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clock 7.1分遅刻のふたつの春

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あかねくん曰く、高3のクラスが決まるのは3学期明けすぐって話だった。

だからてっきり彼の言う「しばらく」は年明け1月や2月のことだと思っていたんだ。


だからちょっと、さすがに何回か、時計塔に向かっちゃったりした。…んだけど、会えないまま、4月。——— 進級した。



あれ以来、1ミリも会ってない。

てっきり気が済んだら学校前とかまで来てくれるんだろうなって勝手に思ってるんだけど、しばらく、って長すぎない?いつ?もうクラスも決まった頃だろ…!

もしかして試験、だめだったとか……。



「あんな頭良いやつ、よっぽどのことがなきゃだめとかないだろ」


いつまで経っても会える様子がないことに焦りはじめたわたしに、今日も今日とてユズは容赦ない。


ほかのクラスのやつだってわたしとあかねくんが別れたって揶揄ってきやがる。

…別れたもなにも付き合ってねーしっ。

なんて強がりたいけど、強がりかたがしょうもなくて何も言えない。


わたしたちはというと、2年から3年はクラス替えがないから、とにかく2年3学期の総合テストで全教科赤点以上の点数を取ることだけを目標に猛べんきょーした。

正直に言うと今まででいちばんやった。タケちゃんは自分のべんきょーもあるはずなのに面倒を見てくれた。なんて良いヤツなんだ。


そんなわけで奇跡的にみんな赤点を免れ、誰ひとり欠けることなく進級することができた。



わたしなんてすげーの。現代文と社会と工業実習、平均点以上。やばくね?天才になったのかもしれない。

工業数理基礎ももう少しで平均を取れそうだったから悔しがっていたら菊井先生に「次は平均以上取れそうだな」って言われちゃった。すごい進歩だ。


ほかにも、いろんなことに目を向けるようになった。町を歩くとき、レッドボーイに乗りながら信号待ちしてるとき、目に入るものをよく気にするようになった。


動物は好きだから、ペットショップの店員さん…とか。

うさんくせーなって思ってたけど、占い師…とか。

マスターみたいにおいしいらーめんを作る職人になるのもいいかなとか。


いろいろ見すぎて血迷って旋盤やアーク溶接を使うような工場で働いたり、どうやらイワちゃんがなろうとしてる自動車を整備する人になるのもいいかな、なんて思ったりしたけど、やっぱりどうも機械を扱うのは怪我への恐怖に気を遣いすぎて疲れてしまう。

これが毎日、仕事となったらいくらわたしでも病むと思う。結果、排除。


こんな短期間でうまい具合にやりたいことが見つかるわけねーよな。

だからとりあえず今は、授業とバイトをがんばってる。


それでも進路希望調査の紙をいつまでも白紙で出すわけにもいかないよな…と悩める日々。

フクちゃん先生も心配しているのかみんなより先に面談もやらされた。決まってねーんだって。



だけど前よりはずっと、背筋を伸ばして歩けているような気がする。

それはまぎれもなく、あかねくんという、かっこいいと思えるひとと出会えたからなわけで。



やっぱりそろそろ……好きなひとに、会いたくなるわけで。

だからといってせかすように学校まで押し掛けるのはちがうよなあって、それもまた悩める日々。



悩みにのしかかるように、進級してすぐに、クラスで何班かに別れて課題として何かを作成する授業がはじまった。

1か月集中して仕上げないと成績をつけてもらえない、先輩たち曰く魔の課題。マナはびびり倒してた。


女の子たちみんな同じ班がいいねって言ってたけど、成績配分で言ったら底辺の班になってしまうからか見事にバラけた班を組まされた。

魔の課題ってのはもちろんわかってるんだけど……奇跡。班にタケちゃんがいて、機械に強いユズもいて、わりとイケそう。


とはいえもともとはまとまりのないクラス。何を作るか、という難題に直面したときはどうなることかと思った。

けっきょくうちの母ちゃんが「そうじ機がボロになってきたわ」ってボヤいていたのを聞いてそうじ機の提案をしてそれが通った。みんななんでもよかったんだろ。


役割を決めて、タケちゃんの指示を聞いて作業に取り掛かる。はじまったらかなりいそがしくなって、それと他のべんきょーとバイトでいっぱいいっぱいになってしまった。



そんななか、とびきり仰天のニュースが飛び込んできた。


うちのクラスの番人。野球部新キャプテン。滅多にないけどバットに当たればホームラン。力はご立派。エースのタケちゃん曰くキャッチャーとしてのリードも良い。秋大会はこの工業高校で初めての3回戦出場。(4回戦はボロ負けだった)キャッチャーとしては的が広くて良いのかもしれないけどどちらかといえばプロレスラーはたまた関取みたいにごつい体でごつい顔。

そんなゴウスケが、1学年年下のきゅるんと可愛い系のマネージャーへの片想いを実らせ付き合いはじめた……。


のを、放課後図書館でべんきょーする、なんて柄にもないことをユズたちとした帰り道で知った。


ふたりで初々しい距離感で帰ってるのを目撃しちゃったわけだ。



ちょっと待て。

ゴウスケ…あの、恋愛のレの字も女のオの字も知らないようなぴゅあっぴゅあなゴウスケが…まさか初恋(絶対初恋)を実らせるなんて。


次の日の学校で朝からイワちゃんやサガミから猛攻を受け、「付き合うことになった」と白状したゴウスケは、3回戦まで進んだときと同じくらいきらきらした笑顔をしていた。


まじ、すげーじゃん…。

その日、マナと教室移動をしているとその野球部のマネージャーちゃんと遭遇した。


たいした会話はしたことないけど、野球部の試合を観に行ったりしているからだと思う。礼儀正しくにこにこと会釈をしてきて、……かわいすぎた。



「ねえ、ゴウスケのこと、ほんとうに好き…?」


マナがつい口にする。

気持ちは痛いほどわかった。


べつにゴウスケを下に見てるわけじゃない。

むしろ大好きな友達だから、騙されていないか、揶揄われてるわけじゃないか、ちゃんと同じ気持ちでいるのか……正直言って心配だった。


ゴウスケが好きになる子だ。良い子だって、わかってるはずなのに。


「はい、優助くんのこと、大好きです!」


恋って、いいなあ。

好きなひとのこと、好きだって言えるのって、かっこいいなあ。


堂々とした返事を聞いたマナが「今の彼氏と別れようかな…」なんてつぶやくから、思わず放課後は恋愛トークをするために機械科女子でファミレスに集まっちゃったよね。



みんな、いろいろある。

わたしは、やっぱりあかねくんに会いたいな。


出会ってから一緒にいた時間を、会わないって言われてからの月日のほうがすっかり追い越した。


それなのに日に日に想いは募ってく。


どこかで、きみががんばってる。
そう思うだけで、まぶしくてしかたない。

わたしだってがんばりはじめたけど、きっといつまでも、きみはわたしにとってそういう存在なんだろうなあ。


「春希、今日も図書館行く?」

「おー」


電気科からホッシーがやってきた。このへんのファミレスは集団入店禁止だから図書館しかないんだけど、正直言ってちょっと気恥ずかしい。場違いさを感じるというか。

でもまあ、そんなこと気にしてられない。


「あ、ちょっと授業でわかんないところカッキー先生に聞いてくるからみんなと待ってて」

「わかった」


わからないところはわからないって素直に先生を頼れるようになった。

まあ最近じゃ頻度が多すぎるって、自分で考えてみるってことを先生から教わるようになったんだけど…考えてみたって解けないもんは解けない。


でもあかねくんが言う通り、先生ってイキモノは、頼られることが大好きな世話好きばかりだ。

あの菊井先生でさえ最近じゃ機嫌が良くて、進級してから一回も抜き打ちテストがない。つまり補習もない。まるくなったって言葉があんなにぴったり当てはまるやつなかなかいねーよ。


カッキー先生に教わって、すっきりしてから教室へ戻ると中にユズとホッシーしかいなかった。



「あれ、みんなは?」

「イワとサガミはバイト、キドっちはデート」


なんだと…デート……うらやましい以外の感情が出てこねえから情けない。


「…おまえら、わたしのことばっか揶揄ってくるけど、自分たちはどうなんだよ」


ちょっと聞きにくいふたりだったけど、もう耐えられない。

とくにホッシー!わたしは知ってんだからな……最近、図書館のおねえさんと仲良くしゃべってること。

本なんて借りちゃってさー。似合わねーよ!図書館使おうって提案したわたしに何の報告もないなんて筋が通ってないと思う。




じろりと見ると、ホッシーは苦笑い。



「言っとくけど、フラれてるから、一回」

「へっ」


な、…わたしの知らないところで、もうそんな展開まで進んでんのかよ!

こいつはすげー。ツワモノ、オオモノ、これからきっとでっかくなるわ。


「でも彼氏はいないらしいから、今度はあきらめたくなくて絶賛アタック中」

「あのさ、アタック、とか、マドンナ、とか、おまえらの言葉のチョイス、古くね?」

「そこ?」


いやだって、今度は、とか言われると、さすがにどんな反応したらいいかわかんねーよ。わたしのことかも、なんて…いやいや、そんなこと思ってる場合じゃない。過ぎたことだ。


「そうだな。アタックすれば、いつか折れてくれるかもしれない」

「おー」

「よし。じゃ、そのおねえさんがいる天国へ向かいましょっかね」

「あ、そのおねえさん今日シフト入ってないらしくてさっきダメもとで誘ったらオッケーもらえたんだよ。だからデート行ってくるわ」

「は!?!?」


え、ちょっと待って、今の今までわたしを待ってくれてたんじゃなくて時間を潰してただけってこと?

おねえさんがどんな人なのかもっと聞き出そうと思ってたのに!


浮足立って教室を出ていく背中をただ見送る。

…健闘を祈るよ。



「…うらやましいな」



ゴウスケも、キドっちも、ホッシーも、佳菜や早優も。マナはちょっと倦怠期らしいけど、それでも。

好きなひとといられるの、いいなあ。


わたしたちはいつになったら会えるんだろ。




もしかして、わたしのこと、わすれちゃったんじゃ…


いやいや。

きみに限って、それはないよな。

信じるって決めたんだ。
ちゃんとしろ。
やるべきことをやって、胸張って会えるように。



「意地張ってないで春希から迎えに行ってやればいいのに」

「い、意地なんて張ってねーよ!わたしのことなんつー性格だと思ってんだよバカ。…それに、そういうことじゃ、ない気がするんだよなあ」


そう。そうなんだよ。
きっと来ない理由があるんだと思う。

でも、せめて連絡先くらい聞いておけばよかった。なんとなーく起きてた奇跡のような偶然にあやかってたけど、もうこの状況じゃいざ会おうってなってもどうにもできなくね?

って今さら思ってる。気づくの遅い。


出会ったのも、そのあと会えたことも、ほんとうに、奇跡みたいだった。

そういうのって、わたしたち、もう起きない気がする。わたしたちが自分でどうにかしないとだめな気がする。


そのタイミングは、やっぱり、言い出しっぺのあかねくんが決めてほしいし、そうなるべきだ。

わたしは、待ってる。
きみのことを信じて、がんばりながら。


「ま、わたしたちは、きっとだいじょうぶ。それよりユズはちゃんとべんきょー付き合ってよ」

「最近気合い入ってんなー。じゃあ中間勝負な」

「おお…!のぞむところだ!」



きみは、進学に強い付属高校で。

わたしは、この場所工業高校で、がんばるんだ。



中間テストのトータル点数は今までで一番良かった。それはもうクラスメイトも家族も先生も自分もびっくりするほど。全教科ラミネートしようかと思ったよ。


だけどユズはその遥か上をいきやがったから今日はらーめんをおごり。

ジュースで済まそうとしてたのにキドっちが「季節のらーめん新しいメニューだから食いに来いよ」なんて言うから…タイミングが悪かった。


だいたいユズの点があんなに伸びるなんて。くやしすぎる…!



「アカネクンが教えにきてくれたじゃん。あの時教えてくれた勉強法がけっこう合ったみたいで」

「べんきょー法!?なにそれ、わたし知らない!教えて!」

「あの時補習免れたやつには教えねーよ。本人に直接聞け」

「くっ…」


わたしたちの状況を知っててこの発言…鬼のようだ。

もう少し応援してもらいたいというか、励ましてもらいたいというか。そんなこと言ったらぜいたくだって笑われそうだから言わねえけどさ。


季節のらーめんは毎月毎年ローテーションだった。それなのに今年から新メニューを取り入れるようになったらしい。

今年の4月は貝だしらーめん。しょう油ベースと塩ベースで選べたからわたしは塩、ユズはしょう油をチョイス。あとでちょっと食わせろよって約束してる。


のりとほうれん草と脂身の少ないチャーシューと、ほかのらーめんにはのってない牡蠣がひとつ、てっぺんにのっかっていた。



「こ、これは、海のミルク……!?」

「国産だから安心して食べなー春希ちゃん」

「マスター奮発したねー!」


つやつやしてる。牡蠣大好きなんだよ。

見た目とにおいは食欲をそそられてまさに最高。だけどシーフードのらーめんってスープの味は濃厚、舌触りは軽やか、な重くない食べやすさが求められる…マスターはちゃんとそれをわかってて手を出してんのか?




「なにぼそぼそ言ってんだよ」


となりでユズが顔をしかめる。

今日もみんなバイトやら何やらでユズとふたりだからカウンター席に通された。マスターやキドっちが一生懸命働いてるところを間近で見るのはちょっと新鮮だった。


「んなしかめっ面しなくてもいいだろ」

「はやくそっちの味食べたいんだよ」

「自分のは?食ったの?」

「うん。すげーおいしい。マスター、おいしいです」


ふつう一緒に来てるんだから一緒のタイミングでいただきますするだろ。フライングすぎるこいつ。さすが我が道をゆくタイプ。

そう言うと「おまえもだろ」って言い返された。こんなに気遣いできる人間なかなかいないのにどこがだよ。


わかってねーなあと思いながら、手を合わせて、右に箸、左にれんげを持っていざ実食。

牡蠣をちょっとかじって、すくった麺をいそいで口に入れて、それからスープを少しだけ……ぜ、絶妙!絶品!!


「マスター、これ、4月だけじゃだめだっ」


これはクセになる。すでに明日も食いたいと思ってる。おいしい~~なにこれ。今度はみんなと絶対に来よう。


「ああ、5月までやる予定だよ。評判が良かったら夏も岩牡蠣でやろうかな」


なんと!首を何回も縦に動かしながらそうしてほしいと秘かに願った。

5月だったら…夏だったら、そうしたら、きっと。



「あかねくん、牡蠣好きかなあ……」



きみとも一緒に来られるかな。


牡蠣はこわい、とか言いそうだけど、マスターの作ったものなら得意げに紹介しちゃうよ。食べてほしい。ぜったいおいしいって笑ってくれる。

思わず漏れた言葉に、ユズとキドっちがため息混じりに目を合わせていた。



「春希はアカネクンのことなんで好きになったの」

「へ?」

「いや、純粋な疑問。おまえだってあの学校に良い印象なかっただろ」


たらふく食った帰り道。仕方なくユズを送ってやろうとしたら送ると言い切られてしまった。だからレッドボーイを引いてもらってる。

でもってこの問いかけ。今さら?


たしかに、ゴウスケたちには偉そうに言ってはいたけど、わたしだって付属高校の人たちのことは苦手だった。


町中ですれ違うとき「あ、工業生だ」「あーあの」「作業着だー」みたいな目で見られてこそこそされるし、とにかくまあ、優秀なやつらは基本的にいけすかない。自分のこと棚に上げてるだけだったかもしれないけど、それでも。

野球部に対してのきつい言葉だって実際にこの耳で聞いた。


「そりゃ、あかねくんと初めて会ったときは、正直げって思ったよ。うわ、あの付属高校の制服じゃんって。きっとバカにされんだろうなってさ」


そういえばあのとき、行動は優しかったけどはじめのほうの言葉はちょっとぶっきらぼうだったなあ。通り道であんなことになって、さすがに邪魔だなって思ってたのかも。

それでも、手を貸してくれた。


「でもあかねくん、工業高校の作業着、ぜんぜんピンときてなくて。あー、もしかしたらこのひとからしたらどうでもいいことなのかなって。それが、なんか、……すくわれたような気がして」


だからお言葉に甘えられたというか。反発心もなにもなく、差し出された手を掴んでた。



ぺんだこだらけの手に。優しい気持ちに。救われて、掬いあげられて。

はじめましてのときも、それからも、約束してわかれたときだってそう。


「なんで、って質問に対して答えになってねえかもしれないけど、最初に会ったときに助けてもらえばそりゃ良い印象になるだろ?なんの躊躇いもなくて…感動したんだ」


でもって、そんななんでも持っていそうな彼には、すごいと思っちゃうほどの悩みがあったんだ。


まぶしくてたまらない。

追いかけたくて、追いつきたくて、そうなれなくても一緒にいたくて。気づいたらそういう存在になっていた。

それが、作田茜音くん。


「わたしががんばるために、きっとあのひとが必要なんだ」


寄りかかりたいわけじゃない。あやかりたいわけでもない。だけど、それでも、きみがいてくれるならって思っちゃう。

そういう恋愛だってアリだろ。


「…たしかに、アカネクンと出会ってからの春希のほうが、なんかいーよ」

「だろ?」


それは、とてもうれしい言葉だった。


つぎに会えるのはいつかわからないけど、そのときが来たら、あかねくんが思わず好きだって言っちゃうくらいになってたい。…さすがにそれはおこがましいか。

だけどこんなにきみのこと考えてんだ。少しくらいは、彼のなかにわたしのことを考える場所をつくってやりたいよな。



1か月間作業し続け、期限内に提出。その後すぐにほかの科と後輩に発表。

それが進級早々に降りかかる魔の課題。

それも大詰め、からの発表前日。つまり期限前日。


放課後になってもどの班も完成せず、その日は深夜2時まで学校に拘束された。


門限に厳しいマナの家からは何度も電話がきて先生が対応してたけど、そりゃそうだろ。深夜2時って。ふつうの学校じゃありえないだろ。さすがにわたしの親からも2回くらい連絡来たよ。


その日誕生日のサガミを0時ぴったりに一瞬みんなで祝ったけどまたすぐに作業にとりかかって。


完成が一番のりだったのは後輩の彼女にカッコつけたいゴウスケが率いる班だった。

そのなかでおんぶにだっこだったはずのイワちゃんがすげー自慢してきて。あまりにも腹が立ったのがエンジンになったのか、その後30分以内にどの班も完成までこじつけていそいで家路を帰った。


付属高校への受験は失敗に終わったけれどバスケが強い進学校には合格した満希がランニングがてら迎えに来てくれて、一緒にレッドボーイに乗っけて帰った。ちなみに今は同じ学校に通う彼女ができたらしい。

深夜2時にトレーニングのついでだしって…言い訳が可愛いな。ありがとう。



発表の順番は3番目。真ん中。

晴れ舞台に立ったことのないわたしたちは舞台袖でどきどきどきと心臓を鳴らす。

本番に弱いのか青ざめたクラスメイトも何人かいて揶揄ったけど、内心わたしが一番きんちょうしてんじゃね?ととにかく悟られないように必死だった。


台本は一番作業に貢献できてなかったわたしが地道に作った。暗記してるのはタケちゃんと作った本人だけ。

見ながら発表するわけにはいかないから、ほかの班のやつらにカンペを持たせてる。ユズたちはそれ見てなんとか凌いでいた。



わたしはというと、出番早々「そうじ機の名前はキュムくん初代」と自信いっぱいに紹介したらクラスメイトからダサいって野次がすごくて、あいつら後でぶっとばす…と思いながら乗りきった。


キュムくん初代はわりとコンパクトに作れて、吸引力もなかなか。

大手家電メーカーが見たら目ん玉飛び出しちゃうと思うくらいの出来…なんだけど、音がでかいのがコンプレックス。


機械科の先生たちから何度も「発表してる言葉が聴こえない」と注意を受けて泣く泣く電源をオフにした。


うまくできたと思っても、どこか気になる点がある。予算内に収めるのも大変だった。

商品としてお金をとって売るなら、これじゃだめ。

安全が保障されて、使う人が安心できる。それが第一。そうじ機だったら性能はもちろんだけど、見た目も、音も、価格も、軽さも、すべてパーフェクトにしなくちゃいけない。


ものづくりってむずかしい。いつも何気なく使ってるもの全部、作った人たちが真心を込めて作業をして完成させたものだんだ。

そういう、この学校で学んだことを、改めて実感できる課題授業だった。



発表後の選評の時間はもう散々で、みんなぐっすり眠った。起きてちゃんと聞いてたやつなんていなかったんじゃないかな。

だけどめずらしく先生たちも大目に見てくれたらしく注意もされないまま、目が覚めた頃には日が暮れていて、教室の机でつっぷして寝てるクラスメイトたちの姿があった。


「春希」


となりの席のユズが話しかけてくる。

久しぶりに着た制服の袖のボタンのあとが頬についていて可愛らしい。


「ユズ、起きてたの?」


そういえばユズとは2年のころから席が離れたことがなくて、好きだったころも今も、それがうれしかったりする。


「茜音くん、時計塔のところで待ってるって」

「え…」


なんでユズが、そんなこと。



茫然と、ただ視線を送るとずいっと携帯を出してくる。正真正銘、あかねくんの名前からのメッセージが送られてきていた。


「今連絡来た」

「…は、なんで連絡先…」

「補習の時に聞いた」


つまりなに。ずっと知ってたのに教えてくれなかったってわけ!?

今の今までわたしが散々恋しがってたこと、いちばん知ってるくせに…!?


「なっ…なっ……」


しかも昨日の日付のメッセージもあるんですけど、本当にどういうことなのか説明してほしい。いつの間に仲良くなってたんだよ?わたしたちにはロクに返信してこないユズがわりとマメにやりとりしている様子がちらっと見ただけでもわかって尚のこと戸惑う。


「文句言う暇があったら早く行ってやれよ。茜音くん、ずっといそがしくて大変だったんだからな」


なんでユズがあかねくんの状況を知ってんだよ。

いろいろ突っ込みたいし文句も言いたいし聞きたいことはやまほどある。


だけど、でも。

アイコンが、工業地帯の景色だった。


──── 時計塔のところで、あかねくんが、わたしを待ってる。


やっと会える。

長かった。ほんとうに、長かったよ。



「課題もテスト勉強もバイトもがんばってたから、春希なら大丈夫だよ」



わたしが好きだったユズは、やっぱり、すごく良いやつだった。


「うん。ありがとう」


会ってもいいんだ。

そんなふうに自分のことを思える言葉をかけてくれた。


おかげで、着慣れない制服のまま、行き先まで真っ直ぐにレッドボーイを走らせることができたよ。



次に会えたらどんな言葉をまずはかけよう。

はずかしいけど、実はけっこうシミュレーションしたんだよ。


それくらいきみに会うのは久しぶりだった、のに。



「あ、はるき」


レッドボーイを道の端に寄せ、駆け寄って、どきどきしながら顔を突き合わせてみれば、なんか顔色悪いな。…それに。


「あかねくん、なんだよこの状況は」

「着いたら時計が動いてなかったから業者呼んだんだ。で、修理してもらってるところ」

「……」


言いたいことも聞きたいことも知りたいことも話したいこともたくさんあったのに!


青いツナギを着たひとたち2人で作業中。色は違えどどこの作業着も似たり寄ったりだな。

今のうちに話しを、と思ったけど、あかねくんが不安そうに時計塔を見つめてるからわたしも黙って直るのを待つことにした。



「きみたち、今何時かわかるー?」


長い脚立に乗っかったほうのおじさんが尋ねてくる。

かばんから携帯を取り出そうとしたらあかねくんが先に時刻を伝えた。


腕時計でもしてんのか?でも前はしてなかったような…と覗き込めば、彼の手もとにはあの懐中時計があってびっくりしちゃった。そんな何気ない感じで私物化してたんだ…。


そのあとすぐに修理が終わって、ついにふたりきりになった。

心の準備が…何から話そう。


つーか失敗した懐中時計持ち歩かれてたの本当にはずかしい。

家のクローゼットの奥にしまっておいてたやつなのに。——— ん?失敗した?



「ああっ」

「え、なに」


まんまるの目で見下ろしてくる。


「やべーよあかねくん!それ1分遅れてんだって!」

「知ってるけど…」

「つまりこの時計塔も1分遅れになっちゃったよっ」


携帯で時刻を確認。やっぱり1分きっかり遅れてる。


公共の物になんてことを。

慌てふためくわたしをヨソに、彼はのんきに「1分くらい平気だよ」とつぶやく。


いやいや1分はでけーよ。朝寝坊したときとか、見たいテレビがあるときとか、ここの傍を通る人はこの時計塔を頼りにするかもしれない。


わたしだって遅刻しそうなときは1分1秒でも惜しくてレッドボーイにカバーするのをサボろうかサボらないか悩んで1分使っちゃうときがある。

そういうの、このひとにはきっとないんだ…!


「いいじゃん。次の故障までは、おれとはるきだけが知ってるひみつ」

「……」


いいのか、わるいのか、…ひみつって、なんかおいしそうな響きをする。

それならまあいっか、という気持ちになってしまって押し黙ると「ごめん」と彼は言った。



「え、なにが…外部受験クラスには、いけたんだろ?」

「あ、うん。それは、いけた」

「すげーじゃん!まあ、あかねくんだもんな。がんばったんだろ?それにいけたってことは家族にも自分の希望を話せたんだろ?」


その問いかけにぎこちない頷きが返ってくる。


「話せたけど…すごいモメて、勘当されて、たいへんだった」


つまり説得はできなかったってこと、だよな。

…というか勘当って!何時空の話?ドラマ?



生まれ育った家って、人によってこんなに違うものなのか、別世界の話みたい。だけど、これは、わたしの好きなひとの話なんだ。


「え、だ、だいじょうぶなのかよ、それ…あかねくん、今どうしてんだよ」

「それが、進級と同時にひとり暮らしはじめて、バイトもはじめて、塾はやめて自分で勉強はじめたんだけど……その環境にまだ慣れなくて」


まだ1か月半ほどしか経ってない。


「どうりで顔色悪いと思った!なにそれ、なんでもっと早く連絡してこねーんだよ!頼ってくれたら何かしらできたかもしれないのにっ」


いや、なにもできないかもしれないけど、なんだろう、メシ作るとか…子守歌うたうとか…だってぜったい睡眠時間足りてなさそうな顔してる。

わたしはやっとがんばりはじめたのに、あかねくんは知らないところでがんばりすぎていたらしい。


最悪。来ない理由がこれなら強引にでも押しかければよかった。


「はじめは、はるきのこと思い出してがんばれてたんだけど……あまりにも慣れないから、ふがいないけど、会いたくなって……」


ぜんぜんふがいなくなんかねーよ。

いくら思い通りの人生を歩んでくれないからって、受験生の子どもに慣れないことさせるって、どうなんだよ。


なんであかねくんは、ひとりで、だれのことも怒らずに堪えてがんばってんだよ。



「はるきのこと思い出すより、はるきが傍にいてくれたほうががんばれそうなんだ」


もしかすると思っているよりずっと、きみのなかには、わたしが存在しているのかもしれない。



「…それ、わたしのこと、好きなんだと思うよ」



思い過ごしじゃない。

だって、わたしと同じこと思ってるんだもん。



手を、ぎゅうっと握られた。握手にしては弱くて、繋ぐにしては強い。

ぺんだこ、とやらが増えている。


頭は良いくせに器用じゃないその手がいとしくて、なるべく優しく、握り返した。



「……うん、大好き」



信じる、なんて言ってたけど、やっぱり言葉は偉大だね。その気持ちが色づいて、かたちよりも鮮明になって、届いてくる。


「はるきはどう?」

「……」


好きだよ。大好きだよ。
この想いを、どんなふうに伝えようか。



まっくろだった未来を、楽しみだと思えるようになれた。

前よりずっと赤いものに惹かれるようになった。

アーガイル柄のハンカチは今日もポケットに忍ばせてる。


空を見上げて、あの日見た星は綺麗だったなと思い返す。

青い空と海をクラスメイトたちと見たあの大切な日のことはいつかあかねくんに話したい。


同じ色になれなくても、関係ない。

1分遅刻の時計のひみつが、わたしたちのこと、これからも守ってくれる気がする。


そういう前向きな考えができるようになったのは、あかねくんと出会えたからだ。


なんでって言われても、好きになるに決まってるだろ、こんなひと。



「これ見て」


髪を耳にかける。


「あかねくんからもらったボタンでピアス作った。ずっと付けてるの。先生に見つからないようにするのたいへんなんだよ」

「え、すごい。ピアスって作れるんだ」

「この世にあるものはだいたいが人の手で作れるものなんだよ、じつは」


なんて、得意げに言ってみる。


「好きなひとからもらったボタンだから、身につけてたかった。お守りみたいなもんだよ」


だいたいボタンなんかほしがる時点で気づけよ、はずかしいな。


照れくさくて、それでいて心が跳ねる、きっとこれから先何度も思い出すであろう、今のひととき。

それをあかねくんと過ごせたことが、つくれたことが、たまらなくうれしい。



「はるきって、本当にかわいいな」


ぐ、と引き寄せられる。

それはまるで別々の場所に引かれた線と線が、ひょんなことから寄りかかって、悩みながら、迷子になりながら、交差するかのような――――



「……っ、っ」


み、み、耳に、キスされた!!!


「そういえば制服着てるの新鮮だね。作業着のはるきも好きだけど」

「あの、いきなり、いろいろ…っ」

「かわいいから仕方ない」



なんだよそれ。わたしなんて、かわいくねーよ。


「よ、よくそんなこっぱずかしいこと澄ました顔で言えるよな」


だいたい耳って。耳……もしかしてあかねくん、けっこう経験値高いんじゃ…?あのボブ美少女と?それともべつの子?なんかそういうの不安になってきた。

でも気にしすぎるのもなあ。なにごともわたしたちのペースでって思うし…。


「おなかすいたから食べに行かない?」

「あかねくん食欲出てきたね!なにがいい?やきにく?」


ハラミが食いたい気分だよ。牡蠣らーめんはまた近々。


「いいね、お肉久しぶり…」


恋しそうに言うからお肉が主食のわたしは心配になってくるよ。どんな生活をしているのかはたっぷり聞かなくちゃな。


「どこか良いお店知ってる?」

「うん、まかせて」


繋いでいた手を引いて、レッドボーイのもとへご案内。

あとで連絡先も聞こうと思う。



未来はもう、まっくろじゃない気がした。

かと言って何色かはわからない。もしかしたら模様があるかもしれない。黒よりひどいかもしれない。だけど、その景色だって、きれいに映る角度があるかもしれない。


どんな明日が待っていても、この手を掴んで、どこまでもがんばってゆける。大丈夫、絶対に。





【 それでも、精いっぱい恋をした。】fin.
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