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第六章 事件前夜

8.図書室での密談

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 私はその夜、いつものようにぐっすり眠れなかった。
 ジェルヴェの切ない表情や仕草、言葉の数々を思い出して、心臓が体内で大袈裟に踊りだすのに困惑する。

 ジェルヴェは私を愛していると言った。
 私は、…どうなんだろう。
 
 童女のようだとジェルヴェに指摘されるまでもなく、私は、恋をしたことがない。
 メンデエルには、父王の決めた婚約者がいたことはいた。
 でも、単なる幼馴染以上の感情を抱いたことはない。
 親が言うんだから、この人と結婚するんだなくらいの思いだった。

 向こうもきっとそうだと思う。
 私がルーマデュカに嫁することになったと言っても、特に顕著な反応はなかった。
 むしろ喜んでいたかもしれない。
 幼いころから、彼が美しいお姉様に憧れを抱いていたのは知っている。

 ジェルヴェの気持ちに応えることはできない。
 できるはずがない。
 私はルーマデュカの王太子妃だ。
 実際には白い結婚であるとはいえ、表向きはあのいけ好かないフィリベール王太子の妃だ。
 
 『そなたは私の妃だ』
 王太子が繰り返すあの言葉は、ジェルヴェに心を奪われることへの警告なのだろうか。
 自分は公妾がいるくせに。
 ほんっと、自分勝手すぎて頭に来るわ。

 とにかく…ジェルヴェのことは、狡いとは思うけど今はまだ結論を出すことはできない。
 ジェルヴェにそう伝えると「判りました。今まで通り、一番お傍にいますよ」と小さく言って、うつむいて微笑んだ。

 翌朝、なんだかボーっとした頭で起きた私は、朝食を摂り身支度を整えてクラウスと共に部屋を出た。
 図書室へ行って、ちょっと調べ物をしたいと思ったのだ。
 ガレアッツォ翁がいてくれるといいな、という淡い期待もあった。
 
 果たして、ガレアッツォ翁は図書室にいて、何かの図面を広げていた。
 私が声をかけると顔を上げて、付けていたモノクルを外して「おや、王太子妃殿下」といつもの穏やかな笑顔を見せた。

 「つい先程までここに、バルバストル公爵様がおいでになったのですよ」
 え~~!会わなくてよかった!
 私は胸をなでおろし、ガレアッツォ翁とクラウスはそんな私を見て笑う。

 「例の水上交通の話でございますか」
 私を椅子に腰かけさせてクラウスが訊き、ガレアッツォ翁は図面を巻いてしまいながらうなずいた。
 「エスコフィエ家の領地を通らずに、都からの海上交通の便を良くしたいと仰せなのだが…
 それは、エスコフィエ侯爵を説得して通らせてもらうか、新たに河川を掘削して大型船を通すしかありませんと申し上げてもなかなか納得してくださらない。
 困ったものだ」

 「エスコフィエ侯爵様はアンチバルバストル公爵派の筆頭でいらっしゃいますからね。
 手を組むというのはなかなか難しいでしょう。
 今までのやり方を見ても、最初は提携でもいつの間にか取り込まれて奪われている、ということが多かったようですからね。
 あとは、…積み荷の中身の問題でございますねぇ」

 クラウスの話に、ガレアッツォ翁は「これ、王太子妃殿下にお聞かせする話ではないよ」と苦笑する。
 「いえ…わたくしも王太子妃として、聞く権利があると思いますわ」
 っていうか、何でクラウスそんなにこの国の政治の事情に詳しいのよ?!
 いつの間にか、ガレアッツォ翁とツーカーになっちゃってるし…
 私は疎外感を感じて、ちょっと不貞腐れる。

 「しかし、女性にお聞かせするような話では」
 渋るガレアッツォ翁に、クラウスが説き伏せる。
 「噂はどこからでも入ってまいりますよ。
 お妃様のお立場では、半端な知識は却って命取りになるかもしれません」

 「ふうん…それもそうだ」
 「お妃様は既に、シャミナード伯爵様の自死のお話もご存知でいらっしゃいます。
 ドゥラクロワ子爵様から、アンヌ=マリー様のサロンのこともお聞き及びですし」
 畳みかけるようにクラウスが言うと、ガレアッツォ翁は苦笑いして「判ったよ」とうなずいて私を見た。
 賢者の瞳に強い光が宿り、私は気圧される。

 「バルバストル公爵殿は恐らく、ご禁制の品を輸出入しようとしています。
 アンヌ=マリー様のサロンは隠れ蓑で、賭博で数多の貴族から莫大な金を巻き上げて私腹を肥やしているようです。
 それをご存知であったアンチ公爵派のシャミナード伯爵様は巧妙に消されてしまった。
 先ほど、バルバストル公爵様はエスコフィエ様も身辺に気を付けたほうがいいというようなことをちらっと仰いました」

 私は、あまりの話の内容に自分の顔色が真っ青になっているのが判った。
 両手でドレスを握りしめて、囁くように震える声で訊いた。
 「…それで、あなたは、どうしようとしているの?
 ご禁制の品って何?
 他国からたまたま来たあなたが、何故、そんなに詳しくこの話を知っているの?」

 部屋の空気が、ふっと弛緩した。
 顔を上げると、またいつものように穏やかに微笑むガレアッツォ翁が静かに口を開いた。
 「それは、内緒でございますよ。
 固く口留めされておりますので、さすがの王太子妃殿下にもお話しすることはできません。
 怖がらせてしまって、申し訳ありません。
 王太子妃殿下がご心配なさることは何もありませんので、ご安心くださいね」
 
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