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第五章 宮廷
18.名前
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それからはなんだかよく判らないうちに、時間が過ぎていったような気がする。
教皇様から結婚の承諾を得てとりあえず簡易的な式の真似事をし(本番はまた後程とのことだった)、貴族諸侯にご挨拶をして、ご愛妾候補の令嬢たちと言葉を交わした。
広い広いバンケットホールで、ずらっと並んで食事を摂り(目を瞠るような、豪華なお料理の数々だったけれど、残念なことに緊張のあまり味がしなかった)、皆様に見送られて大広間を出たのはもう深更に近かった。
貴族としては別に普通かもしれないけど…私は朝早かったのでもう眠い…
だけど、お母様と少しで良いからお話したいし、レオ兄様にお祝いを言いたい。
私は隣を歩く、堂々とした姿のアレク様を見上げる。
アレク様は私の視線に気づいて「何だ?」と少し笑う。
「いえ…あの…」
何と呼んでいいか判らず口ごもると、アレク様は笑って「今まで通り、アレクで良いよクラリッサ」と私の手を取る。
「朝から状況が激変して、それもクラリッサには何も知らせていなかったから、驚いたろう。
特に、シエーラの状況とダイアナのことに関しては、優しいクラリッサの心に負荷をかけたと思う。
エルヴィーノやセノフォンテとは詳しく打ち合わせしていたのだが、どこまでそなたに話して良いものか…
迷っているうちに当日になってしまった」
口調に申し訳なさをにじませて話すアレク様を慰めたくて、私は握られた手をそっと握り返した。
「…わたくしが一番驚いたのは、アレク様が大公様だったことでございます」
上目使いにアレク様を見上げると、アレク様はちょっと目を見開いて私を見下ろす。
「…気がつかないとは思わなかったんだ。
フランシスカやリーチェが面白がって、いつ気づくか、気づくまで黙ってましょうと。
エルヴィーノもそれに乗っかって、…まあ、あいつはクラリッサに惚れてるから、俺を得体の知れない謎の男のままにしておきたかったんだろうが。
エセルバートは、クラリッサが可哀想だと言っていたんだけどな」
…う、まあ…、そうよね、この国の最高権力者を知らない、とか…
でも、南部ののんびりした田舎で生まれ育った私には、知らなくてもまったく支障なかったし。
だけど、エセルバート様も、アレク様の正体について一度も匂わすことさえなかったと思うんだけど…
本当に「可哀想」だなんて思っていらっしゃったのかしら。
「…あと、わたくしも申し上げる機会がなかったのでございますが、わたくしの名前はクラリッサではなく、クレメンティナと申しますの」
さっき、私のフルネームを仰ってたから、ご存知なのだろうとは思うけど。
アレク様は握った手にぎゅっと力を込めて、私に笑いかける。
「俺は、クラリッサの前ではただのアレクでいられるような気がするんだ。
天幕で、ベッドの棒を持ち果敢に暴漢に立ち向かっていたクラリッサや、新しいお菓子に目を輝かせるクラリッサ、城壁の外まで出て迷子になって馬の傍で不安そうに立っていたクラリッサが、俺の中でのお前のイメージで、そんなお前がすごく好きだから」
そう言って私を赤面させ、アレク様も少し顔を赤くしてつないだ手を持ち上げて手の甲にキスする。
「まだしばらくはクラリッサと呼ばせてくれ」
私は真っ赤になりながら、こくんとうなずいた。
その時、少し先の部屋の扉の前に立っていた侍従長が、目の前のドアをノックして「大公陛下と妃陛下のお越しでございます」と言った。
アレク様は私を抱き寄せて「このあと、一晩中お前を堪能したいのだが…明日にはお発ちになると言われるから、先に話しておいたほうが良い」と耳元で囁いて、私を離す。
私はなんのことか判らず、でもなんだか艶っぽいアレク様の声にドキドキしながら、侍従長の開けた扉の向こうの部屋に促されるままに足を踏み入れた。
教皇様から結婚の承諾を得てとりあえず簡易的な式の真似事をし(本番はまた後程とのことだった)、貴族諸侯にご挨拶をして、ご愛妾候補の令嬢たちと言葉を交わした。
広い広いバンケットホールで、ずらっと並んで食事を摂り(目を瞠るような、豪華なお料理の数々だったけれど、残念なことに緊張のあまり味がしなかった)、皆様に見送られて大広間を出たのはもう深更に近かった。
貴族としては別に普通かもしれないけど…私は朝早かったのでもう眠い…
だけど、お母様と少しで良いからお話したいし、レオ兄様にお祝いを言いたい。
私は隣を歩く、堂々とした姿のアレク様を見上げる。
アレク様は私の視線に気づいて「何だ?」と少し笑う。
「いえ…あの…」
何と呼んでいいか判らず口ごもると、アレク様は笑って「今まで通り、アレクで良いよクラリッサ」と私の手を取る。
「朝から状況が激変して、それもクラリッサには何も知らせていなかったから、驚いたろう。
特に、シエーラの状況とダイアナのことに関しては、優しいクラリッサの心に負荷をかけたと思う。
エルヴィーノやセノフォンテとは詳しく打ち合わせしていたのだが、どこまでそなたに話して良いものか…
迷っているうちに当日になってしまった」
口調に申し訳なさをにじませて話すアレク様を慰めたくて、私は握られた手をそっと握り返した。
「…わたくしが一番驚いたのは、アレク様が大公様だったことでございます」
上目使いにアレク様を見上げると、アレク様はちょっと目を見開いて私を見下ろす。
「…気がつかないとは思わなかったんだ。
フランシスカやリーチェが面白がって、いつ気づくか、気づくまで黙ってましょうと。
エルヴィーノもそれに乗っかって、…まあ、あいつはクラリッサに惚れてるから、俺を得体の知れない謎の男のままにしておきたかったんだろうが。
エセルバートは、クラリッサが可哀想だと言っていたんだけどな」
…う、まあ…、そうよね、この国の最高権力者を知らない、とか…
でも、南部ののんびりした田舎で生まれ育った私には、知らなくてもまったく支障なかったし。
だけど、エセルバート様も、アレク様の正体について一度も匂わすことさえなかったと思うんだけど…
本当に「可哀想」だなんて思っていらっしゃったのかしら。
「…あと、わたくしも申し上げる機会がなかったのでございますが、わたくしの名前はクラリッサではなく、クレメンティナと申しますの」
さっき、私のフルネームを仰ってたから、ご存知なのだろうとは思うけど。
アレク様は握った手にぎゅっと力を込めて、私に笑いかける。
「俺は、クラリッサの前ではただのアレクでいられるような気がするんだ。
天幕で、ベッドの棒を持ち果敢に暴漢に立ち向かっていたクラリッサや、新しいお菓子に目を輝かせるクラリッサ、城壁の外まで出て迷子になって馬の傍で不安そうに立っていたクラリッサが、俺の中でのお前のイメージで、そんなお前がすごく好きだから」
そう言って私を赤面させ、アレク様も少し顔を赤くしてつないだ手を持ち上げて手の甲にキスする。
「まだしばらくはクラリッサと呼ばせてくれ」
私は真っ赤になりながら、こくんとうなずいた。
その時、少し先の部屋の扉の前に立っていた侍従長が、目の前のドアをノックして「大公陛下と妃陛下のお越しでございます」と言った。
アレク様は私を抱き寄せて「このあと、一晩中お前を堪能したいのだが…明日にはお発ちになると言われるから、先に話しておいたほうが良い」と耳元で囁いて、私を離す。
私はなんのことか判らず、でもなんだか艶っぽいアレク様の声にドキドキしながら、侍従長の開けた扉の向こうの部屋に促されるままに足を踏み入れた。
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