108 / 161
第九章 戴冠式の準備
12.メンデエルの事情
しおりを挟む
それからどうやって部屋に帰ったのか、私は気が付くと居間の長椅子に寝かされていた。
『リンスター王女殿下…』
私の額を優しく撫でているのは。
『フォルクハルト…』
私は妙に懐かしいようなフォルクハルトの泣き顔を見て名を呼んだ。
『リンスター、大丈夫か』
フォルクハルトの背後から、お兄様が心配そうに顔をのぞかせ、私はこの状況が恥ずかしくて両手で顔を覆った。
夢であってくれたらと思ってしまう。
でも夢ではなくて、現実に起こったことなのだ。
王太子は、私を離縁して、お姉様を娶ると…そう、言ったのだ。
私が起き上がろうとすると、フォルクハルトが私の背に手を差し入れて起こしてくれた。
そのまま、抱きしめられる。
『リンスター王女殿下、お会いしたかった。
夢のようで…本当のことのようには思えません。
あなたがまた再び、私の許へ帰ってきてくださるなんて』
フォルクハルトは感極まったように涙声で囁き、私は戸惑ってフォルクハルトの身体を押して離す。
『何を言っているの…
あなたは私のことなんて、何とも思っていなかったでしょう?
親の決めた結婚だから、唯々諾々と従っていただけで。
わたくしはあなたからどう思われていたかなんて判っているつもりよ』
グレーテルやユリアナが駆け寄ってきて、私の乱れた服や髪を直してくれる。
私は先ほどの衝撃からまだ立ち直れず、途方に暮れて大きく息をついた。
『いやいや、リンスターそれは違うよ』
お兄様が見かねたように話しかけてくる。
『お兄様…』
顔を上げてお兄様の精悍な顔に目を向けると、お兄様は『悪かったね、あんなことを言って』と申し訳なさそうに私の頭を撫でた。
『少し話をしたいから、人払いしよう』
お兄様はそう言って、私に心配そうに寄り添うグレーテルに目配せする。
グレーテルは渋々、立ち上がり、皆に声をかけながら一緒に出て行く。
『お兄様、クラウスは…』
部屋の隅にいて、動こうとしないクラウスを見て、何か話したいことがあるのだろうと察した私はお兄様にクラウスが残っても良いか聞こうとした。
『なんだ、リンスターが可愛がっていた嬬人か。
連れてきていたのか、知らなかったな』
お兄様は驚いたように言って『まあ、別にいてもいなくても同じだから、置いといて良いだろう』と鷹揚に言う。
クラウスは黙って頭を下げる。
その姿は、メンデエルにいたころのようで、私は胸が痛む。
『リンスター…
何から話して良いのか判らないけど、フォルクハルトの気持ちは疑わないでやって欲しい。
フォルクハルトは、本当にむかーしからそなたのことを愛していたよ。
ルーマデュカにそなたの輿入れが決まったときの嘆きようといったら、慰める言葉もないほどだった』
『アウフレヒト侯爵や公爵夫人も、結婚式が終わってから到着して、どんなにリンスターがルーマデュカで冷遇されているかを、繰り返し語ってくれた。
大使の私的な書簡でも、リンスターの寂しそうな生活ぶりを憂う文言が連ねられていて、母上がどれほどお嘆きだったか…』
私はうつむいて両手を握りしめる。
お母様にご心配をかけたくなかった。
だから私の手紙には、楽しい事しか書かなかったのに。
隣に座ったフォルクハルトが私の肩を抱いて、優しく腕をさする。
『お姉様は、本当に隣国までいらしていたの?』
『ああ。
本当は私たちとご一緒にルーマデュカまでいらしているはずだったのだが、やはりそんな長旅にはお身体が耐えられなくて、隣国までしかいらっしゃれなかった』
『姉上は本気で、あの女好きと評判で愛妾までいるフィリベール王太子がお好きだったようなんだ。
そしてリンスターが急遽、ご自分の代わりに嫁がされることに心を痛めておられた。
フィリベール王太子はお手紙などでも優しかった、リンスターに冷たいのは、国同士の約束で期待していたわたくしではなかったからだと父上にずいぶん抗議なさったようだ。
母上も、当然猛抗議だしねえ』
あの、お姉様が…
お優しくて、およそ誰かに何かご意見なさるとか、ましてお父様に抗議なさるとか、考えられない。
お母様はともかく。
『そうしたら、ルーマデュカの情勢が、突然大きく変わったとの報告があった。
世界のあちこちに放ってある我が国のスパイたちからの報告も時を同じくしてルーマデュカの政変を伝えてきたから、我が国の王室は騒然となった。
陛下の崩御と同時に、フィリベール王太子が自国の大公爵を弾劾し、愛妾の公爵令嬢ともども国の果ての城に幽閉したと』
そう言ってお兄様は、重く吐息をつく。
『この無理無体な王妃交換劇を言い出したのは、ラウツェニング宰相だ。
父上は、掌中の珠である姉上や、頭の上がらない母上に責め続けられることにうんざりしておられたので、その話に乗られた。
私や弟妹たち、ユーベルヴェークは反対したのだが…』
『ラウツェニングは、リンスターには王妃になるほどの美貌も能力も無いと最初から主張していた。
姉上こそが大国の王妃にふさわしいと。
だから愛妾が居なくなり、王の権力を脅かすほどの大公爵も一掃されたルーマデュカならと、積極的に姉上を推した。
リンスターはどうせ王太子に愛されていないし、王妃になっても王を支える力量はないと』
お兄様は暗い表情で訥々と、感情を交えずに言う。
私は涙が止まらなかった。
フォルクハルトに抱きしめられ、その胸で泣きじゃくる。
ラウツェニングの言う通りだわ。
私ごときが、こんな大きな国の王妃になるなんて、そんな夢を見てはいけなかった。
王を支えて国を発展させていきたいなんて、ましてや、いつか王に愛されたいなんて、思ってはいけなかったんだ。
『リンスター王女殿下…』
私の額を優しく撫でているのは。
『フォルクハルト…』
私は妙に懐かしいようなフォルクハルトの泣き顔を見て名を呼んだ。
『リンスター、大丈夫か』
フォルクハルトの背後から、お兄様が心配そうに顔をのぞかせ、私はこの状況が恥ずかしくて両手で顔を覆った。
夢であってくれたらと思ってしまう。
でも夢ではなくて、現実に起こったことなのだ。
王太子は、私を離縁して、お姉様を娶ると…そう、言ったのだ。
私が起き上がろうとすると、フォルクハルトが私の背に手を差し入れて起こしてくれた。
そのまま、抱きしめられる。
『リンスター王女殿下、お会いしたかった。
夢のようで…本当のことのようには思えません。
あなたがまた再び、私の許へ帰ってきてくださるなんて』
フォルクハルトは感極まったように涙声で囁き、私は戸惑ってフォルクハルトの身体を押して離す。
『何を言っているの…
あなたは私のことなんて、何とも思っていなかったでしょう?
親の決めた結婚だから、唯々諾々と従っていただけで。
わたくしはあなたからどう思われていたかなんて判っているつもりよ』
グレーテルやユリアナが駆け寄ってきて、私の乱れた服や髪を直してくれる。
私は先ほどの衝撃からまだ立ち直れず、途方に暮れて大きく息をついた。
『いやいや、リンスターそれは違うよ』
お兄様が見かねたように話しかけてくる。
『お兄様…』
顔を上げてお兄様の精悍な顔に目を向けると、お兄様は『悪かったね、あんなことを言って』と申し訳なさそうに私の頭を撫でた。
『少し話をしたいから、人払いしよう』
お兄様はそう言って、私に心配そうに寄り添うグレーテルに目配せする。
グレーテルは渋々、立ち上がり、皆に声をかけながら一緒に出て行く。
『お兄様、クラウスは…』
部屋の隅にいて、動こうとしないクラウスを見て、何か話したいことがあるのだろうと察した私はお兄様にクラウスが残っても良いか聞こうとした。
『なんだ、リンスターが可愛がっていた嬬人か。
連れてきていたのか、知らなかったな』
お兄様は驚いたように言って『まあ、別にいてもいなくても同じだから、置いといて良いだろう』と鷹揚に言う。
クラウスは黙って頭を下げる。
その姿は、メンデエルにいたころのようで、私は胸が痛む。
『リンスター…
何から話して良いのか判らないけど、フォルクハルトの気持ちは疑わないでやって欲しい。
フォルクハルトは、本当にむかーしからそなたのことを愛していたよ。
ルーマデュカにそなたの輿入れが決まったときの嘆きようといったら、慰める言葉もないほどだった』
『アウフレヒト侯爵や公爵夫人も、結婚式が終わってから到着して、どんなにリンスターがルーマデュカで冷遇されているかを、繰り返し語ってくれた。
大使の私的な書簡でも、リンスターの寂しそうな生活ぶりを憂う文言が連ねられていて、母上がどれほどお嘆きだったか…』
私はうつむいて両手を握りしめる。
お母様にご心配をかけたくなかった。
だから私の手紙には、楽しい事しか書かなかったのに。
隣に座ったフォルクハルトが私の肩を抱いて、優しく腕をさする。
『お姉様は、本当に隣国までいらしていたの?』
『ああ。
本当は私たちとご一緒にルーマデュカまでいらしているはずだったのだが、やはりそんな長旅にはお身体が耐えられなくて、隣国までしかいらっしゃれなかった』
『姉上は本気で、あの女好きと評判で愛妾までいるフィリベール王太子がお好きだったようなんだ。
そしてリンスターが急遽、ご自分の代わりに嫁がされることに心を痛めておられた。
フィリベール王太子はお手紙などでも優しかった、リンスターに冷たいのは、国同士の約束で期待していたわたくしではなかったからだと父上にずいぶん抗議なさったようだ。
母上も、当然猛抗議だしねえ』
あの、お姉様が…
お優しくて、およそ誰かに何かご意見なさるとか、ましてお父様に抗議なさるとか、考えられない。
お母様はともかく。
『そうしたら、ルーマデュカの情勢が、突然大きく変わったとの報告があった。
世界のあちこちに放ってある我が国のスパイたちからの報告も時を同じくしてルーマデュカの政変を伝えてきたから、我が国の王室は騒然となった。
陛下の崩御と同時に、フィリベール王太子が自国の大公爵を弾劾し、愛妾の公爵令嬢ともども国の果ての城に幽閉したと』
そう言ってお兄様は、重く吐息をつく。
『この無理無体な王妃交換劇を言い出したのは、ラウツェニング宰相だ。
父上は、掌中の珠である姉上や、頭の上がらない母上に責め続けられることにうんざりしておられたので、その話に乗られた。
私や弟妹たち、ユーベルヴェークは反対したのだが…』
『ラウツェニングは、リンスターには王妃になるほどの美貌も能力も無いと最初から主張していた。
姉上こそが大国の王妃にふさわしいと。
だから愛妾が居なくなり、王の権力を脅かすほどの大公爵も一掃されたルーマデュカならと、積極的に姉上を推した。
リンスターはどうせ王太子に愛されていないし、王妃になっても王を支える力量はないと』
お兄様は暗い表情で訥々と、感情を交えずに言う。
私は涙が止まらなかった。
フォルクハルトに抱きしめられ、その胸で泣きじゃくる。
ラウツェニングの言う通りだわ。
私ごときが、こんな大きな国の王妃になるなんて、そんな夢を見てはいけなかった。
王を支えて国を発展させていきたいなんて、ましてや、いつか王に愛されたいなんて、思ってはいけなかったんだ。
2
お気に入りに追加
1,871
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。
家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。
主人公は、魔法・知識チートは持っていません。
加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。

ひめさまはおうちにかえりたい
あかね
ファンタジー
政略結婚と言えど、これはない。帰ろう。とヴァージニアは決めた。故郷の兄に気に入らなかったら潰して帰ってこいと言われ嫁いだお姫様が、王冠を手にするまでのお話。(おうちにかえりたい編)
侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!
珂里
ファンタジー
侯爵令嬢に生まれた私。
3歳のある日、湖で溺れて前世の記憶を思い出す。
高校に入学した翌日、川で溺れていた子供を助けようとして逆に私が溺れてしまった。
これからハッピーライフを満喫しようと思っていたのに!!
転生したからには、2度目の人生何がなんでも生き抜いて、楽しみたいと思います!!!

【完結】天下無敵の公爵令嬢は、おせっかいが大好きです
ノデミチ
ファンタジー
ある女医が、天寿を全うした。
女神に頼まれ、知識のみ持って転生。公爵令嬢として生を受ける。父は王国元帥、母は元宮廷魔術師。
前世の知識と父譲りの剣技体力、母譲りの魔法魔力。権力もあって、好き勝手生きられるのに、おせっかいが大好き。幼馴染の二人を巻き込んで、突っ走る!
そんな変わった公爵令嬢の物語。
アルファポリスOnly
2019/4/21 完結しました。
沢山のお気に入り、本当に感謝します。
7月より連載中に戻し、拾異伝スタートします。
2021年9月。
ファンタジー小説大賞投票御礼として外伝スタート。主要キャラから見たリスティア達を描いてます。
10月、再び完結に戻します。
御声援御愛読ありがとうございました。

【完結】男爵令嬢は冒険者生活を満喫する
影清
ファンタジー
英雄の両親を持つ男爵令嬢のサラは、十歳の頃から冒険者として活動している。優秀な両親、優秀な兄に恥じない娘であろうと努力するサラの前に、たくさんのメイドや護衛に囲まれた侯爵令嬢が現れた。「卒業イベントまでに、立派な冒険者になっておきたいの」。一人でも生きていけるようにだとか、追放なんてごめんだわなど、意味の分からぬことを言う令嬢と関わりたくないサラだが、同じ学園に入学することになって――。
※残酷な描写は予告なく出てきます。
※小説家になろう、アルファポリス、カクヨムに掲載中です。
※106話完結。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。
それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。
自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。
隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。
それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。
私のことは私で何とかします。
ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。
魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。
もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ?
これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。
表紙はPhoto AC様よりお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる