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第2話 密通
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シシュリカに婚約者が出来たのは、15歳の時だった。今から一年前の事である――三歳年上の、ユーベル・ラットウェイ――ラットウェイ子爵家の嫡男だ。
シシュリカのレーン家も子爵家なので家格は丁度良いと言えたが、その実ラットウェイ子爵家には投資の失敗によって出来た借金があり、ラットウェイ子爵の親友であるレーン子爵が娘との婚約と結婚によって援助する事にしたという事情があった。
本来なら、年齢の同じエウリカが婚約者として選ばれるのが当然だと言えたが、エウリカは身体が弱い事から子爵家唯一の後継者には嫁がせられないとなったのだ。
ユーベルは美しい、優しい笑顔を浮かべる男性だった。学校は違えど兄とも仲が良いらしく、シシュリカも会うのが初めてでは無い。彼は、シシュリカと親交を深める為にレーン子爵家に来るようになった。
『――……』
シシュリカは最初の頃こそ、素敵な婚約に浮ついた気持ちになったけれど、それに気が付いた頃から彼の事を密かに諦めた。
ユーベルが、エウリカを見ている事に気付いてからだ。
『君と結婚するのだから、君のお姉さんとも仲良くならないとね』
ユーベルがそう言ったので、シシュリカとユーベルが親交を深めるのはエウリカの部屋になった。ベッドの横の椅子に座り、楽しそうに話すユーベルとエウリカ。
そんな二人を、シシュリカは何とも言えない気持ちで見ていた。
二人は話に夢中で、シシュリカの事を見ようともしない。
――私が此処に居る意味ってあるのかしら……。
エウリカ付きの侍女には憎らしげに見られるし、いっそこの部屋から出てしまいたかった。
けれど、シシュリカはユーベルの婚約者である。
侍女がいるとはいえ、ユーベルを姉であるエウリカと同じ部屋に二人きりにする訳にはいかないだろうという配慮から、シシュリカは、ユーベルが来る度に苦痛を味わわなければならなかった。
両親に相談するべきでは無いかと人は思うだろう。けれど、この頃のシシュリカはエウリカの事を両親に伝えても聞いて貰えないだろうと諦めきっていたのだ。
ユーベルは来るときに、シシュリカには小さな花束を持って来てくれた。そしてエウリカには髪飾りを。
『シシュリカには髪飾りはまだ早いだろうと思って。エウリカは中々外に出られないからね。慰めになれば良いかと思うんだ』
もっともらしくそんな事を言うユーベルに、シシュリカは何も言い返さなかった。
ユーベルはシシュリカに髪飾りがまだ早いというけれど、彼女に似合う髪飾りが世の中に無い訳ではない。ましてや、婚約者には花束――その姉には高価な髪飾りをプレゼントするというのでは、どちらが婚約者だか分からないでは無いか。
世の中の人が聞けば、眉を顰めるような行動である。だからこそ、ユーベルはシシュリカに『言い訳』を言ったのだろう。後ろめたいからこその言い訳であり、その事こそが疚しい気持ちを将来の義姉に抱いていると白状しているようなものだった。
そんな或る日の事だった。
『エウリカ様はお休み中ですわ』
用事が早めに終わった為に、シシュリカが帰宅の挨拶をしにエウリカの部屋に来た時だった。
侍女のメリヌがエウリカの部屋の前に立っていた。そうしてシシュリカを馬鹿にするように見た後、そう言ったのだ。エウリカが休んでいるのなら、何故メリヌが部屋の前に立っているのか――?疑問に思ったけれど、どうせメリヌがその疑問に答える事は無い。シシュリカが立ち去ろうとした時だった――。
部屋から――聞こえた声――……。
悩ましげなエウリカの声と、エウリカの名を呼ぶユーベルの声。
シシュリカの顔から血の気が引いた。何をしているのか分かったからだ。メリヌは顔色を悪くするシシュリカをクスクスと笑いながら見ていた。
彼女はエウリカの信奉者で、ユーベルとエウリカの道ならぬ恋を応援する協力者でもあったからだ。
『美しい殿方には、美しい女性がお似合いだとは思いませんか?――身の程知らずのお嬢様は、自分から身を引いたらいかがですぅ?』
シシュリカは、クルリと踵を返すとその場を立ち去った。
メリヌの態度を見れば、二人の逢瀬はこれが初めてでは無いのだろう。
――きっと……私が出掛けている時に――
何度も何度も繰り返されていたに違いない。シシュリカは何とも惨めな気持ちになった。
婚約者の心が自分に無いと理解してはいても、ここまで非常識な事をされるとは思っていなかったのだ。
――そんなにお姉さまが好きなら、私との婚約を解消すればいいのに。
そう、そうすれば良いのだ。
二人が愛し合っているのなら、シシュリカと婚約を解消してから婚約し直せば良いのだ。例えエウリカの体調を考えて子供が望めないのだとしても、愛情があればどうにでも出来るだろう。養子でも取れば良い話である。別にシシュリカはユーベルの事を愛している訳では無いのだから。それなのに。それなのに――
――私と婚約したまま、お姉さまと関係を持つなんて!!
シシュリカの心はグチャグチャだった。悲しいのか怒れば良いのか分からない。
どうして自分はここまで蔑にされなければならないのか……そんなに酷い事をされるような事を自分はしただろうか――……シシュリカはどうしてもその日は眠る事が出来無かった。
すぐにでも婚約を解消したいと思っていたが、間の悪い事に両親は王都の方に用事で出かけていた。後、一週間は帰って来ないだろう。
今回の件で、流石のシシュリカも婚約を継続したいとは思えなかった。だから、両親が帰ってきたら、婚約を解消して欲しいと言おう――そう決めたのだった。
____________________________________________________
誤字修正(2021.04.01)
ユーベル→ユージン修正致しました。
誤字報告、ありがとうございます!
シシュリカのレーン家も子爵家なので家格は丁度良いと言えたが、その実ラットウェイ子爵家には投資の失敗によって出来た借金があり、ラットウェイ子爵の親友であるレーン子爵が娘との婚約と結婚によって援助する事にしたという事情があった。
本来なら、年齢の同じエウリカが婚約者として選ばれるのが当然だと言えたが、エウリカは身体が弱い事から子爵家唯一の後継者には嫁がせられないとなったのだ。
ユーベルは美しい、優しい笑顔を浮かべる男性だった。学校は違えど兄とも仲が良いらしく、シシュリカも会うのが初めてでは無い。彼は、シシュリカと親交を深める為にレーン子爵家に来るようになった。
『――……』
シシュリカは最初の頃こそ、素敵な婚約に浮ついた気持ちになったけれど、それに気が付いた頃から彼の事を密かに諦めた。
ユーベルが、エウリカを見ている事に気付いてからだ。
『君と結婚するのだから、君のお姉さんとも仲良くならないとね』
ユーベルがそう言ったので、シシュリカとユーベルが親交を深めるのはエウリカの部屋になった。ベッドの横の椅子に座り、楽しそうに話すユーベルとエウリカ。
そんな二人を、シシュリカは何とも言えない気持ちで見ていた。
二人は話に夢中で、シシュリカの事を見ようともしない。
――私が此処に居る意味ってあるのかしら……。
エウリカ付きの侍女には憎らしげに見られるし、いっそこの部屋から出てしまいたかった。
けれど、シシュリカはユーベルの婚約者である。
侍女がいるとはいえ、ユーベルを姉であるエウリカと同じ部屋に二人きりにする訳にはいかないだろうという配慮から、シシュリカは、ユーベルが来る度に苦痛を味わわなければならなかった。
両親に相談するべきでは無いかと人は思うだろう。けれど、この頃のシシュリカはエウリカの事を両親に伝えても聞いて貰えないだろうと諦めきっていたのだ。
ユーベルは来るときに、シシュリカには小さな花束を持って来てくれた。そしてエウリカには髪飾りを。
『シシュリカには髪飾りはまだ早いだろうと思って。エウリカは中々外に出られないからね。慰めになれば良いかと思うんだ』
もっともらしくそんな事を言うユーベルに、シシュリカは何も言い返さなかった。
ユーベルはシシュリカに髪飾りがまだ早いというけれど、彼女に似合う髪飾りが世の中に無い訳ではない。ましてや、婚約者には花束――その姉には高価な髪飾りをプレゼントするというのでは、どちらが婚約者だか分からないでは無いか。
世の中の人が聞けば、眉を顰めるような行動である。だからこそ、ユーベルはシシュリカに『言い訳』を言ったのだろう。後ろめたいからこその言い訳であり、その事こそが疚しい気持ちを将来の義姉に抱いていると白状しているようなものだった。
そんな或る日の事だった。
『エウリカ様はお休み中ですわ』
用事が早めに終わった為に、シシュリカが帰宅の挨拶をしにエウリカの部屋に来た時だった。
侍女のメリヌがエウリカの部屋の前に立っていた。そうしてシシュリカを馬鹿にするように見た後、そう言ったのだ。エウリカが休んでいるのなら、何故メリヌが部屋の前に立っているのか――?疑問に思ったけれど、どうせメリヌがその疑問に答える事は無い。シシュリカが立ち去ろうとした時だった――。
部屋から――聞こえた声――……。
悩ましげなエウリカの声と、エウリカの名を呼ぶユーベルの声。
シシュリカの顔から血の気が引いた。何をしているのか分かったからだ。メリヌは顔色を悪くするシシュリカをクスクスと笑いながら見ていた。
彼女はエウリカの信奉者で、ユーベルとエウリカの道ならぬ恋を応援する協力者でもあったからだ。
『美しい殿方には、美しい女性がお似合いだとは思いませんか?――身の程知らずのお嬢様は、自分から身を引いたらいかがですぅ?』
シシュリカは、クルリと踵を返すとその場を立ち去った。
メリヌの態度を見れば、二人の逢瀬はこれが初めてでは無いのだろう。
――きっと……私が出掛けている時に――
何度も何度も繰り返されていたに違いない。シシュリカは何とも惨めな気持ちになった。
婚約者の心が自分に無いと理解してはいても、ここまで非常識な事をされるとは思っていなかったのだ。
――そんなにお姉さまが好きなら、私との婚約を解消すればいいのに。
そう、そうすれば良いのだ。
二人が愛し合っているのなら、シシュリカと婚約を解消してから婚約し直せば良いのだ。例えエウリカの体調を考えて子供が望めないのだとしても、愛情があればどうにでも出来るだろう。養子でも取れば良い話である。別にシシュリカはユーベルの事を愛している訳では無いのだから。それなのに。それなのに――
――私と婚約したまま、お姉さまと関係を持つなんて!!
シシュリカの心はグチャグチャだった。悲しいのか怒れば良いのか分からない。
どうして自分はここまで蔑にされなければならないのか……そんなに酷い事をされるような事を自分はしただろうか――……シシュリカはどうしてもその日は眠る事が出来無かった。
すぐにでも婚約を解消したいと思っていたが、間の悪い事に両親は王都の方に用事で出かけていた。後、一週間は帰って来ないだろう。
今回の件で、流石のシシュリカも婚約を継続したいとは思えなかった。だから、両親が帰ってきたら、婚約を解消して欲しいと言おう――そう決めたのだった。
____________________________________________________
誤字修正(2021.04.01)
ユーベル→ユージン修正致しました。
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