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第8話 毒婦

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 「普通なら信じなかっただろうな――」

 ガチャリと開いた扉――そこから入って来たのはレウリオだ。

 「お、お兄様?いつお帰りになったの……??」

 エウリカが動揺したのは一瞬で、儚げでか弱い『エウリカ』の仮面を自然に表に出していた。恐るべき変わり身の早さだった……先程までシシュリカを罵っていたとは思えない。
 けれど、次に入って来た人達にはエウリカだけで無く、シシュリカも驚いた。青褪めて堅い顔をしたレーン子爵夫妻――つまり二人の両親が入って来たからだ。
 そして、夫人はツカツカと足早にエウリカに近寄ると、涙を浮かべながらその頬を平手打ちにした。

 バシッ

 と――強く頬を打つ音がして、シシュリカは目を瞠る――エウリカは、何故打たれたのか分からないと言うように茫然としていた。
 そしてエウリカはワナワナと震え、目尻に涙を浮かべると、さも誤解されて打たれた可哀想なエウリカを演じ始めた。

 「酷いわ――お母様――……もしかして、シシュリカが何か言ったの??今も話していたのよ……シシュリカ、私の事を誤解しているのだもの……だから、一生懸命誤解を解こうとしていたのに――……お母様達は、その『誤解』を信じてしまわれたのね……?」

 シクシクと泣くエウリカに、夫人は指が白くなる位に手を握り締めた。
 シシュリカは、心に迫るようなエウリカの熱演に冷めた目を向けていた。当事者でなければ、きっとシシュリカはこのエウリカの言葉を信じただろう。
 それ程に、誤解されて哀しい――そう全身で哀しんでいるように見えるのだ……今のエウリカは。
 同じように冷めた目をしたレウリオが父親である子爵を見た。彼は最初信じたくないと言う顔をしていたけれど、今は真っ赤な顔をしていた。
 それは、可愛がっていたエウリカの本性に気が付かなかった恥と、怒りの気持ちからだった。

 「――エウリカ……」

 「お父様!お父様は信じてくれますわよね??」

 首を傾げて――胸の前で祈るように手を組み涙を零す可憐なエウリカ――。
 子爵は、自分の娘だったエウリカを蔑むような眼差しで睨んだ。いつもなら、たやすく信じて貰えるはずなのに風向きがおかしくてエウリカが動揺したように顔を強張らせた。

 「いい加減に、その芝居をやめろ!!――……私達は、お前とシシュリカのやり取りを別室で見ていたんだぞ!!」

 「信じられない――信じられませんわ!!エウリカがまるでオルテンシアみたいに――!!あぁ、情けない――こんな子だったなんて……!!」

 シシュリカは正直驚いた。
 別室でこの部屋のやり取りを見ていたと言う事にもだけれど、両親は、なんだかんだ言ってもエウリカの肩を持つと思っていたからだ。だから、驚いてレウリオを見た。
 レウリオは当然だろう?と言う顔をしてシシュリカに微笑む。

 「――……オルテンシアって誰ですの?」

 エウリカにそっくりだと言われたオルテンシアと言う名前を、シシュリカは知らなかった。
 そしてこのオルテンシアこそが、レーン子爵家が今回の事を公にしない最大の理由である事も……。

 「――……オルテンシアはね。俺の実の母親だ」

 レウリオは苦々しさを隠さない様子で、そう吐き捨てた。子爵と夫人が痛ましそうにレウリオを見る――。そしてレウリオは自分の母親の事を話し始めた――。

 オルテンシア・テスタ

 彼女には生涯に於いて、3つの名前があった。一つは、レーン子爵夫人の双子の姉としてのオルテンシア・テスタ……次にレーン子爵家長男・・の妻としての名――オルテンシア・レーン……そして隣国パラウェイの第二王子の愛妾としての名――オルテンシア・ニュクス夫人。
 オルテンシアと言う女性は、かつてレーン子爵家次男――つまりエウリカとシシュリカの父親の婚約者だった。
 けれど、オルテンシアは不満だった。次男の妻では子爵夫人になれないからだ。結局、当時もう子爵位を継いでいた長男を籠絡して子爵夫人となった。
 当時長男にも婚約者がいた上、自分の婚約者の兄と結婚したのだ。社交界では大変な醜聞だった。けれど、オルテンシアの暴挙はこれだけで終わらなかったのである……。
 レウリオが産まれた年――隣国のパラウェイの王子がお忍びでレーン子爵領を訪れた。レーン子爵領は風光明媚な避暑地として有名な場所で王子は休暇を楽しみに来ていたのだ。
 オルテンシアは、その立ち居振る舞いから王子が高位貴族である事を見抜き近付いた。そして閨を共にすると、夫と子供を捨てて王子について行ったのである。

 『子爵なんてウダツの上がらない男より、殿下の方が断然良いわ。子供?要らないわよ。邪魔でしょ??』

 オルテンシアはそう言って笑い、縋りつく夫を振り払って行ったらしい。結果、レウリオの父親は精神を病み、自殺した。
 当時、次男であったレーン子爵は、初めこそ婚約者を寝取った兄を憎んでいたけれど、やつれ、自殺までしてしまった事を憐れに思い、当時恋人になっていた夫人と結婚した後――レウリオを養子として迎え入れて子爵位を継いだのだと言う。
 そして、オルテンシアの事は産後の肥立ちが悪く死んだ事にしたのだと――。
 さて、オルテンシアはその後幸福に暮したのか――?
 答えは『いいえ』――。
 オルテンシアは、奔放な女性だった。欲しいと思ったものを我慢できない女だった――。第二王子の寵愛を受けながら、贅沢な暮しをしていたようだけれど、よりにもよって厩番の青年を閨に引き入れた。
 それを見つかってしまったのだ……。

 「一度だけ、手紙が来たわ……」

 夫人がそう憎々しげに呟いた。
 婚約者と兄に裏切られた夫を献身的に支えて来た夫人――レウリオを我が子のように慈しんだ夫人にとって、双子の姉の暴挙は到底許せるものでは無かった。
 だから、『助けて』と自殺した長男に図々しく手紙を出して来たオルテンシアに、余計に怒りが湧いたのだろう……。
 その内容は、王子に攫われて隣国にいる事……誤解されて殺されそうだと言うもの――。

 「一応、返事は出した。『宛先をお間違いじゃ無いですか?』と――。当家にいたオルテンシアと言う女性は産後の肥立ちが悪く死に――妻を失った哀しみで兄は後を追ったと――そう書きしるしてね」

 子爵はそう言って、憎々しげに眼を閉じた。その手紙が、オルテンシアに届いたかどうかは分からない。何故なら暫くして彼女は処刑されたらしいからだ。
 らしいと言うのは、夫の居る女性を愛妾にした負い目からか、隣国から一通だけ密書が届いたからである。
 
 薔薇は、切られて落ちた――。
 
 そう書いてあったと子爵が言う。愛妾が閨に間男を入れると言うのは大変な醜聞である。隣国で、オルテンシアの処刑が報じられる事は終ぞ無かった。その死は闇に葬られたのだ。
 
 「エウリカ、お前は――病弱で優しい令嬢を演じながら、俺の友人達に同情されるように振る舞っただろう?涙目で見上げて、恥ずかしげも無く身体を寄せて――その上、お前は俺の部屋に薄着でやって来た――まるで娼婦のように……」

 レウリオの言葉に、シシュリカも子爵夫妻も驚いたように固まった。
 シシュリカは、レウリオが言いたがらなかった家を出た理由はこれだと理解して、口に手を当てて絶句した。

 「お前は――!!そんな事までしていたのか!」

 「別に良いでしょ!お兄様が好きだったのだもの!!お兄様と私が結婚すれば、私はこの家にずっと居られると思ったのよ!!」

 被っていた猫を剥がしたエウリカが不機嫌そうにそう叫んだ。
 どうやら、エウリカはレウリオが実の兄で無い事を知って、レウリオを籠絡しようとしたようだった。純粋な恋心もあったのかもしれない。けれど、その中には確かな打算もあったはずだ。
 慣れ親しんだ――と言うより、自分の事を病弱で心優しい令嬢だと扱ってくれるこの家から出たく無かったのだろう……。
 何故なら、レーン子爵夫妻はエウリカが病弱な為に嫁には出せないだろうと認識していて、レウリオが子爵の座を継ぎ結婚したのなら、同じ敷地内に小さな邸を建て、エウリカと自分達で暮らすつもりだったからだ。
 その話は、レウリオもシシュリカも知っている話で、勿論、エウリカにも告げられていた。実際問題として、病弱なエウリカが結婚したとしても、子供を産めるかどうかが分からない。貴族の婚姻は血を繋げる事を大事にする為に、エウリカの婚姻は難しかったので、両親の判断は間違ってはいないのだ。
 けれど、崇拝される事に喜びを感じるエウリカが、兄嫁に居場所を取られる事を良しとする訳が無い。
 両親からそれを告げられたエウリカは、レウリオならば、関係を結べば自分を見捨てられないだろうと考えたのだった……。愛されているという自信があったからこその行動――それが原因でレウリオに嫌われるとは思ってもいなかったのだろう……。
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