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clock 3.アーガイルの交差地点
しおりを挟む学校行きたくねー。
理由はただひとつ。昨日の晩のことを揶揄われたり文句言われたりめんどくさそうだから。
とはいえ今日は機械科の専門授業があるから休むとまた補習になる。補習だと先生とマンツーマンだからボロが出てまずい。
カッキー先生や新田にった先生は優しいからいいけど、工業数理基礎の菊井きくい先生は厳しいというか嫌味ったらしいというかくそうぜえから二人きりとか無理。ハゲる。
まだ昨日のことを追求されるほうがマシ…と嫌々バイクを駐車場に停めていると「春希」と呼びかけられた。
「…ユズ、おはよ」
仕方なく、ため息を我慢して振り向く。
「昨日先生たちに見つからずに帰れたのかよ」
おはようっつってんのに無視すんなよな。
「そんなヘマしねーよ」
なんて。時間が過ぎるのが早すぎて内心焦ったけど。
あかねくん、は、サボってんのバレねーのかな。わかんねえな。厳しく管理されてるわけじゃないのかな。
家に帰ったあと、大丈夫だったかな。何がどう大丈夫、なのかわからないけど。
「付属高校のやつと何してたの」
「やきそばパン食ってまんが立ち読みしただけ」
「え、らーめん食べたのに?」
「うるせえ」
JKなんて胃袋無限大だろ。ほっとけ。いろいろほっとけよ。
だいたいいつもわたしより早く教室にいるくせに、待ち伏せとか、なんなんだよ。だりーよ。
「春希が仲良くするくらいだから悪いやつじゃないのかもしれないけど、それはそいつの話で、あの学校のやつらは俺たちのこと見下してるよ」
「……」
それはまあ、ひしひしと伝わってくる。
駅前ですれ違う時。野球場ですれ違う時。冷ややかな視線と聞こえるように言われる軽薄な言葉。
腹立つし、言い返したい、けど、頭も運動も言われた通りわたしたちはできない。
タケちゃんやキドっち、ホッシーみたいにもともと就職目当てでこの学校に入ってる人もたくさんいるけれど。
わたしみたいにどうしようもなくて、のほうがいっぱいいる。
「…んな心配しなくたって、身の程はわきまえてるよ」
もう、本当に、会うことはないよ。
知ってるのは名前と、何かに悩んでいることと、優しいところ、だけ。
そんなんで何がはじめられるっつーんだよ。
「だいたいユズが気にすることじゃねーだろ」
「気にしてんじゃなくて心配してんだよ」
「心配ねえ。たとえわたしがバカにされたって関係ないだろ」
「…春希がバカにされたらむかつく」
ユズは自由気ままなようで、すごく友達思いだ。
うちの学校は1年の時は、機械科・電気科・デザイン科・情報科・アプリケーション科をローテーションして体験し、入りたい科のテストを受け、合格すれば2年で学科ごとに振り分けられる。
特にデザイン科は女の子に、情報科は男の子に人気が高くて、成績によっては希望が通らないこともある。
わたしはもともと成績順で入る自信がなくて人気のねー機械科を選択してたけど、マナはデザイン科を志望していた。
それが機械科になってしまって、男子ばっかりのクラスで、女子は個人プレイヤー。馴染めずにいる美少女をみんなの輪に自然なかたちで率いれたのがユズだった。
ほかにも、ゆるゆるやる気なさそうに見えて行事ではいつの間にか中心にいるし、機械の操作もうまいし、退学になったやつらを最後まで庇い続けて停学にならないか掛け合っていたのもユズ。
あきらめが悪いし、心配性だし、めんそくせーよな。
そんなユズのことを好きになって、告白して、「友達としか思えない」なんて盛大にフラれて、だろうなって思って。
なんでもかんでもあきらめが早いわたしは、一生ユズに好きになってもらえないんだろうな。
「あの付属高校のやつすげーイケメンだった!」
教室に入るなり、うしろからゴウスケに羽交い絞めされた。クラス1、いや学校1ガタイの良いゴウスケに羽交い絞めされるって死ぬ思いをした。
こいつは付属高校ってこともイケメンってこともどうやら気に入らないらしい。うらやましがってんじゃねえよ。身の程を知れって感じ。
タケちゃんが止めに入ってくれたからなんとか解放された。殺す気かよ。しばらく咳込んだじゃねえかよ。
「ゴウスケ、あんた、そんなんじゃあの可愛い年下マネちゃんにフラれんぞ」
知ってんだからな。おまえが1年の野球部マネージャーにホの字なこと。同学年デザイン科の野球部マネージャーからしっかり情報は仕入れてある。勝手にぺちゃくちゃ喋られただけだけど。
ゴウスケの恋愛なんか本当は興味ねえよ。真っ赤になっちゃってさ。ウブかよ。そりゃそうか。
「おま、それ、関係な…」
「関係あるよ。付属高校だのなんだのって、そんなことにこだわってんのかっこわりーよ。朝練も昼廉も放課後練もして家帰ってもバット振って手にマメつくってんだから、付属高校の高級な整備がないとかあるとかいろいろ比べてないで実力勝負してこいよ」
「美島…」
「今年は勝てよ。で、年下マネちゃんにかっけー姿見せて恋も叶えようぜ」
背伸びして、半ばぶら下がるようにゴウスケの肩に片腕をまわす。
めんそくせーから言いくるめただけだけど、がんばれって思ってんのは本当だよ。
盛り上がり出すゴウスケに苦笑しているとタケちゃんが「さすが」と小声で笑った。
エースには言いくるめたのはお見通しらしい。バランスとれた良いバッテリーだなって思うよ。
その日は早弁していつもより早く昼練に行ってたし、放課後も1番乗りで校庭へ向かったうちのクラスの野球部員を見て、焚きつけたのはわたしなのに、淋しいような気持ちになってしまった。
勉強もできない。運動もさほど得意じゃない。
機械の操作や専門的な勉強もちっとも。
せめて部活に入ればよかったかなって思うけど、とくにやりたいこともない。
就職、大学進学、とうちの学校は1年の2学期から頻繁に進路希望調査の紙を配ったり面談したりする。
何もないわたしは、気にしない素振りをするんだけど、やっぱりどうしたって焦ってしまう。
自分のことなんだから真剣に考えろ。
それが先生たちの、わたしに対する口癖。
真剣にって言うけど、考えても考えても、何も浮かんでこない。
学校は嫌いだけどずっとこのままでいられたらいいのにって思っちゃう。
行きたい場所じゃなくて、逃げ場所を探してる。
不毛だよなあ。わかってんだけどさ。
でも絶対に…後悔はしたくない。
なんて、べつにそんな、真剣なわけじゃないけどさ。
今日はキドっちはデート、他のみんなはほとんどバイト、ユズとわたしだけ暇だったけどフラれた手前誘えるわけもなくひとりレッドボーイに乗って家路をたどっていた。
信号待ちをしながら、今何時だろう、とあの時計塔にふと目を移す。
すると付属高校の制服を着た茶色の髪の男の子がこっちを見て手をゆらゆらと振ってきた。え、なんかかわいい…。
バイクを寄せてフェイスを上げる。
「はるき、今帰り?」
あかねくん、だ。
「あ、うん。そっちは、塾?」
「今日はもともとない日。はるき、予定ある?」
どき、とどこかが鳴った気がする。
会うはずないと思っているのに、なんでだろう。こんな頻繁に…。
首を横に振ると「じゃあどっか連れてって」とポーカーフェイスで言う。どっかって何。なんで後ろに跨ってんの?強引かよ。
おなかにまわった手が布をぎゅうっと掴む。
「いやいや、待って。いったん降りて」
「え」
「連れてくから降りて」
なにその、残念そうな顔。かわいいって思っちゃうからずっと無表情でいろよな。
降りてもらってわたしも降り、取り出した半メットを彼に被せる。クラスのやつらならともかく人様の大事な息子さんを乗せるんだ。ちゃんとしないとダメだろ。
もう一度乗って、布がぎゅっと掴まれたのを確認して、レッドボーイを走らせた。
どっか、と言われて浮かんだのはボーリングかゲーセンかボルダリングだった。一番近いからボルダリングにした。
専用の靴を借りて、一番簡単なコースへ真っ先に突き進む。ここでさえクリアするのは1回目だけ。あとは腕の力も握力もなくなっててんてこまいになる。
「ボルダリングはじめてやる」
あかねくんがちょっとうれしそうな表情を浮かべた。それに気を良くしたわたしは「同じ色をたどってくんだよ」と得意げに説明し、お手本まで見せてやった。と言っても簡単なコースの中で一番簡単な黄色を選んだんだけどそれは内緒。
登っている途中、暑くなって唯一あるバランス感覚だけを頼りに足だけに力を込めて作業着の上を脱いで床にほっぽった。
てっぺんまでたどり着けたことにほっとしながら振り向くと上着をあかねくんが拾っといてくれていた。テキトウにしたのに申し訳ねえな。
「あかねくん、やりかたわかった?」
「うん。はるき、下りれる?」
そう言いながら腕を広げる。え、なにしてんの。飛べってこと?するかよ。
「下りれるし」
たぶんだけど運動神経があまりないことはバレてるみたい。
登るより下りるほうが確かにちょっとむずかしい。がんばって澄まし顔をつくって下りたよ。
「あちー!」
マットに寝転び、タンクトップの首もとを仰ぐ。最初から脱げばよかったよ。
そう思っているとあかねくんの制服のブレザーを被せられた。暑いんだけど、なに。
そう訴えるように視線を送ると「見えそうだから」とぶっきらぼうな口ぶりで言われた。なる、ほど…。
なんだか気恥ずかしくなって言い返せなくなる。クラスのやつらなんて家に遊びに来た時に着替えてたら平気でドアを開けてきてわたしには見向きもせず部屋を物色してたのに…。
あ、あかねくんのブレザー、良いにおいする。ふわふわって…いやヘンタイかよ。嗅いじゃだめだ。
あかねくんはネクタイとワイシャツのボタンをゆるめ、赤い石をたどっていく。
赤色は一番難しいのにぐんぐんって、超はやい。一番うまいサガミよりはやい。しかもウェアは借りずに動きにくそうな制服で。なんかもう生まれ持った何かが違うんだな。
てっぺんであかねくんが、出会ってから見たなかで一番の笑顔を浮かべた。楽しんでくれているのが伝わる顔だった。
下りてすぐに「あっちのやる」って難関コースにいって、やっぱり赤色を選んで悠々と登っていく姿は、どんなに誤魔化そうとしても、かっこいいと思った。
初めてのくせにしっかり難関コースを制覇してしまったあかねくんと、簡単コース1回でバテたわたしは腹ごしらえに来ていた。
近くにある石焼のハンバーグ屋さん。ここのを食べてしまうともうファミレスのハンバーグは食えない。
安いものは好きだけど、それ以上においしいものが好きだ。一応あかねくんにお金のことをそれとなく聞いたら「へいき」と返ってきた。バイトしてる様子はないからお小遣いかな。
ソースが7種類あってどれもおいしい。その中でもハニージンジャーソースがわたしのイチオシで、あかねくんがあまりに悩む…というかなんでもどうでも良さそうだったから同じのにさせた。
ハンバーグってひき肉の産地とか焼き加減も大事だけど、ソースは味の決め手だからどうでもいいって態度されるとちょっと嫌だ。
そう言うとあかねくんは困ってたけど。
おなか空いてる? わからない。
家にごはんあるの? ないと思う。
なんの食いものが好き? わからない。
なに食いたい? わからない。
いつも何食ってんの? 家にあるもの適当に。
食べることとバイクが生きがいのわたしにとってあかねくんの食への無頓着さは理解に苦しむ。生きることは食べること、食べることは生きること。
まあわたしも、そんなに、生きたいと思って食べてるわけじゃないけど。
でもどうせ食べるならおいしいものがいいし、見た目がきれいなものがいいし、しっかり味わって食べたいし、誰かと食べられるならなおさら楽しくて良い。
いろんなひとがいるってこともわかってるし、あかねくんのこと、悪いとは思わないけどさ。
「そういえばボルダリングの石、なんで赤色ばっか選んでたの?赤色が一番難しいってわかってたの?」
どのコースも黄色が一番易しくて赤色が一番難しい。
「見たら赤が難しいことはわかったけど、そうだからじゃなくて、はるきがおれの好きな色だって言ってたから」
「……」
好きな色を選ぶなんてルール、ないんだけど。
「たぶん、言われないまま行ってたらどの色でやるか決められなかったと思う」
あかねくんって、へん。
食べるものはともかく、ボルダリングの石の色なんて、なんだっていいじゃんか。
ぱっと見て、テキトウに決めたっていいじゃん。
それなのにあかねくんは、理由が必要らしい。
「はるきは、好きなものとか食べたいものとか、どうやって決めてるの」
本気の顔で問われる。
どうやって、と言われても、わたしはテキトウだ。
「好きになるものに理由っているの?」
「きっと、いると思う。前付き合ってたひとになんで付き合ってくれたのかって聞かれたことある」
突然の恋愛トーク。恋愛トークって感じの声のトーンじゃないんだけど、でも、なんだか心臓がせわしなくなる。
「えっと…それでなんて答えたの?」
「ほかの子よりは好きかなって思ったからって。幼なじみだったし」
「ほう……で、その子は?」
「なんでほかの子より好きかなって思ったのって聞いてきた」
まあそうなるよな。
なんつー曖昧な回答してんだこいつ。
「わからないって答えたら怒られてフラれたってわけだ」
「え、なんでわかったの?」
「話の流れでわかるわ。あかねくん、正直に言いすぎ」
「でも嘘つく理由ある?」
「嘘っていうか…付き合ってる彼女が思ってることとか、言ってほしいこととか、考えてほしいこととか、そういうのをくみ取ろうと努力することは大事だと思う。できねーなら付き合っちゃだめだろ」
「そうなんだ」
頭良いくせに、もしかしてポンコツ?天然どころじゃない。
誰かの気持ちになるとか、思いやるとか、そういうのが欠けてる感じ。わたしも得意なわけじゃないけどさ、元カノちゃん、ちょっとフビンだな。
幼なじみって言ってたからたぶんあかねくんのそういうところはわかってて、それでも付き合いたくて告白したのにけっきょく…ってところかな。イケメンなのにもったいねー。
「でも、あかねくんの場合、せっかく自分で、ほかの子よりは好きかもって思えたんだったらどうしてそう思ったのか、わかんねーって投げちゃう前にちゃんと考えたらよかったと思うよ」
幼なじみでほかの子より長くいたぶん良いところも知ってただろうし、ほかの子より一緒にいやすいって、そういう感じで好きだと思ってたんじゃないかな。知らないけど。
あかねくんってなんか、居心地の良さとか、無意識に大事にしてそうだし。
「そっか」
「うん。でも、べつに好きな理由なんて簡単でいいじゃんって思うよ。わたしはね、クラスのやつらはうるせーしめんどくせーけど一緒にいて楽しいから好きだし、機械科の授業は難しいから嫌いだけど機械のにおいはなんか好きだし、イルミネーションは興味ねーけどあの工業地帯の光はあったかい感じがして好きだし、食べるとおなかいっぱいになって幸せだなって思えるから好き。だけど今ハンバーグを選んだのは単に近かっただけだよ」
頷きながら聴いてくれるから、なんか語ってしまった。はずかしい。
そう思っているとハンバーグが来た。
ふたつともミディアムレアで焼いてもらって、ソースはしっかりかけてもらう。はちみつと生姜が混ざったにおいに食欲がそそられる。
あかねくんは、そうはならないのかな。
わからないけど食べてみてほしい。きっとにぎりめしの時のように「おいしい」って思ってもらえるはず。
けむりがもくもくと舞う視界のなかで、あかねくんの第ひと口目に注目する。
じいっと見ていると、行儀よくナイフを使ってひと口サイズに切られたハンバーグをフォークにくっつけたまま、あかねくんがこっちを見た。
「はるきは、かっこいいね」
――― そんなことない。
真っ先に頭のなかに浮かんだ否定。
その次に、どきどきと、大げさに心臓が動き出した。
「あ、甘辛くておいしい」
「…、……っ」
おいしい、じゃねーよ!
さらりと褒めておいて、何事もなかったように…顔に集まった熱がバレないように、冷めるまでハンバーグが食べられなかった。あつあつで食べたかったのに、あかねくんのせいだ。
それでもまた、一緒にごはんを食べたいと思う。どこかへ寄り道したいと思う。関わることなんてないと思っていたのに、望んでしまった。
やっぱり、すごく、おいしい。だけどいつもより、おいしい気がした。
いつも食べるのは早いほうだけど、あかねくんがゆっくり食べるからなのか、それとも帰りがたいからか、のんびりとした時間を過ごして、普段は食べないデザートまで頼んでしまった。
「初めてデザート食べる」を強調すると「甘いもの食べないの?」と甘党らしく先にデザートメニューを広げていたあかねくんが聞いてくる。
「うん、太るもん」
「はるきってそういうの気にするんだ」
意外そうな顔。パンチをしたいけど届かないから机の下で足をぽんっと当ててやった。
「気にしてますよそれくらいは」
「ふうん」
興味なさそー。いいけどさ。
でもまあダイエットというよりは、甘いものより米とか麺とか野菜とか肉とか魚のほうが好きってだけなんだけど。
あかねくんはパンナコッタ、わたしはティラミス。食後の紅茶は店長さんがサービスしてくれた。
「おにぎりのお店でもサービスしてもらってたよね」
「あのな、あかねくん。おいしかったお店にはツバつけとくもんなんだよ」
「ツバ?」
「そ。おいしかったら「おいしかったです、ご馳走さまです、ありがとうございました、また来ます」をお店出る前に必ず言うの。それ3回続けたら顔覚えてもらえるからそうなったらこっちのもんだよ」
ハズレだったお店には言わないから嘘ついてるわけじゃないし、こっちがお願いしてるわけじゃないけど常連客だって意識してもらって戴くサービスはありがたく受け取る。
「わたし流、ギブギブテイク」
「それを言うならギブテイクテイクのほうが良いと思う」
「……」
「ははっ」
「……」
えー……なにその、可愛い笑顔。目じりに寄ったしわと下がった眉。手で口もとを隠すようにする。
初めて声出して笑う姿見たかも。ちょっとぐっときちゃった。どうしよう?
とりあえずもう、クラスメイトたちにあかねくんと一緒のところは見られたくないかも。うまく言い訳できる気がしない。
「はるきといると、楽しい」
泣きそうになった。
どうしてかな。
がんばって、堪えた。
「…普段は楽しくないの?あかねくん、友達がいないわけじゃないだろ?」
だって、優しいし、話やすい。それでいて、たぶん自然と人気者になっていくタイプだと思う。まわりに人がいなかったことはないんじゃないかな。
「楽しくないわけじゃないけど、笑うことはないよ」
「……もったいね」
「べつにもったいなくないよ」
「もったいねーよ。可愛い顔で笑うのに」
そう言ってはっとした。すぐにはずかしさが押し寄せてくる。
あかねくんも切り長の目をちょっと広げておどろいた表情をしていた。
だけどすぐにまた笑って「はるきだけ知ってればいいよ」なんてのんきに言う。
特別な言い方じゃない。
だけど、わたしのなかでは、特別に響く。
「…なんだそれ」
なんて返したらいいかわからなくて、そのあとはティラミスを黙々と食った。
あかねくんを家の近くまで送り届けた。
もうここまでの道もすんなり来られるようになって不思議な感じだ。
「今日はありがとう。楽しかった」
照れも恥じらいもなく彼は柔くつぶやく。
わたしもヘルメットをとって「…こっちこそ」と、強がって返す。
じゃあ、と言おうとしたら、あ、という顔をした。
なにかと思えば、あかねくんの指先が、ほおをかすめた。一瞬の出来事。
同時にぴりっと痛みが生じる。
「血出てる」
親指についた赤を見せてくる。いや、だからって触るなよ。
心臓、うるさい。
顔が血より赤くなるんじゃねえかと、心配になる。
「メット外したときにがりっとやったっぽい」
平静を演じながらつぶやく。わたしの親指の爪もちょっと赤くなっていた。見せると彼に手を取られ、ポケットから取り出したハンカチでそこを拭われた。
手が、ひんやりつめたい。
秋の夜って涼しい。
寒いならはやく帰れよと思う。
それなのにあかねくんは自分の親指よりも、わたしの頬に優しいハンカチを宛ててくる。
「…ずいぶんかわいらしーハンカチじゃん」
「ああ、これ、前付き合ったひとからもらった」
そういうのは大切にするタイプなんだ。
「洗って返す」
「え、いいよ」
「いいから」
赤とピンクと茶色と、差し色に緑。クリスマスプレゼントだったのかな。アーガイル柄のそれを、せっかく優しくしてもらったのに何かがつまらなくて、強引に奪う。
「…じゃあ」
「うん、気をつけて」
そう言いながらあかねくんはその場から動こうとしない。だからレッドボーイのエンジンをかけて、離れたくないのに、こっちから離れなくちゃいけない。
ミラー越しに、見送ってくれる彼の姿をちらりと見る。
返すって言ったけどさ。
……アーガイル柄みたいに、交差するわけじゃない。
確証のない。守れるかもわからない、約束とも言い難い曖昧なもの。
角を曲がって、見えなくなった。
だけどあかねくんの淋しそうな笑顔は、いつまでも頭のなかで、繰り返し浮かんだ。
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