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第八章 領主館
7.ラ・カドリナの城
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馬車と隊列は戦禍のシエーラ地方を抜け、太陽が真上に来るころには警備の厳しい国境を抜けた。
大公の乗った馬車が通っているのに頭を下げるどころか帽子も取らず、丸焦げと言っても良いシエーラのあちらこちらに呆然と佇んでいる農夫・農婦たちの姿を見て胸が痛んだ。
この人たちの生活が、一日も早く元の通りになるように、何ができるだろう。
思いつくことはすべてやろう。
私やにぃ兄様も含む、ステファネッリ家の全員で。
国境を越えた途端、私はもう涙をこらえることができなかった。
ほんの少し前までシエーラにあった、のどかで豊かで牧歌的な農村の風景が、見渡す限り広がっていた。
「この風景を取り戻すために、俺はなんでもするよ。
クレメンティナと、レオンツィオやセノフォンテと一緒に。
だから…泣かないでくれ。
そなたたちステファネッリ家の者は、長年に渡って国からも民からも不当な扱いをされてきた。
ペデルツィーニも滅んだ今、シエーラの正統な後継者として平和にこの地を治めて行って欲しいと思っている」
アレク様は私の頬を伝う涙を柔らかい布で優しく拭きながら話す。
私はアレク様の言葉がとても嬉しくて何度もうなずいた。
しかし嬉しく思う反面、私は昨日領主館へ行く途中、馬上で聞いたにぃ兄様の言葉を思い出して気が塞ぐ。
『愛妾候補をあれだけ大々的に募っておきながら結局、突然の大公殿下の恋愛でお妃交代劇という大事件になってしまった。
しかも新大公妃は、このシエーラの蜂起の張本人の姪だ。
それで兵を出せと言われても、納得できない、という貴族がいるのも…事実なんだ』
にぃ兄様の苦しげな暗い声が耳元に甦り、私はぎゅっと目を閉じる。
屈託した私の表情に気づいたのか、アレク様は「…気分が悪いのか、大丈夫か」と気遣わしげに訊いてきた。
私は「いえ、何でもありません、大丈夫ですわ」と首を横に振った。
言えない…
アレク様はそういう貴族に対して、どう思っているのだろうか。
国を平和に治めていくためには…私は、アレク様のお傍にいてはいけないのではないだろうか。
馬車は国境を越えてからスピードを上げ、夕方には城に到着した。
国境に近い城だからか、要塞のようなどっしりした佇まいの堅牢な城が夕闇の中に夕日を背にして黒々と浮かび上がっている有様は、畏怖を感じさせた。
私たちの到着と同時に巨大な城門が開かれて、馬車は兵士たちに囲まれながら中へ入って行った。
正面の堅固な扉の前に、ラ・カドリナ国の将軍とみられる人物が大きな身体を誇るように胸を逸らして立っていた。
「あの体躯…
エセルバートみたいだな」
一緒に馬車の窓から外を見ていたアレク様が思わずといったように呟き、私はくすっと笑ってしまった。
「エルヴィーノ様は優雅に怜悧な容貌ですから、好対照でございますね」
私が言うと「なんか、迫力負けしてないか」と言うアレク様に私は反論する。
「そんなことはありませんわ。
エルヴィーノ様は、優しいお顔に似合わず勇猛果敢でいらっしゃいますし、戦場では八面六臂のご活躍をなさっておられると存じておりますわ」
私が懸命に言うと、アレク様はふてくされたように座席の背に寄り掛かり横を向いて呟く。
「俺だってそうだ。
エルヴィーノのことばっかり褒めやがって…」
えっ?
私はぽかんとしてアレク様を見た。
だって今、エルヴィーノ様の話をしてたんだよね??
ラ・カドリナ国の将軍に迫力負けしてるとかアレク様が言うから、そんなことはないって答えただけなのに…
アレク様は横目で私をちらっと見る。
その表情はなんだか子犬が褒めて欲しがっているようで、私は内心の苦笑を隠しながら言葉を継いだ。
「もちろん、その通りですわ。
エルヴィーノ様に負けるとも劣らない、素晴らしく勇敢な大公でいらっしゃいます。
わたくしにとってはアレク様が一番ですわ」
そう言って微笑むと、アレク様は少々バツの悪そうな顔で身を起こし、私の髪を撫でた。
「…そなたがエルヴィーノや他の男の名前を口にするだけで、焦燥感に駆られるんだ。
初めて会った時からずっと、そういう思いでいたから…
嫉妬なんて醜いと判っているけど」
そう言って私を引き寄せ「…ごめん」と囁いた。
私はアレク様の腕の中で頭を振った。
エルヴィーノ様に嫉妬して、拗ねるアレク様の様子はなんか可愛かった。
これからもっともっと、いろんな表情を知りたい。
馬車は車寄せをぐるっと回って、正面扉の前に到着する。
御者より前に、ラ・カドリナ国の侍従らしき人が駆け寄ってきて、恭しく馬車の扉を開けた。
アレク様は先に降り、私の手を取って優雅に降ろしてくれた。
明々と松明が燃えて、昼間のように明るい扉の前に、エルヴィーノ様を始め騎士たちが馬を降りる。
「ラ・カドリナ国へようこそお越しくださいました。
アレッサンドロ大公陛下」
割れるような大声で言い、将軍やラ・カドリナ国の人たちが一斉に頭を下げた。
大公の乗った馬車が通っているのに頭を下げるどころか帽子も取らず、丸焦げと言っても良いシエーラのあちらこちらに呆然と佇んでいる農夫・農婦たちの姿を見て胸が痛んだ。
この人たちの生活が、一日も早く元の通りになるように、何ができるだろう。
思いつくことはすべてやろう。
私やにぃ兄様も含む、ステファネッリ家の全員で。
国境を越えた途端、私はもう涙をこらえることができなかった。
ほんの少し前までシエーラにあった、のどかで豊かで牧歌的な農村の風景が、見渡す限り広がっていた。
「この風景を取り戻すために、俺はなんでもするよ。
クレメンティナと、レオンツィオやセノフォンテと一緒に。
だから…泣かないでくれ。
そなたたちステファネッリ家の者は、長年に渡って国からも民からも不当な扱いをされてきた。
ペデルツィーニも滅んだ今、シエーラの正統な後継者として平和にこの地を治めて行って欲しいと思っている」
アレク様は私の頬を伝う涙を柔らかい布で優しく拭きながら話す。
私はアレク様の言葉がとても嬉しくて何度もうなずいた。
しかし嬉しく思う反面、私は昨日領主館へ行く途中、馬上で聞いたにぃ兄様の言葉を思い出して気が塞ぐ。
『愛妾候補をあれだけ大々的に募っておきながら結局、突然の大公殿下の恋愛でお妃交代劇という大事件になってしまった。
しかも新大公妃は、このシエーラの蜂起の張本人の姪だ。
それで兵を出せと言われても、納得できない、という貴族がいるのも…事実なんだ』
にぃ兄様の苦しげな暗い声が耳元に甦り、私はぎゅっと目を閉じる。
屈託した私の表情に気づいたのか、アレク様は「…気分が悪いのか、大丈夫か」と気遣わしげに訊いてきた。
私は「いえ、何でもありません、大丈夫ですわ」と首を横に振った。
言えない…
アレク様はそういう貴族に対して、どう思っているのだろうか。
国を平和に治めていくためには…私は、アレク様のお傍にいてはいけないのではないだろうか。
馬車は国境を越えてからスピードを上げ、夕方には城に到着した。
国境に近い城だからか、要塞のようなどっしりした佇まいの堅牢な城が夕闇の中に夕日を背にして黒々と浮かび上がっている有様は、畏怖を感じさせた。
私たちの到着と同時に巨大な城門が開かれて、馬車は兵士たちに囲まれながら中へ入って行った。
正面の堅固な扉の前に、ラ・カドリナ国の将軍とみられる人物が大きな身体を誇るように胸を逸らして立っていた。
「あの体躯…
エセルバートみたいだな」
一緒に馬車の窓から外を見ていたアレク様が思わずといったように呟き、私はくすっと笑ってしまった。
「エルヴィーノ様は優雅に怜悧な容貌ですから、好対照でございますね」
私が言うと「なんか、迫力負けしてないか」と言うアレク様に私は反論する。
「そんなことはありませんわ。
エルヴィーノ様は、優しいお顔に似合わず勇猛果敢でいらっしゃいますし、戦場では八面六臂のご活躍をなさっておられると存じておりますわ」
私が懸命に言うと、アレク様はふてくされたように座席の背に寄り掛かり横を向いて呟く。
「俺だってそうだ。
エルヴィーノのことばっかり褒めやがって…」
えっ?
私はぽかんとしてアレク様を見た。
だって今、エルヴィーノ様の話をしてたんだよね??
ラ・カドリナ国の将軍に迫力負けしてるとかアレク様が言うから、そんなことはないって答えただけなのに…
アレク様は横目で私をちらっと見る。
その表情はなんだか子犬が褒めて欲しがっているようで、私は内心の苦笑を隠しながら言葉を継いだ。
「もちろん、その通りですわ。
エルヴィーノ様に負けるとも劣らない、素晴らしく勇敢な大公でいらっしゃいます。
わたくしにとってはアレク様が一番ですわ」
そう言って微笑むと、アレク様は少々バツの悪そうな顔で身を起こし、私の髪を撫でた。
「…そなたがエルヴィーノや他の男の名前を口にするだけで、焦燥感に駆られるんだ。
初めて会った時からずっと、そういう思いでいたから…
嫉妬なんて醜いと判っているけど」
そう言って私を引き寄せ「…ごめん」と囁いた。
私はアレク様の腕の中で頭を振った。
エルヴィーノ様に嫉妬して、拗ねるアレク様の様子はなんか可愛かった。
これからもっともっと、いろんな表情を知りたい。
馬車は車寄せをぐるっと回って、正面扉の前に到着する。
御者より前に、ラ・カドリナ国の侍従らしき人が駆け寄ってきて、恭しく馬車の扉を開けた。
アレク様は先に降り、私の手を取って優雅に降ろしてくれた。
明々と松明が燃えて、昼間のように明るい扉の前に、エルヴィーノ様を始め騎士たちが馬を降りる。
「ラ・カドリナ国へようこそお越しくださいました。
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