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15:結婚契約の行く末

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カートの10歳になる夏休みが終わったある日のこと。今日は剣の教室に行く日ではないので、カートとセシルは小学校でムート達の仕事が終わる時間まで遊び、その後2人で家に帰ってきた。ちょうど家に帰りついたのがムート達と同じタイミングだった。ムートは玄関先で仲良く手を繋いで歩いてきたカートとセシルに笑顔を向けた。


「おかえりー。2人とも今日はどうだった?」

「サッカーしたよ!楽しかった!僕ね、ゴール決めたんだよ!2回も!」

「おー!すごいね。セシル」

「うん!」

「カートは?」

「別にいつも通りだったよ。『親父』」

「…………へ?」

「ぶはっ」


隣でミゲルが吹き出したが、ムートはカートの口から出た言葉が信じられなかった。『親父』と聞こえた気がするが、多分気のせいだと思う。気のせいの筈。ムートの天使が『親父』だなんて呼ぶ筈がない。


「……えーと、パパですよ?」

「友達はもう誰も『パパ』とか言わないし。『親父』でいいでしょ?」

「や、やだぁぁ!『パパ』がいい!」

「やだ。『親父』って呼ぶ」

「『パパ』って呼んでよぉ!」

「絶対いや」

「えぇぇぇ!!」


笑い転げているミゲルが、ショック過ぎて涙目のムートの肩をポンと叩いた。


「はははっ。ムーちゃん」

「……なに、ミーちゃん」

「貴方のお小遣い2ヶ月分」

「……は?」

「賭けてたでしょう?僕の勝ちです」

「…………それいつの話だよっ!酷くない!?酷くない!?」

「はっはっは!思ってたより少し早かったですね」

「笑い事じゃないよ!」


ムートは半泣きで、楽しそうに笑っているミゲルの肩を掴んで揺さぶった。ちなみに子供達は早々と家の中に入っている。


「『親父』はやだぁぁぁ!!」


ムートの悲痛な叫びとミゲルの笑い声は、ご近所さんにまで響きわたった。










ーーーーーー
ムートは居間の窓際に置いてある椅子に腰かけ、のんびり日向ぼっこしていた。昔のアルバムを引っ張り出してきて、1枚1枚思い出を思い出しながら写真を眺めるのがすっかり日課になっている。少し前にムートは73歳の誕生日を迎えた。若い頃のミゲルの写真を優しく指でなぞって、ムートはポツリと小さく呟いた。


「……本当なら僕が君に見送ってもらう筈だったのになぁ」


ミゲルは昨年の冬、ムートを残して先に逝ってしまった。60歳の誕生日を迎えた、ほんの数週間後のことだった。風邪を拗らせ、肺炎になり、わずか数日の闘病生活で呆気なく逝った。今年の春前に定年退職を迎える予定で、子供達も成人して就職したし、のんびり2人で旅行にでも行こうかと話していた矢先のことだった。
ムートとミゲルは結婚の契約を結局2回延長していて、来年の自分の誕生日に3回目の契約延長を申し出るつもりだった。よぼよぼの老人になっても、一緒に暮らして、一緒に老人施設に入って、穏やかに老後を過ごして、ミゲルに見送ってもらうつもりだったのだ。それがまだ60歳という、まだまだこれから第2の人生が始まるであろう若さでミゲルは逝ってしまった。ミゲルの最後の言葉は『散歩と筋トレをサボらないでくださいよ』だった。そこは『愛してる』とか『幸せだった』とか、そういう言葉でよかった気がする。しかし、なんだかミゲルらしくて、ムートは思わず笑ってしまった。ミゲルは歳をとる程に少し口煩くなっていった。主に中年太りなムートを心配してのことだった。『運動してください』と言っては、少しでも暇があるとムートを散歩に連れ出した。寝る前のストレッチと軽い筋トレは毎日一緒にやっていたし、ムートが60半ばになるまではセックスもしていた。セックス本番をしなくなっても、普通に互いに触れあっていた。ミゲルは50歳を越えたあたりから本格的に禿げ始めたが、ムートは全然気にならなかった。前髪がかなり後退しても、変わらずミゲルは可愛かった。真面目で、少し頑固で、少し口煩くて、優しくて、死ぬ前まで結局甘え下手なままで。そんなミゲルをムートは愛していた。30年近く、ずっと一緒にいた。カートとセシルを育て上げ、たまーにちょっとした喧嘩をしたりしながら、2人で協力しあって生きていた。

カートもセシルもサンガレアの中央の街にある高等学校に進学し、2人ともサンガレア領軍に就職した。2人とも長生き手続きはしていない。カートは19歳で女と結婚したし、セシルも20歳で結婚したからだ。
ムートは今はカートとカートの一人息子と一緒に暮らしている。結婚をして独り立ちしたカートが21歳になる歳に離婚をして、まだ生後半年の孫ニースを連れて、実家に帰ってきたのだ。ムートは既に定年退職をしており、のんびり専業主夫生活を楽しんでいた。カートは仲がいいお互いだけの両親を見て育ったので、自分は妻だけなのに、妻は自分以外に他にも夫をもつということが耐えられなくなったらしい。女は最大5人の夫をもつことができる。カートと結婚した翌年にカートの元妻は新たに2人の男を夫にした。ニースは確実にカートの子供である。血液検査や魔力検査をしてもらったので間違いない。働いているのに育児も殆んどカートがしていた。昼間は通いのベビーシッターを雇い、出勤前と帰宅後はカートがニースの世話をしていた。ムートもちょこちょこ孫の顔を見がてら手伝いに行っていたが、仕事と育児の両立が難しいうえに、カートの元妻は子供を産むだけで子供の世話を殆んどせずに外に出て自分の友達と遊んだり、他の夫の所に行ったりしていた。その事に堪えきれなくなり、カートは妻と別れてニースを連れて実家に帰ってきた。カートはまだ働き出したばかりだから仕事も覚えることが多いし、毎日のようにある訓練だって、かなりキツいものだ。ムートは孫の世話を引き受け、久しぶりの子育てに奔走する日々を送ることになった。ミゲルも当然のように一緒に頑張ってくれた。2度目の契約延長もして、毎日が大変で賑やかだが、楽しくて幸せな日々だった。

小さかったニースも小学校に入学し、少し手がかからなくなった。カートも仕事に慣れ、余程のことがない限り定時退勤できる部署で働いている。それに近所の集合住宅にはセシル夫婦が住んでいる。セシルは男と結婚していた。相手は在宅の物書きをしており、ニースをとても可愛がってくれている。ニースのことはそんなに心配がいらなくなった。だからミゲルと2人で旅行にでも行こうかなんて話をしたのだ。2人きりで旅行になんて行ったことがなかったし、ミゲルが退職して時間に余裕ができたら、2人だけの思い出も増やしたかった。

初めてミゲルに契約結婚の話を聞いた時、その時はただムートも子供が欲しかったし、相手がミゲルなら面倒なこともないだろうと思った。本当にただそれだけだった。1人の生活は気楽だし、仕事にやり甲斐も感じていた。恋愛なんて面倒だ。寂しくなったら花街にでも行って一時の温もりと快感を楽しめばいい。そうやって何十年も生きていたが、そんな生活に飽き始めていた頃だったのだ。なんとなく、そろそろ家族がほしいかな、と思い始めていた。ミゲルの話はムートにとって、とても都合がよかった。ミゲルと結婚をしても、セックスをしても、普通に10年の契約満期がきたら離婚をするつもりだった。その考えが覆ったのは一体いつ頃からだろうか。自分でも分からない。ただ、気がついたらミゲルのことを愛していた。一緒に過ごすことが当たり前になり、ミゲルがいない日々を想像することさえできなくなった。だから契約を延長する話を持ちかけた。初めて契約を延長しようと言った時、ミゲルは泣きそうな顔で笑って頷いてくれた。お互い、それまでも、それからも、『愛してる』なんて言ったことはない。でも、確かにムートとミゲルは愛し合っていた。2人で手を繋ぐことも、キスをすることも、セックスをすることも、子供達を育てることも、共に笑い合うことも、なにもかもが2人にとって当たり前なことだった。ムートは3度目の契約延長もする気満々だった。きっとミゲルもそのつもりだった。

ムートはアルバムを捲り、最後の頁にあるミゲルの60歳の誕生日での家族の集合写真をじっと見つめた。ミゲルは白髪交じりになり、かなり前髪が後退して、顔も皺が増えていた。それでもムートが好きな少し控えめな穏やかな笑顔で、笑うムートと寄り添っていた。


「『愛してる』くらい言えばよかったなぁ」


最近はミゲルの写真を見る度に、そう呟いてしまう。ミゲルと過ごした日々は小さな幸せで溢れていた。なんだか気恥ずかしくて『愛してる』なんてムートは言えなかった。ミゲルに言葉にして自分の愛を伝えられなかったことだけが、後悔として重くムートの心に残っている。ムートはもう70歳を越えた。いつお迎えがきてもおかしくない。ミゲルが先に逝ってからは、1人のベッドが寂しすぎて、寝る時はいつもミゲルが早く迎えにきてくれないかと、そればかり考えている。
70歳を越えたあたりからムートは膝を悪くして、外に出て歩くのが少し億劫になった。そんなムートの手をひいて、いつもミゲルはムートを外に連れ出してくれていた。膝が痛む時は優しくムートの膝を擦って湿布を貼ってくれていたし、毎日一緒にベッドに寝転がって、ミゲルが退職した後に一緒にやりたいことを話したりしていた。

まだ小学生の孫がいる。毎日が賑やかで、ニースの日々の成長が楽しみになっている。でも、顔を見合わせて一緒に喜びを分かち合ってくれるミゲルはもういない。寂しくて堪らない。ミゲルがいない日々に中々慣れないし、慣れたくもない。毎日毎日アルバムを見ては、ミゲルばかりを眺めている。

ぼーっと写真に写るミゲルの笑顔を眺めていると、玄関が開く音がした。パタパタと小さめの足音がして、居間にニースが入ってきた。


「ムーじいちゃん。ただいま!」

「おかえり。ニース」

「散歩行った?」

「まだだよ」

「じゃあ今から行こう」

「えー。もう日が暮れるよ?」

「ちょっとでも行くの!ミーじいちゃんに怒られるよ!」

「……そうだね」


ムートはアルバムを静かに閉じて、どっこいしよ、と立ち上がった。側に置いていた杖を手に取ると、近寄ってきたニースがムートの空いている手を握った。2人で玄関から出て、夕陽で赤く照らされている道をムートの歩みに合わせてのんびり歩き始める。


「今日は学校はどうだった?」

「算数のテストが返ってきたよ。満点!」

「おや。すごいじゃないか。頑張ったねぇ」

「うん!でも体育の授業じゃ、またかけっこで僕がビリだった」

「おやま」

「僕、体育嫌い」

「僕も嫌いだったなー。僕もいつもビリだったよ。ミーちゃんは走るの速かったらしいけどね」

「ミーじいちゃんに似たらよかったのに。父さんは走るのも剣も得意じゃん」

「残念。僕に似ちゃったんだねぇ」

「別にいいよ。僕算数は好きだし。大人になったら役所で働くから」

「税務課にでもいくのかい?」

「うん。じいちゃん達と一緒」

「ふふふっ。じゃあ頑張らなきゃねぇ」

「うん」


ムートは小さく笑いながら、何気なく空を見上げた。
赤く染まった空は、いつもミゲルと仕事終わりに手を繋いで2人で見上げていた空と同じ色をしていた。







〈完〉
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