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31.好きなものの為に使うエネルギーは貯蔵量が膨大な上に燃費が良い

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 「飛鳥さん、急に優しくなりましたね」

 「は?」

 正面玄関前のタクシー乗り場につくやいなや。そんな事を言い出した、斎藤。

 「鞄を持ってくれたり、ここまで同行してくれたり。奥様の前だから、ですか?」

 ご名答。
 最愛の妻と、ついさっき告白してきた女。この二人を、一刻も早く引き離したかったというのもあるが……それ以上に、挽回したかったんだ。

 唯には、公園で同僚(しかも女、しかも俺は気付いていなかったとはいえ再流血中)に呼ばれてもシカトを決め込んで歩き続けてるトコを、見られてるんだ。
 人として、幻滅されたかもしれない。だから――。
 
 「……やっぱり人の気持ち、ちゃんとわかるじゃねぇか」

 「そうですね、言われてみれば。飛鳥さんの気持ちは……察知可能な事が多いです。好きだからでしょうか?」

 「妻帯者に好き好き連呼してんじゃねぇよ。興味がある相手の気持ちならわかる、って事なんじゃねぇの」

 「成程……確かに、今まで秘書として仕えてきた上司達には、微塵の関心もありませんでした」

 「仕事がうまくいかなかったの、そこにも原因があるんじゃね? そーゆーのって案外、相手に伝わるぞ」

 「でも……関心が無い相手に関心を持つには、どうすればいいんですか?」

 「……お前、そーゆー所だよ……」

 バカ正直って、こいつみてぇな事を言うんだろうな。

 多分、他人にどれだけ関心を持てるかは、生まれ持った性格にもよるんだと思う。
 関係が浅く、特段好意を持っているわけではない相手の事すら、根掘り葉掘り聞きたくてたまらない人間もいるだろう。

 ちなみに、俺は違う。
 でも、関心のあるフリをしている。特にスカウトの相手には。
 あなたに興味がありますよ。考えてますよ。役に立ちたいですよ。そうアピールする事で、信頼を得、良好な関係を築く為に。

 斎藤はきっと、その『フリ』が出来ないんだ。
 他人に迷惑をかけない、傷つけない為の嘘をつける唯とは、また違ったタイプの正直さ。

 そう考えると、唯の素敵さを再認識できるな。
 本当にどこまでも優しい子。
 人間としての角という角を、思い遣りというヤスリで、すべてそぎ落としたような、人柄。

 さっき、救急入り口で小走りしてた看護師がぶつかってきた時も、『すいません!』と自分から謝ってたし。
 俺的には……謝らなきゃなのは唯じゃねえし。医療職が院内で走ってんじゃねぇよ。唯が怪我したらどうすんだよ。つーか唯が救急で運ばれてきた患者本人だったら大事故だわ。
 と、文句の一つも言ってやりたい気持ちだったのだが。

 いつだったか、テレビのCMでやっていたように……角だらけで硬い人間同士がぶつかると、刺さって砕けて大惨事になるけれど。角のない、丸くて柔らかな人間なら、そうはならない。唯が、まさにそれだ。
 
 でも、いくら唯自身が柔らかでも、ぶつかって来る人間はそうじゃない事が多い。
 だから、俺が守らなきゃならないんだ。唯に突き刺さる、全てのものから。
 
 ああ……唯の事を考えてたら……今すぐにでも唯の所に戻りたくなってきた。

 質素倹約を心掛けてる唯が、なんで高級スーパーに行ったんだろう?
 しかも、チコリーなんて買って。その経緯を聞いて(絶対可愛い理由だから)ほっこりしたい。

 しかし……そんな俺の衝動を、まだ来ないタクシーと、バカ正直斎藤が、阻む。

 「そーゆー所とはどーゆー所でしょう。私にはわかりません」

 「……多分、言った所でお前にはどーにもできねぇと思う。つーか……人として変えようの無い部分を変えようって無理すると、しんどくなるだろ。お前はお前らしく働けるトコに行った方がいいんじゃねえの」

 「ですが……人として変えようの無い部分、を、飛鳥さんは変えてるんですよね? 奥様の前では」

 まっすぐに俺を見つめる斎藤。今度は何を言い出したのかと、眉間に皺を寄せてしまう。

 「は?」

 「鞄を持ったり、タクシー乗り場まで送ってくれたりしない飛鳥さんが、本来の飛鳥さんですよね? という事は飛鳥さんは奥様の前では、自分を変えようと無理している、しんどい状態だという事じゃありませんか?」

 あ、そういう意味か。斎藤の言わんとしてる事が理解できて、自然と目頭の力が抜けて行く。
 それにしても……俺がしんどい? なんつー見当違いな憶測。

 「お前、好きな食べ物は」

 「え? どうして今そんな」

 「いいから」

 「はい、ええと、お寿司です。中でもつぶ貝が」

 「北には上等なつぶ貝。南には微塵の興味も持てない昔の上司が待ってるとして。そこまでの距離は同じ10キロだとする。それぞれに向かって歩いている時の気分は、同じだと思うか?」

 「…………好きなものの為の努力なら、苦痛なんかじゃないって事ですか」

 「そういう事だ」

 唯に好かれたい。唯に喜んでほしい。唯に幸せになってほしい。
 それが、今の俺を作る全て。

 美容院帰り、唯に『かっこいい』と言われれば有頂天だし。
 仕事で成果をあげて『すごいね』と褒められると、疲労も苦労も吹っ飛ぶ。
 さりげない言動を『優しいね』と拾い上げてくれる唯がいるから……俺は、柔らかな俺でいられるんだ。

 「……私なら、つぶ貝の為でも10キロ歩くのは……少々気が引けますが」

 少しの沈黙の後、斎藤がそう呟いたタイミングで……タクシーが到着した。

 「ならお前にとってのつぶ貝はその程度の価値ってことだろ。じゃあな、また明日……あ、傷の具合次第では無理せず休めよ」

 「……はい。ありがとうござ」


 ドン!!!


 斎藤の会釈が合図だったかのように、院内から響く爆発音。

 俺の全身から、一気に血の気が引いて行った。
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