どうあれ君の傍らに。

湖霧どどめ

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12.三月の卒業式。

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「ええ……これ、要るかなぁ」
「要る要る、ってか要ちゃん髪サラサラ過ぎない? これ止まんないんだけど。ピン一本増やすよ」
「うう、ごめんね……ありがとう」

 何故かクラスの女子が皆めかしこみだしていて、私も早速巻き込まれた。志穂ちゃんも頭にいくつも細かい花を編み込んでいる。自分でやったらしくて、その器用さには本当感服する。

「うん、大きいお花一個の方が可愛い。見て見て鏡」

 差し出された手鏡を受け取ると、鏡で見て右側に大きな白い花がついていた。普段こういう事をしないせいかどこか照れくさいけれど、何だか嬉しい。

「ありがとう、志穂ちゃん」
「いいえー。ってかもう卒業なんだねぇ」
「そうだね」

 三年間、あっという間だった。正直一年二年の記憶は薄れつつはある。やっぱり一番鮮明なのは。
 担任が教室に入ってきた。クラス全員で企画して描いた黒板アートを見て一瞬目を見開くも、すぐに教卓につく。その顔はどこか微笑んでいるように見えた。

「うん、全員……いや、まあ仕方ないな」

 ふと、空いた席に目を向けた。その席に居たはずの彼と私は、全然関わりがない。けれど彼はいつも授業にはきちんと出ていて、この空間に居ないのはどこか不思議な感じがした。先生にはどうやら予め連絡がいっていたらしいけれど。

「では、卒業式に向かおう。廊下で、整列」

 担任の声と同時に、全員が起立する。がやがやと騒がしいながらも、廊下へと向かう。

「仙崎さん」
「あ、元林くん」

 元林くんを見るのはかなり久し振りだった。私は三月いっぱいバイトを続けるけど、元林くんは就職の都合で二月ですでに辞めていた。学校にも来ていなかったから心配だったけど、その顔は晴れやかだった。

「あの日以来だね」
「うん。ごめんね、あの時本当に。すごく助かった」
「全然大丈夫だったよ。というか、そっちこそ大丈夫?」

 廊下へ向かって歩きながら、元林くんは頷く。

「うん。ちょっと家の事でごたごたしてて。でももう落ち着いた」
「そっか。よかったね」

 他愛の無い話をしながら、進む。もうこんな機会もない。
 卒業式はつつがなく行われた。自分達の三年間が、色々な人間の堅苦しい言葉で締められる。それはあまりにも、呆気なかった。
 教員席に、先生の姿が見えた。いつものラフな格好じゃなくて、今日はびっしりと決まった黒いスーツだった。それは、彼女という贔屓目なしに……格好よかった。実際先生を見つけた何人かの女子も、ひそひそと話すくらいに。
 あのクリスマスの事件も、今となっては受け入れられている。もう弾き返せない程、やっぱり私は……先生が、好きになっていて。

『卒業生、退場。皆様、温かい拍手でお送りください』

 一斉に拍手が沸き起こる。卒業生全員起立し、打ち合わせ通りに退場していく。先生に目をやると、こちらを見て微笑んでいた。
 色々あった。先生と出会って、付き合いだして、恋に落ちて。順番がどこかおかしい、それどころか先生と生徒っていう時点でそれなりにおかしいけれど。でも、いい。
 教室に戻り贈答品など配られる。最初にもらったのは、学校の名前の入ったボールペンだった。銀色の、綺麗なペンだ。全員分担任が配り終えると、教室の扉がノックされた。担任が気付いたように「どうぞ」と告げると、扉が開かれた。そこに、居たのは。

「よっ、皆おめでとうー!」

 ……先生だ。何で。

「え、浦見先生!」
「なになに?」

 クラスが一斉に騒ぎ出す。いやそれはそうだろう。登場が唐突過ぎる。担任は珍しく大きな声で「静かに」と告げた。普段そんな大声など出さないせいで、一気に静まりかえる。先生は笑いながら「ありがとうございます、相沢先生」と告げた。何だ。一体何なんだ。

「えっと、ちょっとすまないが皆浦見先生に一瞬付き合ってあげてほしい」

 皆がひそひそと話し出す。私にはそんな余裕がなかった。一体、本当に何なのだろう。
 先生は教卓についた。そして、クラスを見渡す。

「えっと。俺は今年ここに赴任してきて皆の生物を担当しました。すっげぇ楽しかったです。それは別にこのクラスだけちゃうんやけど、俺が今ここに来たのは一個渡したいものあって」

 その言葉に、皆ざわめきだす。でも先生は苦笑して、手を振った。

「ごめんごめん、それな、一人だけやねん。ほんま悪いんやけど」

 先生の視線が、私に向く。この空間で何度も視線がぶつかる事はあったけど、あくまで偶然を装っていたはずだったのに。今は、ちゃんと……私を見ている。

「ほんまは二人きりの時とかの方がいいんやとは思ったんよ、俺も。でも俺とお前が出会ったのはここなわけやし。こんな大事な日なんやから、折角やしなって。それにバレてしもたし」

「バレ……」

 私の漏れ出した呟きに、担任は重いため息を吐く。

「いやあんな風に準備室閉め切ってたら何してんだとなるでしょう、普通に」
「最初に気付いたのが相沢先生で本当によかったですよ。そこに関しては本当に感謝しています」

 訳の分かっていないクラスメイトがざわめきだす。でも私にだけは分かった。そして、一気に体温があがる。顔が熱くなる。
 まさか、知られていたなんて。しかもよりによって担任に。よくクビにならなかったものだ。
 先生は照れくさそうに笑いながら、口を開いた。

「仙崎要さん」

 クラス内が一気に静まりかえる。先生は、ポケットから何かを取り出した。それは、布張りの小さな箱だった。それを、開く。

「俺と、結婚してください」

 クラス中に、あらゆる絶叫が響きわたる。私はただ呆然と、先生を見ていた。先生はただ、私を見ている。担任も微笑みながら、私を手招きした。立ち上がり、よろよろと教卓に向かう。
 先生の手にある箱の中には、白銀に輝く指輪があった。中心には、綺麗なダイヤモンドが乗っている。それを見た瞬間、涙腺が一気に熱くなった。ぼとぼとと、涙がこぼれる。

「あー、泣かせてもうたか」

 気まずそうに笑いながら、先生は箱から指輪を取り出した。私の左手をとり、薬指に指を通す。驚く程、丁度だった。

「何で、サイズ……」

 泣きじゃくりながら呟く私に、先生は笑った。

「いや、それはな。お兄さんに頼んだ」
「重晴……?」
「お前のファッションリングのサイズ調べてもらってんよ。今度お礼で服買わされる事になってる」
「い、いつの間にそんな仲良く……」
「クリスマスの後一応謝りに行ってな、お前に隠れて。その時に色々話してたら一周して気が合った」

 まさかの展開過ぎて、謎の笑いが漏れてしまった。
 でも、薬指に輝く指輪は本当に……泣いてしまうほど、綺麗で。

「で、返事。お願い」

 先生は手を握りこんできながら、囁いてくる。そんなの、分かっているくせに。

「……よろしく、お願いします」

 私の涙声を押しつぶす程の、クラスの歓声。先生は嬉しそうに笑いながら、教卓越しに私を抱きしめた。






 まさかあんな事になるとは。心底驚きだった。
 浦見先生は学年の中でもかなり人気の先生だった。若いし、不細工でもない。物珍しい関西弁で、なおかつ明るい。そんな彼が、まさかうちのクラスメイトとデキていたとは。勿論非難する気なんてさらさら無いしおめでたい事この上無いが、ただ犯罪ではないかという気がしないでもない。
 それなら、俺と彩のやった事も許されるのではないか。そんな気すらする。いや勿論とんだジャンル違いではあるが。
 葵は他のクラスの女子と写真撮影に行っている。さすがにそこを縛るのは酷だろうという事で、特別に許した。勿論男は禁止としっかり釘をさした上で。
 スマートフォンが震える。彩からの着信だった。

「おう」
『お疲れさま、修治。卒業式終わった?』
「終わったぜ、無事に。そっちは明日か」

 彩の学校は今日休みだ。だから今、あいつは光の傍についているはずだった。

『そうそう。凪野さんはいるの?』
「いや、あいつは今外してる。何かあったか」
『別に。ただ、大丈夫かなって』

 断じてあいつを心配しての言葉ではないことくらい、分かっている。結局彩は光の事しか見えていないので、一度現れた障害をとにかく警戒しているに過ぎない。
 そういえば、いい機会だ。ずっと葵を傍に置いていたせいで聞けなかった事が一つある。

「彩、一個聞いていいか」
『なに』
「葵の兄貴を担当した病院ってお前のとこだよな」

 彩はとくに何も悪びれず、『そうよ』と言った。

『もっと言えば、あの子うちの病院にずっと入院してた。それは知ってたでしょ』
「ああ。でも念のための確認というか」

 つまり彩は、そういう意味でも葵を知っていたのか。まあ今となってはさして何の役にも立たない情報だ。あの時の俺の作戦が挫けた時、奥の手にしようかとは考えたが。
 ……本当に、うまくいってよかったと思う。よく光に気付かれなかったものだ。葵はきっと相当気が動転していたから、気付くどころではなかっただろう。

『そういえば、仮病はまだバレてないの?』
「ああ、あと全治一週間で通ってる」

 あの日。俺と彩は入念に練った作戦を決行していた。
 葵と光が学校で会うのを、俺はあえて見逃した。そして彩を送り込んだ。彩は気が触れたふりをして、葵を刺そうとする。そこを俺が庇う。そうする事で光と葵に罪悪感を植え付けさせる。そういう、作戦だった。
 俺は刺された事になっている腕を回した。無駄に締め付けのある包帯が煩わしいが、あと一週間は必須だ。

「つーかやっぱ俺の言うとおりだったな。フェイクナイフじゃなけりゃ俺マジで重傷だったぜ」
『まあ、確かにね。仮にあんたがドジを踏んで私が本当にあの子を刺してたら、それこそ光くんと引き離されちゃうし』

 この作戦は、俺達が病院関係者という事実があったからこそ可能になった。どんなに正義感溢れた人間でも、自分の首がかかっていれば誰でも怪我を治療する振りくらいはする。

『でも本当今幸せ。やっと光くんが私のものになった。邪魔者を消しきれなかったのは少し残念だけど』

 結局そこか。そもそもその言い方では、光と居られれば別に葵を殺してよかったともとれる。
 しかし、彩の気持ちも痛い程よく分かる。逆の立場でも、俺はきっと同じ事をしたはずだ。いや、現状でも俺はひとつ……確実に、俺にしか出来ない事をしている。

「なあ、つわりってどれくらいでくる?」

 俺の言葉に、彩は笑う。

『最後の生理から三ヶ月後くらいっていうから、言ってる間だとは思う』
「そうか」

 一度だけ俺は手こずったふりをして、葵の中に射精した。勿論葵は慌てていたし、俺は暢気なふりをして何もさせなかった。彩に協力してもらって、妊娠しやすい日を必死で調整しておきながら。
 正直これは賭だった。でも、本当に。

「最高の結果だよ」

 心神喪失気味でも彩は光を取り戻せた。俺は葵を取り戻せた。あいつらのほんの小さな執着は、摘めた。
 彩は『そうね』と返すと、奥から聞こえたブザーに反応したのか慌てたように早口になった。

『ごめん、光くんが呼んでる!』
「ああ、また落ち着いたら飯でも行こうぜ。葵も連れて行く」
『まあ、それもいいかもね。じゃあ、また』

 電話が切れる。俺は教室の窓から、校庭で友人と写真を撮っている葵を見下ろした。何人女子と固まっていても、葵はその中で一番可愛い。今でもずっと、あいつに胸を締め付けられ続けている。
 光があいつに落ちるのもよく分かる。でも、絶対に渡せなかった。俺は俺のこの恋を護るために、あいつのこころを殺した。
 好きな女が、恋人であれ別の男に子どもを作らされた。俺なら相手を殺すかもしれない。そもそもそういう行為自体、本当は知ったとき腸が煮えくりかえりそうだった。でも、内心「仕方ない」という気持ちもあった。だって、あいつらは俺よりも先に。

「あーくそっ」

 葵もきっと、あいつに惹かれていたはずだ。それはやっかみからの被害妄想ではなく、れっきとした事実だ。俺は割り込んで、運よくあいつが振り向いてくれたに過ぎない。
 光が彩の病棟に一時入院……というより、彩が「こうなったら介護が必要だから」と言い訳をして同棲気分であいつを呼び寄せたと知った時、葵は確かに泣きそうになっていた。きっと内心、罪悪感でいっぱいなはずだ。光にも、俺にも。
 それでも結局俺が葵を手に入れた。本当は堕ろせるくせに、葵は生んで俺と結婚してくれると、誓ってくれた。俺はその時、柄にもなく泣いた。俺が全部やったのに、泣く権利など、ないのに。

「指輪……どうしよっかなぁ」

 浦見先生のプロポーズを見た直後なせいか、まずそんな悩み。ひとまず葵が戻るまでの間、俺はネットで宝飾店を調べることにした。





「いや本当にびっくり」
「まさしく」

 卒業式も終わって皆解散して、もはや僕達しか校内に居ないんじゃないかとすら思えてきた。僕と猫さんは、最後の思い出にと校内を散歩している最中だ。

「いやあれヤバいよね。何がヤバいって相沢先生までグルだった事にびっくり」
「他の先生は知ってたのかな」
「さあ……でもあんまり知られててもね。本当に厳しい人だったりしたら浦見先生一発でクビだっただろうし」

 猫さんの言葉に、僕は頷く。
 仙崎さんと僕はそれなりに近いクラスメイトだったように思う。でも、そんな僕でも知らない事があった。それも恋愛話をした事もあるのに、だ。三階から二階へ降りていく。

「そういえば今日、森園さんと話した?」

 森園さんは、かろうじて卒業式には出席していた。猫さんは興味なさそうに首を振る。

「別にあっちから来ないなら、話す事もないよ。それに私許したわけじゃないし」
「あ……そうなんだ」

 まあ、彼女とは色々あったし仕方無いだろう。二階から一階へ降りた。中庭への出口を出る。そろそろ夕暮れが始まりそうだ。中庭のベンチに、並んで腰掛けた。

「そういやにゃんこの引っ越しっていつだっけ」
「明後日。もう荷造りは終わったよ」

 ……あれからは怒濤だった。まともに学校に来れない程。
 父は呆れるほどあっさり回復していて、帰宅した僕を不機嫌そうに出迎えた。てっきりまた殺されそうになるかと思ったが、特段そんな事もなく。念のため外で待ってくれていた猫さんが言うには、やっぱり猫さんのお父さんが何かしらの手を回してくれていたらしい。「ほら、法律関係やってると黒いお知り合いが」と猫さんが言い出したので敢えて聞かない事にした。
 僕は着々と家出の準備をすすめ、父も何も口出ししてこなかった。しかし相変わらず取り合ってはくれず困っていたら、猫さんのお父さんが不動産を紹介してくれた。本当にあの人には、感謝しかない。今度猫さんと母と四人で食事に行く約束もした。

「場所ってうちの最寄り駅でしょ。近くなったね」
「そうだね」

 やっと、言える。

「猫さんの近くに居たいから」

 猫さんの合格した専門学校は全然実家から通える距離で、猫さんは出て行く事はない。だから、もっと好きな時に会えるようになる。
 猫さんは笑った。

「可愛いなぁ」

 君こそが、のくせに。

「ねえ猫さん。にゃんことしての僕、どうだった。この一年間」

 唐突な問いに猫さんは吹き出すが、すぐに。

「楽しかったよ。傍にいてくれて、嬉しかった。最高だったよ」

 安心した。顔がほころぶのを感じる。今度は猫さんが口を開いた。

「じゃあ、にゃんこは。猫さん、としての私はどうだった」

 そんなの、決まってる。

「最高だったよ。そして、これからもそうでありたい」

 僕は立ち上がった。そして、猫さんに向かい合うようにして立つ。何も言わず僕を見上げる猫さんに目線を合わせた。

「渡志穂さん」

 初めてだった。猫さんは一瞬驚いたように目を見開いている。心臓がうるさいけれど、構うものか。

「僕と、ずっと一緒に居てくれますか」

 猫さんは何も言わない。けれど、やがて。穏やかに微笑みながら、僕の手を取った。

「当たり前だよ、元林清斗くん」

 名前の枷。それは確かにあった。だって、はじめて名前を呼ばれて、こんなにも僕の胸は熱くなった。
 安心やら羞恥やらで泣きそうな僕を、立ち上がった猫さんは強く抱きしめた。









ーーーどうあれ君の傍らに。
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