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第八章 領主館

6.隣国へ

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 夜明け前に起きて、寒さに震えながら着替えをする。
 昨夜はずっとアレク様の腕の中で眠っていたから温かかった。
 着替えのため、簡易寝台の周りに柵を設けてカーテンをかけ、未練がましく居座ろうとするアレク様を追い出した。
 
 ヴァネッサの様子が気になる。
 また無茶をしてはいないだろうか…
 父親の死を受け入れられずに苦しんでいるだろう。
 
 胸を締め付けられるような思いに、私は動きを止める。
 デメトリアが私の顔色に気づいて「どうなさいましたか、ご気分がお悪いのですか」と声をかけてくる。
 私が「…大丈夫よ」と答えようとすると「どうした、入るぞ」とアレク様が制止する間もなく入ってくる。

 「具合が悪いのか、俺が昨夜ちょっと締めつけ過ぎたか」
 腰をかがめて私の顔を覗き込みながらアレク様は気遣うように訊く。
 私は「いえ、大丈夫です」と慌てて首を横に振った。
 
 昨夜、寝言で何度も「クレメンティナ…」と愛しげに呼んで私の額に頬を寄せたアレク様の仕草を思い出して赤面してしまう。
 「そうか?なんか顔が赤いが…
 熱があるんじゃないのか?
 この天幕では寒かったか」
 アレク様は手を伸ばし、私の額にあてる。

 「いえ、本当に大丈夫です」
 私はこれ以上赤い顔を見られるのが恥ずかしくて身を引いてうつむく。
 「あまり無理するな、昨日の今日だ。お前はシエーラに残っていても良いんだぞ」
 アレク様が少し悲しそうな顔で言うので、私はいたたまれなくなり「ヴァネッサの様子が気になるのです」と顔を上げた。

 「ヴァネッサ…?
 ああ、ペデルツィーニの娘か。
 あの者なら、今朝早くにレオンツィオが母上や女たちのいる館に連れて行った。
 そこに母親がいるらしいな」
 
 アレク様の言葉に、私は安堵する。
 お母様や奥方様がいる場所へ行ったのなら大丈夫だろう。
 ゆっくり休めるといいな…

 「なんだ、そんなことを気にしていたのか。
 …クレメンティナは本当に優しいのだなぁ。
 あの娘に幾度も危険な目に遭わされているのに」
 アレク様はちょっと呆れたように言って、私の頬に手をかけて唇にキスした。

 「アレク様、クレメンティナ。
 ご準備は宜しいでしょうか、馬車が参りました」
 天幕の外でにぃ兄様の声がする。

 「ああ、大丈夫だ。
 すぐに行く」
 アレク様は答えて、私を見おろした。
 
 「クレメンティナ、…今更だが、俺についてきてくれるか。
 昨日オズヴァルドが言っていた通り、交渉はかなり向こうに押されるだろう。
 クレメンティナがいてくれれば、心を強く保っていられるような気がする。
 情けない男だと思うだろうが…守るべき者に傍にいて欲しい」
 
 頬を撫でながら懇願するように呟くアレク様の表情は何故かとても苦しげで、私は思わずアレク様に抱きついた。
 アレク様は小さく息を呑み、私をぎゅっと抱きしめる。
 「…アレク様について行きますわ。
 わたくしは常にアレク様と共に。
 どこまでも一緒です」

 「クレメンティナ…」
 アレク様は苦しいほどに私を抱きしめると、思い切ったように身体を離して私の手を取った。
 「行くぞ、どこまでも一緒に」
 「はい!」
 私たちは手を取り合い、衛兵が外から開けてくれた天幕の入り口をくぐって外へ出た。

 外には四頭立ての大きな馬車があった。
 御者と従僕がぱりっとした格好でボディの前後に立っている。
 
 「これは…」
 私もだけど、アレク様も驚いたように馬車の横に立つにぃ兄様を見た。
 「ペデルツィーニ及びバルベルデの戦死による叛乱軍の投降そして我が軍の勝利を祝して、隣州マルベッテの領主アルベリーニ子爵より大公陛下および妃陛下への献上物でございます」
 にぃ兄様は恭しく言って、胸の前に手をあてて丁寧にお辞儀した。

 「ふうん…」
 アレク様は最初の驚きから醒めると急に興味なさそうな表情になり、私の腰に手を回して馬車に乗せると、自分も乗り込み私の隣に座る。

 にぃ兄様は馬に乗り、エルヴィーノ様やオズヴァルド様、参謀長などと共に馬車の周りについた。
 アレク様が合図すると、エルヴィーノ様が前を見据えて声を張る。
 「ラ・カドリナ国へ向けて、全軍前進!」

 大きな国旗が振り下ろされ、周りの騎士たちと共に馬車は静かに動き出した。
 私はなんだか不安になってアレク様に寄り添う。
 アレク様は微笑んで私の肩を抱き、ぽんぽんと優しく叩く。

 ラ・カドリナ国へ向けて、早朝の冷たい空気の中、私たちはまだところどころ黒煙の立ち上る戦場跡を進んで行った。

 
 
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