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第七章 スキャンダル
3.陛下の治療
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王太子が言った言葉の、最後の方は話がはしょられ過ぎていて正直なところ意味がよく判らなかったけれど、王太子が苦痛に耐えるように歯を食いしばっていた様子が何度も思い出されて、私はそのたびに胸が苦しくなった。
なんだか全然判らないけど、とにかく王太子はたったひとりで何かと戦っている。
私のことを『日陰の存在のままにはしない』と言っていた。
私の額にキスをして、すぐに身を翻して秘密の通路の扉を開けて(なんと、暖炉の脇にあった)、出て行った王太子の背中がとても寂しそうだったのを何故だか忘れることができない。
私にも何か…できないだろうか。
私は宮廷のお医師を呼び、陛下の病状について聞いた。
素人にも、もうかなり危ないことが判り、焦りが募る。
ガレアッツォ翁とお医師と一緒に実験室に籠り、庭師のシモンと薬草について話し、司厨長と薬膳や滋養のある病人食を一緒に考えた。
きっとお許しは出ないだろうな、と思いながらも、侍従長にお願いしてみる。
しかし、お妃様とガレアッツォ翁が援護してくれたらしく、案外あっさりお目通りが許された。
年の瀬も押し迫った日、私はガレアッツォ翁、それから司厨長と一緒に陛下の居室へ伺った。
重いカーテンが降ろされ、暖炉の明かりとわずかな燭台の明かりがあるだけの、薄暗い部屋の中に、陛下の荒い呼吸が響いている。
ベッドサイドで陛下の手を握っている王妃様の、憔悴しきった様子に胸を衝かれる。
ガレアッツォ翁がお医師と共に、瀉血の器具を準備する。
瀉血とは、血を抜く治療のことだ。
一般的で、広く巷間に流布している治療法だ。
しかし、私とガレアッツォ翁は違う治療法を試そうとしている。
学者でもあるお医師も全面的に協力してくれて(論文を書くつもりらしい)、司厨長も器具の消毒や薬剤の調合を手伝ってくれた。
準備を終えたガレアッツォ翁がベッドサイドに立ち、ここ最近の疲労でしゃがれてしまった声で話しかける。
「陛下、王妃陛下、先日お話し申し上げました新たな治療法でございます。
臨床での治験数が少なく、エビデンスも揃いきってはおりません。
正直に申せば、どの程度の治療効果があるのかは未知数でございます。
しかし…このまま何もせず手をこまねいていることはできないと、フィリベール王太子殿下ならびにリンスター王太子妃殿下が仰っておられ、わたくしどもも同じ思いでございます。
ですから…」
「…よい。
そちたちの良きに計らえ」
陛下は苦しい息の合間に、咳き込みながら声を振り絞る。
「どのみち、朕はもう長くない。
実験でもなんでも施すが良い。
今後、この結果が数多の人々を救うことにつながるのなら、朕は喜んでこの病んだ身体を差し出そう」
王妃様が声を震わせて泣き出す。
お医師が「では、失礼仕ります」と緊張した声で言い、私が掲げる燭台の明かりを頼りに、細い針を静脈に刺す。
羊の腸に入れた輸液を少しずつ、静脈の中に注入していく。
瀉血で悪い血を抜いたあとに、栄養のある液体を入れたらどうか、と言ったのが発端だった。
驚くまいことか、ガレアッツォ翁はそういう研究もしているのだという。
彼の研究室に初めて案内され、私は度肝を抜かれた。
人体の精密画、内臓や血管といったものも詳細に絵に描き起こしてある。
筋肉や関節の拡大図、骨格の図もあった。
何だかわからない、実験器具もごちゃごちゃと置いてある。
そうかと思えば、戦車や砲台、果ては空を飛ぶ機械の設計図まであり、実際にミニチュアも作成してあった。
そして私が一番驚いたのは、そこに当たり前みたいな顔をしてクラウスがいたことだ。
「非常に優秀な助手ですよ。
彼は頭がいいだけでなく、とても器用で助かっております」
ガレアッツォ翁はにこにこして言い、私は、はぁ…と相槌を打つのが精いっぱいだった。
輸液が少しずつ、陛下の血管を通して体内に入って行く。
固唾を飲んで見守る私たちの前で、陛下の荒い呼吸が少し弱まったように思えた。
お医師が慌てて脈を見たり瞳孔を見たりする。
「…あ、大丈夫です。
お寝みになられたようだ。
少し、御息が治まったような…」
私たちは安堵の息を漏らす。
ガレアッツォ翁の話ではそう頻繁には使えないけれど、眠ることができて少し体力がつけば口から食べるのも容易になるだろうということだった。
そうしたら、司厨長の出番だ。
こうして、私のルーマデュカ国での最初の年は静かに終わって行った。
なんだか全然判らないけど、とにかく王太子はたったひとりで何かと戦っている。
私のことを『日陰の存在のままにはしない』と言っていた。
私の額にキスをして、すぐに身を翻して秘密の通路の扉を開けて(なんと、暖炉の脇にあった)、出て行った王太子の背中がとても寂しそうだったのを何故だか忘れることができない。
私にも何か…できないだろうか。
私は宮廷のお医師を呼び、陛下の病状について聞いた。
素人にも、もうかなり危ないことが判り、焦りが募る。
ガレアッツォ翁とお医師と一緒に実験室に籠り、庭師のシモンと薬草について話し、司厨長と薬膳や滋養のある病人食を一緒に考えた。
きっとお許しは出ないだろうな、と思いながらも、侍従長にお願いしてみる。
しかし、お妃様とガレアッツォ翁が援護してくれたらしく、案外あっさりお目通りが許された。
年の瀬も押し迫った日、私はガレアッツォ翁、それから司厨長と一緒に陛下の居室へ伺った。
重いカーテンが降ろされ、暖炉の明かりとわずかな燭台の明かりがあるだけの、薄暗い部屋の中に、陛下の荒い呼吸が響いている。
ベッドサイドで陛下の手を握っている王妃様の、憔悴しきった様子に胸を衝かれる。
ガレアッツォ翁がお医師と共に、瀉血の器具を準備する。
瀉血とは、血を抜く治療のことだ。
一般的で、広く巷間に流布している治療法だ。
しかし、私とガレアッツォ翁は違う治療法を試そうとしている。
学者でもあるお医師も全面的に協力してくれて(論文を書くつもりらしい)、司厨長も器具の消毒や薬剤の調合を手伝ってくれた。
準備を終えたガレアッツォ翁がベッドサイドに立ち、ここ最近の疲労でしゃがれてしまった声で話しかける。
「陛下、王妃陛下、先日お話し申し上げました新たな治療法でございます。
臨床での治験数が少なく、エビデンスも揃いきってはおりません。
正直に申せば、どの程度の治療効果があるのかは未知数でございます。
しかし…このまま何もせず手をこまねいていることはできないと、フィリベール王太子殿下ならびにリンスター王太子妃殿下が仰っておられ、わたくしどもも同じ思いでございます。
ですから…」
「…よい。
そちたちの良きに計らえ」
陛下は苦しい息の合間に、咳き込みながら声を振り絞る。
「どのみち、朕はもう長くない。
実験でもなんでも施すが良い。
今後、この結果が数多の人々を救うことにつながるのなら、朕は喜んでこの病んだ身体を差し出そう」
王妃様が声を震わせて泣き出す。
お医師が「では、失礼仕ります」と緊張した声で言い、私が掲げる燭台の明かりを頼りに、細い針を静脈に刺す。
羊の腸に入れた輸液を少しずつ、静脈の中に注入していく。
瀉血で悪い血を抜いたあとに、栄養のある液体を入れたらどうか、と言ったのが発端だった。
驚くまいことか、ガレアッツォ翁はそういう研究もしているのだという。
彼の研究室に初めて案内され、私は度肝を抜かれた。
人体の精密画、内臓や血管といったものも詳細に絵に描き起こしてある。
筋肉や関節の拡大図、骨格の図もあった。
何だかわからない、実験器具もごちゃごちゃと置いてある。
そうかと思えば、戦車や砲台、果ては空を飛ぶ機械の設計図まであり、実際にミニチュアも作成してあった。
そして私が一番驚いたのは、そこに当たり前みたいな顔をしてクラウスがいたことだ。
「非常に優秀な助手ですよ。
彼は頭がいいだけでなく、とても器用で助かっております」
ガレアッツォ翁はにこにこして言い、私は、はぁ…と相槌を打つのが精いっぱいだった。
輸液が少しずつ、陛下の血管を通して体内に入って行く。
固唾を飲んで見守る私たちの前で、陛下の荒い呼吸が少し弱まったように思えた。
お医師が慌てて脈を見たり瞳孔を見たりする。
「…あ、大丈夫です。
お寝みになられたようだ。
少し、御息が治まったような…」
私たちは安堵の息を漏らす。
ガレアッツォ翁の話ではそう頻繁には使えないけれど、眠ることができて少し体力がつけば口から食べるのも容易になるだろうということだった。
そうしたら、司厨長の出番だ。
こうして、私のルーマデュカ国での最初の年は静かに終わって行った。
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