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老いた騎士の初恋
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大きな街の入り口で、ガロは馬から降りると、馬の手綱を握って、街の中へと入った。この街は、通称「剣の街」とも呼ばれているくらい、武器職人が多く住んでいる。ガロが現役時代に使っていた剣も、この街の職人に作ってもらったものだ。ガロは、昨年引退するまでは、騎士団で騎士として働いていた。
ガロは今年で五十一歳になる。結婚はしなかった。ただ、仕事ばかりをしていた。生き甲斐だった仕事が無くなり、ガロは途方にくれた。やりたいことが何も無いのだ。親は既に亡くなっていて、一応親戚はいるが、疎遠であった。友人もいるが、皆、自分の家族がいる。働いている時は気にしなかったが、仕事を辞めてしまえば、ガロは一人ぼっちだった。
半年程、酒浸りな日々を送っていたのだが、ある日、ふと思いついた。現役時代に使っていた剣は、もうだいぶ古ぼけている。「剣の街」に行って、新たな剣を作ってもらいたい。騎士として剣を振るうことは二度と無いが、たとえ引退していても、ガロの心は騎士であり、剣士である。退職金をそれなりに貰っているから、金はある。
ガロは住み慣れた王都を旅立ち、三ヶ月程かけて、「剣の街」に辿り着いた。
「剣の街」を訪れるのは二度目だ。最初に訪れたのは、もう三十年以上前のことだ。以前と変わらぬ街の活気の良さに、ガロは目を細めた。
まずは、馬小屋付きの宿屋に向かう。街の衛兵に聞いた評判がいい宿屋に着くと、ガロは愛馬を宿屋の表に繋ぎ、宿屋の中に入った。宿屋のカウンターには、ガロと同年代の白髪混じりの赤毛の男が座っていた。ガロに気づくと、男がゆるい笑みを浮かべた。
「お泊りですかい?」
「あぁ。とりあえず一月程」
「部屋は空いてるんで大丈夫ですよ。馬はご一緒で?」
「あぁ」
「馬小屋にも空きがあるんで大丈夫です。飼葉とかも料金が発生しますけどね」
「構わん」
「うちの宿は、朝飯がついて、一日八十ゼーロ。馬小屋代込でね。一階は食堂なんで、昼も夜もうちで食おうと思えば食えますよ」
「そうか」
「泊まるんなら、こっちに名前とか書いてくださいな。あと、半金いただきますぜ」
「分かった」
「俺ぁ、この宿の経営やってるサリオです。よろしく。ガロの旦那」
「あぁ。武器職人について聞きたいのだが、『ゴルドバ』という職人はまだ生きているのか」
「ゴルドバ……ゴルドバ……」
サリオが顎髭が生えた自分の顎を擦りながら、考えるように宙を見上げた。
「あっ。思い出した。リーンデル工房の爺様か。一昨年だったかな? 亡くなりましたよ」
「……そうか。この剣を作ったのがゴルドバでな。新しいものを作ってもらおうと思ったんだが……」
「息子が跡を継いでますぜ」
「そうか。では、試しに訪ねてみることにしよう」
「ガロの旦那は騎士か冒険者だったんで?」
「あぁ。騎士だった。今は引退しているが」
「なるほど。泊まりの延長もできますんで、剣を作ってもらうことになったら、早めに言ってもらえると助かりますわ」
「あぁ。世話になる」
ガロの言葉に、サリオがニッと笑った
翌朝。ガロは、宿屋の狭い中庭で日課の剣の素振りをすると、井戸の所で汗を流し、部屋に戻って服を着替えて、一階の食堂に向かった。朝食は日替わりで、パンがメインの日と雑穀粥がメインの日が、交互らしい。今日は雑穀粥の日だった。燻製肉や野菜が沢山入った雑穀粥は美味しく、中々腹に溜まった。
他の若い従業員と配膳等をしていたサリオが近寄ってきて、目尻や口元に皺を寄せて笑った。
「お味はどうでした?」
「美味かった」
「そりゃ何より。俺が作ったんですよ。朝飯だけは、いつも俺が作るんです」
「経営だけじゃないのか」
「この通り、小さめの宿だし。経営も受付も掃除もやりますよ」
「そうか」
「リーンデル工房に行くなら、地図を書きましょうか? ちょっと分かりにくい所にあるから」
「それはありがたい。頼む」
「はいよぉ。すぐにお持ちしますわ」
サリオがニッと笑って、ガロの食べ終わった食器を持って、去っていった。サリオは、然程待たずに戻ってきた。地図が書かれた紙を受け取り、ガロが礼を言うと、サリオがニッと笑った。客商売だからだろうが、よく笑う男だ。顔立ちは普通だが、笑うと愛嬌がある。身体が大きい上に無愛想な強面で、笑うと逆に怖いと言われていたガロとは、正反対の男だ。
ガロは、一度部屋に戻り、支度を整えると、地図を片手に剣を作っている工房へ向かった。
ーーーーーー
ガロが日課の剣の素振りをしていると、廊下の窓から、サリオが顔を出した。
「ガロの旦那。おはようございます。今日も朝から元気っすね」
「おはよう。貴殿は今から朝食の仕込みか?」
「えぇ。今日はパンの日ですよ。あと、目玉焼きとハムを焼いたのと、野菜ごってりスープ」
「素晴らしい」
サリオがニッと笑って、立ち去った。ガロは、中断していた剣の素振りを再開しながら、今日の朝食が楽しみで、ほんの微かに口角を上げた。
ガロが「剣の街」に来て、もう二ヶ月になる。無事に剣を作ってもらえることになったが、他にも依頼者がいるので、ガロの剣の完成は、あと三ヶ月後の予定である。
剣が出来上がった後のことは、全然考えていない。「剣の街」までの一人旅が存外楽しかったので、あてのない旅に出るのもいいかもしれない。今は、暇なので、「剣の街」の色んな工房や武器屋を見て回ったり、街の近郊で愛馬を走らせたりして過ごしている。しかし、それにも少し飽きてきた。何か、することが欲しい。とはいえ、自分では何も思いつかない。
ガロは、ふと、サリオにちょっと聞いてみようかと思った。サリオとは、同年代だからか、顔を合わせれば、普通に挨拶や世間話などをする。宿屋をやっているからか、サリオは色んな事に詳しいので、何か妙案を思いつくかもしれない。
ガロは、早速、朝食の後に、サリオに話しかけようと決めた。
朝の仕事が一段落したタイミングを見計らい、サリオに声をかけてみると、サリオが少し考えるように宙を見て、ぽんと手を打った。
「子供向けの剣術教室はどうですかい? 子供数人くらいなら、うちの中庭でもできるでしょ」
「無理だ」
「なんでです?」
「俺の顔を見て、どう思う」
「素直に怖いっす。眉間の皺がやべぇ」
「だろう。昔から、特に小さな子供は俺の顔を見ただけで泣く」
「おぉう……あっ! ちょっと笑ってみてくださいよ。顰めっ面じゃなくて、ニコニコ笑ってたら少しは違うでしょ」
「後悔しても知らんぞ」
「はい?」
ガロは、できるだけにこやかに笑ってみせた。すると、ガロの顔を見たサリオの顔が引き攣った。
「あーうん。その『今から殺ります』みたいな笑顔はマズイっすね」
「そうだろう」
「んー。じゃあ、宿の手伝いをしてくださいよ。その分、宿代は安くしますし。結構力仕事も多いんで、人手が増えると正直助かりますね」
「力仕事ならできる」
「はい。じゃあ、早速、一緒にシーツを回収して、シーツの交換してから、洗濯しますかね」
「あぁ。分かった」
シーツの洗濯などしたことが無いが、習えば多分できるだろう。騎士だった頃は、ずっと騎士寮に住んでいて、炊事洗濯はやったことが無い。掃除は、自分の部屋くらいはやっていたので普通にできる。やる事が無くて、どこか落ち着かなかったので、宿屋の手伝いをさせてもらえるのなら、逆にありがたい。宿代も少し浮くので、その分の金を好きな酒に回せる。
ガロは、サリオと一緒に、各部屋のシーツの交換から始めた。
宿屋の手伝いを始めて一ヶ月もすれば、それなりに慣れてきた。最初のうちは、洗濯の時に力を入れ過ぎて、シーツに穴を開けてしまったが、今では、ちゃんと力加減を覚えた。シーツの交換や洗濯以外にも、宿屋の食堂で使う食材の買い出しに付き合ったり、ちょっと面倒そうな客が来た時には、用心棒のような事をしている。サリオが、かなり楽になったからと、宿代を半分以下にしてくれた。サリオは、結婚しておらず、ほんの数人の従業員と共に、宿屋を切り盛りしている。いづれは、親戚の子供に宿屋を継がせる予定らしい。
ガロが、宿屋の出入り口の掃除をしていると、食堂の掃除をしていたサリオがひょいと顔を出し、ニッと笑った。
「ガロの旦那。そろそろ茶でも飲みましょうや」
「あぁ」
「今日は焼き菓子がありますよ。昨日、姉貴が持ってきてくれたやつ」
「そうか」
サリオは、姉が一人いる。姉には三人の息子がいるので、次男坊にこの宿屋の跡を継がせるそうだ。次男坊も此処で働いている。
掃除道具を片付けると、ガロはサリオと一緒に、カウンターの奥にある休憩用の小部屋に入った。すぐにサリオが紅茶を淹れてくれる。サリオは、料理上手な上に、紅茶を淹れるのも上手い。安物の紅茶でも、サリオが淹れると、それなりに美味くなる。サリオの姉が作った焼き菓子を摘みながら、のんびりと美味しい紅茶を楽しむ。ガロは、ふと思い立って、のほほんと笑っているサリオに声をかけた。
「酒は好きか」
「好きですよー。量は飲まねぇけど」
「今晩、どうだ。奢る。日頃の礼だ」
「おや。いいんですかい? じゃあ、ありがたくご一緒させてもらいますね」
「あぁ。たまには誰かと一緒に飲みたい」
「俺の部屋でいいですかい? 俺ぁ、ちょっとでも飲み過ぎると寝ちまうんで、その方が安心なんですけど」
「構わん。寝たらベッドに転がしておく」
「へへっ。頼みます」
ガロは、機嫌よく小さく口角を上げ、紅茶を飲み終えると、早速今夜飲む酒を買いに行った。
サリオの一日の仕事が終わる頃合いに、ガロはサリオの部屋を訪ねた。サリオも宿屋に住んでおり、一階の一番奥の部屋が、サリオの部屋だ。部屋のドアをノックして、サリオのゆるい返事をもらってからドアを開けると、サリオは眼鏡をかけて、机に向かっていた。どうやら帳簿をつけていたようである。
「まだ早かったか?」
「いんやぁ。大丈夫ですよ。ちょうど終わったところなんで」
「そうか。酒を持ってきた。肴にチーズと干し肉もある」
「おっ。ありがてぇ。じゃあ、ご馳走になります」
サリオが嬉しそうにゆるく笑った。ガロは、サリオの部屋に入ると、いそいそと持っていた布袋から、酒の瓶と金属製のグラス、干し肉やチーズを取り出した。サリオの部屋にあった小さなテーブルにそれらを並べる。サリオが座っていた椅子を勧められたので、ガロはそこに座った。サリオはベッドに座った。サリオの部屋は狭い。ベッドと書物机、衣装箪笥と小さなテーブルしか無い。
グラスに酒を注ぐ。ガロはキツい蒸留酒が好きだが、サリオは酒に強くないようなので、軽めの酒を買ってきた。酒屋の店主に聞いたオススメの酒なので、味は確かだと思う。サリオと乾杯をして、一口飲めば、軽やかな口当たりで、ふわっと爽やかな香りが鼻孔に抜け、中々に美味い。ガロには酒精が軽すぎるが、味は少し辛口で、確かに美味い。一口飲んだサリオが、機嫌よさそうに笑った。
「美味いっすねー。これ、お高いんじゃないですか?」
「そうでもなかった。酒屋の店主のオススメのものだ。比較的最近、売り出されたものらしい」
「へぇー。いいなぁ。これ。俺でも美味しく飲めちゃう。ナッツやドライフルーツとも相性がよさそうだなぁ」
「あぁ。確かに。次は買ってこよう」
「へへっ。ありがとうございます。……はぁー。うんまー」
サリオが本当に美味しそうに飲んでくれるので、酒屋の店主にオススメを聞いてみて正解だった。ガロも美味しく飲める。値段はそれなりだったが、いい買い物をした。
暫く、ポツポツと話しながら酒を飲んでいると、酒精で顔が真っ赤になっているサリオが、ヘラヘラと笑って、口を開いた。
「なんかいいなぁ。こういうの。俺ぁ、ガロの旦那が来てから、毎日が楽しくてねぇ」
「そうか。俺も、宿屋の手伝いは、新鮮で楽しい」
「おっ。嬉しいこと言ってくれますねぇ。へへっ。俺がもちっと若かったら、ガロの旦那を口説くのになぁ」
「ぶっ!」
「うわっ! 酒が勿体ねぇ!」
「……ごほっ……貴殿が変なことを言うからだ」
ガロは、思わず吹き出した酒で濡れた口元を手の甲で拭った。
サリオがグラス片手にゆるい笑みを浮かべた。
「俺ぁ、男しか愛せねぇんですよ。むかーしは、恋人がいたこともあったけど、ここ十五年くらいご無沙汰でね」
「そうか」
「『気持ちわりぃ』って、言わねぇんですか」
「別に。騎士団にも、男同士で恋仲になる者達がいた。少数ではあったが」
「あぁ。騎士団って男所帯ですもんね。ガロの旦那は? 恋人とか」
「そんなもの、できると思うか?」
「えー。人の好みは其々でしょ」
「仮に物好きがいたとしても、恋人にはなれん。俺は不能だ」
「ありゃ。理由を聞いても大丈夫ですかい?」
「三十になる少し前に、魔物討伐遠征で下腹部に酷い怪我をした。それから勃たない」
「なるほど。……ちなみに、尻を試してみたことは?」
「無い。俺みたいな無愛想で可愛げのない厳ついだけの者を抱こうとする猛者なんぞいるか」
「ふーん。尻も慣れたら気持ちいいもんですよ。まぁ、この歳ではっちゃけるとね、色々と不安がありますけどね。腰とか、尻穴緩んだりとか」
「お互い、老いていくばかりの歳だろう」
「まぁね。でもねぇ、たまーに一人寝が寂しい時はありますねぇ。ヤラなくていいから、誰かとキスをして、手を繋いで、一緒に寝れたらいいなぁって」
「そんなものか」
「ガロの旦那は、そういうの無いんで?」
「誰かと共寝をした事が無いから、よく分からん感覚だ」
「花街に行ったりとかは?」
「騎士団に入団した頃に、一度だけ先輩に連れて行かれたが、娼婦が俺に怯えて泣きだして萎えた」
「おぉう……それはまた気の毒な。んーー。じゃあ、俺と一緒に寝てみます? なんもしないんで」
「……何故そうなる」
「いやぁ。一回くらい、誰かと一緒に寝てみてもいいじゃないですか。ずっと一人は寂しいでしょ。俺も長く一人ですからね。ちょっといい思いがしたいんですよ。あ、キスもしないんで安心してくださいよ。本当に一緒に寝るだけ」
「貴殿はそれで満足するのか」
「まぁ、それなりに。若い頃は抱かれるばっかりでね。俺ぁ、美形って訳じゃねぇから、若さがなかなったら、とんと相手が見つからなくなった。元々、逞しい男に抱きしめられて、抱かれたい派なんですよ」
「そうか」
「で? どうします? 一緒に寝てみます? 本当の本当に寝るだけ」
「野営での雑魚寝と何が違う」
「えー? 距離感とか? 身体と心の」
「……今夜だけ、一度だけ、試してみる」
「おっ。やったね。じゃあ、これを飲み終わったら寝やしょう。へへっ。実を言うと、さっきから眠くって」
「本当に酒に弱いのだな」
「まぁ。体質だから仕方がないんですよぉ」
「それもそうか」
ガロは、へらへら笑っているサリオを眺めながら、グラスの中の酒を飲み干した。酒瓶に残っていた酒を全て自分のグラスに注ぐ。ガロは、この程度じゃ酔えないが、サリオは本当にだいぶ酔っているようである。誰かと一緒に寝た事なんて無い。ガロは、一応そこそこの家柄の貴族の出だから、庶民のように、兄や弟と一緒に寝る事は無かった。誰かと温もりを分け合うとは、どんなものなのだろう。ガロは、少しだけ興味をひかれて、ご機嫌に笑っているサリオと一緒に、サリオのベッドに上がった。
サリオのベッドは一人用だから、当然狭い。ぴったりくっつかないと、確実にベッドから落ちる。ガロは、貧相に痩せているサリオを殆ど抱きしめるような形になった。ガロの腕の中で、サリオがくふふっと嬉しそうに笑った。
「あーったけぇー」
「……そうだな」
「おやすみなさい。ガロの旦那」
「おやすみ。サリオ」
ガロの腕の中で、サリオがすぐに寝息を立て始めた。ガロは、服越しにじんわりと伝わるサリオの体温の心地よさに目を細めると、静かに目を閉じた。サリオとぴったりとくっついていると、体温も、穏やかな寝息も、規則正しい鼓動も、じわぁっと伝わってくる。それが不思議と落ち着く。ガロは、サリオの寝息と柔らかく温かな熱に誘われるがまま、眠りに落ちた。
ーーーーーー
月日は穏やかに流れ、ガロが「剣の街」に来て、十年が過ぎた。
ガロは、新しい剣が出来上がったら、一人旅に出るのもありかと思っていたが、サリオの宿屋が思っていた以上に居心地がよくて、結局、居着いてしまった。宿代を払わない代わりに、従業員と同じようにサリオと一緒に働く日々を過ごしている。たまに、サリオと二人で酒を飲んだ時だけ、一緒に寝ている。サリオとは、キスも何もしていない。自分がサリオを好ましく思っているのは自覚しているが、これが恋なのかは、自分でも分からなかった。ただ、サリオの側にいると、楽しくて、気持ちが穏やかに落ち着いて、まるで日向ぼっこをしているような気分になる。
ガロよりも二歳年上のサリオの誕生日の日の夜。ガロは、サリオが好きな酒を用意して、サリオの部屋を訪ねた。サリオがお気に入りのチーズも買ってきてある。
リボンを着けてもらった酒瓶を手渡すと、サリオが嬉しそうに、でも、どこか照れ臭そうに笑った。
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます。いやぁ、この歳で祝われるなんて、照れ臭いねぇ」
「別に、いくつになっても祝って構わんだろう」
「そういうガロの旦那だって、毎年照れる癖に」
「……まぁ、多少は気恥ずかしいものがあるが」
「へへっ。早速一緒に飲みやしょうか」
「あぁ」
ガロは、上機嫌なサリオと一緒に酒を飲み始めた。ご機嫌に笑いながら酒を美味しそうに飲んでいるサリオが、へらっと笑って、口を開いた。
「宿屋をね、そろそろ引退しようかと思ってるんですわ」
「引退して何をする」
「旅をね、してみたいんですよ。俺ぁ、旅をしてきた人を泊めることはあっても、自分が旅をした事が無い。一度でいいから、旅ってやつをしてみたくってねぇ」
「そうか。ならば、護衛を兼ねてついていこう」
ガロがそういうと、サリオがきょとんとした後で、ふわっと嬉しそうに笑った。
「ついてきてくれるんですかい?」
「あぁ。貴殿がいない宿屋に居ても意味が無い」
「それ、俺の都合がいいように解釈しますよ」
「構わん。好きにしろ」
「あっは! ねぇ。ガロの旦那」
「なんだ」
「キスしてみてもいいですかい? こんな爺相手が嫌じゃなければ」
「俺ももう爺だ」
「確かに! お互い老けましたねぇ」
サリオがクックッと笑いながら、座っていたベッドから立ち上がり、椅子に座るガロのすぐ側に来た。サリオのかさついた温かい手がガロの頬に触れ、少しだけ上を向かされる。唇に柔らかい感触がして、すぐ間近にサリオの深い緑色の瞳が見える。ちゅくっと、小さな音を立てて、優しく下唇を吸われた。
サリオの顔が離れ、サリオが気恥ずかしそうに笑った。
「なんかね、十代のガキの頃みてぇにドキドキしますわ」
「そうか。……サリオ」
「はい?」
「もう一度」
「……へへっ」
サリオが嬉しそうに笑って、もう一度ガロにキスをしてくれた。顔がじわじわと熱くなって、何故だか心臓がドキドキと高鳴る。全く不快でない。むしろ、喜びがぶわっと胸の奥から湧き上がってきて、なんだか落ち着かない気分になる。嫌では無かった。でも、心臓が高鳴って仕方がない。
ガロは、熱くなった自分の頬をゴシゴシ片手で擦った。なんとなく、すぐ側にいるサリオの手を握れば、サリオの手はとても温かかった。どことなく、気恥ずかしいような、なんとも言えない空気の中、ガロはいつものように、サリオと一緒にベッドに上がった。
狭い布団の中でサリオの痩せた身体を抱き締めれば、サリオがガロの首元に額を押しつけ、こそっと囁いた。
「俺ぁ、アンタが好きですよ」
「……俺も、多分、好きだ」
「……へへっ。こんな爺になってまで、恋ができるたぁ、俺ぁ、幸せもんですね」
「俺の最初で最後の恋をくれてやる」
「へへっ。ありがたく貰いますよ。返してなんてやらねぇから」
「返品は受け付けていない」
「ふはっ! ……二人で、色んな景色を見て、色んな美味しいものを食べて、ずっと一緒に寝ましょうね」
「あぁ。……いかんな」
「何がです?」
「早く旅に出たくなってきた」
「ふはっ! 俺もですよぉ。諸々の引き継ぎとか終わったら、早めに旅に出ましょうか。爺二人の気まま旅」
「ん」
ガロは、サリオの身体をぎゅっと抱き締めて、サリオの白髪が殆どの頭に鼻先を埋めた。すんすんと匂いを嗅げば、慣れたサリオの匂いがする。
サリオの穏やかな寝息を聞きながら、ガロは、胸の奥までじんわりと温かくなるのを感じた。
爺二人で寄り添いあって旅をするまで、あともう少し。
(おしまい)
ガロは今年で五十一歳になる。結婚はしなかった。ただ、仕事ばかりをしていた。生き甲斐だった仕事が無くなり、ガロは途方にくれた。やりたいことが何も無いのだ。親は既に亡くなっていて、一応親戚はいるが、疎遠であった。友人もいるが、皆、自分の家族がいる。働いている時は気にしなかったが、仕事を辞めてしまえば、ガロは一人ぼっちだった。
半年程、酒浸りな日々を送っていたのだが、ある日、ふと思いついた。現役時代に使っていた剣は、もうだいぶ古ぼけている。「剣の街」に行って、新たな剣を作ってもらいたい。騎士として剣を振るうことは二度と無いが、たとえ引退していても、ガロの心は騎士であり、剣士である。退職金をそれなりに貰っているから、金はある。
ガロは住み慣れた王都を旅立ち、三ヶ月程かけて、「剣の街」に辿り着いた。
「剣の街」を訪れるのは二度目だ。最初に訪れたのは、もう三十年以上前のことだ。以前と変わらぬ街の活気の良さに、ガロは目を細めた。
まずは、馬小屋付きの宿屋に向かう。街の衛兵に聞いた評判がいい宿屋に着くと、ガロは愛馬を宿屋の表に繋ぎ、宿屋の中に入った。宿屋のカウンターには、ガロと同年代の白髪混じりの赤毛の男が座っていた。ガロに気づくと、男がゆるい笑みを浮かべた。
「お泊りですかい?」
「あぁ。とりあえず一月程」
「部屋は空いてるんで大丈夫ですよ。馬はご一緒で?」
「あぁ」
「馬小屋にも空きがあるんで大丈夫です。飼葉とかも料金が発生しますけどね」
「構わん」
「うちの宿は、朝飯がついて、一日八十ゼーロ。馬小屋代込でね。一階は食堂なんで、昼も夜もうちで食おうと思えば食えますよ」
「そうか」
「泊まるんなら、こっちに名前とか書いてくださいな。あと、半金いただきますぜ」
「分かった」
「俺ぁ、この宿の経営やってるサリオです。よろしく。ガロの旦那」
「あぁ。武器職人について聞きたいのだが、『ゴルドバ』という職人はまだ生きているのか」
「ゴルドバ……ゴルドバ……」
サリオが顎髭が生えた自分の顎を擦りながら、考えるように宙を見上げた。
「あっ。思い出した。リーンデル工房の爺様か。一昨年だったかな? 亡くなりましたよ」
「……そうか。この剣を作ったのがゴルドバでな。新しいものを作ってもらおうと思ったんだが……」
「息子が跡を継いでますぜ」
「そうか。では、試しに訪ねてみることにしよう」
「ガロの旦那は騎士か冒険者だったんで?」
「あぁ。騎士だった。今は引退しているが」
「なるほど。泊まりの延長もできますんで、剣を作ってもらうことになったら、早めに言ってもらえると助かりますわ」
「あぁ。世話になる」
ガロの言葉に、サリオがニッと笑った
翌朝。ガロは、宿屋の狭い中庭で日課の剣の素振りをすると、井戸の所で汗を流し、部屋に戻って服を着替えて、一階の食堂に向かった。朝食は日替わりで、パンがメインの日と雑穀粥がメインの日が、交互らしい。今日は雑穀粥の日だった。燻製肉や野菜が沢山入った雑穀粥は美味しく、中々腹に溜まった。
他の若い従業員と配膳等をしていたサリオが近寄ってきて、目尻や口元に皺を寄せて笑った。
「お味はどうでした?」
「美味かった」
「そりゃ何より。俺が作ったんですよ。朝飯だけは、いつも俺が作るんです」
「経営だけじゃないのか」
「この通り、小さめの宿だし。経営も受付も掃除もやりますよ」
「そうか」
「リーンデル工房に行くなら、地図を書きましょうか? ちょっと分かりにくい所にあるから」
「それはありがたい。頼む」
「はいよぉ。すぐにお持ちしますわ」
サリオがニッと笑って、ガロの食べ終わった食器を持って、去っていった。サリオは、然程待たずに戻ってきた。地図が書かれた紙を受け取り、ガロが礼を言うと、サリオがニッと笑った。客商売だからだろうが、よく笑う男だ。顔立ちは普通だが、笑うと愛嬌がある。身体が大きい上に無愛想な強面で、笑うと逆に怖いと言われていたガロとは、正反対の男だ。
ガロは、一度部屋に戻り、支度を整えると、地図を片手に剣を作っている工房へ向かった。
ーーーーーー
ガロが日課の剣の素振りをしていると、廊下の窓から、サリオが顔を出した。
「ガロの旦那。おはようございます。今日も朝から元気っすね」
「おはよう。貴殿は今から朝食の仕込みか?」
「えぇ。今日はパンの日ですよ。あと、目玉焼きとハムを焼いたのと、野菜ごってりスープ」
「素晴らしい」
サリオがニッと笑って、立ち去った。ガロは、中断していた剣の素振りを再開しながら、今日の朝食が楽しみで、ほんの微かに口角を上げた。
ガロが「剣の街」に来て、もう二ヶ月になる。無事に剣を作ってもらえることになったが、他にも依頼者がいるので、ガロの剣の完成は、あと三ヶ月後の予定である。
剣が出来上がった後のことは、全然考えていない。「剣の街」までの一人旅が存外楽しかったので、あてのない旅に出るのもいいかもしれない。今は、暇なので、「剣の街」の色んな工房や武器屋を見て回ったり、街の近郊で愛馬を走らせたりして過ごしている。しかし、それにも少し飽きてきた。何か、することが欲しい。とはいえ、自分では何も思いつかない。
ガロは、ふと、サリオにちょっと聞いてみようかと思った。サリオとは、同年代だからか、顔を合わせれば、普通に挨拶や世間話などをする。宿屋をやっているからか、サリオは色んな事に詳しいので、何か妙案を思いつくかもしれない。
ガロは、早速、朝食の後に、サリオに話しかけようと決めた。
朝の仕事が一段落したタイミングを見計らい、サリオに声をかけてみると、サリオが少し考えるように宙を見て、ぽんと手を打った。
「子供向けの剣術教室はどうですかい? 子供数人くらいなら、うちの中庭でもできるでしょ」
「無理だ」
「なんでです?」
「俺の顔を見て、どう思う」
「素直に怖いっす。眉間の皺がやべぇ」
「だろう。昔から、特に小さな子供は俺の顔を見ただけで泣く」
「おぉう……あっ! ちょっと笑ってみてくださいよ。顰めっ面じゃなくて、ニコニコ笑ってたら少しは違うでしょ」
「後悔しても知らんぞ」
「はい?」
ガロは、できるだけにこやかに笑ってみせた。すると、ガロの顔を見たサリオの顔が引き攣った。
「あーうん。その『今から殺ります』みたいな笑顔はマズイっすね」
「そうだろう」
「んー。じゃあ、宿の手伝いをしてくださいよ。その分、宿代は安くしますし。結構力仕事も多いんで、人手が増えると正直助かりますね」
「力仕事ならできる」
「はい。じゃあ、早速、一緒にシーツを回収して、シーツの交換してから、洗濯しますかね」
「あぁ。分かった」
シーツの洗濯などしたことが無いが、習えば多分できるだろう。騎士だった頃は、ずっと騎士寮に住んでいて、炊事洗濯はやったことが無い。掃除は、自分の部屋くらいはやっていたので普通にできる。やる事が無くて、どこか落ち着かなかったので、宿屋の手伝いをさせてもらえるのなら、逆にありがたい。宿代も少し浮くので、その分の金を好きな酒に回せる。
ガロは、サリオと一緒に、各部屋のシーツの交換から始めた。
宿屋の手伝いを始めて一ヶ月もすれば、それなりに慣れてきた。最初のうちは、洗濯の時に力を入れ過ぎて、シーツに穴を開けてしまったが、今では、ちゃんと力加減を覚えた。シーツの交換や洗濯以外にも、宿屋の食堂で使う食材の買い出しに付き合ったり、ちょっと面倒そうな客が来た時には、用心棒のような事をしている。サリオが、かなり楽になったからと、宿代を半分以下にしてくれた。サリオは、結婚しておらず、ほんの数人の従業員と共に、宿屋を切り盛りしている。いづれは、親戚の子供に宿屋を継がせる予定らしい。
ガロが、宿屋の出入り口の掃除をしていると、食堂の掃除をしていたサリオがひょいと顔を出し、ニッと笑った。
「ガロの旦那。そろそろ茶でも飲みましょうや」
「あぁ」
「今日は焼き菓子がありますよ。昨日、姉貴が持ってきてくれたやつ」
「そうか」
サリオは、姉が一人いる。姉には三人の息子がいるので、次男坊にこの宿屋の跡を継がせるそうだ。次男坊も此処で働いている。
掃除道具を片付けると、ガロはサリオと一緒に、カウンターの奥にある休憩用の小部屋に入った。すぐにサリオが紅茶を淹れてくれる。サリオは、料理上手な上に、紅茶を淹れるのも上手い。安物の紅茶でも、サリオが淹れると、それなりに美味くなる。サリオの姉が作った焼き菓子を摘みながら、のんびりと美味しい紅茶を楽しむ。ガロは、ふと思い立って、のほほんと笑っているサリオに声をかけた。
「酒は好きか」
「好きですよー。量は飲まねぇけど」
「今晩、どうだ。奢る。日頃の礼だ」
「おや。いいんですかい? じゃあ、ありがたくご一緒させてもらいますね」
「あぁ。たまには誰かと一緒に飲みたい」
「俺の部屋でいいですかい? 俺ぁ、ちょっとでも飲み過ぎると寝ちまうんで、その方が安心なんですけど」
「構わん。寝たらベッドに転がしておく」
「へへっ。頼みます」
ガロは、機嫌よく小さく口角を上げ、紅茶を飲み終えると、早速今夜飲む酒を買いに行った。
サリオの一日の仕事が終わる頃合いに、ガロはサリオの部屋を訪ねた。サリオも宿屋に住んでおり、一階の一番奥の部屋が、サリオの部屋だ。部屋のドアをノックして、サリオのゆるい返事をもらってからドアを開けると、サリオは眼鏡をかけて、机に向かっていた。どうやら帳簿をつけていたようである。
「まだ早かったか?」
「いんやぁ。大丈夫ですよ。ちょうど終わったところなんで」
「そうか。酒を持ってきた。肴にチーズと干し肉もある」
「おっ。ありがてぇ。じゃあ、ご馳走になります」
サリオが嬉しそうにゆるく笑った。ガロは、サリオの部屋に入ると、いそいそと持っていた布袋から、酒の瓶と金属製のグラス、干し肉やチーズを取り出した。サリオの部屋にあった小さなテーブルにそれらを並べる。サリオが座っていた椅子を勧められたので、ガロはそこに座った。サリオはベッドに座った。サリオの部屋は狭い。ベッドと書物机、衣装箪笥と小さなテーブルしか無い。
グラスに酒を注ぐ。ガロはキツい蒸留酒が好きだが、サリオは酒に強くないようなので、軽めの酒を買ってきた。酒屋の店主に聞いたオススメの酒なので、味は確かだと思う。サリオと乾杯をして、一口飲めば、軽やかな口当たりで、ふわっと爽やかな香りが鼻孔に抜け、中々に美味い。ガロには酒精が軽すぎるが、味は少し辛口で、確かに美味い。一口飲んだサリオが、機嫌よさそうに笑った。
「美味いっすねー。これ、お高いんじゃないですか?」
「そうでもなかった。酒屋の店主のオススメのものだ。比較的最近、売り出されたものらしい」
「へぇー。いいなぁ。これ。俺でも美味しく飲めちゃう。ナッツやドライフルーツとも相性がよさそうだなぁ」
「あぁ。確かに。次は買ってこよう」
「へへっ。ありがとうございます。……はぁー。うんまー」
サリオが本当に美味しそうに飲んでくれるので、酒屋の店主にオススメを聞いてみて正解だった。ガロも美味しく飲める。値段はそれなりだったが、いい買い物をした。
暫く、ポツポツと話しながら酒を飲んでいると、酒精で顔が真っ赤になっているサリオが、ヘラヘラと笑って、口を開いた。
「なんかいいなぁ。こういうの。俺ぁ、ガロの旦那が来てから、毎日が楽しくてねぇ」
「そうか。俺も、宿屋の手伝いは、新鮮で楽しい」
「おっ。嬉しいこと言ってくれますねぇ。へへっ。俺がもちっと若かったら、ガロの旦那を口説くのになぁ」
「ぶっ!」
「うわっ! 酒が勿体ねぇ!」
「……ごほっ……貴殿が変なことを言うからだ」
ガロは、思わず吹き出した酒で濡れた口元を手の甲で拭った。
サリオがグラス片手にゆるい笑みを浮かべた。
「俺ぁ、男しか愛せねぇんですよ。むかーしは、恋人がいたこともあったけど、ここ十五年くらいご無沙汰でね」
「そうか」
「『気持ちわりぃ』って、言わねぇんですか」
「別に。騎士団にも、男同士で恋仲になる者達がいた。少数ではあったが」
「あぁ。騎士団って男所帯ですもんね。ガロの旦那は? 恋人とか」
「そんなもの、できると思うか?」
「えー。人の好みは其々でしょ」
「仮に物好きがいたとしても、恋人にはなれん。俺は不能だ」
「ありゃ。理由を聞いても大丈夫ですかい?」
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「なるほど。……ちなみに、尻を試してみたことは?」
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「ふーん。尻も慣れたら気持ちいいもんですよ。まぁ、この歳ではっちゃけるとね、色々と不安がありますけどね。腰とか、尻穴緩んだりとか」
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「おぉう……それはまた気の毒な。んーー。じゃあ、俺と一緒に寝てみます? なんもしないんで」
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「いやぁ。一回くらい、誰かと一緒に寝てみてもいいじゃないですか。ずっと一人は寂しいでしょ。俺も長く一人ですからね。ちょっといい思いがしたいんですよ。あ、キスもしないんで安心してくださいよ。本当に一緒に寝るだけ」
「貴殿はそれで満足するのか」
「まぁ、それなりに。若い頃は抱かれるばっかりでね。俺ぁ、美形って訳じゃねぇから、若さがなかなったら、とんと相手が見つからなくなった。元々、逞しい男に抱きしめられて、抱かれたい派なんですよ」
「そうか」
「で? どうします? 一緒に寝てみます? 本当の本当に寝るだけ」
「野営での雑魚寝と何が違う」
「えー? 距離感とか? 身体と心の」
「……今夜だけ、一度だけ、試してみる」
「おっ。やったね。じゃあ、これを飲み終わったら寝やしょう。へへっ。実を言うと、さっきから眠くって」
「本当に酒に弱いのだな」
「まぁ。体質だから仕方がないんですよぉ」
「それもそうか」
ガロは、へらへら笑っているサリオを眺めながら、グラスの中の酒を飲み干した。酒瓶に残っていた酒を全て自分のグラスに注ぐ。ガロは、この程度じゃ酔えないが、サリオは本当にだいぶ酔っているようである。誰かと一緒に寝た事なんて無い。ガロは、一応そこそこの家柄の貴族の出だから、庶民のように、兄や弟と一緒に寝る事は無かった。誰かと温もりを分け合うとは、どんなものなのだろう。ガロは、少しだけ興味をひかれて、ご機嫌に笑っているサリオと一緒に、サリオのベッドに上がった。
サリオのベッドは一人用だから、当然狭い。ぴったりくっつかないと、確実にベッドから落ちる。ガロは、貧相に痩せているサリオを殆ど抱きしめるような形になった。ガロの腕の中で、サリオがくふふっと嬉しそうに笑った。
「あーったけぇー」
「……そうだな」
「おやすみなさい。ガロの旦那」
「おやすみ。サリオ」
ガロの腕の中で、サリオがすぐに寝息を立て始めた。ガロは、服越しにじんわりと伝わるサリオの体温の心地よさに目を細めると、静かに目を閉じた。サリオとぴったりとくっついていると、体温も、穏やかな寝息も、規則正しい鼓動も、じわぁっと伝わってくる。それが不思議と落ち着く。ガロは、サリオの寝息と柔らかく温かな熱に誘われるがまま、眠りに落ちた。
ーーーーーー
月日は穏やかに流れ、ガロが「剣の街」に来て、十年が過ぎた。
ガロは、新しい剣が出来上がったら、一人旅に出るのもありかと思っていたが、サリオの宿屋が思っていた以上に居心地がよくて、結局、居着いてしまった。宿代を払わない代わりに、従業員と同じようにサリオと一緒に働く日々を過ごしている。たまに、サリオと二人で酒を飲んだ時だけ、一緒に寝ている。サリオとは、キスも何もしていない。自分がサリオを好ましく思っているのは自覚しているが、これが恋なのかは、自分でも分からなかった。ただ、サリオの側にいると、楽しくて、気持ちが穏やかに落ち着いて、まるで日向ぼっこをしているような気分になる。
ガロよりも二歳年上のサリオの誕生日の日の夜。ガロは、サリオが好きな酒を用意して、サリオの部屋を訪ねた。サリオがお気に入りのチーズも買ってきてある。
リボンを着けてもらった酒瓶を手渡すと、サリオが嬉しそうに、でも、どこか照れ臭そうに笑った。
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます。いやぁ、この歳で祝われるなんて、照れ臭いねぇ」
「別に、いくつになっても祝って構わんだろう」
「そういうガロの旦那だって、毎年照れる癖に」
「……まぁ、多少は気恥ずかしいものがあるが」
「へへっ。早速一緒に飲みやしょうか」
「あぁ」
ガロは、上機嫌なサリオと一緒に酒を飲み始めた。ご機嫌に笑いながら酒を美味しそうに飲んでいるサリオが、へらっと笑って、口を開いた。
「宿屋をね、そろそろ引退しようかと思ってるんですわ」
「引退して何をする」
「旅をね、してみたいんですよ。俺ぁ、旅をしてきた人を泊めることはあっても、自分が旅をした事が無い。一度でいいから、旅ってやつをしてみたくってねぇ」
「そうか。ならば、護衛を兼ねてついていこう」
ガロがそういうと、サリオがきょとんとした後で、ふわっと嬉しそうに笑った。
「ついてきてくれるんですかい?」
「あぁ。貴殿がいない宿屋に居ても意味が無い」
「それ、俺の都合がいいように解釈しますよ」
「構わん。好きにしろ」
「あっは! ねぇ。ガロの旦那」
「なんだ」
「キスしてみてもいいですかい? こんな爺相手が嫌じゃなければ」
「俺ももう爺だ」
「確かに! お互い老けましたねぇ」
サリオがクックッと笑いながら、座っていたベッドから立ち上がり、椅子に座るガロのすぐ側に来た。サリオのかさついた温かい手がガロの頬に触れ、少しだけ上を向かされる。唇に柔らかい感触がして、すぐ間近にサリオの深い緑色の瞳が見える。ちゅくっと、小さな音を立てて、優しく下唇を吸われた。
サリオの顔が離れ、サリオが気恥ずかしそうに笑った。
「なんかね、十代のガキの頃みてぇにドキドキしますわ」
「そうか。……サリオ」
「はい?」
「もう一度」
「……へへっ」
サリオが嬉しそうに笑って、もう一度ガロにキスをしてくれた。顔がじわじわと熱くなって、何故だか心臓がドキドキと高鳴る。全く不快でない。むしろ、喜びがぶわっと胸の奥から湧き上がってきて、なんだか落ち着かない気分になる。嫌では無かった。でも、心臓が高鳴って仕方がない。
ガロは、熱くなった自分の頬をゴシゴシ片手で擦った。なんとなく、すぐ側にいるサリオの手を握れば、サリオの手はとても温かかった。どことなく、気恥ずかしいような、なんとも言えない空気の中、ガロはいつものように、サリオと一緒にベッドに上がった。
狭い布団の中でサリオの痩せた身体を抱き締めれば、サリオがガロの首元に額を押しつけ、こそっと囁いた。
「俺ぁ、アンタが好きですよ」
「……俺も、多分、好きだ」
「……へへっ。こんな爺になってまで、恋ができるたぁ、俺ぁ、幸せもんですね」
「俺の最初で最後の恋をくれてやる」
「へへっ。ありがたく貰いますよ。返してなんてやらねぇから」
「返品は受け付けていない」
「ふはっ! ……二人で、色んな景色を見て、色んな美味しいものを食べて、ずっと一緒に寝ましょうね」
「あぁ。……いかんな」
「何がです?」
「早く旅に出たくなってきた」
「ふはっ! 俺もですよぉ。諸々の引き継ぎとか終わったら、早めに旅に出ましょうか。爺二人の気まま旅」
「ん」
ガロは、サリオの身体をぎゅっと抱き締めて、サリオの白髪が殆どの頭に鼻先を埋めた。すんすんと匂いを嗅げば、慣れたサリオの匂いがする。
サリオの穏やかな寝息を聞きながら、ガロは、胸の奥までじんわりと温かくなるのを感じた。
爺二人で寄り添いあって旅をするまで、あともう少し。
(おしまい)
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感想をありがとうございますっ!!
本当に嬉しいです!!
温かくも嬉しいお言葉をくださり、感謝感激でありますーー!!(泣)
本当に!全力で!ありがとうございますっ!!
ずっと誰かと笑い合えるような、そんな素敵な老後を迎えることができたら、きっと本当に幸せでしょうね。
幸せのお裾分けができたのでしたら、何よりも嬉しいです!!
お読み下さり、本当にありがとうございました!!
感想失礼します!
毎度読ませていただいております。
いつもは濡れがあると好きなんですけど、このお話はないからこそ成り立つ雰囲気というものがありますね!とても楽しかったです!
珍しいおじい方のラブも私の穢れきった心には染みますね😭
やっぱり文才がある方は尊敬します!
いつも応援しております!
感想失礼しました。
感想をありがとうございますっ!!
本当に嬉しいです!!
温かくも嬉しいお言葉をくださり、感謝感激でありますーー!!(泣)
本当に!全力で!ありがとうございますっ!!
爺ラブは中々作品が見つからないので、自給自足をしております!
爺ラブすきーな方が増えないかなーと密かに思っておりますので、お楽しみいただけたのでしたら、何よりも嬉しいです!!!!
嬉し過ぎて、語彙力が死んでおり、なんとも申し訳ないです(汗)
お読み下さり、本当にありがとうございました!!
まー様
久しぶりに、まー様のお話を拝読しました。
ほっこりと温かくなる素敵なお話でした。
ありがとうございます。
感想をありがとうございますっ!!
本当に嬉しいです!!
温かくも嬉しいお言葉をくださり、感謝感激であります!!(泣)
全力で!ありがとうございますっ!!
こういうぴゅあぴゅあな老いらくの恋もあってもいいなぁと思いながら、とても楽しく執筆いたしました!
お楽しみいただけたのでしたら、何よりも嬉しいです!!
お読み下さり、本当にありがとうございました!!