっくりすればいいのにと思うが、確かにじっとくつろぐような女でない事は幼少から知っている。
 エヴァイアンの子どもは、生後間もなく教会地下に湧く特殊な泉……地下聖泉の水に触れ、エクソシストの素質を試される。適応した子どもは、親御の意向にもよるが幼少の頃から修行に出されるようになる。都市部の子どもは大概がジャナ家の所持する山にて生命力を鍛えられつつ晩学に励む事が多い。ラチカもエリオードも例に漏れなかった。
 だからこそ、南部に出されているクロイアは少々例外扱いされているらしい。しかしとくに、突っ込んで聞いてくる者はいなかった。

「戻りました」

 エクソシストの控え室……もとい業務室に戻ると、皆自分の仕事で忙しそうだった。ちらほら「おかえり」という声は聞こえるが、構いにはこない。
 エリオードとラチカは互いに隣に座り、早速書類に目を通し始めた。内容は大概エヴァイアンと隣国ロドハルトの亡霊目撃情報についてだ。ロドハルトには未だに教会が少ないので、ラチカが嫁いだ事もありエヴァイアンが面倒を多めに見ているところもある。

「まあこっちは平和だよ」

 ラチカはそう呟いた。

「何年か前のあの事件以来、旦那さんがすごく警戒してて。私あっちで毎日のように見回りしてるもん」
「そうなのか? エクソシストの教育もやってるんだろ、忙しくないか」
「何人かこっちからついてきてくれたし、交代でやってるよ。シャイネも対人戦術の指導で手伝ってくれてるしね」

 資料の中には、ロドハルトのエクソシストの教育状況もあった。人数はエヴァイアンの五分の一にも満たないが、エヴァイアンは大陸一の巨大国家でロドハルトは最小に等しい。むしろ人数も少ないので教育はしやすいだろう。

「旦那さんとはうまくやってるのか」

 エリオードの言葉に、ラチカは照れくさそうに笑った。

「まあ、うん。えへへ」
「いいなあ幸せそうで」

 ふと、漏れてしまった。しかし、あまりにもそう見えたのだ。元々天真爛漫な女だったが、そこに更に花が綻んだかのような幸福感が見える。
 ラチカは「そうだね」と笑みをよりこぼす。

「やっぱり好きな人と、っていうのがいいのかも。私からしたら、その……旦那さんが、初恋なわけで、えへへ」

 そういえば、確かそんな話を聞いた気もする。それを聞き、エリオードは「いいな」と心から声を漏らした。
 情熱的に人を欲する気持ち。独占欲も焦がれる心地も、ジェリアで初めて知った。実質エリオードにとっては初恋に等しい。
 そういえば。ジェリアにとっての初恋とは、誰なのだろう。そう考えると、自然と体がこわばる。

「エリオード?」
「あ、いや。何でもない。集中してた」

 エリオードの言葉にラチカは慌てて「ごめんね」と返してくる。それに首を振り、エリオードは口を開いた。

「離縁したい、って考えた事はあるか」

 エリオードの言葉に、ラチカは予想通り首を振った。しかし辺りをきょろきょろ見回すと、小声で耳打ちしてくる。

「……私はないんだけど。その、シャイネが」
「シャイネ?」
「シャイネがずっと言ってる。『離縁するなら子がいない内に』とか『言い出し辛いなら俺が毒でも盛りますが』とか」
「そんな事言うのあいつ?」

 そういえば確かに主人煩悩な気配はあった。ジルガニッレにも本邸になら使用人は数人程度雇っているが、あそこまで主人にべったりしている使用人など見た事は無い。
 ラチカは苦笑した。

「って言っても、シャイネの剣術の指導とか全部いま旦那がやってて。何か仲がいいのか悪いのかよく分かんないんだよね」
「ふーん……」

 ラチカとの付き合いは長いが、シャイネとはそこまで深く関わった事がない。だから分からなくても無理はないのだが、どこか不思議だった。
 都市部の結界点検の報告書に確認終了のサインを行いながら、ラチカはエリオードを見た。

「そっちは? 結婚して七年とかでしょ。やっぱりその、飽きたりする?」

 ラチカの言葉に、少し悩む。しかし間を空けないようにして、返した。

「好きなら飽きないだろう。飽きたなんて言う奴は、最初から相手の事を大して好きじゃないと思う」

 恐らく彼女はその言葉を聞きたかったのだろう。安心したかのように息をついていた。
 嘘は一切ついていない。実際ジェリアが妻なら、絶対飽きずに一生愛せる自信がある。しかしフォニカに関しては、最初からその土台が無いのだ。どうしようもない。
 ジェリアが、妻なら。

「悪い、一旦抜ける」

 ラチカは頷いた。
 エリオードは部屋を出ると、厠へと向かった。ジェリアとあんなに睦みあったばかりだというのに。いや、むしろその記憶が熱烈に残っているからか……どうも、疼く。
 謝恩会の時とは比べものにならない程、じっくりとジェリアを味わえた。しかし外というのがどうもよくなかった。次はもっと集中出来るように、どこか室内を都合しよう。そうぼんやりと考えていると、股間が充血していくのを感じた。

「しかし、堪らなかったな……」

 ジェリアの体の感触、声、表情。エリオードに犯され、歓喜の中泣いて受け入れてくれた。どれだけ中に出してやろうか、と思ったか。しかし今ここで子どもを作るわけにはいかなかった。
 フォニカを納得させるだけの材料。それをどうにかして用意しなければならない。どうすべきか。

「おや、ジルガニッレ様」

 目の前に、シャイネが歩いてきているのが見えた。はっとして下腹部をおとなしくさせようとするが、今日はゆとりのある服だ、きっとばれないだろう。少し安堵すると、シャイネは辺りを見渡した。

「お嬢様は」
「悪い、まだ仕事手伝ってもらってる。奥だ」
「そうですか。そろそろクッキーが焼き上がりそうなので、また皆様へとお持ちします」
「ああ、ありがとうな」

 そういえば、とシャイネは少しだけ目を細める。その目の色は、ラチカと同じ黄金色だった。そういえば、血縁者だったか。

「……謝恩会の日の事ですが。ひとつよろしいでしょうか、確認ごとですが」
「なんだ?」

 シャイネは表情を変えない。何でも無い事のように、口を開く。

「あの日、アーネハイト様がお見えになりました」

 その名を聞き、反応してしまいそうになる。しかし、抑えた。

「ミネグブ・タロニ・アーネハイト様が失踪された件はご存じでしょうか」
「ああ……妻の姉だ。妻も連絡がつかないと言っていた」

 そもそもフォニカはタロニ家の出ではあるが、あの家は嫁いだ娘に基本的に無関心を貫いている。そのため、義姉という事は聞いていただけで実際のミネグブと会った事すらない。彼女がラルネスと結婚したと聞いてはいたが、そもそもが他人のような感覚だ。
 シャイネは続けた。

「人数合わせのためと、アーネハイト様は遠方のご親戚の方をお連れになりました。黒髪で青い瞳の……色の白い、美しい女性でした」

 間違いない、ジェリアだ。一気に背筋に冷気が走る。

「その方は謝恩会中に体調を崩され、アーネハイト様の手引きで俺が国主邸でも人気の無い奥の休憩所へ案内致しました。あの、花のアーチの奥です。ご存じですよね?」

 ぞっとした。まさか。

「……どこまで知っている」

 エリオードの言葉は震えていた。しかしシャイネはそれを楽しむ事も、慌てる事もしなかった。ただ、淡々と。

「俺はロドハルトへ移籍したと言え、あの日はエヴァイアン国主家の使用人に戻っていました。だからあくまで、見張りをしていただけです」
「全部ってことか」
「細部までは見ておりません。他人の情事を見て興奮する性癖などもありませんので」

 確かにこの男にそんな趣味があるようには見えない。しかし問題はそこではなかった。
 エリオードはため息をつきながら、脳内をフル回転させる。

「俺を強請りたいのか」

 誤魔化すのはきっと無理だ。この真面目一遍な男を騙す事など、きっと出来やしない。シャイネは首を振った。

「いえ。ただ一応報告はしておくべきかと思いまして。目撃者は俺だけですが」
「……そうか、ありがとよ」

 どうやら何も企みそのものは無さそうだ。しかし、ぞくぞくとした気配は残っている。
 シャイネはそんなエリオードを知ってか知らずか、口を開いた。

「とくに口外する気もありません。お嬢様にも、アーネハイト様にも」
「俺の妻にも、頼む」

 エリオードの本音の言葉にも「かしこまりました」とシャイネは返した。しかしどこか腑に落ちず、彼を見る。

「何で何もしないんだ。その情報があれば、どうにでも出来るだろうに」
「俺に得も何も無いからです。それに」

 シャイネはそっと、呟いた。

「……あの時の貴方を見ていると俺を見ている気分になった。それだけです」

 意味が分からなかったが、シャイネは歩き出した。方向からして、恐らく厨房だ。
 正直、腰が抜けると思った。そうか、見られていたのか。あの、自分の獣のような所行を。
 しかし、考えようによっては……証人とも言える。自分と、ジェリアの。

「ははっ」

 笑いすらこみ上げてきた。
 シャイネは妨害などとくに考えていないだろう。それは、彼をよく知らない自分でも分かる。そもそもメリットも何も無いはずだ。
 ならば、逆に。うまく使えるかもしれない。エリオードからの頼みなら難しいかもしれないが、もしそれが仮に……彼の主人からの頼みであれば。
 勿論すぐに行動には移せない。今はあくまで「使えるかもしれない」カードだ。それが一枚増えただけでも、エリオードからすれば心強さすら感じた。
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