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第八話

罠の中へ至るまで

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 朝日が、差し込んできている。今は何時だろう、夏はすぐに日が昇るせいで否応にも早く起きてしまう。昨日はきちんとカーテンを閉めたはずなのに。ああ、彼が開けたのか。
 ここに来てから早三日程か。何もする事は無い。光精には仕事があるので、ずっと同行させられている状態だ。彼は毎日、すこぶる機嫌がいい。あんな彼は珍しい、とザラーヴァントは言っていた。
 寝間着も着ず、完全に裸の状態で再びシーツに包まる。部屋の主である光精の気配は、洗面台の音で分かった。光精は常に、アキラを自分の部屋に置いた。

「ああ、おはよう」

 未だ少し寝癖の残る髪を手櫛ですきながら、光精が洗面台から顔を出した。

「まだ寝てていいぜ、八時になったら起こす」
「……煙草吸いたい」

 数日前光精が吸っているのを見て真似始めたが、案外すぐに馴染んだ。光精はくすりと笑うと、「きちんとベッドから出てから」とだけ言い、再び洗面台へ戻った。ベッドから、のそりと起きる。
 記憶が戻ったせいか、以前に比べ意識がよりクリアになった気がする。ずっとあやふやでもどかしかったものが、やっと確立した。その安心感は、大きかった。
 『neo-J』の基地へ十七年ぶりに戻ったアキラは、熱烈な歓迎を受けた。職員は全員、事情を知っていたらしい。それだけに、どこかくすぐったさが勝る。

「兄さん」

 便宜上は、そう呼ばざるを得ないのだろう。五歳までの時は「オリジナル」と呼称していたが、さすがに道徳心の芽生えた今となっては躊躇われた。
 母の胎の中、受精したいのち。母が……『neo-J』総帥であり、常人と違うヒトであったために、彼女の生んだ赤子は生を受け数時間も経たずに研究材料に回された。世継ぎというより、母の性質を解明したい欲深さが赤子の生命を二つに分断した。
 元の赤子は、男。そこから細胞を採取され復元されたいのちは、不具合という名の奇跡で女として生まれた。それを母はきちんと理解していたし、自分達も初めから知っていた。お互いが、自分の半身のようなものだ。

「ん?」
「煙草、最後の一本だけれど」
「ああ、構わないよ。あとで用意する」

 紙で巻かれた煙草をくわえ、マッチで火を点ける。ジジ、と焼ける音。
 ……戻ってきてしまった、ここに。『卍』の面々、とくに総吾郎はどうしているだろう。総吾郎は性格的に、自身を取り戻そうと考えているかもしれない。しかし、その許可は恐らく上が下ろさないだろう。そうなれば、自分の存在は……恐らく。
 覚悟が必要かもしれない。

「アキラ、ちょ、灰」
「あら」

 ぼとり、と床に灰が落ちた。つまみあげようとするも、ぼろりと指の中で崩れる。
 ……脆い。何もかも。

「ごめんなさい」
「考え事か……ああ、『卍』の事か」

 光精は穏やかに笑っている。しかし奥底は、どこか。

「大丈夫だ。俺達がお前を必ず護る。やっと戻ってきたお前を、易々とくれてやったりはしない」

 その言葉に、どこか心が重くなる。そんなアキラを見、光精は深くため息を吐いた。

「まあ、十七年も在籍していたんだ。勿論情も沸いているだろう、それは分かっている。けれど、アキラ」

 アキラの手を取り、光精は洗面台へと歩んだ。洗面台の蛇口から、水をひねり出す。流水で指を洗うアキラを見ながら、光精は続けた。

「記憶は戻ったんだろう」
「……恐らく、全部ね」
「なら、分かってるはずだ。俺達がこうなったのも、『neo-J』がこうなったのも、『新』日本が何故こんな方向に進んだのかも」
「ええ」

 強く、返す。

「……千場樹アーデルだけは。あの男だけは、殺さなければならない。俺達の手でだ」

 すべて思い出した。あの日。あの、恐ろしい日。あの日から、アキラは光精と引き離され……『卍』で過ごした。
 恐らく、全世界の中でアーデルの目論見や過去を知っているのは自分と光精、そして母だけだ。アーデルは恐らく、未だアキラの記憶が戻った事に気付いていない。総吾郎から伝わっている可能性はあるだろうが、正直そこは賭けになってくる。
 彼は、大丈夫だろうか。

「とりあえず、用意を始めるか。服を着よう」

 支給の『neo-J』の女性職員制服と下着を渡される。受け取り、ベッドへと向かう。
 二人して身支度を終えた頃には、既に八時半だった。揃って部屋を出、通路を進む。彼の左手は、アキラの右手に絡まっていた。ぬくもりが、心地よい。彼は昔から手をつなぐのが好きだ。そしてそれは、アキラを抱く時もずっとだった。

「『門』は今日、ザラに任せている。今から作戦会議だ」
「作戦? もう決めたの?」
「一応な。協力者も俺がピックアップしているから、今から迎えに行く。まだ知らせてはいないが、まあ協力してくれるだろう」

 協力させる、の間違いだろう。しかしそれを指摘するほど野暮ではないし、彼は昔からこうだった。変わっていないことに、どこか微笑ましさすら感じる。
 いくつかの通路を通り抜け、一つの部屋の前に立つ。娯楽室のひとつだ。扉を開くと、二人の人影があった。二人はテーブルで向かい合い、オセロゲームをしているようだった。

「あ」

 うち、女の方が口をあんぐりと開ける。男の方も意外そうな目でアキラを見てきた。

「今日お前達非番って聞いてさ。ここよく居るって聞いた」

 光精はにこやかに、娯楽室に足を踏み入れた。二人……滝津マトキと品野アレクセイは立ち上がって頭を下げる。しかし光精は、どこか不満げに首を傾げた。

「何でそんなに後ずさるんだよ、滝津」
「いやー前回のアレがですね? 何か体がトラウマとして認識しちゃってるというかですね? とくに今ちょっとお尻の穴がきゅんってしちゃいましてね?」
「あれで全部チャラにしてあげたからもう怖くない怖くない」
「その笑顔がすでに圧政」

 アレクセイはアキラをちらりと見、しかし何も言わなかった。会うのはあの日以来だ。そういえば、あの時に光精とも再会した。あの様子を見たときはあくまで初対面の認識だったので気味悪かったが、もしかすると記憶さえあれば自分もああなっていたかもしれない。記憶がある分、光精は十七年近く寂しい想いをしてきた。それを考えると、胸の奥が焼けそうになる。
 マトキもまた、アキラをじっとりと見る。

「戻ってきたとは聞いていたけど。相変わらず大きいね、ムカつく」
「大きいし弾力もすごいし感度もいいよ」
「光精さまの煽りもすごい」

 光精は軽く笑うと、二人を見据えた。

「さて、ちょっとお前達に頼みがあってね。この四人とあとひとり、ザラーヴァントと五人で重要機密作戦を行いたい」

 その言葉に、アレクセイは少し目付きを鋭くする。マトキはどこか楽しそうにニヤリと笑み、設置されている椅子に手を伸ばした。光精とアキラの分の椅子を引き、目線ですすめる。全員が着席した。

「さて、単刀直入に言おう」




「……なら、滝津と品野は協力してくれると?」
「ああ、問題ない」

 『門』の管理室で、ザラーヴァントが紅茶を淹れてくれた。渋みが少しきつい。

「まあ、あいつらもあいつらであまりここに執着してないしな。『neo-J』がこの先どうなろうが、自分達で生きる術を探せるというスタンスだ」
「なら、予定通りか」
「ああ。アキラ、あれを」

 預けられていた書類を手渡す。ザラーヴァントは書類のとある欄に視線を落とした。

「……観測部、ここまで掴んだのか。これは、絶対か」
「ああ。明後日の20時きっかり。誤差が出ても1時間かそこらだそうだ。これに合わせる」
「そうか。タイミングとしては出来過ぎな気もするが……これも、導きかもしれんな」

 ザラーヴァントは、アキラを見た。彼の事もまた、知っている。

「アキラ、お前はいいのか。『neo-J』に戻ってそうそう、こんな……」
「構わないわ」

 目的は、出来ている。
 光精は穏やかに微笑むと、ザラーヴァントから書類を受け取った。それをそのまま、シュレッダーにかける。ざりざりざり、と紙が屑と化していく。

「……お袋の本体は?」

 ザラーヴァントの手が、パソコンを操作する。小型ディスプレイに、地図が移った。

「順調に移動中だ、この様子ならあと2時間程で到着する。アキラの事は知っているのか」
「ああ、すぐに電話で伝えた。『そうか』としか言われなかったけれど、夕飯は同席させる」

 胸の奥が、緊張で張る。十七年ぶりに、母に再会する事となる事実がどこか怖かった。記憶の中の母は無感情な人だったが、それを光精に伝えると「全然変わらないよ」と笑われた。

「ザラ、決行のタイミングはまた追って知らせる。それまでは絶対気取られるなよ」
「お前達こそ、対面するんだろう。気を付けろよ」

 頷く。ザラーヴァントは手を振ると、仕事へと戻っていった。光精に視線で促され、アキラも立ち上がる。
 二人で管理室を出て、光精の先導でエレベーターに乗り込む。たどり着いたのは、『門』の上部だった。湿気と熱気がたちこめ、空の青がとても濃い。

「ザラの言う通りだ」

 ぼそり、と光精は呟く。

「せっかくアキラが帰ってきたのに、早々にこんな危険な事に加担させる羽目になった」

 光精の目的は、『neo-J』に戻って一番初めの夜に聞かされた。それは確かに壮大な計画で、自分ひとりでは思い付きもしないような……しかし、絶対に彼ひとりでは出来ない事だった。
 だとしたら。

「私の、役目だから」

 自身のオリジナルとも言える男は、悲しそうに笑った。そして、煙草に火を点ける。アキラも手を差し出すと、一本手渡された。同じく、点火。

「総吾郎くん、どうしてるだろうな」
「……そうね」

 最後に見た彼を思い出す。朦朧とした意識の中、必死にアキラを呼んでいた。アキラはそんな総吾郎に……見放すように、背を向けてヘリコプターに乗り込んだ。
 自身には、彼を思い出す資格など無いのかもしれない。けれど。彼は確かに。

「連れてくるべきだったかもしれないな」

 あの時彼を置いていったのは、光精の判断だった。理由はただ一つ。アキラが『neo-J』に戻ったという証明作りの為だった。それはまるで、戦争の火種の扱いだ。実際戦争を起こそうとしているのは事実だし、どうしてもあの場では総吾郎しか適任がいなかった。
 地に、灰を落とす。

「まあじきに会えるだろう。きっとあの子は、お前を取り戻しに来る」
「その時は、どうするの」

 アキラの問いに、彼は答えなかった。ただ、煙草から口を離す。アキラが息を吐く瞬間、唇を重ねた。

「……渡しはしないさ。それだけだ」

 夕焼けが始まりだしている。夏の陽は長いが、そろそろ時間も夕食時に差し掛かっている。ああ、ならば恐らく……地上に見えるあの車体は。

「帰ってきたな。出迎えに行くか?」
「……夕飯は一緒に取るんでしょう」

 光精は頷くと、「一応毒見係を付けておくよ」と冗談めかして笑った。しかしその言葉自体は冗談ではなく、恐らく真剣だ。それは何となく分かるし、二人の現状はザラーヴァントから既に聞いている。恐らく母も光精も、昔から何も変わっていない。だからこその……この、関係性なのだろう。
 『門』を降り、一度光精の部屋に戻った。光精の要望で一度だけ睦み合うと、丁度そのタイミングで職員が部屋をノックしに来た。身支度を整え、部屋を出る。
 母が居るという、厳重に封鎖された個室。外側から幾重にも鍵を掛けられているその様は、まるでこの奥に母を閉じ込めるための檻のようにすら見えた。前に立っている職員が二人の姿を確認すると、申し訳なさそうにいそいそと光精に近付いてくる。耳打ちされた言葉に、光精は露骨に眉間の皺を作った。

「訳が分からないな。関係無い、俺も行く」
「そ、それは……総帥様のお言葉を無視する訳には」
「どうしたの」

 どこか異様な空気に、アキラが口を挟む。光精は不機嫌を隠す事なく、親指で個室を指した。

「俺は入るな、と。アキラと二人きりにしろって事らしい」

 なるほど、これは光精を通さない為の錠か。恐らく外せるのはこの職員だけだ。下手に押し入ろうものなら、どうなるか予想もできない。
 アキラは光精の腕に触れた。そして、彼を見る。

「行ってくるわ」
「駄目だ。あの女と二人きりにさせるわけにはいかない、あれだけ言っただろう」
「絶対無事に戻る、約束するわ」

 光精は唇を噛み絞め一考する素振りを見せると、「ここで待ってる」と言って壁にもたれかかった。職員が錠をひとつ、ふたつ、と開けていく。すべてが開いてから、扉が開かれた。広がっていたのは、細長い通路だった。踏み込むと、扉を閉められた。施錠の音が聞こえる。光精の抗議が聞こえるが、どうにもならないのだろう。彼はあくまで総帥の息子で『門』の責任者だが、権力ではやはり総帥には絶対勝てない。
 通路を歩く。一本道ではあるが、異様に長かった。やがて御簾のような物が見え、横から掌を入れめくった。見えたのは、一つのダイニングのような空間だった。

「……アキラか」

 中央に置かれた円卓に、女が座っている。ああ、懐かしい。

「お母様」

 母……市路ミラは、人形のような無表情を変える事なくアキラを見据えた。まるで光精の生き写しのようだ。否、順で言うと逆か。年齢も、記憶の中のものから一つも重ねていないかと思える程若若しい。裾の長く、襟の詰まったドレスも昔と同じデザインだ。記憶から、抜け出してきたかのような……彼女は確かに、自分に細胞を分け与えた母だった。
 コック姿の男がミラの向かいの椅子を引いて、アキラを見る。頷くと、そこに腰かけた。すぐさま、グラスが置かれる。

「まずは食前酒といこうか。案ずるな、やっと戻ってきた娘に毒など盛らぬ」

 機械的な声。しかし、光精の予測が正しければ彼女こそが……市路ミラの、本体だ。
 グラスを持ち、差し出されたミラのグラスすれすれまで近付ける。触れそうな距離で止め、口へ運んだ。薬草のような風味の強いアルコールが、喉をちりちりと燃やす。

「十七年か」

 感動などどこにも込められていないような、ただの言葉。表情も一切変わらない。黒髪の中の白い顔は、まるで陶器で出来ているかのような冷たい美をたたえている。

「あの豆粒のようだった幼児が、よくここまで成長したものよ。まこと、地上の落とし胤は成長が早い。小僧もそうだ」

 恐らく、光精のことだろう。アキラは無言で、箸を手に取った。前菜に伸ばす。

「小僧に何か吹き込まれたか?」

 その顔は、笑う事すらしない。
 前菜が運ばれてきた。

「何故、兄さんをここに入れなかったの」

 アキラの問いに、ミラはすぐには答えなかった。肉を一口含み咀嚼する姿は、まるで本当の機械のようだった。喉が空いたのか、再び口を開く。

「知れた事。私ではなく、奴が毒を混ぜるからだ。せっかくの娘との再会を、あんな小僧の茶々入れで台無しにされたくはない」

 ……確かに、彼ならやりかねない。

「ここに留守番させていた私のクローン体が、奴によって破壊された。それは即ち、狼煙だ。奴は私の命を狙っている。しかし総帥が形だけでも本拠地に不在というのはまずかろう」

 その顛末自体は、光精本人から聞いていた。そして、それこそがミラを誘き寄せるための罠だったとも。ミラ自身、やはり気付いている。
 再び酒を煽った。

「不可解だ」

 ぼそり、と。それでも確実な声。

「お前を取り戻して尚、奴は私を……私達を恨むか。否、恨んでいる対象は」

 彼女の箸が、肉を拾った。

「……世界か。『革命』をもう一度起こす気だな」

 アキラには、何も言えなかった。
 光精の目的も、手段も、そしてミラをどうするつもりなのかも。すべて自分は知っている。
 スープが運ばれてきた。熱い湯気が二人を隔てる。

「奴は『革命』の下準備をほぼ終えたそうだな。あとは贄の用意か。恐らくそれに使われるのは私だろう」
「……そこまで分かっていながら、何故ここへ戻ったの」
「簡単だ。迎え撃ってやろうと思ってな」

 膝に乗せた手に、力がこもる。そんなアキラを目の当たりにしても、ミラは眉一つ動かさなかった。

「あの若造に、私の『力』を取られる訳にはいかん。厳密には、あの若造に『力』が奪われるなど千場樹アーデルの完全なる予想……否、理想だ」
「何故そこでボスの名前が出るの」

 声が、粟立った。ようやく初めて、ミラの目が暗く陰る。

「その結末を見たいというのであれば、やるがいい。私はどちらにせよ死ぬ。その先の世界など、もう知った事ではないよ」







「……わぅっ!!!!」

 数日、数週間ぶりの覚醒は本当に唐突だった。目を焼くような痛み、眩しさ、そして情報。
 自分の体は、未だ獣のものだった。周囲を見渡しても、誰もいない。急いで全身の毛穴を閉めるつもりで力を籠めると、全身から体毛と肉球が失せ始めた。

「……おお、弾痕か」

 腹部の穴は完全に跡だけ残して埋まっていた。そこで、記憶を掘り起こす。

「……何で、ここにいんだ俺」

 アキラと総吾郎と三人で、日の丸号を調査していて。すると、腹部にあの弾を受けて。総吾郎に揺られながら、意識がとんだ。
 つまり、今『卍』の集中治療室にいるのは。

「……激ヤバ案件?」

 血の気が引いた。全身に張り巡らされた点滴を片っ端から引き剥がし、駆けだす。扉を勢いよく開け、通路を見渡す。
 まずは総吾郎を探そう。彼は、いま、どこに。

「あー! えーすけだ! えーすけ!」

 声のする方を向くと、アレッタがいた。彼女は車輪をがらがら回して駆け寄ってくる。その顔は、泣きそうだった。

「アレッタ、久々!」
「ひさびさー! よかった! えーすけいきてた!!」

 アレッタの腕が、栄佑の足をぐるりと抱く。その震え方がどこか泣いているように見えて、どこかこちらも泣きそうになってくる。

「ごめんな、心配かけちまったんだな。俺、どれくらい寝てた?」
「とーかかんくらいだよ、ずっとまってたんだよ。そーごろも……」

 ハッとして、アレッタを離す。しゃがみ込み、アレッタに目線を合わせた。

「アレッタ、総吾郎は今どこにいる?」
「さっきほーそーでよばれてたよ、ほんぶにこいって」
「本部? 放送って、どれくらいさっき?」
「さんじのチャイムのすぐあと」

 壁にかかった時計を見る。まだ5分も経っていない。
 アレッタの頭をくしゃりと撫で、「夜ごはん一緒に食べような」とだけ言って、駆けた。恐らく本部に先回り出来ればかち合うだろう。そして、その予感は当たった。
 通路を二つ変え、本部まであと僅かというところだった。後姿だ。

「総吾郎!」

 振り返る。その顔は、驚きと喜びで輝いていた。

「っ栄佑さん! よかった、起きたんですね! 何か異変とかは?」
「全然大丈夫! ってかごめんな、あんな偉そうな事言ってすぐにあんなんなって」

 総吾郎は、かいつまんで今までの経緯を説明した。日の丸号を出てからコローニアと交渉した事、カイザー達と戦った事、そしてアキラが『neo-J』へ渡った事……怒涛の十日間だった、と。
 すべてを聞き、脳髄が火傷したかのような眩暈を感じた。そうか、ついに……光精は、やったのか。

「この呼び出しも、きっとアキラさんの事だと思います。杏介さんが本部の方に、今アキラさん奪還作戦を提案してくれてて」
「なるほどな」

 総吾郎の目線が、栄佑に合う。それがどこか虚ろで、どこかどきりとした。

「栄佑さんは、全部知ってたんですか」

 頷く。それしか出来なかった。
 総吾郎は少し泣きそうな顔をして、目を伏せた。

「……俺、結局アキラさんの事何も知らなかったんですね。アキラさんが本当は元々あっちの人で……なら、何でここに来たんですか」
「悪い、それに関しては本当に知らない。俺が知ってるのはアキラちゃんが須藻々光精のクローン体で、須藻々光精がアキラちゃんにやたら執着してるってことだけだ」

 これは、真実だった。総吾郎は一瞬黙り込むと、「ありがとうございます」とだけ呟いた。
 となると、今回のこの件は……ほぼほぼ確実に、自分のせいだ。自分があそこで重体にならなければコローニアに付け込まれる事もカイザーと闘う事も無かっただろうに。自己嫌悪で、吐き気がする。
 そんな栄佑の手を、総吾郎が握った。ハッとして彼を見ると、その目は強い光を持っていた。

「大丈夫です。アキラさんは絶対取り戻します。例え……あの人と闘う事になっても」

 ああ、この子は。ずっと。
 握り返す。熱を伝えきってから、離した。
 二人で本部の門番に名前を伝え、中へと入る。扉を閉めた瞬間、急に照明がついた。今までは薄暗い状態でしかなかったのに。眩しい中目を慣らすと、そこには猫目の男が居た。

「……一号さん?」

 一号は二人の丁度前に、立ち塞がる形で止まっていた。彼は静かに、二人を眺める。栄佑で視線を止めると、小さくため息を吐いた。

「ここから先はお二人を通せません」
「何言ってんだ、俺はともかく総吾郎はそっちが呼び出したんだろ」

 そこで、栄佑の顔が強張る。総吾郎は意味が分からず、二人をただ見比べた。一号はただ目線を栄佑から外さない。

「何故貴方が付いてきたのですか。とんだ誤算だ」
「行儀いい素振り見せながらこっそり変質開始するとか、マジで礼儀なってねぇな」

 変質、の意味が分からず栄佑を見る。その口元からは、犬歯が伸び始めていた。

「ちょっと高くくり過ぎだろ、一号さんよ。いくらあんたが合成人間っつっても、それなりに戦闘訓練積んだ総吾郎ひとり殺せるとでも思ったか」
「ええ、まあ。しかし貴方が付いてきたとなれば話は変わってきます」

 相変わらず、機械的な物言いだ。しかし意味が分からない。何故、自分は殺されようとしているのか。

「杏ちゃんはどうした」

 まさか、その事が絡んでいるのか。一号は何も動揺した素振りを見せずに、目を閉じた。栄佑がいつも、狼になる時に行う素振りだ。
 栄佑は総吾郎の肩を乱暴に抱き、耳元で早口の状態で囁いた。

「絶対追いつくから、先に奥へ行って杏ちゃんの無事を確かめてくれ。俺の記憶と推測が正しけりゃ、この人は俺しか止められない」
「っでも!」
「いいから行けって。安心してくれ、もうあんな事にはならないから」

 背中を押される。そのはずみで、一歩足を踏み出す。
 行くしか、ない。

「すみません、栄佑さん!」

 そう叫び、進む。その背を見送りながら、栄佑は自身を変質させた。
 ……不思議な感覚だ。以前より、すんなり溶け込める。『neo-J』の医師が治療に関わった関係なのか、どこか体の調子がいい。今のところ悪影響はとくに出ていない。
 狼化した栄佑を見下ろしながら、一号は鼻を鳴らした。

「純血種初の成功例、とはよく言ったものです。産地が同一の動物であれば成功率が跳ねあがる、と証明したのは誰だか知っていますか?」

 どうやら総吾郎を追う気は無いらしい。否、先に自分を片付ける気か。なめられている。
 
「架根アキラの秘密を知ってしまった彼と林古杏介は、恐らく最終的にアーデル様に害を為すに違いない。それだけは、止めさせて頂きます」

 やはりそれか。
 一号は変質を完了させた。それは、体毛の長い……猛虎だった。彼は一度だけ吠えると、跳躍した。
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