上 下
56 / 172
第三章 都での生活

16.私の事情

しおりを挟む
 私も居住まいを正し、エルヴィーノ様の女性と見紛うような優しい整った顔立ちを見つめる。
 山賊討伐隊の邸にいた時のようなラフな感じではなく、如何にも都会の貴公子然とした姿は、ため息が出るほど美しい。
 だけど…何というのか。
 エルヴィーノ様の佇まいが、どこか懐かしい気がするのは何故だろう。

 「マルカ州境で討伐隊の邸から逃げ出したクレメンティナの兄上を助けた人の素性が判った。
 やはり貴族だった。
 パヴィーノ領の領主で、都にも大きな屋敷を構えているトランクウィッロ伯爵家の令嬢だったようだ」
 「トランクウィッロ伯爵家…
 それは、向かい合った熊が二頭とそれを囲む旗の紋章の家でしょうか?」

 私が問うと、エルヴィーノ様は目を瞠る。
 「知っているのか?
 面識がある?」
 「いえ…そうではありませんが…」

 私はこの館の厩舎近くで、にぃ兄様らしき人の乗った馬車を見かけたこと、その馬車についていたエンブレムの話をした。
 「そういえば、トランクウィッロ家の屋敷はここからもう少し宮殿に近いところにあったな…
 そうか、そんなことが…」
 エルヴィーノ様は呟き、少し考えこむように黙って、それから顔を上げて私を見た。

 「俺個人としては、お前をすぐにも兄上に会わせてやりたいと思っているのだが、まだ確認しないといけないことがあって、少し時間がかかるかもしれないんだ。
 俺自身のことでもあるし、クレメンティナや兄上に関わることでもあるから、真正面から尋ねていくのが必ずしも得策だとは思えないし…」
 呟くエルヴィーノ様の瞳がどんどん翳っていき、表情が暗くなっていくことに、私は驚き不安になって尋ねる。

 「何か、わたくしや兄のことで、エルヴィーノ様にご迷惑がかかることになるのでしょうか」
 「いや違う。
 そういうことではないからクレメンティナは心配しないで良い。
 だが、少し話を聞かせてもらう必要がある」

 そう言って言葉を切り、エルヴィーノ様は私の瞳を覗き込むように身体をちょっと前に乗り出した。
 「クレメンティナ、お前と兄上は何をしに州境を超えようとしていた?
 そして何故、名前を偽り、姓も隠していた?
 言いたくなさそうだったし、何か事情があるのだろうと思って訊かなかったが…
 事ここに至っては、何も聞かずに進めていくのは無理だ。
 お前の兄に会う算段を調えるのにも必要なことだ」

 その怖いほどの真剣な表情に私ははっとして、一瞬、口ごもったが、覚悟を決めて両手を組み口を開いた。
 そうだ、エルヴィーノ様のお力が無ければ、私は山賊に襲われた時点で死んでいたかもしれない。
 首都まで連れてきてもらい(戦地に赴かなければならないご自分の代わりにアレク様に頼んでくれた)、こんな素晴らしい邸に住まわせてもらって大切にしてもらって、しかもお尋ねがあった以上、答えないわけにはいかない。
 そこまで恩知らずなことはできない。

 話して、ここを追い出されたとしても、にぃ兄様の居所は判ったのだから。
 あとは自分で何とでもしよう。
 御恩に報いることができなくて申し訳ないけれど。

 私は「少し、長くなりますが…」と前置きして、シエーラにある貧乏子爵家の娘であること、お館様のことやヴァネッサのこと、そしてヴァネッサの失踪とご愛妾候補の身代わりとして都へ強制的に行かされようとしていたことを話した。
 そして何故、名前を偽っていたのかも話した。

 エルヴィーノ様は時折、相槌や質問を挟んだが、私のたどたどしい話を黙って聞いてくださっていた。
 
 お館様が偽のご愛妾候補を都へ送ろうとしていたこと、それが大公様や中央の役人の方に知れたら、お館様や家族に迷惑がかかるかもしれないと思って今まで言えなかったことを、エルヴィーノ様に詫びたとき、声が震えて涙がこぼれそうになってしまって、私はぎゅっと両手を握りしめた。

 エルヴィーノ様は立ち上がり、私の隣に座ると私の肩を抱き寄せた。
 慰めるような励ますような行為に私が抗わずにいると、エルヴィーノ様は両手を回して抱きしめた。

 「話してくれてありがとう。
 事情は判った。
 あとは俺に任せてくれ」
 私はエルヴィーノ様の優しい声音、逞しい腕や胸の感触に安心して目を閉じる。
 
 だけどこの時、私はわずかに違和感を感じた。
 エルヴィーノ様、経緯いきさつやお館様については熱心に聞いていたけれど、私やにぃ兄様の出自については特に驚きもしていなかった。
 まるで、もう知っていたかのように。
 

 

 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。

克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位 11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位 11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位 11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

もう私、好きなようにさせていただきますね? 〜とりあえず、元婚約者はコテンパン〜

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「婚約破棄ですね、はいどうぞ」 婚約者から、婚約破棄を言い渡されたので、そういう対応を致しました。 もう面倒だし、食い下がる事も辞めたのですが、まぁ家族が許してくれたから全ては大団円ですね。 ……え? いまさら何ですか? 殿下。 そんな虫のいいお話に、まさか私が「はい分かりました」と頷くとは思っていませんよね? もう私の、使い潰されるだけの生活からは解放されたのです。 だって私はもう貴方の婚約者ではありませんから。 これはそうやって、自らが得た自由の為に戦う令嬢の物語。 ※本作はそれぞれ違うタイプのざまぁをお届けする、『野菜の夏休みざまぁ』作品、4作の内の1作です。    他作品は検索画面で『野菜の夏休みざまぁ』と打つとヒット致します。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

婚約者を譲れと姉に「お願い」されました。代わりに軍人侯爵との結婚を押し付けられましたが、私は形だけの妻のようです。

ナナカ
恋愛
メリオス伯爵の次女エレナは、幼い頃から姉アルチーナに振り回されてきた。そんな姉に婚約者ロエルを譲れと言われる。さらに自分の代わりに結婚しろとまで言い出した。結婚相手は貴族たちが成り上がりと侮蔑する軍人侯爵。伯爵家との縁組が目的だからか、エレナに入れ替わった結婚も承諾する。 こうして、ほとんど顔を合わせることない別居生活が始まった。冷め切った関係になるかと思われたが、年の離れた侯爵はエレナに丁寧に接してくれるし、意外に優しい人。エレナも数少ない会話の機会が楽しみになっていく。 (本編、番外編、完結しました)

処理中です...