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第一部
青い騒動
しおりを挟むこの日、ガディの店に珍しく子供たちの賑やかな声が響いていた。
ガディの2人の娘がそれぞれ子供を連れて食事に来ているのだ。開店直後のさほど酒も出ていない時間帯である。
店の奥まったテーブルを一つ貸し切って、はしゃぎまわる子供たちの面倒を見ながら、父親や夫の作った料理に舌鼓を打っている。
長女のキュリアは32歳で、14歳になる娘がいる。
婿である2歳年上の夫はガディと共に厨房で腕を奮っている。普段はキュリアも篤美と共に給仕をしているが、今日は妹が来ているため、臨時で休みにしたらしい。店が忙しくなったら代わりに今は小さな従妹の世話を焼いている娘のマイアを動かせるそうだ。
少々歳の離れた次女のフィリアは26歳で、10歳の息子と6歳の娘がいる。
フィリアは近くの商家に嫁いでいる。普段は嫁ぎ先の店の手伝いをしており、滅多に顔を出さないが、人手が足りない時には手伝いに来たり、たまに子供達を連れて顔を見せがてら食事に来たりする。
髪の色は父親のガディにそっくりな茶髪だが、顔立ちや体形は母親似なのだろう。2人ともほっそりとした中々に愛嬌がある、親しみやすい雰囲気の美人だ。
開店して2時間くらいはヒューも店で働くため、人手があることで久しぶりに妹とゆっくりできると、開店前にフィリアにヒューが嬉しそうにお礼を言われていた。
ガディの妻であるミリアも手が空くと彼女たちのいるテーブルで楽しそうに娘や孫たちと話をしていた。
彼女たちに家族の団欒を楽しんでもらおうと、普段以上に篤美とヒューはきびきび働いていた。
ガディも娘や孫達が気になるのだろう。
隙を見ては頻繁に厨房から顔を出している。入り婿のキュリアの夫は頻繁に厨房に1人にされて、今頃てんてこ舞いなはずだ。
客が増えてきたのを見計らって奥さんが尻を叩いて厨房に叩き戻さなければ、そのままそこに居ついてしまいそうな程、孫にメロメロなガディを常連の客達が冷やかして笑った。
2人の娘はそれぞれ嫁ぐまで、この店の看板娘だったようだ。常連の客とも顔見知りが多く、父親が母親に怒られている様を一緒に笑っていた。
ヒューと手分けして、新たに入ってきた複数の客の注文をとり、カウンター越しに厨房内のガディや料理人である婿のポールに伝える。
代わりに出来上がった料理や酒を引き取って、ヒューと手分けしてそれぞれのテーブルに運んでいく。
とはいえ、ヒューは実質8歳児で力がないので、運ぶのは軽いサラダやパンなどの皿やおしぼり、空のコップなどだ。
客が増えていくにつれ、ヒューが注文をとり、篤美が料理などを運ぶ。空いた皿を下げるのは2人で手分けして、とそれぞれ役割を分けて忙しく店の中を立ち回っていた。
力が子供並み(実際に今は子供の身体だが)のヒューは力仕事にあまりむいておらず、また赤毛を揺らしながら元気にクルクル動き回るヒューの姿は常連のオッサン達のツボらしく、ヒューをやたら可愛がっており、篤美が注文をとりに行くよりもヒューが注文をとりに行く方が喜ばれる。
店の給仕をしながら、オッサン達に可愛い孫で羨ましい、うちの娘もこのくらいの歳には、孫の嫁に、等と話しかけられる。
場合によっては、その場で自分の子供自慢や孫自慢大会が始まる。そこに厨房からデカイ声でガディも参戦するのだからたまらない。
人のいい店主達や常連達に苦笑しながら、忙しく動き回った。
「アーチャ。私が入るからヒューを奥に下げていいよ」
徐々に酒が回り始めた頃に、キュリアの一人娘のマイアに声をかけられた。母親譲りの茶色い髪と鼻の頭に散ったソバカスが可愛らしい少女だ。
「あぁ。でもいいのかい?久しぶりに従兄弟に会うんだろう?もう少しゆっくりしてても構わないと思うけど」
「いいの。結局母さん達もお婆ちゃんもすっかり居付いちゃって、話しこんでるもの。けどそろそろいい時間だし、手が足りなくなるでしょ。それにヒューが酔っ払いに絡まれたら嫌だもん」
「それならお言葉に甘えて。ヒュー!」
「はぁーい!」
「そろそろ時間だよ!」
「はい!」
ヒューを引き留めようとするオッサン達を笑顔であしらって、途中すれ違ったマイアと一言、二言、言葉をかわしてからカウンター近くにいた篤美の所へやってきた。
オッサン達に頭を撫でられたり、可愛がられるたびに目を白黒させていた初めの頃に比べると、随分とオッサン達のあしらいが上手くなったものだ。
「マイアが出るから奥に行ってていいってさ。はいコレ、晩飯。奥でもらってきな」
「はい。ガディさん!いただきます!」
ガディに頼んでおいた賄いを渡すと、目を輝かせてカウンター越しにガディにお礼を言った。
厨房の奥から、おう!っとデカイ返事が響いてきた。
最近になって分かってきたのだが、ヒューは出自がいいくせに、舌は庶民派らしい。
ガディの作る料理もいつも心底美味しそうに食べている。
ガディの作る料理は確かに美味しいが、上流階級の舌に合うような上品さはない。庶民的で豪快な料理がほとんどだ。
今日の賄いは鶏肉と根菜たっぷりの煮込み料理である。
店の奥に行く途中で奥さんやフィリア達に声をかけられ、そのままテーブルにつく姿が視界に入った。
一緒に食べようと声をかけられたのだろう。先ほどまでマイアが座っていたイスに腰かけ、彼女達と話しながら料理をぱくつき始めた。
それを横目に見ながら、マイアと2人でいつも以上に忙しく動き回った。
-------
アリアとの奇妙な出会いから一週間が経った。
その間、一度だけウィルと中央広場で待ち合わせして、彼に連れられて、ヒューと3人でウィルの実家の宿屋兼食堂に顔を出した。
アリアはまだ仕事に慣れずにかなり四苦八苦しているようだが、ほんの2,3日で驚くほど表情が明るくなっていた。
覚えることが多すぎて、落ち込んでいる暇もないと控えめに笑っていたのが印象的だった。
ウィルの母親にも会った。
篤美よりいくつか年嵩で40代半ばくらいだろうか。ウィルよりも明るい金髪で、笑ったときにできる笑窪がキュートな女性だった。
明るくハキハキした、いかにも肝っ玉母さんといった感じで、笑った時の細くなる目元はウィルとそっくりだ。
アリアもまだ多少ぎこちなさは感じられるが、随分打ち解けているように見える。
生憎その日は時間がなく、ほんの少し立ち話をしただけだが、近くに必ず食事をしにくることを約束してから別れた。
ヒューのことは驚いたように見た後、息子のウィルとヒューを意味ありげに睨んでいたので、おそらく何かしら気づいたのだろう。
伊達に彼らを赤ん坊の頃から育てていない、ということだ。
ウィルとヒューがそろって視線を泳がせていると、詳しい話は今度来た時に、と念押しして手を振って笑って見送ってくれた。
ガディの店に向かう道すがら、ヒューとウィルの顔色が少々悪くなっていたことが可笑しかった。
彼女のあの様子では、きっと次に行った時には洗いざらい吐かせられることだろう。
「……バレてますよね」
「……バレてたよね」
「……どうします?」
「……どうしよう……」
「むしろ何でバレないと思ってたのかが不思議なんだけど」
心底呆れて、馬鹿にした顔で俯きがちでボソボソ話す2人に話しかけた。
「え、だって……この姿ですし……」
「確かに母はヒューの小さい頃を、そりゃあよく知ってますけど……でも女の子の恰好してますし」
「いや、そんなに服装とか関係ないでしょ。女装してようが、自分が育てた子供くらい分かるっしょ。見た目じゃなくて雰囲気とか癖とかいくらでも判断材料はあるじゃない」
「えぇ~、そういうもんですか?そうなんですか?でも、普段のヒューが女装してるならともかく、今はこんな姿ですよ?」
「現にヒューがこの姿になったとき、アンタ達だってすぐにヒューだと分かっただろ?」
「……そうですけど。魔術師ならともかく、普通の常識から言ったらかなりありえない状況じゃないですか」
「あのねぇ、あの人は普段のヒューやアンタの仕事を知ってるんでしょ?ならとっさに魔術師がらみの事件に巻き込まれたんじゃないかって考えたっておかしくないでしょ。あの場で話を聞きださなかったのは多分周りに他人がいたからだよ。賢い女性だね」
「……はぁ。いくつになってもあの人に敵う気がしません」
「……右に同じ」
「やれやれ……隠す気があるならもう少しやり方を考えなよ。ウィル。そろそろ頃間だ。人ごみに紛れて別れるよ」
「はい。お2人ともお気をつけて」
「うん。ウィル。時間に余裕があるなら叔母さんに事情を話せる範囲で話しといて。今は僕らが一緒にいるところを見られるのは不味いからね」
「了解です。報告は今夜伺います」
「うん。よろしく」
小さくペコリと会釈したウィルと別れて、足早にガディの店に向かう。
私服で短時間とはいえ、ヒューの側近として名が知れているウィルと一緒に行動するのはそれなりにリスクが高かった。しかしそれでもアリアの顔が見たかった。
ヒューも、乳母であるウィルの母親とはチュルガに来てから何度となく会っていたらしいが、子供の姿に変えられてからは会いに行けなくなったので、顔が見たかったのだろう。
本人としてはバレない様に様子を見ることができればいい、と思っていたようだ。
結果として、バレた可能性が恐ろしく高いことに少々顔色を悪くしているが、それでも久しぶりに彼女の顔を見れたことが嬉しかったのだろう。
足取りはいつもより軽やかだった。
------
その日の夜。
一日の仕事を終え、2人は帰路についていた。
カンテラでぼんやりと照らされた暗い道を並んで歩いていく。
市街地を抜ければ周囲は畑に囲まれ、当然人の姿などはなく、後ろの方から護衛の足跡がかすかに聞こえるほど静かであった。
そんななか、辺りの静けさに当てられてか、抑えた声量でボソボソと話をしながら歩く。
「そういや、ウィルのお母さんが乳母ってことは、実質育ての親の様なもんなのかい?」
「はい。実母は俺が11の頃に亡くなりましたし、それ以前もずっとウィルと一緒に育ってきたので、なにかとお世話になってます」
「ふーん。可愛いしっかり者って感じの人だったね」
「ははっ……これが怒らせると本気で怖いんです」
「ふっ。怒らせたんだ?」
「そりゃあ、何度も。子供のころはウィルと一緒に如何に彼女に見つからないように悪戯するか、頭をひねったものです。結局いつも見つかって、しこたま怒られたんですけどね」
「ははっ。悪戯坊主だったわけ?」
「あはは……お恥ずかしながら。でも結局一度も彼女を出し抜くことはできませんでした」
「子供のことをよく見ている頭のいい人なんだね。なら、尚更今回のこともバレないわけないじゃないか」
「……ですよねぇ……」
「女の勘と母親の勘を甘くみすぎてたみたいだねぇ」
「……そうみたいです……」
「ま、事が終わるまで会いに行かないのが吉だね。ウィルが説明してくれれば、きっと彼女からは近づかないだろう。ヘタに知る人が増えるとそれだけ危険が増すからね、本人にも当然周囲にも」
「……はい」
「なにか進展はあったのかい?」
「それが中々……。相手はハッキリしてるんですけど……何と言いますか、頗る優秀な変人っていうことで有名な人物なんですけど、その噂に違わぬ一風変わった魔術を使うので中々魔力の追跡や捜索が難しくて……。俺の友人に彼と比較的交流がある男がいるんですけど、そいつに行方を聞いてもいい返事は返ってこなくて。……その友人に捜索を手伝ってもらえれば早いんでしょうけど、何分、王城から中々出られない役職に就いているのでそれも叶わず、という……」
「おやまぁ……」
「犯人の行方の心当たりを聞くついでに俺にかけられた魔術についても聞いてみたんですけど、結論から言えば、今すぐ第三者が術を解くのは難しいらしいです。専門的な話をされて俺自身は上手く理解できなかったんですけど……若返り系の魔術でもかなり特殊らしいんです」
「ん?お前さんは魔術使えないのかい?」
「魔力は一応あるんですけど、使えないです。どうも魔術ってやつが昔から苦手でして。例えば保冷器のような、魔石を使って装置を動かすのは誰にでもできるんですけど、人が自分の魔術を使って何かするには、まず恐ろしく複雑な理論を理解する必要があるんです。その理論を前提に実践していくんですけど、子供のころに一応教えられましたが、理論の段階で無理でした。正直、いくら考えても分からない魔術理論より剣を振りまわしている方が楽しかったので、割と早くに見切りをつけましたから、魔術方面に関してはほぼ門外漢なんです」
「へぇ~」
「全てにおいて理論ありき、なんで魔術師は基本的に研究者気質なんです。なんで、今回の件で俺は生まれて初めて友人から実験体を見る様な目で見られました……珍しい魔術の被検体だからって……」
「……ご愁傷様」
ヒューが遠い目をして、なんとも言えない表情をしているが、篤美はそれ以上に気になることがあった。
「見られたって、連絡は手紙じゃないの?」
「その友人が開発した、遠隔地同士でも顔を見て話せる道具があるんです。試作段階なので世間には出ていないんですけど、こちらに来ることになった折り、選別代わりにもらったんです。鏡みたいなのにお互いの姿が映って、顔を見ながら話ができるっていう画期的なものなんですけど、何分消費魔力が大きくて、実用化はまだまだ先になるらしいです。貰ってはいましたが、今回の件で初めて使いました」
「はぁ~、便利ね~」
「今はえげつない位、魔力を消費するので、もっと消費魔力を抑えたら、きっと凄く便利になると思います」
「ふ~ん。……ま、なんにせよ、そんな状況ならそろそろやり方を変えないと何時までも捕まらないんじゃない?」
「そうですね……皆頑張ってくれているんですけど、俺自身は中々動けないし……どうにかしないと……」
ヒューが唇を噛んで俯くのが見えた。
可愛らしい中性的な顔立ちに不似合いな、くっきりとした眉間の皺まである。
早くも手詰まりな状況に焦りと苛立ちを感じているのだろう。
カンテラを持つ逆の手で、篤美はなんとなしに頭を掻いた。
「……ま、焦ったところで成るようにしか成らんさ」
「……はい」
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