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183.人生で一番驚いた事は何ですか?

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 俺が今までの人生で一番驚いたのは、小6の時の事。

 東京第一校・中等部への進級試験で……学年トップを取れなかった日の、夜。
 俺の教育方針について、両親が大喧嘩をした。

 医療系血統種の母さんは、戦闘に関わる能力が殆ど無くて。
 反対に父さんはゴリゴリの戦闘系血統種だったから。

 母さんは武器を使ってでも、一矢報いたいと思ったのだろう。
 手術用のメスで、親父の胸を突き刺した。

 悲鳴を上げる家政婦達とパニック状態の母親。滴り落ちる血。修羅場だった。

 きっと生涯、あの衝撃を越える光景にお目にかかる事は無いだろう。
 

 そう……思っていたのに。
 


 「………………は?」

 
 ダイニングテーブルに置かれた、離婚届。

 その足元で、土下座をする、唯。


 「離婚してください」


 らしくない、高そうなワンピースを着て。
 暖かな時間を共に紡いできたこの空間で、冷たい床に、額をこすりつけている。

 「ちょ……どうした唯?」

 「ごめんなさい……私、蓮ちゃんと一緒になりたいの」

 何を言い出すかと思えば。
 意味がわからなくて、アホのように口をパカっと開けてしまう。

 「待って待って、いきなり何? とりあえず座って」

 「触らないで!」

 膝を折り、丸まった背にそっと手を当てたのだが。唯はそれを、勢いよく振り払った。

 「唯……?」

 「ごめん……でも、もう蓮ちゃん以外の男の人に、触られたくない……っ」

 泣きそうな顔で、俺を見上げる。

 え? 俺は夫だよな? いつから『蓮ちゃん以外の男の人』になったの?

 「マジでどうした? 何があったんだよ? 話してくれないとわからない」

 「話さないと、わからない? 大好きだった人と一晩過ごしてたんだよ?」

 唯の言わんとてる事を理解するのに、3秒かかった。
 そして3秒後……帰宅した唯から香ってきた、蓮さんのニオイが生々しく蘇ってきて。

 「あの日……っ、だっ、凛も一緒だって……!」

 「そう言えば、蓮ちゃんと朝まで一緒に居られると思ったから……」

 身勝手な言い訳に、一気に血圧が上がる。
 俺は唯の細い腕を乱暴につかんだ。

 「嘘だろ!? 仕事だったのは本当で、無理矢理襲われたんじゃねぇの!? だって唯がそんな……俺を好きだって言ってくれたのに、裏切ったりする筈ない!」

 「ごめんなさい!」

 「いやいやいやいや! 無い! 唯はそんな事しない! 本当は何があったんだよ!?」

 「本当は蓮ちゃんが好きだったの! ずっとずっと好きだったの! でも我慢してた! 仁ちゃんに恩返ししなきゃいけないから! だから、関係を迫られても応じなきゃって……だけど……もう……」

 涙を流しながら、そう訴える唯。



 俺の中の深い所に、ひびが入る音が聞こえた。




 「きゃ……っ、仁ちゃん!?」

 「……応じなきゃって、思ってたんだろ……!?」


 俺という人間を形作り、支えてきた太い柱。


 「やっ、待って!」


 小さかった亀裂は、波紋のようにどんどん広がって。


 「仁ちゃん――!!」


 やがて……倒れた。


 今まで築いてきた、大切な大切な全てを、押しつぶしながら。
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