【R18】どうせなら、君を花嫁にしたかった。

湖霧どどめ

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13.丸見えだよ、君の企みも気持ちも。

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「お待ちしておりました、アーネハイト様」

 刺々しさは極力抑えた上で口にしたつもりが、どうも冷たくなる。それをラルネスが感じ取ったかは分からないが、彼は何も言わない。ただ優美に微笑んでいた。
 エリオードは、教会の中へとラルネスを招き入れた。下女に茶の用意を頼み、彼を伴って奥へと歩む。
 墓地の様子やこれからの葬儀の予定などを打ち合わせするため、月に二度程教会のエクソシストとアーネハイト家が接見する事になっている。来るのは大概、多忙なアーネハイト当主ではなくラルネスだ。応対するエクソシストは毎回手が空いた者なのだが、エリオードが相対するのはかなり久しぶりだ。エリオード自身があの一件からラルネスを避けていたというのが大きい。
 いつも使う応接間に入り、ラルネスにソファをすすめる。エリオードも向かいに腰掛けると、下女が茶を運んできた。

「ああ、ありがとう」

 穏やかな微笑みでカップを受け取るラルネスに、下女は頬を朱に染める。彼女は仕事を終えると、軽やかな足取りで応接間を後にした。
 その様子を見て、エリオードはため息を吐く。

「本当に罪づくりな方で」

 ラルネスの噂は、エリオードの元にも届いている。それを知ってか知らずか、ラルネスはにこりと微笑んだ。

「最近は抑えていますとも」

 ……実際そうなのだろう。ただ一つ分かるのは、この男は自分の魅力を理解している。だからこそ武器にしている。ただそれは、彼の本性を知らない人間にしか効かないわけだが。
 早速仕事の話に取りかかった。モシェロイから持たされた資料を使い、エリオードは現状の教会の様子を伝達しだす。一瞬でも自分の気を緩めてしまえば、彼に対する憎悪が浮き彫りになってしまう気がした。

「この月に入ってから、中央教会エクソシストが狩った亡霊は二体。すべて郊外にて自動発生した個体です」
「なら、我が墓地の結界は無事作動しているという事で大丈夫ですか」
「そう考えて頂いて構いません。気になるようであれば折を見て点検者を派遣しますが」
「そうして頂けるとありがたい」

 アーネハイト本家管轄である中央墓地の運営は、今はすべてラルネスが掌握しているらしい。次期当主、というよりはもう彼が実質当主と言えるだろう。とはいえまだ年若い彼への反感を感じている者もいるにはいる、と風の噂で聞いた。
 次はラルネスが手持ちの資料を広げた。

「まあ、うちは何も変わりありませんね。区画整理も先日完了しました」
「ありがとうございます。では、もう定例報告は終了という事で。私は業務に戻りますが、どうぞごゆっくり」

 エリオードは資料をかき集め立ち上がる。そんな彼を見て、ラルネスはまた微笑んだ。

「随分余裕を失っていますね?」

 ……垣間見えた悪意に、足が止まる。
 エリオードはため息を吐いた。

「申し訳ありません、最近忙しいもので。出てしまいましたね」
「奥方のお相手でですか」

 あくまでラルネスは調子を変えなかった。本当に世間話をするかのような感覚での言葉。それが逆に、エリオードの癇に障った。

「何が言いたい?」

 駄目だ。こうなる気がしたから避けていたのに。実際今、自身の表情を隠す余裕を失っていた。
 ラルネスはカップに口をつけた。「うん、美味い」と呟く。その顔には未だに微笑みが残っている。

「いやいや、羨ましい限りだなと。僕は最近妻に逃げられたもので」

 それは、エヴァイアン都市部でしっかり噂として広がっていた。本来は恥じて秘匿すべき情報であるはずなのに、ラルネスはとくに口止めもしない。ラルネスに憧れる女達が色めき立って噂をしているのを、エリオードは嫌という程耳にしている。

「いいじゃないですか、自由の身になって」

 内心、本心だった。
 エリオードの立場というよりはフォニカの気性からして、彼から離縁を切り出す事は出来ない。仮に離縁が出来て改めてジェリアと結ばれたとしても、そうなれば真っ先に被害が及ぶのは恐らくジェリアだ。それだけは絶対に避けたかった。

「自由……ええ、まあそうですね。おかげでより仕事に熱も入るようになりましたね」

 ラルネスは再び、微笑む。

「なに、僕も最近次期当主としての自覚が出始めたもので……父には『遅すぎる』と叱られましたが。今まではその学びでいっぱいいっぱいでしたが、一族全体に目を向ける余裕が最近出てきたのです」

 あくまで、邪気の無い。いや、感じさせない微笑みのまま。

「貴方は一度、我が一族の麗しの姫に唾をかけた。それだけで、僕に警戒心を抱かせる要因になり得る事はお分かりでしょう」

 ……クロイアの事を、気付かれているのか。いや、ただ適当に鎌をかけているだけなのかもしれない。
 エリオードはようやく余裕を表情に繕った。むしろ笑みすら浮かべて、口を開く。

「まさか。あの一件で、私も猛省致しました。彼女を、存分に傷つけてしまった」

 未だに、夢に見る。あの日の事を。
 あんなに泣き咽びエリオードを拒絶したジェリアを見た時、自分のしでかした事の大きさを思い知った。あの日どうやってクロイアを連れて帰宅したかも覚えていないくらい、エリオードは狼狽していた。
 だが、本当はうまく隠せたはずだったのだ。ラルネスさえいなければ。この男が、いずれ覚めるものだったとはいえ……夢を、終わらせたのだ。

「勿論気にはしていますが、もうどうこうなど出来もしないでしょう。貴方がいる限り」
「ほう」

 どう捉えたは分からない。しかし、ラルネスは矛を納めたようだった。問題はこちらがもつかどうかだ。エリオードは「では、これで」と呟くと足音を抑える事なく応接室を出た。
 残されたラルネスは、一つ息をつく。そして備え付けられていた砂糖を山盛りと、大量のミルクをカップに注いだ。表面張力満杯にまで満たされたカップに口をつける。

「……うん。こっちの方が美味い」

 エリオードの『どうこう出来もしない』は建前と見て間違いは無いだろう。あの男は、本当に感情が表に出やすい。あの日、ジェリアと訪れた公園の出来事からも分かる。
 彼は本当にジェリアに執心している。そしてジェリアも本当に彼を愛していたのは、あの打ちひしがれた彼女を見た時にとてもよく分かった。立場さえ真っ当であれば、誰しもに祝福され結ばれただろうに。
 エリオードも恐らく、それを諦めていないだろう。奥方との離縁さえうまく行けば、と思っているのかもしれないが……そこに踏み切るには、彼は弱すぎる。
 そしてそんな貧弱な奴に、ラルネスもジェリアを預ける気は一切無い。

「……苛々するなあ」

 無意識に呟いてラルネスは立ち上がると、応接室を出た。すると、先ほどの下女とすれ違う。彼女はこちらをちらりと見ると、会釈した。それを見て、ラルネスは足を止める。

「お茶をありがとう、美味しかったよ」

 彼女が恥ずかしそうに頷くのを見て、その白く細い手を取った。

「綺麗な手だ。これで、あの味を作り出したんだね。素晴らしい」
「あ、あ……そんな、アーネハイト様」
「ねえ、君。もしよければだけれど」

 歳は自分よりわずかに下か。顔はそばかすが目立つ素朴なものだが、悪くない。体つきも華奢ではあるが、まあ不足は無いだろう。
 ラルネスはその笑みに……気付かれない程にわずかな淫靡さを含めて、囁いた。

「夜、時間はあるかな」





 クロイアは教会へ行っている。もう立ち直っているようだった。
 ジェリアは墓掃除を終えて、墓地の領域内にある小さな丘に軽食を広げてた。今日はクロイアは教会の催しがあるのであちらで食べてくるという。久々に昼食は両親と取ったが、どうも物足りなかった。
 母が焼いてくれたスコーンを千切り、口に含む。乾燥させた果実が練り込まれたそれは、柔らかな酸味を持っていた。

「いい天気……」

 最近は雨もなく、穏やかな気候が続いていた。今年はまだ暑くなっていないが、じきにだろう。
 ジェリアは浮かない顔だった。ため息を吐いて、元凶のそれを取り出す。
 かつてラルネスに誕生日の祝いで贈られたペンダントだった。大振りなトップには精巧な彫刻が施されているが、それは言わばロケットの蓋の部分だ。開くと、そこには。

「……すっかり忘れていたわ」

 トップの装飾が気に入っていて、最初は写真を入れずに付けていた。
 エリオードは最初このペンダントを見た時、「男に贈られたのか」と怒り混じりに言っていた。いとこから、と言えば彼は納得したようだったが……今にして思えば、彼に嫉妬する権利など一切無かっただろうに。
 しかし彼は、それならばと。自身の写真をロケットに入れるように言ってきた。常に自分を想っていてほしい、と。

「馬鹿馬鹿しい」

 ありったけの憎悪を込めて、呟く。
 妻子が居る身で、よくも言えた者だ。彼は一体、何がしたかったのだろう。便利な現地妻が欲しかっただけにしか、もはや思えなかった。
 それなのに、どうして。どうして、こんなに……思い出すだけで、泣きそうになるのだろう。
 写真を撮影するというのは、都市部ならではの技術だ。肖像画よりも精巧に、その姿を写し取る。ロケットの中には、エリオードがこちらをじっと見ていた。その真摯な瞳に、かつて……ジェリアは、身を焦がす程酔っていた。

「……エリオード」

 その声は、まだ彼を忘れられない女の声だった。
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