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第五章 宮廷

8.支度

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 私は気もそぞろになりながら、とりあえず立ち上がる。
 エルヴィーノ様は私の顔を覗き込んで「…落ち着いて。大丈夫。あなたは今日のことだけ考えて」と励ますように言った。

 「申し訳ない。
 オレの不注意な発言で…」
 本当に申し訳なさそうに言って、オズヴァルド様が頭を下げる。
 私は「いえ、そんな、お顔を上げてください」と言って、オズヴァルド様に近づいた。

 「大丈夫でございます。
 今日はきちんとお役目を果たしますわ」
 オズヴァルド様の顔を見て、にこっと微笑んでみせる。
 
 大丈夫。
 お母様とレオ兄様なら、どんなことにでも気丈に立ち向かっていらっしゃるはずだ。
 私は、目の前のことをきっちりやって、終わったらすぐにシエーラに帰ろう。

 気を引き締めて、エルヴィーノ様を振り返り「失礼いたします。また後ほど」と言って、綺麗にお辞儀カーテシーをした。
 オズヴァルド様とエルヴィーノ様は顔を見合わせて、同時に笑い出した。

 「いや、すごいお嬢様シニョリーナだ。
 お見逸れしました」
 「そう、あなたには我々の心配など無用だな。
 後ほどお会いしましょう、愛しいクレメンティナ」

 二人の貴公子に笑顔で送り出され、私は内心の恐怖に近い緊張と戦いながら部屋を出た。
 頑張れ、クレメンティナ。
 にぃ兄様がこの都にいらっしゃる。
 アレク様やエルヴィーノ様、それにファディーニ様も今日の舞台を見守ってくださるだろう。
 私は一人じゃない。

 立派な調度品やタペストリー、絵画や武器などが飾られた廊下をいくつも通り、絨毯の敷かれた階段を上ったり下りたりして、私は先ほどの部屋よりも数段立派な部屋に通された。
 大きな窓から入るはずの陽の光が、重そうなカーテンに遮られてなんだか薄暗く、昼間だというのに蝋燭が灯されている。

 ドレスが準備してあり、侍女が5~6人いるのが見え、私が部屋に入ると一斉にお辞儀した。
 「お待ち申し上げておりました、クレメンティナ様」
 
 え…何、この待遇…
 たかが余興で歌を歌うだけの人間に、この厚待遇は、宮廷では普通のことなの??
 混乱しながらとりあえず、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 その言葉が合図のように、侍女たちがとびかかってくる(ように私には感じた)。
 あっという間に着替えさせられて、化粧をし直され、髪も結い直される。
 私は踏ん張って立っているのがやっとだった。
 
 「お飲み物はいかがでございますか」
 人形のように椅子にちんまりと腰かけて、動けずにいる私に、最初に挨拶をした侍女が声をかけてくる。 
 「あ、…デメトリア、さん」
 朝、エルヴィーノ様のお邸に来てくれた人だと判って、私は少しホッとした。

 デメトリアさんは少し驚いたように目を見開いて「覚えていてくださいましたか」と言って少し笑う。
 「私には、『さん』などお付けにならなくて結構でございます。
 お呼び捨てになってくださいませ」

 そう言って、レモンの入った甘い飲み物を持ってきてくれた。
 私はお礼を言って口をつける。
 あ、美味しい。
 爽やかな飲み口が、喉がカラカラに乾いていたことを報せる。

 「もうすぐ、お迎えが参ります。
 私どもはここで、お帰りをお待ちしております」
 デメトリアは飲み切ってしまったグラスを受け取りながら言う。
 またここに戻ってくるのか、と思って、私は頷いた。

 やがて迎えの人が来て、「いってらっしゃいませ、クレメンティナ様」という侍女たちの声を聴きつつ、部屋を出た。
 今度はあまりたくさんは歩かずに、大きな扉の前に立つ。
 扉の両端に、厳つい剣を構えた衛士がいるのを見て、私は本当にお城に来たのだと実感する。
 
 こんなとこで私、大丈夫かな…
 自分を鼓舞する言葉が、だんだん小さくなってゆく。
 不安、緊張、何かマイナスの感情が心を支配していく。
 
 「クレメンティナ様のお越しでございます」
 侍従が声をかけると、中から「お入り」と声がした。
 
 その声を聴いて、私は心が浮上する。
 ファディーニ様! 

 
 
 
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