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5.不器用にも程がある。

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 朝日の光が、瞼越しにサエラの目を刺した。その刺激で目を覚ます。
 ……また、夢を見た。しかし内容はよく思い出せない。それでもどこか胸を締め付けられるような、不思議な痛みがある。
 身を起こしてまず目に入ったのは、昨日とまったく同じ光景だった。ダニスの面影すら無くなっているこの部屋は、あまりにも胸を抉る。また、泣きそうになる。もう、変えようがないのに。そうだ、自分には……何も出来ない。
 シーツが揺れる気配がした。はっとして視線を落とすと、ヴィエロの背中があった。丸まって眠っていて、薄い皮から背骨が浮き立っていた。
 そうだ、昨日。この男に……自分は、処女を奪われた。
 おぞましい感触だった。知識として身につけてはいたものの、あんな痛みなど初めてだった。
 ふと、思い立つ。指を股に潜らせて、秘部に触れる。ぬちゃり、と粘液が指についてきたがそれは血ではなかった。ヴィエロの精液か。それを認識したm途端、急に寒気がした。
 もし、この男の子を孕んだら。ダニスとヴィエロに似るとしたら、それは美しい子どもだろう。しかし普段のヴィエロを見ていると……とても彼に父親が務まると思えない。そしてそれは、自分にも言える。
 自分はあくまで使用人として育ってきた。それは生家でも、引き取られた先のこの家でもだ。違うのはただ、待遇だけだ。そんな自分に、母親が務まるとも思えない。そもそも、自分は母親というものを知らない。それは自分のものであれ、人のものであれだ。

「ん……」

 呻き声が聞こえた。ヴィエロだ。視線をやると、彼は薄目を開けてこちらを見ていた。慌てて「おはようございます」と口にすると、不機嫌そうに彼は目を閉じた。

「もう少し寝る……」
「かしこまりました」

 少しほっとした。もしまた昨日のような事を強いられたらどうしようかと思ったが、自分たちは夫婦になったのだ。きっと、これからも機会はあるのだろう。想像して、溜息が出そうになった。
 サエラはヴィエロを刺激しないように立ち上がると、そっとベッドを降りた。ヴィエロは寝起きの機嫌がいつも悪い。下手に起こした日、彼はサエラが骨折する程の折檻をくわえた。あれからは細心の注意を払うようにしている。
 部屋を出てシャワーを浴びる。やはりあちこち打身したせいか、いくつか青痣が生まれていた。この世に生を受けてから、無傷な日はむしろ珍しくもあるのだが。
 身なりを整えて、サエラは伸びをした。

「ふう……」

 暖かい日だ。春も近い。
 この広大な敷地も、ほぼ全てがダニス筆頭に育てた作物たちだ。都市部に置かれたこの敷地では土の都合か野菜は育ちにくい。なので専ら、花や薬草が育てられている。その世話は主にダニスと、従業員である外部の人間が行っていた。
 敷地を出て、市場に赴く。市場は日中開かれており、早朝が一番人の行き交いが少ない。落ち着いて買い物するには打ってつけだ。
 いつも立ち寄る出店に立ち止まると、奥から女主人が走ってきた。

「ああサエラちゃん!おはようさん」
「おはようございます」
「本当に災難だったねえ、ピオールの旦那さんとお嬢さん。あんたは大丈夫かい?」

 大丈夫かと言われれば、そんなわけはない。力無く笑いながら「大丈夫です」と返すも、それでも彼女は心配そうだった。

「まあ、坊ちゃんが無事ならまだ良かったか」

 その言葉に、歯噛みしたくなる思いだった。しかし悟らせたくもないので、黙殺する。
 買い物を終えて、真っ直ぐ帰宅しようと歩き出す。手に入れた果実の入った紙袋を、跡がつく程強く握った。
 ……未だに分からない。何故、あの二人が死んだのか。
 死因は医師によると、完全なる突然死との事だった。ヴィエロが死体解剖の指示を出したが、それでも原因は突き止められなかった。この大陸においてポピュラーな死因とされる亡霊の祟りによる腐食の跡も見られず、説明のつけようがないまま二人と別れることになった。
 あまりにも、納得がいかない。ヴィエロにその話をしようにも、元々サエラは彼に話しかけるのが苦手だった。それに、ヴィエロが……あの二人にそれ程の関心を寄せていないのは、昔から知っていた。
 ふと、足が停まる。嫌な思想にいきついた。

「……まさか」

 いや、それはないだろう。無関心ではあれど、恨んではいないように見えた。ダニスの後釜を狙っているようにもさして見えなかった。
 だが、あくまで仮定の話として。万が一、ヴィエロが二人の死に関わっていたら。自分は、どうすべきなのだろうか。しかし今考えたところでどうにもならない話なので、歩き始める。
 敷地に戻ると、人影が見えた。まだ花も咲いていない畑に屈んでいたのは、ヴィエロだった。服はもう、仕事着に着替えている。時刻的に、出勤にはまだ早いだろうに。

「ただいま戻りました」

 念のため、そう声を掛ける。ヴィエロはこちらを見上げた。

「どこに行っていた、市場か」
「はい。すぐに朝食の用意をいたします」

 そう返して、屋敷へと向かおうとする。しかしそれを、「おい」とヴィエロ投げた声が止めた。振り返ると、ヴィエロは不機嫌そうにこちらを見ていた。

「勝手に出掛けるな」
「え」

 ヴィエロは立ち上がると、サエラに向かって歩み寄ってきた。不機嫌そうな目は変わらずだ。

「目を覚ましたら、お前が横に居なかった」

 確かに、サエラがベッドを出る時ヴィエロは既に二度寝に入っていた。言っている意味がいまいち分からず内心戸惑うサエラに、ヴィエロは舌打ちを飛ばす。

「居ると思っていたのに居なかった時の気持ち、お前みたいな愚図には分からないか」

 ……いちいち、癪に触る言い方をしてくる。それでもサエラは、「分かります」と口にした。ヴィエロの眉が、歪んだ。

「旦那様やニエット様です、私にとっては」

 その言葉に、ヴィエロの目が一気に不愉快そうに歪んだ。手が勢いよく振り上げられ、殴られると思い身構えたが何も飛んでこなかった。
 恐る恐る彼を見ると、彼はゆっくりと手を下ろした。その顔は、不機嫌そうなままだったが。

「……時間だ。行ってくる」

 そう言い残して、彼は背を向けた。訳がわからないながらも、ひとまず頭を下げる。
 さっきのは、何だったのだろう。ともすれば殺意にも見える程の怒りようだった。あの仕草が尚……サエラに疑念を抱かせる。もしかすると、自分の知らないところであの三人には何かあったのか。
 荷物を屋敷に置き、再び敷地に出る。奥へ進むと、小さな畑に出た。ニエットが唯一与えられていた、小さな畑だ。彼女はそもそも農業に対して本腰を入れてはおらず、それを知っていたダニスが「戯れにでも使えばいい」と与えたものではあるが。
 畑には、白い花がぽつぽつと咲いていた。きっと今朝あたりの開花だろう。ニエットはこの時を待っていたのに、結局見届ける事はなかった。その事実に、胸の奥が締まる。
 サエラは畑に足を踏み入れて、何本かを優しく引き抜いた。小さく、可憐な花だ。きっと彼女の金髪に挿せば映えたことだろう。
 屋敷に戻り、花を処置して花瓶に活ける。こういった細やかな仕事をこなすと、ダニスはいつも「気が利く子だ」と微笑んでくれた。しかしそれも、もう無いのだ。
 ……こんなにも、突然の別れだなんて。
 それでも、彼らはもう戻らない。やるしかないのだ。この生活を、受け入れるしか。もう涙は枯れてしまっていた。
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