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キスの代わりに手を繋ごう
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今年で齢63になるリーオは、老人介護施設に入居することになった。
半年前にうっかり階段から落ち、打ち所が悪くて、腰から下が麻痺している。
妻は一昨年に亡くなっており、息子一家と同居していたが、家にいても息子達の負担になるだけだから、自分から施設に行くと言った。息子の嫁との折り合いが悪かったのも理由の一つだ。
リーオは定年退職するまでは、高等魔術学校で教鞭をとる傍ら、防壁魔術の研究をしていて、それなりに金は持っている。どうせ老い先短いのだから、施設に入り、介護専門の職員に世話をされながら、のんびり本でも読んで余生を過ごせばいいと思った。
リーオが老人介護施設に入居して半年。息子は孫を連れて月に一度会いに来てくれるが、それだけで、他の入居者と仲良くなることもなく、リーオは退屈な毎日を送っていた。知らない人間と同室になるのが嫌で、個室を選んだのが間違いだったのかもしれない。中々、既にできあがっている人間関係の中に入っていけない。そもそも、リーオは人付き合いが苦手な方だった。昔から、友達らしい友達なんていなかったし、職場でも、仕事上の付き合いだけをしていた。
見合いで結婚した妻から、『貴方の恋人は防壁魔術なんでしょ』と冷めた顔で言われたこともある。
妻との関係は結婚当初から冷めきっていた。
リーオは妻を愛せなかった。息子ができたのが奇跡的なくらい、妻との相性が悪かった。妻は息子を生むと、数年もしないうちに愛人をつくって遊ぶようになった。それをリーオに隠そうともしなかった。
リーオは無関心でいることを選んだ。
よく晴れた初夏の昼頃。隣室に新たに入居者がきた。どうやら男性の入居者のようである。
リーオは、もしかしたら仲良くなれるかもしれないと思って、車椅子に乗り、思い切って部屋の外に出てみた。
隣の部屋に入居してきた男は、昔はさぞモテただろうと思われる渋い男前だった。歳はリーオより少し上のようだ。
リーオは緊張して手汗をかきながら、思い切って男に声をかけた。
「やぁ。僕はリーオ。隣の部屋にいるよ。貴方の名前を聞いても?」
男がつまらなそうな顔で口を開いた。
「バルクだ」
「よ、よろしく。バルク」
「あぁ」
「もしよければ、オススメの場所に案内しようか?」
「オススメの場所?」
「静かで日当たりがいいんだ」
バルクが考えるように小首を傾げた後で頷いた。
リーオは、お気に入りの施設内の穴場にバルクを連れて行った。
二人とも車椅子を動かし、少し時間をかけて施設の中庭の大きな木の下に移動した。バルクは車椅子に慣れていないようで、リーオは余計なことかもしれないと思いながらも車椅子の動かし方の助言をした。バルクは、ぼそっと小さくお礼を言ってくれた。
リーオがお気に入りの穴場は、中庭の隅の方だから、あまり人が来ない。天気がいい日は、ここで一人で本を読んでいる。
青々とした葉っぱの隙間から差し込む日差しが優しい。バルクが木の上を見上げて、どことなく機嫌よさそうに目を細めた。
「ガキの頃に登ってた木に似てる」
「貴方はやんちゃだったのかな?」
「それなりに。アンタは木登りなんてしたことなさそうだ」
「ないねぇ。僕は運動が苦手だったし」
「そうか。俺は大工をやっていた。組んだ足場から落ちてこのざまよ」
「僕は教師をしていたよ。階段から落ちてこの状態になった」
「……ここは静かでいいな」
「本を読むにはいい場所だよ」
「本なんぞ読んだことねぇな。俺は学がねぇ」
「……も、もしよかったら、物語を聞かせようか。どうせ毎日やることがなくて暇だから」
「物語……縁がなかったな。面白いのか?」
「好みにもよるけど、色んな物語があるよ」
「じゃあ、頼む」
こうして、リーオは毎日大きな木の下でバルクに物語を聞かせるようになった。
バルクは、いつも静かにリーオの朗読を聞いている。一つの物語を読み終わると、次の物語をねだられる。どうやら気に入ってもらえたようだ。
リーオは嬉しくて、持ってきていた本がなくなると、息子に頼んで本を用意してもらった。
バルクには、面会に来る家族がいないようである。詳しい話は聞いたことがないが、どうやら家族仲がよくないようだ。
リーオは、季節が二つ過ぎる頃には、穏やかにバルクと過ごす時間を愛おしく思うようになった。
妻とだって、こんなに穏やかな気持ちで一緒に過ごしたことはない。
リーオは、きっとバルクに友情を抱いているのだと思った。こんなに穏やかで愛おしく優しい時間を過ごせるなんて、バルクと出会えたことに心から神に感謝した。
穏やかに一年が過ぎていった。リーオもバルクも、体は不自由だが、それなりに元気に過ごせている。
ある日の夕暮れ。リーオが本を朗読し終えると、バルクがじっとリーオを見つめた。
「バルク?」
「リーオ。俺は男しか愛せねぇ」
「え?」
「死んだ女房がいたが、結局愛せなかった。ずっと親友の男だけを愛していた」
「……そう」
「なぁ。リーオ。アンタを好きだと言ったら困るか?」
「……分からない。困りはしないけど」
「アンタはまだ嫁さんのこと愛してんのか?」
「いや。全く。妻とは見合い結婚でね。残念ながら愛おしいと思ったことはないよ」
「なら、アンタの心をくれねぇか。死ぬまでの一時でいい」
「……うーん。どうしよう。困ったな。貴方にそう言われて、全然嫌じゃないんだ」
「ははっ! リーオ」
「なんだい?」
「俺の最後の恋を受け取ってくれよ」
「……じゃあ、貴方に僕の最初の恋をあげるよ」
「そいつぁ、光栄だ」
リーオは熱い頬を片手でゴシゴシ擦りながら、手を伸ばしてきたバルクの手を握った。かさついた硬い手だ。バルクは働き者の手をしている。
「キスもできねぇから手を繋ごう」
「う、うん。……なんだか照れくさいなぁ」
「ははっ! 俺もだ」
リーオは熱い頬を持て余したまま、バルクと見つめ合って、繋いだ手の指を絡めた。
二つ年上だったバルクが先に逝くまで、リーオは今までの人生で一番明るくて輝く日々を過ごした。二人で過ごせた年月は五年にも満たないけれど、本当に、本当に、幸せだった。
リーオはバルクと過ごした大きな木の下で、小さな声で本を朗読しながら、こほっと小さく嫌な咳をした。
(おしまい)
半年前にうっかり階段から落ち、打ち所が悪くて、腰から下が麻痺している。
妻は一昨年に亡くなっており、息子一家と同居していたが、家にいても息子達の負担になるだけだから、自分から施設に行くと言った。息子の嫁との折り合いが悪かったのも理由の一つだ。
リーオは定年退職するまでは、高等魔術学校で教鞭をとる傍ら、防壁魔術の研究をしていて、それなりに金は持っている。どうせ老い先短いのだから、施設に入り、介護専門の職員に世話をされながら、のんびり本でも読んで余生を過ごせばいいと思った。
リーオが老人介護施設に入居して半年。息子は孫を連れて月に一度会いに来てくれるが、それだけで、他の入居者と仲良くなることもなく、リーオは退屈な毎日を送っていた。知らない人間と同室になるのが嫌で、個室を選んだのが間違いだったのかもしれない。中々、既にできあがっている人間関係の中に入っていけない。そもそも、リーオは人付き合いが苦手な方だった。昔から、友達らしい友達なんていなかったし、職場でも、仕事上の付き合いだけをしていた。
見合いで結婚した妻から、『貴方の恋人は防壁魔術なんでしょ』と冷めた顔で言われたこともある。
妻との関係は結婚当初から冷めきっていた。
リーオは妻を愛せなかった。息子ができたのが奇跡的なくらい、妻との相性が悪かった。妻は息子を生むと、数年もしないうちに愛人をつくって遊ぶようになった。それをリーオに隠そうともしなかった。
リーオは無関心でいることを選んだ。
よく晴れた初夏の昼頃。隣室に新たに入居者がきた。どうやら男性の入居者のようである。
リーオは、もしかしたら仲良くなれるかもしれないと思って、車椅子に乗り、思い切って部屋の外に出てみた。
隣の部屋に入居してきた男は、昔はさぞモテただろうと思われる渋い男前だった。歳はリーオより少し上のようだ。
リーオは緊張して手汗をかきながら、思い切って男に声をかけた。
「やぁ。僕はリーオ。隣の部屋にいるよ。貴方の名前を聞いても?」
男がつまらなそうな顔で口を開いた。
「バルクだ」
「よ、よろしく。バルク」
「あぁ」
「もしよければ、オススメの場所に案内しようか?」
「オススメの場所?」
「静かで日当たりがいいんだ」
バルクが考えるように小首を傾げた後で頷いた。
リーオは、お気に入りの施設内の穴場にバルクを連れて行った。
二人とも車椅子を動かし、少し時間をかけて施設の中庭の大きな木の下に移動した。バルクは車椅子に慣れていないようで、リーオは余計なことかもしれないと思いながらも車椅子の動かし方の助言をした。バルクは、ぼそっと小さくお礼を言ってくれた。
リーオがお気に入りの穴場は、中庭の隅の方だから、あまり人が来ない。天気がいい日は、ここで一人で本を読んでいる。
青々とした葉っぱの隙間から差し込む日差しが優しい。バルクが木の上を見上げて、どことなく機嫌よさそうに目を細めた。
「ガキの頃に登ってた木に似てる」
「貴方はやんちゃだったのかな?」
「それなりに。アンタは木登りなんてしたことなさそうだ」
「ないねぇ。僕は運動が苦手だったし」
「そうか。俺は大工をやっていた。組んだ足場から落ちてこのざまよ」
「僕は教師をしていたよ。階段から落ちてこの状態になった」
「……ここは静かでいいな」
「本を読むにはいい場所だよ」
「本なんぞ読んだことねぇな。俺は学がねぇ」
「……も、もしよかったら、物語を聞かせようか。どうせ毎日やることがなくて暇だから」
「物語……縁がなかったな。面白いのか?」
「好みにもよるけど、色んな物語があるよ」
「じゃあ、頼む」
こうして、リーオは毎日大きな木の下でバルクに物語を聞かせるようになった。
バルクは、いつも静かにリーオの朗読を聞いている。一つの物語を読み終わると、次の物語をねだられる。どうやら気に入ってもらえたようだ。
リーオは嬉しくて、持ってきていた本がなくなると、息子に頼んで本を用意してもらった。
バルクには、面会に来る家族がいないようである。詳しい話は聞いたことがないが、どうやら家族仲がよくないようだ。
リーオは、季節が二つ過ぎる頃には、穏やかにバルクと過ごす時間を愛おしく思うようになった。
妻とだって、こんなに穏やかな気持ちで一緒に過ごしたことはない。
リーオは、きっとバルクに友情を抱いているのだと思った。こんなに穏やかで愛おしく優しい時間を過ごせるなんて、バルクと出会えたことに心から神に感謝した。
穏やかに一年が過ぎていった。リーオもバルクも、体は不自由だが、それなりに元気に過ごせている。
ある日の夕暮れ。リーオが本を朗読し終えると、バルクがじっとリーオを見つめた。
「バルク?」
「リーオ。俺は男しか愛せねぇ」
「え?」
「死んだ女房がいたが、結局愛せなかった。ずっと親友の男だけを愛していた」
「……そう」
「なぁ。リーオ。アンタを好きだと言ったら困るか?」
「……分からない。困りはしないけど」
「アンタはまだ嫁さんのこと愛してんのか?」
「いや。全く。妻とは見合い結婚でね。残念ながら愛おしいと思ったことはないよ」
「なら、アンタの心をくれねぇか。死ぬまでの一時でいい」
「……うーん。どうしよう。困ったな。貴方にそう言われて、全然嫌じゃないんだ」
「ははっ! リーオ」
「なんだい?」
「俺の最後の恋を受け取ってくれよ」
「……じゃあ、貴方に僕の最初の恋をあげるよ」
「そいつぁ、光栄だ」
リーオは熱い頬を片手でゴシゴシ擦りながら、手を伸ばしてきたバルクの手を握った。かさついた硬い手だ。バルクは働き者の手をしている。
「キスもできねぇから手を繋ごう」
「う、うん。……なんだか照れくさいなぁ」
「ははっ! 俺もだ」
リーオは熱い頬を持て余したまま、バルクと見つめ合って、繋いだ手の指を絡めた。
二つ年上だったバルクが先に逝くまで、リーオは今までの人生で一番明るくて輝く日々を過ごした。二人で過ごせた年月は五年にも満たないけれど、本当に、本当に、幸せだった。
リーオはバルクと過ごした大きな木の下で、小さな声で本を朗読しながら、こほっと小さく嫌な咳をした。
(おしまい)
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