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13.曲がりくねって屈折して、ひとりでは逸れることしか出来ないだろう?

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 目を覚ます。今日は、雨だ。雨の音がする。雨の日は農園の仕事が減るため、気持ちゆとりを持って作業が出来るだろう。
 あの後、ヴィエロは何も言わずにサエラを抱き締めながら眠った。流石に再び侵される事は無かったが、何故か嫌な圧を感じたのを覚えている。
 ヴィエロはサエラの傍らで寝息を立てている。とても美しい顔だ。それでも……ダニスへの想いを知覚してしまったサエラからすれば、胸を抉るものでしかない。こんなにも似ているのに、この男は結局ダニスではない。

「朝食の用意をして参ります」

 ベッドを降りて、キッチンへ向かう。その足取りは、重い。昨日の影響が残っているのだろう、股にも違和感を感じる。今回は、裂けた痛みはない。体が少しずつ順応していっている事に、ほんの僅かながらも絶望を抱く。
 このまま続ければ、いつかやがて子どもを宿す事になるだろう。その子は……ダニスに似るのだろうか。
 朝食の用意が整った頃、足音が聞こえた。ヴィエロだ。

「おはようございます」
「ああ」

 寝ぼけ眼で着席するヴィエロに、白湯を差し出す。彼はそれを無言で飲んだ。元々朝が強い人間ではないが、雨の日はそれがより顕著だと思う。
 朝食を配膳し向かいに座ると、ヴィエロは口を開いた。

「今日は国主邸には行かない、ここで仕事する」
「かしこまりました」

 度々そういう日はあった。彼いわく、ピオールの農作物に関する仕事がある時は資料が整っているこの屋敷での方が捗るとの事だった。
 朝食を片付けると、早速彼は自室へと向かった。こういう日は、昼食の用意も必要になる。結局用意で慌ただしくなりそうだった。彼は事前連絡というものを知らないのか、いつも当日言ってくる。もう慣れたものだが。


 屋敷の掃除を数時間かけて終えると、呼び鈴が鳴った。玄関の扉を開けると、若い男が立っていた。農園の従業員だ。彼はにこやかに頭を下げる。

「サエラさん、この間言われていたこれ出来たよ」
「ありがとうございます」

 彼は農園の中でも役職を持っていて、資料作りなども分担してもらっていた。資料を受け取ると、彼は苦笑した。

「いやあ、こっちにいる内に持ってくるのもどうかと思ったけど事務所にまだ来てなかったからさ。今日夕方からだったんだね」
「ご足労すみません」
「いやいや。そういえば昼食はとった?」

 もうそんな時間だったか。そろそろヴィエロの食事の用意をしなければならない。首を振ると、彼は顔をぱっと輝かせた。

「せっかくだし、外に食べに行かない?新しく出来た店が評判いいんだよ」
「え、でも」
「そもそも君は働き過ぎなんだよ。ちょっとは息抜きをすればいいんだ」

 にこやかに迫られ、どう返せばいいか分からなくなる。しかしそんな悩みは、ふっと顔を青ざめさせた従業員を見て止んだ。
 振り返ると、ヴィエロがいた。穏やかに微笑んでいる……これは、完全な外面だ。ヴィエロの外面は、家の者以外なら従業員でも対象らしい。

「来客だったか」

 声も、優しい。しかし、サエラには分かる。相当な嫌悪感を、彼は奥に隠している。
 従業員は目を泳がせながら、恐る恐る口を開いた。

「ヴィ、ヴィエロさん……今日お休みだったんですね……」
「いや、たまたま家に居ただけだ」

 顔は微笑んでいる。しかし、普段完全に擬態出来るはずなのにその目は完全に滾っていた。これではまず勘付かれるだろう。
 従業員はひとつ、後退りした。

「と、とりあえず用は済んだからこれで……」

 サエラやヴィエロの反応を待つ事なく、男はとぼとぼと歩き出した。その背は僅かながらも震えている。
 ヴィエロは舌打ちすると、サエラを乱暴に玄関に引き込んで扉を閉めた。もうその顔に優しさは消え失せていた。

「おい、まさか言ってないのか。俺達が結婚した事を」
「い、いえ。この敷地の従業員の方には全員伝えました」

 それも、ヴィエロの命令によるものだった。反応は様々、先程の男は驚きと共に「おめでとう、と言うしかないか」と言っていたのを思い出す。大体の者はヴィエロの外面を信じているので、祝福や羨望を向けてきていた。
 ヴィエロは「分かった上でか」と呟いた。

「あいつを解雇しろ」
「え」
「聞こえなかったか、解雇しろって言ったんだ」

 その声は冷たかった。さすがに驚いたサエラは、食い下がる。

「か、彼は第七区画と第八区画の監督役です。急に解雇なんて……指揮系統が混乱します」
「そこの人事の采配は好きにしていい。何せあいつは即刻解雇しろ」

 駄目だ、埒があかない。焦る素振りを見せるサエラ苛立ったのか、ヴィエロはサエラの首を正面から掴んで壁に押し付けた。呻くサエラに、「出来ないのか」と地を這うような声を伸ばす。

「俺の言う事は聞けないのか。親父の言う事はなんでも聞いていたくせに」
「が、はっ」

 気管を遮られる。苦痛で、涙が滲んできた。捉えられた目は、あまりに冷たい。

「お前は俺の妻で、俺のものなんだ。いい加減弁えろ」

 手の力が緩められる。同時に力も抜けた。崩れ落ちるサエラを支えるようにして、ヴィエロはサエラの腰を掴む。息を荒げるサエラの顎を掴み、口付けてくる。

「く、ふっ」

 行為が始まるのか、と身構える。しかし、彼は大人しくサエラを解放した。その目は、まっすぐサエラを見ている。

「……どうすればいいんだ」

 ぼとり、と落とされた言葉。

「どうすれば、お前は……」

 そこまで溢して、ヴィエロは少しだけ目を見開いた。すぐに口を噤む。サエラを離し、「もし無理なら」と普段通りの声に戻した。

「俺も人事の采配を考える、何せお前にあいつが近付かないようにしろ。いいな」
「……あの人にも、生活があります」

 そう絞り出した言葉に、ヴィエロは苛立たし気に「お人好しか」と呟く。それは完全に、侮蔑の口調だった。それに対し一瞬怯みかけるも、引かなかった。ヴィエロはひとつ、舌打ちする。

「……俺はな、お前のそういうところが嫌なんだ」

 サエラは何も返せない。

「昔からそうだ。お前はいつだって、他の人間に散々いいようにされて、それを受け入れて、……俺以外にだ」

 まるで、譫言のようだった。こんな彼は初めて見る。少し不安になってきたが、やはりサエラは動けない。
 顔はいつもと変わらない。ただ、声だけが湿っている。

「どうすればいい、どうすれば……お前は、俺だけのものになるんだよ」
「ヴィエロ様……」

 ただ、名前を呼ぶしか出来ない。ヴィエロは頭を抱えると、「忘れろ」と口にした。

「今回だけは呑んでやる。ただし、ここの管轄外に飛ばせ。いいな」
「……かしこまりました」

 さすがに、逆らえなかった。
 ヴィエロは奥へと消えていく。やがて、扉の音が聞こえた。恐らく部屋に篭り出したのだろう。
 どくり、どくり、と未だに心臓が鳴く。こんなこと、今までなかった。あんな、縋るような言葉など。
 先程の言葉が、まるで爪痕のように嫌な痛みを残したのを感じる。

「だって……仕方ないじゃない」

 そうしなければ、生きてこられなかった。仕事をこなし、役に立つ。それでしか、少なくともタロニでは許されなかった。
 ダニスは……あの家と違うにしろ、確かに雇用形態としては主人と使用人だ。確かにいうことはなんでもきいた。しかしそれは、あくまで嫌なことをさせられず、かつ彼を信用していたという前提からである。
 しかし……ヴィエロには?

「……っ」

 まず、そこからだ。自分たちが形を成すには。
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