夜の散歩

丸井まー(旧:まー)

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第一部

激情と変化の兆し

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二本目の煙草を吸い終わり、家の中に戻ると、相も変わらず重苦しい空気が場を支配していた。


(やれやれ……)


煙草などを玄関脇のちょっとした棚の上に置き、台所に向かう。
ケトルに水をそそぎ火にかけると、ゴソゴソと戸棚を漁くる。

(客が来ること前提で食器を買ってないしな……)

あまり大きくない戸棚中を探しまわって見つけたのは、陶器製のマグカップが二つと木彫りのこ洒落たカップが三つ。
木彫りのカップはここに来る前の街でうっかり一目惚れして衝動買いしてしまったものだ。
花をモチーフにした幾何学模様が彫られてあり、三つの連作のものだ。
戸棚の肥しになるだけかと思っていたが、思わぬところで日の目をみることになったようだ。

普段は水かダル酒しか飲まないため、若干埃被ったお茶葉の入った缶を棚から取りだす。
ムク茶というこの地方独特のお茶だ。初めてこの街に来た時に雑貨屋の女将さんに勧められて買ってはみたものの、一度も飲んだことがない代物である。
淹れ方は日本の緑茶とそう変わらないらしいが、どの程度茶葉を入れればいいのか、いまいち分からない。
これまた埃被っていたティーポットを軽く水で洗って布巾で水気を拭き取ると、茶葉を入れる。
分量は適当だ。
試しに飲んでみて薄ければ茶葉を足して蒸らしなおせばいいし、濃すぎればお湯で割ればいいだろう。
なんにせよ飲めないものにはなるまい……多分。

使ってなかったカップも水で洗い、拭き終わる頃に丁度お湯が沸き上がった。
緑茶や紅茶なんかは確か淹れる適温があったと思うが、そんなもの覚えていないし、何の参考になるとも思えない。
とりあえず飲めればいいのだから、何も気にせず沸騰したお湯をポットに注ぎ込んだ。
蓋をしてしばし待つ。
ジャスミンティーのような甘い、それでいて爽やかな花のような香りが鼻孔を擽る。
もういいか、と思い、試しに自分のカップに少しだけ注いでみる。
飲んでみると、茶葉が多かったか、蒸らしが長かったか、少しだけ苦味があったが、爽やかな甘い香りが鼻孔を通り抜け、中々に自分好みのお茶である。
女将さんには随分といいものを教えてもらっていたんだな、と本当に今さらながら有り難く思う。
とりあえず問題ないことが分かったところで、五つのカップにムク茶を注いでいく。

生憎お盆なんてものはないから、一つずつ片手にカップを持って重苦しい空間に戻る。
功労者であるバルト・クエーツと、この中で一番地位が高いであろう(寝ている団長殿は除く)熊二号に近づき手渡す。


「……どうぞ」

「……悪い。いただこう」

「ありがとうございます」

「いーえ。お二人には今から持ってきます」

名前も知らない残りの二人の騎士に声をかけ、台所に戻ろうとすると、窓の外を見ていた方の騎士が此方へ近寄ってきた。


「手伝います」

「……お願いします」


手伝ってもらう程のことではないが、一人だと二往復しなければならないことを考えたら、自分らの分は自分で持って行ってもらった方が楽だろう。
彼を先導する形で台所に向かう。炊事場の上に置いていた湯気が立ち昇るカップを二つ手渡す。


「どうぞ。熱いので気をつけてください」

「ありがとうございます」


騎士がペコリと小さく頭を下げた。
褪せたような色味の、短髪とも長髪ともいえない微妙な長さの金髪を後ろで結んでおり、それが尻尾のように揺れるのが見えた。
20代後半くらいだろうか。細い眉とややつり上がった涼しい目元、通った鼻筋に薄い唇。全体的に整っているが、何となく冷たい印象を受ける顔立ちだ。
典型的な狐顔ともいえる。


(尻尾といい、まんま狐だな)


安直に狐君と名付け、狐君の後を追うように自分のカップを持って騎士達のいる部屋に戻る。
ムク茶の甘い爽やかな香りが広がる空間は、先ほどまでの重苦しさがかなり軽減していた。
もしかしたらムク茶は、ジャスミンティーのようにリラックス効果があるお茶なのかもしれない。
皆無言でムク茶を啜っていたため、再び玄関に凭れかかり、篤美も熱いムク茶を啜る。
ふと視線を上げると、壁に凭れかかった騎士と目があった。
そのまま無言で頭を下げられたため、此方も目礼を返す。


はぁぁぁぁ……と熊二号が肺の空気全てを吐きだすような溜息をついたため、何となく全員が其方に目を向ける。


「とりあえず……だ。このままじゃ何も進まん。ちと今後どうするかを決めよう」

「外に出てた方がいいなら出ときますけど」


機密的なこともあろうと思っての発言だったが、熊二号は緩く頭を横に振った。


「いや、アンタもいてくれ。アンタにも関係があることだ」


何となく眉根に皺が寄る。
多分間違いなく厄介事に巻き込まれた。……全力で今更だが。


「団長と交戦していた魔術師の話は団長が目覚めてからすればいいとして……だ、この姿の団長を他の人間に見られる訳にはいかない」


確かに、仮にも王族兼領主兼騎士団長の彼がまさか子供に変えられちゃいましたじゃ、外聞も甚だ悪かろう。
そして熊二号達にはこちらの方が問題かもしれないが、やりあった魔術師がまだ生きているのならば再び狙ってくる可能性がある。
この子の実力なんて知りもしないし正直興味も対してないが、騎士としての実力を存分に発揮できる大人の姿ならともかく、こんな細っこいひ弱な子供の状態ならそれこそ私にだって殺せそうだ。
ならば隠しておくのがセオリーだろう。

なんてことを他人事のように考える。実際に他人事であるが。
しかしながら、何やらものすごく嫌な予感がする。十中八九当たるであろう嫌な予感がビシバシする。
話の流れから言って間違いない。
怖いくらい真剣な顔で熊二号が口を開いた。



「あんた、団長をこのまま匿ってくれないか?」



……やっぱりだ……畜生め。










‐‐‐‐‐‐

予想と違わぬ発言に思いっきり眉間に皺が寄る。
予想していたこととはいえ、内心、限りなく900hPaに近い台風の暴風圏内ばりに荒れ狂っている。
様々な思いが篤美の中で声高に叫び声を上げ、何が何だか分からなくなるほどの衝動に一瞬だけ目の前が暗くなる。


(夜中にいきなり王族連れて押し掛けてきたと思ったら、こんどは厄介事の種を匿えだ?……ふざけろよ)


ヒステリックに喚き始めなかった自分を褒めてほしい位だ。
先ほど外で一服して沈めたつもりの昏い衝動が再び急速に湧きあがる。
極力冷静になろうと、意識して息を細く吐き出す。
眉間の皺はものすごいことになってそうだが、この際そこは諦める。


「……本気ですか?」


睨みつけるように熊二号に視線を向ける。地を這うような低音になってしまったのは致し方がない。
視線を向けられた熊二号の後ろにいたバルト・クエーツがビクッと身体を揺らしたが、当の熊二号は平然と篤美と目を合わせる。


「あぁ」

「何故、私が?」

「この場にいる人間以外、このことを知らんからな。まさか、この姿で砦に連れ帰るわけにもいかん」

「それはそっちの都合でしょうが」

「そうだな。アンタには悪いと思うが協力してもらう」

「協力?強制の間違いじゃないんですか?どうせ、断らせるつもりもないのでしょう?」


熊二号が目を細める。激高しそうなのを必死に抑えている此方とは対照的に、ひどく冷静そうなのが腹立たしいことこの上ない。
被っていた猫がドンドン剥がれていく。


「まぁな」

「……もし私が断ったら?」

「アンタは断らないよ」

「……何を根拠に?」

「勘」

「は?ふざけんのも大概にしてくださいよ。アンタ今どんだけ理不尽なこと言ってるか分かってんの?」

「別にふざけてねぇよ」

「ふざけてるだろ。夜中に女の一人暮らしの家に押しかけて来たと思ったら、この怪我した子供が王族だ?しかも匿えだ?悪いけど、私にはタチの悪い冗談にしか聞こえないね」

「だが事実だ。それにこれはアンタじゃないと頼めない」

「だから何故そこに善良な一庶民を巻き込む必要がある」

「巻き込むたぁ、人聞きが悪いな」

「巻き込む以外に言いようがないだろう。厄介事の臭いがこんなにプンプンしてるのに」

「礼はちゃんとするぞ」

「そういう問題じゃない。私は厄介事になんざ関わりたくないんだよ。しかも王族とか、一級品の厄介事じゃない」

「その分、報酬ははずむぞ」

「だからそういう問題じゃない。王族なんかと関わり合いになんかなりたくないって言ってんの」

「何故?」

「第一に私は元々この国の民じゃないから王家に忠誠心なんざ持ってない。第二にこのガキはこの状況からみりゃ、どうあったって命を狙われているか、あるいはそれに準ずる状況だろうが。ヘタに関わって私の命まで危険にさらされるとか冗談じゃない」

「仮にも王家の人間をガキ呼ばわりするか、普通?」


熊二号は呆れたような顔になった。窓際の騎士の方からチクチク痛い視線を感じる。


「論点はそこじゃない」

「アンタに頼む理由は二つ。一つはこの場に居合わせたから。もう一つはアンタが頭の悪い女じゃなさそうだからだ」

「ハッ……そいつはどうも!嬉しくないからこの子連れてとっとと帰ってくれないかい?出口は此処だよ」


寄りかかっていた玄関の扉から少し身体を離して脇により、屋外に向けて顎をしゃくる。


「だからそれはできないんだっつの。あーもう、面倒臭ぇなぁ。アンタ多分頭は悪くないから分かってんだろ?いくら押し問答したところで、拒否権なんざアンタにないの」


いい加減面倒になったか、熊二号ガリガリと頭を掻きながら溜息を吐きやがった。
溜息吐きてぇのはこっちだ糞熊が。


「…………」

「こっちだって一般人を巻き込みたくねぇんだよ。だが今の状況じゃそうも言ってられん。背に腹は代えられねぇんだよ」

「……そのガキを匿うと見せかけて、そいつを狙う奴らに売り渡すかもよ?それか、そんだけ小奇麗な顔してんだ。売春宿にでも売っぱらったらいい額になるんだろうね」

「アンタは、んなこたぁしねぇよ」

「……何故言いきれる?」

「勘」

「……またそれかい」


舌打ちをしつつ、玄関脇の棚に置いた煙草を手にとり、一本銜えて火をつける。
子供がいる所では吸わない主義だが、この際仕方がない。
このままだと、ヒステリーを起こしかねない。糞ったれな熊二号が言うことが本当なら、自分のベットに寝ているのは子供ではなく28歳の成人男性だ。


「この手の俺の勘は外れたことがねぇんだよ」

「あぁ、そうかい!!……っくそ」


舌打ちと共に吐き出しながらガシガシと頭を掻き毟る。
大きな溜息と共に紫煙を吐きだす。思いっきり熊二号の方に向けてやったのは些細な嫌がらせだ。
もっとも熊二号は平然としたままで、後ろにいたバルト・クエーツが少し嫌そうな顔をして煙を払うように手をパタパタさせた。


「……何故、そこまでしてこの子供を隠す必要がある?」

「お、やっと匿ってくれる気になったか」

「まだやるとは言っていない」

「往生際の悪い女だなぁ、おい」

「うるせぇよ」

「口も悪いしな。アンタそれが素だろ」

「だから、うるせぇよ。話をそらすな。私の素とか関係ねぇだろ。とっとと答えろや」


煙草を斜に銜えながら睨みつける。


「どこのチンピラだよ」


こっちが醸し出す陰険な空気をチラリとも読まずに、愉快そうに器用に右眉と左の口角を上げる熊二号。
……ものすごく腹立たしい。


「状況なんかの詳しい話は団長が起きてからだ。とりあえず、アンタは引き受けてくれるってことでいいんだろう?」

「……誰が引き受けると言った……」

「いい加減諦めろよ。どうやったってアンタは断れない」

「……糞ったれが……」


握りしめた拳を壁に思いっきり叩きつける。
静かな室内にガンっという音が響く。
そのまま寄りかかっていた身体を離し、台所に向かう。
その背に熊二号から声がかかる。


「おい、何処行くんだ?」

「……酒をとってくるだけだ……」


唸るように応え、そのまま振り向かずに台所に行き、ダビ酒の瓶を取り出し、そのままその場で呷る。


(飲まずにやってられるか、畜生め!!)


甚だ不本意極まりないうえに信じがたいが、王族のガキの面倒をみなければならなくなったようだ。


(何がどうしてこんなことにっ……!!)


やり場のない憤りに震える拳を俯いた額にそえる。
この世界に連れて来られて二年。やっと穏やかな暮らしができると思ったのに。

叫び出すことのできない、もはや言い表しようがない思いを無理やり酒と共に呑み込んだ。



この世界はいつだって理不尽だ。

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